ただいまメンテナンス中です…

カテゴリー: travel

  • MEDIAS TAB UL N-08D

    MEDIAS TAB UL N-08D

    MEDIAS TAB

    コールカーターで購入した7インチのタブレット端末、SAMSUNG製のGALAXY TABを愛用してきた。購入目的の半分くらいは電子書籍閲覧であったのだが、PDF等の読み込みや表示にもたつくのが気になるようになっていた。また通話の際には基本的にヘッドセットを利用するような仕様になっていることも面倒に感じていた。ヘッドセット無しで通話できなくもないのだが、いわゆる「ハンズフリー」の通話状態となるため、話の内容が周囲に丸聞こえになる。

    今年9月20日に発売されたMEDIAS TAB UL N-08Dを手にしてみたとき、「こんなに軽いのか!」と驚いた。7インチのタブレットPC(携帯電話機能付き)なのに重量は約250g。躯体の素材は航空機などで用いられることで知られる軽量かつ強靭なカーボンファイバーが用いられているとともに、徹底した薄型化がなされている。OSはAndroid 4.0で、CPUは1.5GHデュアルコアと高速なので、少し前までのAndroid携帯のモッサリとした動作感とは別次元のスムースで滑らかかつキビキビとした操作感。大げさかもしれないが紙をめくるのに近い感覚で書籍を読み進むことができる。

    昨年からdocomoの携帯電話はドコモショップで手数料を支払えばSIMロックを解除してもらう(手数料3,150円と高いのだが・・・)ことができるため、通話・データ通信部分を除けば日本で使っているのと同じ環境を国外でも実現可能だ。

    通常のスマートフォンよりもずっと大きな7インチの大画面で使い勝手が良いのもさることながら、テザリングが可能であることからも利用価値が高い。USB接続のテザリングによりバッテリーを節約することもできるし、あるいはMEDIAS
    TABをWifiアクセスポイントとして利用して複数の機器をインターネット接続することもできる。

    Bluetooth接続を利用して、コンパクトな外部キーボードを繋ぐこともできるため、PC同様とまではいかなくとも、かなりそれに近い環境が出来上がる。

    その他、iPhoneやiPadならば別売りのアンテナやアプリの利用が必要となるワンセグ放送受信もできるので、日本国内においては「もう一台のテレビ」として役に立つ。画面が大きい分映像は荒くなるものの、7インチならばまあ見れないことはない。

    ややオーバーな言い方をすれば、「指先でつまんで持つ」ことが可能なタブレットPC兼スマートフォン。徹底した軽量化がなされているため、画面に使用されているゴリラガラスも飛び切り薄い(?)ように思われる。特長のひとつである「軽さ」の魅力を削ぐことにはなるが、破損防止のためにケースは必須かもしれない。

    現在までのところ、携帯電話として通話できる7インチタブレットは世界でも数えるほどしか発売されていない。その中でもヘッドセット不要で、「普通のケータイ」として話すことができるモデルとなると非常に希少な存在だ。

    スマートフォンとしての機能、PC、読み物、ガイドブックその他の資料をひとまとめにできるという点から、軽量かつ非常にキビキビと動作するこのMEDIAS TABは利用価値が大きい。

    蛇足ながらSIMは通常のサイズではなく、マイクロSIMとなる。よって往々にして携帯SIMを販売する店先にて、通常サイズのSIMからガリガリ切り出してもらうことになるだろう。

    売れ筋のスマートフォンとしては珍しく日本メーカー(NEC)の製品。非常に優秀なスマホ兼タブレットでありながらも、日本国内以外でのマーケットほあまり意識していないように感じられるのが残念だ。インドはもちろんのこと、どこの国に持って行っても大変重宝するデバイスとなることだろう。もはや今年正月に購入したばかりのGALAXY TABが、はるか昔の道具に見えてしまうし、GALAXY NOTEのような中途半端なサイズの機器よりも用途ははるかに広いことと思われる。

  • インドの豪華列車

    インド国鉄の関連団体IRCTC(Indian Railway Catering
    and Tourism Corporation)による豪華列車ツアーはいろいろあるが、本家本元といえば1982年にサービスを開始したPalace on Wheelsである。

    豪華な設備の整った車両で、デリーから出発し、アーグラーに加えてラージャスターン州のいくつかの土地を巡る7泊8日の行程で、その模様はPalace on Wheelsのウェブサイト上にて動画で公開されている。

    費用についてはこちらをご参照願いたい。提示されているのは一泊当たりの料金であることに注意が必要だ。

    Palace on Wheelsは、アーグラー以外の訪問地はラージャスターン州内であるのに対して、行程もカージュラーホー、バナーラスといった他州の観光地も含まれることに加えて、設備もモダンなバージョンが、2009年に開始されたRoyal Rajasthan on Wheelsだ。

    Palace on Wheelsの南版といえるのが、2004年に運行開始したDeccan Odyssey。ムンバイーを出発し、7泊8日でマハーラーシュトラ州内に加えてゴアを訪れる。東南部に目を移せば、2008年に開始されたThe Golden Chariotという豪華列車もある。こちらはThe Pride of Southと題したバンガロール出発でカルナータカ州内とゴアを訪れる行程と、Southern Splendorという、同じくバンガロール発だがタミルナードゥとケーララの両州を訪れるツアーがある。

