プランターズ・クラブ

斜面の街ダージリンの坂道を上ってきて、チョウラースターに至るすぐ手前に「クラブサイド」と称されるエリアがあるが、かつて当地に在住していたイギリス人をはじめとする欧州人たちが集うクラブがあったことに因んでいる。
向かって左は病院に転用
真ん中はレストランになっている。
そのクラブの建物は今もそのまま残っており、道路から向かって左側が病院に、中央はレストランに転用されているのだが、右手の部分ではその伝統あるクラブが今日も存在している。
プランターズ・クラブ出入口
「プランターズ・クラブ」というその名が示すとおり、今も昔も主にダージリン地区で茶園を営む人たちの社交場である。「関係者以外立ち入り禁止」と書かれているが、興味を持って覗きに来る外国人は少ないのか、見学したい旨伝えると快く迎え入れてくれた。
クラブの歴代代表者
入口には歴代の代表者の名前が書かれている。官尊民卑の植民地時代には、軍のタイトルを持ったイギリス人高官が続き、独立後は民間人が務め、しばらくの間はアングロ・インディアン、そして1970年以降はインド人が登場するようになり、1976年から1982年まで代表を務めたG.D. Taylor氏を最後に、アングロ・インディアンは姿を消している。クラブ職員の話では、現在もダージリンに残るアングロ・インディアンは数世帯のみとなっているとのこと。多くは本国に渡るか、第三国に移住しているとのこと。
階段
ラウンジを見せてもらう。ビリヤード台がある遊技場、立派なソファが置かれた談話室があり、動物の毛皮や頭部が飾られている。いかにも植民地のクラブという雰囲気が濃厚で、昔の面影を留めているというか、ほとんど変わらないのではなかろうか。かつてここを出入りしていたイギリス人たちの姿や会話が聞こえてくるかのような気さえするくらいだ。
廊下
植民地期に建てられた建築がどんどん失われていき、コロニアルなテイストのヒルステーションの特色が薄くなってきている今、大変貴重な空間である。

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