    こうした豪華列車によるツアーの売り上げがなかなか好調なのか、2010年からはMaharajas’ Expressというサービスも開始されている。他の豪華列車と異なるのは、お決まりの7泊8日の行程が、ムンバイー発でアジャンターからラージャスターン各地、そしてアーグラーを経てデリーが終点となるHeritage of India、デリー発ではアーグラー、ラージャスターン州の複数個所、M.P.州はU.P.州を経てデリーに戻るIndian Panorama、デリー発でラージャスターン州を経てムンバイーに至るIndian Splendor、3泊4日でデリー、アーグラーとラージャスターン州を訪れるTreasures of IndiaGems of Indiaがあるという力の入れようだ。

    個人的には、こうした豪華列車にどの程度の関心があるかといえば、正直なところまったくないのだが、かねてより乗車してみたいと思っているものがひとつだけある。Fairy Queenというのがそれで、デリーからアルワールの区間のみ、いつか利用してみたい。

    蛇足ながら、ツーリスト・トレインのパッケージは、必ずしもひとつの行程が数千ドルもする高額なものばかりというわけではなく、数千ルピー程度から参加できるものも用意されている。もちろんこれらは「豪華列車」ではないことは言うまでもないが。

  • Kingfisher Airlinesの危機は続く

    2005年の創業以来、スーパーモデル級の超美形のフライトアテンダントを揃え、派手でカッコいいブランドイメージで人気を集めてきたキングフィッシャー・エアライン。2008年に当時インドのLCC最大手であったエア・デカンを吸収してからは一気にルートも拡大、同年後半からは国際線にも進出を果たし、飛ぶ鳥を落とす勢いであった。2011年12月に同社の債務危機が明らかになるまでは、インド第2位の規模を誇る航空会社であり、すべてが順風満帆・・・と部外者の目には映っていた。

    その後、同社の財務状況をめぐる様々な記事がメディアで報じられ、それまで築き上げてきた名声が地に堕ちることになるとともに、不採算ルートの整理が進められるようになった。そのため以前運行していても今では撤退してしまった路線は少なくない。また同社をめぐる様々な状況のため、昨年までのような安定した運行は必ずしも期待できなくなっている。

    そこにきてこんな話もあるため、敢えて同社のフライトの予約を入れる場合、とりわけそれがしばらく先の日付の場合は特に気を付けたほうが良いだろう。

    India May Cancel Kingfisher License (WallStreet Journal)

  • TRANSIT第18号 美しきチベット

    TRANSIT第18号 美しきチベット

    TRANSIT 第18号

    季刊誌(年4回発行)TRANSITの最新号はチベット特集。主に取り上げられているのは中国占領下のチベット(中国政府は「西蔵自治区」を自称)、ブータン、インドのダラムサラとラダック。旅行関係の出版物だけあり、豊富でカラフルな写真や図版が楽しい。

    色々な方面の執筆者による記事が満載だが、それらの中で意外であったのは、「日本で触れるチベット仏教」と題されたもの。今までまったく知らなかったが、広島市にある高野山真言宗牛田山龍蔵院内に、デプン・ゴマン学堂日本別院という、日本初のチベット僧院があるのだそうだ。

    チベット僧院といっても、チベット式の建物があるわけではなく、龍蔵院の敷地内に間借りしているとのこと。

    書店で見かけたら、ぜひ手に取ってページをめくってみることをお勧めしたい。

  • ご当地仕様のホテル

    ご当地仕様のホテル

    夕方のそぞろ歩き
    Tシャツに描く絵描きさん。なかなか丁寧な仕事をしていらっしゃる。
    「死んだ家畜があったらお電話を」とある。そういう仕事もあるようだ。
    久しぶりにプシュカルを訪れてみた。ラージャスターン州の他地域同様、ここでもやはり古いハヴェーリー(屋敷)を改築したホテルが人気のようである。多くはカジュアルな宿泊施設で、手頃な料金でこの土地ならではの雰囲気を楽しむことができて楽しい。
    宮殿から転用されたホテルは昔からあるが、ラージャスターン州でハヴェーリーを改装した宿泊施設が一般的になったのは、2000年代に入ってからである。それまでは、ほとんど顧みられることもなく荒れ放題であったり、テナントに部屋ごとに細分化して賃貸していたりといった具合で、往時の面影はほとんど残されていないことが多かった。
    中世から近世にかけて、商売で成功した人たちが豪奢なハヴェーリーをラージャスターン各地に建築した時代があった。当時とは産業構造が異なり、多くは都市部に居を構えるようになっていたり、一族が肩を寄せ合って暮らすジョイント・ファミリーのような生活形態も過去のものとなっていたりするなど、ライフスタイルも変化している。大家族が暮らしていたハヴェーリーは、往々にして「賃貸物件」として部屋ごとに貸し出され、そこからの収入は大きな街に住むオーナーが受け取り、現地では縁もゆかりもない間借り人たちが住む「アパート」と化している。そこに暮らしているわけではないオーナーも、間借りしているに過ぎない借家人たちも、建物に対する愛着などないので、このコンディションに頓着するはずもない。ゆえにボロボロになってしまうのはやむを得ない。
    こんな建物をよく見かけるが、往時はさぞ立派であったことだろう。
    上の画像は、プシュカルの隣町アジメールのバーザールで撮影したものだが、ラージャスターン各地の商業地域でこのようなハヴェーリーは数多い。もしこれが宿泊施設に転用されたならば、かなり良い収入を見込めるだろう。
    だが観光地やその周辺にあるハヴェーリーについては、その資産的価値が見直されているようだ。建物の規模からホテルに充分転用できる可能性があること、一族とはいえ複数の世帯が暮らすように造られていたこともプラスに作用する。商家のハヴェーリーは賑やかで交通の便も良い商業地域にあることが多く、ロケーションの面からも観光客にとって都合が良い。
    ラージャスターンらしい意匠や装飾などが外国人客はもとより、インドの他地域から訪れる人々にとってもエキゾチックでアピールするものがある。これらについては、昨年の今ごろ「旧くて新しいホテル1234」でも取り上げてみた。
    好立地にある物件ほど、従前より賃借人に部屋ごとに貸し出しているケースが多く、建物の規模が大きいほど、既存のテナントに立ち退いてもらってホテルに転用することが容易ではなかったりするものの、こうした宿泊施設は今後も増加していくものと思われる。
    夕暮れ時の湖
    ガートへの入口
    さて、話はブラフマーの聖地とされるプシュカルに戻る。小さな湖周辺に町並みが広がり、幾つものガートが並ぶ。ガートにも幾つものスピーカーがあり、様々なことがアナウンスされている。「そこの人、サンダルを脱ぎなさい。外国人はちゃんと靴を脱いでいるのに、インド人のあなたは恥ずかしくないのか?」「汚い衣類をガートで洗濯するのはやめなさい」といった具合だ。ガートの様子を逐一監視できるように、監視カメラが設置されているようだ。
    ガートに多数出ている看板で、外国人用に英語で書かれているものには、「写真撮影禁止」「禁煙」といった事柄が書かれているのに対して、ヒンディーでインド人用に書いてあるものには、「ここで洗濯するな」とか、「トラストへの寄付は所得税の控除の対象になります。領収書を受領してください」などと書かれている。これら二種類のものは、並んでいるだけに、書いてある内容の相違がさらに際立つ。
    こうしたエリアに隣接するラクシュミー・マーケットの裏手に、Inn Seventh
    Heaven
    という宿がある。かなり建て増しがなされているようではあるものの、入り口の狭いドアをくぐった先にある広々とした中庭を中心に広がる洒落た光景には思わず息を呑む。料金帯の割にはプロフェッショナルなサービスが提供されており、マネジメントもしっかりしていることが窺える。今後長く繁盛するだろう。
    Inn Seventh Heaven
    最上階のレストランから階下を眺める
    ロビー周辺
    客室ごとに異なるテーマで装飾等がなされており、それぞれの部屋の前にもソファ、長椅子、ブランコ等々がしつらえてあるのだが、さりとて雑然とした感じにはならずに、上手に統一感を持たせたコーディネートがなされているあたりのセンスの良さからして、経営の主導は在外(インドの都会に暮らす人か、はてまた外国在住者か?)の人の手中にあるのかもしれない。
    あまりの人気のため、オフシーズンでも予約は一杯になりがちなので、宿泊の予定が決まれば数日前には電話等で予約しておくべきだ。西洋人の家族連れの利用も多く、子供たちと一緒に快適そうに過ごしている姿が見られる。最上階にしつらえてあるレストランもなかなかいいムードで、気の利いたメニューを提供している。グラウンド・フロアーにあるキッチンから上階に料理を運ぶために、凝った造りの木製の小さなリフトが使用されているのも、見る人の目を楽しませてくれる。
    実はすぐ隣にも似たような感じでハヴェーリーを改装してオープンしたホテルがあり、設備等悪くないのだが、同じような料金帯のInn Seventh Heavenかなり見劣りする。やはり内装のセンスの差であり、ランニング姿のオヤジが「いらっしゃい」と出てくるあたりやスタッフというよりも普通の「使用人」然とした従業員など、非プロフェッショナル的で典型的な家族経営のごく普通の宿であるだけに仕方がない。真横にあるホテルが満室でもこちらはガラガラに空いている。
    空いているお隣の宿。正直なところ、ここもなかなかいいのだが、どうしてもInn Seventh Heavenと比較してしまう。
    それでもプシュカルにはちょっといいホテルが増えた。かつては安旅行者向けの小さなゲストハウスばかりが点在していて、ややアップマーケットな宿泊施設といえば、ラージャスターン州政府観光公社RTDCのHotel Sarovarくらいしかなかったのだが、いまやLonely Planetのガイドブックにも掲載されなくなっているほど「無視された」存在となっている。
    RTDCのホテル
    ここに限ったことではないが、90年代以降、各地で様々なレベルの宿泊施設に民間資本が参入している。とりわけ宿泊施設については、地域の観光産業振興を牽引する役割は終えているといっていいだろう。事実、インド全土を見渡せば、かつては公営であったホテルが民間に売却された例は少なくない。とりわけ州都規模の街などは、民間大手ホテルグループにとって買収の手を挙げやすいようだ。
    さて、今後どのような面白い宿泊施設が出てくることになるのか予想もつかないが、東西南北それぞれの地域で歴史的な資産には事欠かないインドだけに、今後もご当地色豊かなホテルが出現してくるのを待つことにしたい。
    このあたりではホシガメか生息している。
  • IRCTC (再々アップデート)

    前回は、今年7月にIRCTC (再アップデート)と題して、ウェブでのインド国鉄のEチケット予約について、携帯電話(インドの携帯電話会社のSIM利用)に送られてくる認証パスワードが必要になっていることについて触れたが、それを含めてインド人の間でもインド国鉄予約サイトの使い勝手は評判がよくないようだ。

    その不便さを解消する目的で、これまでのクレジットカードでの支払いに加えて、近々RDS (Rolling Deposit Scheme)なるものが開始されることになるようだ。要はネット予約を扱っているインド国鉄関連会社のIRCTCに「プリペイド」でお金を預けておき、そこから予約するチケットの代金が差し引かれるという仕組みだ。

    このシステムを利用することにより、これまで予約作業途中にエラー表示が出たり、携帯電話で受信しなくてはならなかった認証パスワードが不要になったりという面倒が解消されるという触れ込みではある。

    詳しいことはまだ明らかになっていないので、インド国内からの銀行送金以外にどのような「プリペイド」方法が可能になるのか、その「プリペイド」の支払い手段としてクレジットカードが使用できるのかも今のところ不明。

    IRCTC to launch deposit scheme for faster bookings
    (Times of India)

    IRCTC mulls prepayment cards to reduce
    transaction failure rate (The Indian Express)

    詳細が明らかになるまでは批評を差し控えたい。だがiPhoneやiPadのアプリケーションで、『Indian Railway Booking』アプリケーションが出てきて、サクサクと簡単に予約すれば、予約代金はiTunesに登録してあるカードから引き落とされ、あとは乗車後に『My Booking』のアイコンにタッチすると表示される予約内容を車掌に見せるだけ・・・という具合になればありがたい、と思うのは私だけではないだろう。

    南アジアの鉄道で、ウェブ上での予約・発券が可能な国はインド以外に存在しない。現状でもインドは『大変進んでいる』ので、あまり多くを求めるのは酷かもしれないが。

  • LEH 1990 & 2012

    LEH 1990 & 2012

    手元に1990年の2月に撮影したレーの町並みの写真が2枚ある。そしてもう2枚は2012年の夏に撮ったもの。季節はもちろんのこと、レンズの画角やアングルは少し違うのだが、どちらもレーの町を見降ろす王宮脇からの眺めである。王宮は、1990年当時は廃墟といった状態で、内部はあちこち崩落していたため公開されていなかった。撮影したネガは紛失しており、すっかり退色してしまったポジをスキャンしたものだ。
    レーの町 1990年
    レーの町 2012年
    レーの町の東端 1990年
    レーの町の東端 2012年
    レーの王宮入口 1990年
    レーの王宮入口 2012年

    レーの町の中心を成すメイン・バーザール界隈の大きな建物や政府機関等を除けば、大半の家屋は伝統的なラダック式の日干しレンガを積み上げた構造のものが大半であった。宿もそのような家屋に手を入れたようなものが多かったように記憶している。

    レーのメイン・バーザール 1990年
    レーのメイン・バーザール 2012年

    レーの市内も主だった通りを除けば、大半は未舗装であったため、やたらと埃っぽかった記憶がある。他にもいろいろ撮っておけば良かったと思うのだが、フィルム時代であったため、低予算のバックパッカーにとっては、コスト面から一枚一枚がなかなか貴重であったため、今のように枚数を気にせずに撮りまくるようなことはできなかった。加えて、愛用していたニコンの機械式のカメラが故障したため、撮影数が少なかったということもある。

    当時のティクセの寺院の画像もある。かなり荒廃した感じに写っているが、その頃は実際そういう具合であった。僧侶たちの多くが携帯電話を所持していたり、その中の若い人たちの中にはスマートフォンを手にしていたりするような時代が来るとは想像もできなかった。

    ティクセ 1990年
    ティクセ 2012年

    今回のラダック訪問で、20年もの歳月が過ぎているので当然のことではあるが、レーや周辺の町並みの整備が進んだこと、主だった寺院その他の建築物が非常にいい状態にあることが印象的であった。やはりインドという国の経済が継続的に右肩上がりで推移していること、観光業もまた順調に振興していること等々の効果もあるのだろう。加えて、1990年当時には、外国人にとって完全に地域が、ILPを取得することにより訪問可能になっていることについて驚かされるとともに、大変嬉しく思った。電気を使えるのは午後7時から午後11時までというのは相変わらずであるし、夏季以外は陸路が閉ざされるという状況は変えようもないのだが。

    電気はともかく、まさに夏季以外の厳しい気候やアクセスの面での不都合があるがゆえに、外部からの人口流入も限られていることも、ラダックらしさが保たれているひとつの要因に違いない。とりわけ北東インドのアッサム州やトリプラー州のように、隣接するベンガル州はもとより、ヒンディー・ベルト地帯からの移住者が多い地域と比較すると、その差は歴然としている。経済的な理由により、ラダック地域内での人口の移動は相当あるのかもしれないが。

    地理・気候的に厳しい条件があるがゆえに、今後もラダックらしさが失われることはないのではないかと思われる。それとは表裏一体ということにもなるが、ラダックの今後については、「インドの中のJ&K州のラダック地域」としての位置付けではなく、ラダック独自の特別な扱いが必要ではないかと思うのである。それは、以前から要求のある州に格上げという行政区分上の事柄で片付くものではないように思う。

    外部から訪れる人々があってこそ成り立つ観光業を除き、いまだにこれといった産業があるわけではない。しかしながら戦略的な要衝にあるため軍施設は多いので、これに関連した雇用やビジネスのチャンスは少なくない。だが電力は圧倒的に不足しているため、これを必要とする産業の育成は難しく、人口密度も少ないためマーケットとしての魅力も薄い。それでいながらも、限られた条件の中で日々やりくりしながら過ごしていく余裕はあるというところが興味深い。他者に従属しない気高さが感じられる。

    蛇足ながら、個人的にはラダックでのヒンディーの通用度の高さには大変驚かされた。ヒンディー・ベルトとは、これほど地理的に離れた地域であり、民族的にも文化的にも大きな乖離があるにもかかわらず、農村のご婦人たちもごく当たり前に喋ることができる。J&K州の公用語がウルドゥーであるということもあるにしても、言語的にも文化的にも全く異質なコトバをこれほど広範囲に受容しているということは、ラダックの人々の柔軟さによるものであるとともに、中国を目の前にするインド最果ての地という地理条件によるものであろう。

    インドにあって、インドではないとも言えるラダックについては、あまり多くを知らないのだが、極めて独自性の高いこの地域で、将来に渡って持続可能な発展とは、どのような形のものなのだろうか。

  • パーキスターンの名門マリー・ビール復活へ

    気温も湿度も高いこの時期、幸せ気分にさせてくれるのは夕方のビール。休日であれば仲間や家族と昼間の一杯も心地よい。

    インドではいくつかの禁酒州(グジャラート州と北東部の一部の州)があり、その他のところでも聖地となっているような場所ではおおっぴらに酒が手に入らない場所もあるものの概ねどこに行っても幸福な黄金色の一杯が手に入るのはありがたい。

    さて、隣国パーキスターン。かねてより訪れてみたいと思っているのが、名門マリー・ブルワリーの醸造所。1860年創立で、ビール醸造所としてはアジアで最も歴史があるもののひとつで、「マリー・ビール」のブランドは昔から大変有名だ。同社ウェブサイトでは、創業から現在までに至る歴史を簡潔に紹介されている。

    この醸造所の様子については、ウェブ上でもいくつかの動画を見つけることができる。Hope in the hops (The Economist)

    The World: Inside Pakistan’s Murree Brewery (Youtube)

    5年ほど前にカサウリー ビールとIMFL(Indian Made Foreign Liquor)の故郷と題して取り上げてみたインドのヒマーチャル・プラデーシュのヒルステーションのひとつ、カサウリーにある醸造所も起源は同じ。パンジャーブ地方(当時はヒマーチャルもパンジャーブの一部)で手広く商売をしていたイギリス出身のダイヤー一族が始めたものである。1919年にアムリトサルのジャリアンワーラー・バーグで起きた悪名高き虐殺事件の指揮を執ったレジナルド・ダイヤー准将も彼らの身内である。

    カサウリーではアジア最古のビール「ゴールデン・イーグル」が生産され、現在パーキスターンとなっているマリー地区のゴーラー・ガリーでは「マリー・ビール」が生まれた。現在はどちらも創業当時と経営母体は異なっているが、血を分けた兄弟の関係にあるといえる。

    現在、マリー・ビールの醸造所はパーキスターンの首都イスラマーバード近郊のラーワルピンディーにあり、ビール以外にもウイスキー、ジンなどの蒸留酒に加えて、ペットボトルのジュースなども生産している。

    1977年に、ズルフィカール・アリー・ブットー首相の政権が国内での酒類の流通を原則禁止しており、現在でもごく限られた場所で非ムスリムだけが入手できるという状況だ。同国の人口1億8千万人の中でムスリム以外の人々が占める割合は、わずか3%強(これらに加えて軍の将校からの需要)しかないことを思えば、あまりに小さなマーケットである。長らく日の目を見ることのなかったマリー・ブルワリーだが、最近、パーキスターン政府が自国からの酒類の外国への輸出を認める方向へと舵を切ったことは名門復活の好機到来といえるだろう。

    同社ホームページによれば、チェコの酒造会社との提携を締結したとのことで、やがてイギリスその他の欧州にも販路を広げることになるらしい。ダイヤー一族がイギリスから導入した醸造法で生産を開始したマリー・ビールが250年以上の時を経て「里帰り」することになる。

    さらに大きな話もある。隣国インドがパーキスターンからの直接投資を認める方向に動いていることから、マリー・ビールがインド企業との合弁で、インドでの生産を始めることになるというニュースが流れたのは今年5月のことだった。

    Pakistan and India start new era of trade co-operation with a beer (The Guardian)

    歴史的なブランドを引っ提げた古豪復活への期待はもちろんのこと、インドの飲兵衛たちにも高く評価されることになれば、なおのこと嬉しい。

  • 遠からずミャンマーでクレジットカード、ATMの利用が可能に

    経済制裁のため、クレジットカード(ヤンゴンの外資系の一部のホテルを除く)もATMも使用することができず、トラベラーズチェックを使うこともできないため、頼りになるのは米ドル紙幣のみといった具合が長く続いていたミャンマーだが、そうした不便は遠からずに過去のものとなりそうだ。

    欧米先進国による制裁緩和(一部解除、期限付き停止等)が順調に進む中、もっぱら経済面で注目を集めている同国だが、当然のごとく金融・外国為替の方面での大幅な改善が見込まれている。

    少し前に、ヤンゴン在住の方がFacebookでリンクをシェアしておられたが、近いうちにクレジットカードが利用できるようになったり、外貨送金も可能となる見込みのようだ。

    Visa, Mastercard on the way, says banker (THE MYANMAR TIMES)

    三井住友銀、ミャンマーに営業拠点 外国の銀行として初(日本経済新聞)

    当然、トラベラーズチェックの換金も出来るようになるはずなので、滞在中の資金として持ち込むのが米ドル現金のみという不安も解消できることになる。

    同様に、ミャンマーの人たちが海外に出る際にも利するところが大きい。少しまとまった金額の外貨となると、国外への持ち出しに制限がかかる現状は変わらないのかもしれないが、少なくとも正規の送金ルートが出来るということで、外国に留学する際などにも大変便利になることだろう。

    ミャンマー在住の親御さんの支弁による日本留学はあり得ず(いかに裕福な両親であったとしても)、国外ないしは日本に住む身内が経費を支払うという前提でないと、ヴィザ取得不可という現状の不便さは解消されることになるはずだ。

  • パンゴン・ツォへ

    パンゴン・ツォへ

    先日に引き続き、再びシェア・ジープにて、レーから東に向かったところにあるパンゴン・ツォという湖を見に行くことにした。2009年に公開されたボリウッド映画「3 Idiots」のラストシーンのロケで利用された景色であるがゆえに、作品がヒットしてから訪れるインド人客が急増したということだ。本当は一泊してみたかったのだが、あいにくそういうグループに空きがなかったため日帰りとなる。

    クルマを予約した旅行代理店の前に、指定された午前6時に出向く。しばらくすると乗客6人が乗ることのできる大型の四輪駆動の乗用車がやってきて停車した。運転手に確認すると、これが私の乗るクルマであった。

    レーから、チョグラムサル、ティクセー、シェイなどを経て、東に進む。チョグラムサルにはダライ・ラマが訪問される際の滞在先があるのだが、案外簡素な平屋建ての建物であった。インダス川沿いのこの道路脇には水路があり、背の高いポプラの並木が続き、中央アジアを思わせるような景観だ。

    すでに乗っている人たちが本日の私の同行者たちということになる。今回は外国人ではなく、カルナータカのマイソールからやってきたインド人の家族連れであった。ご主人は家具販売会社経営、奥さんは地場の銀行勤務、娘さんは大学生だ。

    最初のうち、家族同士はカンナダ語、私に話しかけるときだけ英語となっていたが、奥さんは金融機関勤務という割には英語が苦手なようで、こちらがヒンディーを理解することがわかると、車内でのほぼすべての会話がヒンディーとなった。このあたりの柔軟さはインド人らしいところだ。

    夫妻は同じ大学の同級生で、互いに仕事を始めてから結婚したとのことだ。ご主人はムスリムで奥さんはヒンドゥーであるため、両家の家族に打ち明けた際にはもちろんいい顔をされなかったものの、幸いふたりの実家は互いに旧知の仲で、元々双方足繁く行き来する関係であったこともあり、無事ゴールインできたとのことだ。

    峠へと高度を上げていく。眼下の集落の景色が遠ざかる。

    シェイを過ぎて少し行ったあたりで、山間の道に入っていく。ここから高度がどんどん上がり、シェイから1時間程度で海抜5,320mのチャン・ラという峠に達する。見た感じはカルドゥン・ラよりも広々とした印象を受ける。クルマを降りて道路向こうのトイレに行くだけで、かなり息が切れることから空気の薄さを実感する。

    不毛な景色が続く
    チャン・ラという峠に到着

    峠を越えたすぐ先には残雪

    ここからは下るいっぽうだ。過日のヌブラ行きに比べると、景色は比較的なだらかである。夫妻の娘、チャンドニーは写真が趣味とのことで、最近両親に買ってもらったというキヤノンのデジタル一眼で沢山写真を撮っている。最近はこういうカメラを持つインド人旅行者がとても多くなった。旅行先でいい写真を沢山撮って、いい思い出とともに帰宅してほしいものだ。

    ヤクの放牧
    ヤクのミルクを絞る女性

    荒涼とした山間を走っていくと、途中でヤクを飼育している人たちがいた。ミルクを絞ってもいる。販売するためではなく自家用だというが、彼らが切り盛りする簡素なカフェもあった。見渡す限りの荒野だが、川が流れているところにだけわずかに緑が見られる。

    雪解け水が流れる川沿いにのみ緑がある
    湖が見えてきた!

    レーを出てから5時間あまりで、目的地のパンゴン・ツォに到着。トルコ石のような鮮やかな青色の水を湛える湖だ。塩湖らしいが、魚は棲んでいるらしく、水鳥たちの姿がわずかながらある。靴を脱いで水に入ってみたが、とても冷たくてずっと足を浸けていられるものではなかった。

    海抜4,000mの高地なのに水鳥の姿がある

    幸い今日も好天だが、ときおり雲がかかると深みのある青色の湖水はただの灰色に変わってしまう。再び眩しい陽光が差してきたと思えば、また雲がかかる。そして陽射しが照りつけてくるといった具合の空模様によって、湖の色合いが次々に変わっていく。

    ちょっと雲がかかると灰色の退屈な色に変わる湖水
    湖畔で記念撮影 左から2番目は運転手

    ここまでやってくるのにかかる時間と空模様の風景は言うまでもなく、一般的にどこの風景であっても早朝と夕方が最も印象的であることが多いことを考え合わせれば、時間さえ許せば、ここで一泊したほうが良いだろう。正午前後の景色でさえもこんなに美しいのだから、朝夕の景観はどんなに素晴らしいことだろうか。満月の夜の湖の様子もさぞ見ごたえがあることだろう。この細長い湖の南東部は、中国の実効支配下にあるアクサイチン地区だ。

    湖畔の簡素な食堂で昼食を摂り、しばらく景色を楽しんだ後に一路レーへと引き返す。朝早かったためだろう、マイソールから来た家族連れは、走り出してからしばらくするとすっかり眠り込んでいた。この晩、深夜過ぎの夜行バスでマナーリーに向かうというから大変だ。ここからレーに戻ってもまだ午後6時あたりなので、ずいぶん時間がある。

    パンゴン・ツォに向かう際も通過したチャン・ラでは、転落したとみられるクルマが崖の途中に引っかかったままになっているのに気が付いた。「えぇ、たまに落ちるんですよねぇ」と運転手は涼しい顔だが。ここはぜひとも安全運転を心がけてもらいたい。

    帰途も雄大な景色を堪能

     

  • ヌブラ渓谷へ3

    ヌブラ渓谷へ3

    朝5時過ぎに目覚めると、雨がパラついていた。高い山々に囲まれているため、フンダルの空は狭いのだが、西のほうを見上げると、少し晴れ間が見えていた。

    フンダルの村の中では、ちょうどレー近くのストクの村がそうであるように、張り巡らされている水路が、家々や畑に豊かな水を供給している。総体としては、荒涼とした大地に見えるラダック地方だが、水を供給できれば瑞々しい緑豊富な緑地・農耕地とすることが可能であることから、決して痩せた土地というわけではないようだ。

    菜園の手前に家畜除けの柵

    村の中をしばらく散歩してみたが、まともに稼動できるのはほぼ6月から9月に限られるはずなのに、やたらと宿屋が多い。ほとんど季節限定ではあるものの、貴重な現金収入の機会なのだろう。先日も書いたとおり、このシーズンのために、ネパールのその他から出稼ぎに来る人々が多いことも特徴だ。仕事を求める側からすれば、ヌブラ渓谷のようにILPを取得して訪れる場所となると、レーその他のもっと開けた場所と比べて訪問者もかなり少なくなるため、総体的にみると稼ぎの面ではどうなのかな?という疑問も沸くのだが、どうなっているのだろう?

    朝の勤行が終わったお寺

    宿のすぐ近くにお寺があり、僧侶がひとり読経している。手招きするので、すぐそばに座らせてもらう。朝6時くらいであったが、すでに朝のお勤めは終わっているようだ。寺院の朝は早い。静寂の中でしばし瞑想をしてみる。ひんやりとした空気と静謐な雰囲気が心地よい。

    家畜を連れた女性がマニ車を回していた

    お寺から出てしばらく歩いた先では、UKから始まるナンバーのクルマが停まっていた。運転手がいたので、尋ねてみるとウッタラーカンド州のデヘラドゥーンから来たのこと。フンダルには1年ほど滞在しているそうで、取り引きのお得意先である軍の基地に出入りしている業者さんであった。

    宿に戻り、庭でのんびりくつろいでいると、同じ宿に滞在しているムンバイーから来たインド人グループが部屋から出てくるところだった。その中のひとりは、フリーランスでやっている商業写真家とのことで、主に人物のポートレート製作を中心に活動しているとのこと。ラダックには仕事ではなく、余暇で来ているとのこと。だがそれでもかなり精力的に写真を撮影していることは、昨日の砂丘でも、今日の宿の庭に咲いている花などを撮影していることからもわかる。

    しばらくすると天気が回復してくると、空からジェット機の音が聞こえてくるようになった。民間機がこのあたりを飛ぶはずはないため、インド空軍機が巡回しているのだろう。

    軍といえば、もちろんこのあたりでは軍と地元の関係は良好なものであるようだ。軍は国境向こうの中国、そして西側のパーキスターンを警戒しているわけであり、地元の人たちを抑圧するためにいるわけではない。そこがインドの北東州とは大きく違う。またJ&K州内でも、カシミール側は、パーキスターンへの警戒とともに、地元の反政府勢力や過激派の鎮圧の任務もあるわけで、そういう点では北東州と大いに共通するものがある。

    午前8時に、ガビー、フランカ、パットと私の4人で2階のテーブルに集まって食べた。私以外はみんな女性で、とにかく皆さんおしゃべりなので朝から賑やかで楽しい。

    朝食のオムレツは全インド共通の味

    食事を終えてから、クルマでデスキットに出発。ここでは川沿いの斜面にそびえるデスキット寺院と道路を挟んで反対側にあるカラフルで巨大な弥勒菩薩像を見学。2010年出来たものだというから、まだ2年しか経っていないのだが、ここからの眺めもまた壮大でいい感じだ。

    デスキット寺院
    デスキット寺院遠景
    ロケーションを考えると、この菩薩像の建立は偉業・・・と思う。
    景色が開けているだけに、気象の変化がよく見えるのも興味深い。中央の菩薩の向こうは強い雨。
    かたや荒れ模様の地域と異なる方向にカメラを向けるとこんな具合。

    今回、見学するのはここが最後。あとは昨日来た道をひたすら走り、一路レーに戻るだけだ。往路と同じ道路を戻ることになるのは、他のルートがないようなので仕方ない。それでも景色は非常にダイナミックであるため、飽きることはない。

    カルサルを通過した直後に目にする牧歌的な風景

    昨日昼食を取ったカルサルを通過すると、次第に高度を上げていく。外の気温もどんどん下がっていく。カルドゥン・ラの手前の池、池の中にブッダの像があるところで、しばし休憩。天候はまずまずなのだが、雪がパラついてきた。それほど気温が低いのだ。陽射しは強いので、あまり寒さは感じないが。それでも池の向こう岸には残雪がある。ここの少し手前には先日触れた「世界で最も高いところにある集落のひとつ(?)」があり、アブラナの畑で黄色い花がまばゆく輝いている。

    「世界最高所の村?」付近で道路の補修工事が進行中。仕事は粗いものの場所が場所だけに仕方ない。

     

    カルドゥン・ラが近づいてくると道路両側に残雪が見られる。

    カルドゥン・ラが近づいてくると、道沿いに壁状になった残雪がところどころにある。外気はとても寒くなってきた。峠には道の両側にかなりの量の残雪がある。インド側での公称海抜5,600mの峠では、少し歩くだけ息が切れる。

    カルドゥン・ラにて最後の記念写真 ガビー、フランカ、パットの3人

    峠を越えてまもなく、レーの町が遠くに見えてきた。次第に気温も上がってきて快適になってくる。さすがにもうこのあたりまでくると酸素が薄いとはあまり感じなくなる。
    とても楽しい一泊二日の旅行を共にした彼女たちと別れるのが名残惜しい。

    <完>

  • ヌブラ渓谷へ2

    ヌブラ渓谷へ2

    カルドゥン・ラを越えた先でも・・・もちろん中国国境により近くなるわけなので当たり前ではあるが、ところどころで軍の駐屯地や施設を見かける。いつ何時攻撃を受けても反撃できるようにしてあるということだろう。だが中国側では装備等々、インドよりもかなり良いであろうということは想像に難くない。

    インド北西部にあるラダックとは反対側、北東側にあるアルナーチャル・プラデーシュ州やスィッキム州では、インドの他の山あいの土地と同様、片側一車線分のスペースがあるかないかといった具合の道路が地域を繋いでいるのに対して、国境向こう側の中国では、片側複数斜線の見事な道路が整備されており、有事の際には即座に大量輸送の体制を取ることができるようになっている、という記事をインドのニュース雑誌で読んだことがあるのを思い出す。

    それはともかく、ここから決して遠くない中国側でも同じように乾燥した荒々しい風景が広がっているのだろう。だがそちら側に点在するのは中国軍の基地であり、駐屯地であり、漢字の標識や看板ということになる。

    スムルの村にあるサムタンリン・ゴンパ
    ゴンパの扉で見かけたカギはクラシックな感じで立派であった。

    カルドゥン・ラからは下るいっぽうだ。カルサルの集落で昼食を摂った後、この地を流れるシャヨク川東岸にあるスムルの村にあるゴンパを見物。そして来た道を戻り、ふたたび西岸へと橋を渡る。この走行した中では、この川にかかる橋はここしか見ていない。年間を通してこれほどの水量があるのかどうかはわからないが、少なくとも今のように豊かな水を湛えている状態では、川のこちら側と向こう側とでは別世界のようなものだろう。すぐそこに見えても、非常に遠回りして反対側の岸に着くことになるからだ。

    数年前までトラック運転手をしていたというドライバーにとっては自分の庭のようなもののようで知己が多い。今だに大きなクルマを駆っていたときの気分が抜けないようで、運転が荒いのはタマにキズ。

    今日の宿泊地であるフンダルが近づいてくると、こちら側の河岸に美しく連なる砂丘が見えてきた。こんな高地に風紋の刻まれた砂漠みたいな景観があるとは不思議なものだ。予想に反して、フンダルの村にはかなり沢山のゲストハウスがあり、その中のひとつ投宿することになった。庭にはアプリコットがたわわに実っている。

    フンダルの村での投宿先
    宿の庭

    経営者の家族はとても感じがいい。このあたりの人たちは、ラダッキーでも少しアーリア系の血が入っているように見える。ここからさらに進んでパーキスターンにまたがるバルティスターンの一部を成すトゥルトゥクまで行くと、人々はアーリア系のチベット仏教徒という、チベット文化圏の中では総体的に珍しい地域となるようだ。

    宿で食事関係からベッドメーキングまですべてをこなしている若い男性二人組みはネパールからの出稼ぎ人たち。こんなところまで仕事を求めて来なくてはならないとは大変だ。ラダックの観光地はどこでもネパール人や北インドのビハール州、U.P.州などから仕事を求めて来ている人たちが多いが、「シーズン・オフにはどうしているの?」と尋ねてみると、往々にして「ゴアで働く」という返事が返ってくる。

    ラダックは、6月から9月終わりまでのシーズン以外は、長いオフシーズンとなることを考えると、確かにモンスーン期はオフになるゴアとちょうどいい具合に相互補完する関係にあるのだろう。ラダックとゴアというどちらも観光業への依存度が高いながらも、一見何の繋がりも無さそうに見えるふたつの地域を渡り鳥のように往復する労働人口の移動について、彼らがこの地域を行き来する誘因、リクルートの形態等について調べてみると興味深いものが見えてくるかもしれない。

    同行のガビー、フランカ、パットと夕陽を背にして伸びる影で記念撮影

    すでに夕方近くになっているので、取り急ぎ荷物を部屋に放り込んでから、再びみんなでクルマに乗り込んで砂丘に出かける。ここには観光客用にフタコブラクダたちがいる。お客たちを乗せてしばらく歩き回るのである。ラクダ自体はこの地にもともと住んでいるわけではなく、運転手が言うにはモンゴルから連れてきたものだというのだが、実のところはよくわからない。中央アジアあたりから運んできたのかもしれない。

    フタコブラクダたち

    砂丘から望む川床はかなり広く、両側を壁のような乾ききった山々に囲まれており、息を呑むような絶景だ。音を立てて滔々と流れる手が切れるように冷たい水のせせらぎの音が心地よい。

    周囲が荒涼としている割には、フンダルは非常に水に恵まれている。

    <続く>