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カテゴリー: travel

  • MAI (Myanmar Airways International)  ミャンマーから日本への直行便就航

    MAI (Myanmar Airways International) ミャンマーから日本への直行便就航

    MAI (Myanmar Airways International)

    てっきりMAI (Myanmar Airways International)が日本との間の定期便を飛ばすようになるのかと思ったのだが、そうではなくゴールデンウィーク期間中の訪問客のためのチャーター便であった。

    5月1日に成田からマンダレーへ、そして5月5日夜にヤンゴンから成田に向けての帰国便(成田到着は5月6日)という組み合わせ、もしくは4月27日に関空を出発してマンダレー到着、そして5月1日にヤンゴンから関空へと戻るというものだ。

    2013年ゴールデンウィーク限定 祝!ミャンマー国際航空 ミャンマー直行便就航 (MAI)

    チャーター便の航空券販売とともに、ヴィザの手配も代行 (MAI)

    しているようで、なかなか力が入っている。おそらく定期便就航へ向けての地ならしといったところなのではないだろうか。

    ところで、MAIの東京事務所がすでにオープンしているとは知らなかった。ただし「日本地区総代理店」と記されていることから、どこか日本の提携先の旅行取扱業者がMAI予約・発券等の業務を請け負っているものと思われる。おそらく前述のヴィザ取得代行についても同様であろう。

    現在のヤンゴン国際空港の小ぶりながらもモダンなターミナルビルがオープンしたのは2007年のことだが、建物を含めた空港施設が手狭になるのはそう遠い将来のことではないはずだ。

    同様に、MAIによるミャンマーと日本の間を直行する定期便が就航するのも近い将来のことであればとても嬉しい。

  • マイクロソフトのSurface RT

    マイクロソフトのSurface RT

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    タブレットPCは、アップルの初代のiPadを使用してきた。手軽で簡単にネット検索をしたり、電子書籍を読んだりと、いろいろ役に立っていたのだが、使い勝手がラップトップPCともかなり異なるため、不便に思うことも多かった。

    アンドロイドOSを搭載したラップトップPC風の製品が出てきたときには思わず購入しそうになったが、普段使用しているウィンドウズOSとの互換の点でやめておくことにしたのは賢明であったと思う。

    そこにきて、最近話題になっているマイクロソフトのSurface RTについては、オフィスがちゃんと使えること、ちゃんとしたキーボードを利用できること(タッチキーボードとタイプキーボードと2種類用意されている中から選択できる。前者はタッチセンサー式、後者は従来型のキーボードだ。)などが特徴だ。USB端子を繋いで、外付のHDDやUSBメモリと接続することができるし、メーカーにもよるがプリンタで印刷することもできるなど、かなり自由度が高いため、ラップトップPCに近い感覚で使用することができる。

    旅行や出張などで、「パソコンとして」持参するという用途にも充分耐えうる製品だと思う。内蔵フラッシュメモリは32GB、64GBとふたつのタイプがある。後者のほうでも今のラップトップPCのデータ容量に比べると大きく見劣りするが、常時接続環境でSkyDriveやDropboxと併用するという条件下においては、決して悪いものではないと思う。

    だが通常のPCと大きく異なる点としては、普通に市販されているWindows用ソフトをインストールすることができず、ウェブ上のウィンドウズ・ストアで購入したアプリケーションしか利用できないという点だ。しかもリリースされてからまだあまり時間が経過していないため、iPadやアンドロイドで利用できるアプリケーションの豊富さとは雲泥の差がある。こちらは時間の経過とともに解消していくことになるのだろうが。

    日本では未発売のSurface Proでは、搭載されているOSがタブレットPCに特化したWindows RTではなく、Windows 8であるため、いわゆる普通のパソコンとしての使用も可能であるようだ。それでもRTが675gで後者が907gであること、厚みではRTが9mmでProが13mmであるなど、携帯性に差があるため、両方とも店頭に並んでいたとしても、私ならRTを選択することだろう。ノートパソコンライクな使い方もできるタブレットは欲しいが、それをメインのマシンにする気はさらさらない。

    ともあれ、仕事にもプライベートにも、そして旅行先でも重宝しそうなマイクロソフトのSurface RT。インドその他の国々に旅行する際にも持参すると非常に役立つであろうこと請け合いだ。

    タイプキーボードを装着

  • 鉄道市場

    インドの話ではなくて恐縮である。日本からインドに向かう場合、往々にして上空を通過あるいはバンコクでの乗り換えといった形で縁のあるタイの鉄道に関するものである。

    バンコク郊外のメークローン駅界隈では、今も水上マーケットが残っており、古き良き時代を体験できるエリアとして知られているが、それにも増して魅力的なのは、鉄道の路線にまたがって広がる市場だ。

    ・・・と書いてみたが、実は私自身、まだここを訪れたことがない。

    Thailand railway track market (YoutTube)

    列車通過に備えて店頭の片づけをする人々の手際の良さに感心するとともに、車両最後尾が過ぎ去るやいなや店開きを始める様子には、市場で働く人々の旺盛なバイタリティを感じずにはいられない。

    感銘を受けたのは、市場の人々の有様だけではない。上記リンク先の動画の中に出てくるように、多数の観光客がカメラやビデオで撮影している姿があることからも判るかと思うが、バンコク近郊の有名スポットである。

    タイ政府もこの危険なコンディションのマーケットを貴重な観光資源のひとつとして位置付けているのかどうかは知らないが、当この状態を容認しているため、長年に渡ってこうしたシーンが日々繰り返されているわけであり、当局の鷹揚さと柔軟さを感じずにはいられない。

    マーケットの立地が危険であることは間違いない。でも常時神経過敏症的で、些細なことで大げさに騒ぎ立てるヒステリックな日本社会から眺めると、このようなおおらかさは実に羨ましく感じられないだろうか。

  • インドと中国を結ぶ「しがらみ」

    第三国を経由することなく、インドから中国両国のキャリアによる二国間の直行便が飛ぶようになったのは確か2003年あたりのことであったと記憶している。
    中国東方航空が中国の首都北京からインドのデリーを結んだのが最初だ。いっぽう、エアインディアのほうはムンバイーからデリーを経て、バンコクを経由して上海に到着といった具合で、途中で乗り換えこそないものの、隣り合う国の二都市を直接結ぶという感じではなかったのは、途中タイの首都バンコクでのストップが入ったからだろう。
    だが今では状況は大きく変わった。現在は、デリー・上海、デリー・杭州、デリー・北京、デリー・広州、ムンバイー・成都、コールカーター・昆明、バンガロール・成都といったノン・ストップのルートがあり、エアインディア、中国国際航空、中国東方航空、中国南方航空が両国間を運行している。これらに最近加わったのが、インドのLCCのひとつであるスパイスジェットによるデリー・広州の路線だ。
    そんな具合なので、インドあるいは中国で国内線への乗り継ぎを含めれば、両国各地への乗り継ぎはずいぶん良くなった。
    印・中両国は4,000 km余りの長い国境線を分け合っているとはいえ、政治的にも地理的にも、ごく一部の例外を除けば、公式に行き来できる環境にはない。インドにおいて、1949年以降の中国によるチベット侵攻、さらに1962年に勃発した中印紛争により決定的に悪化した対中感情の背景には、中国という国や中国人という人々に対する知識等の欠如という要素も否定できない。
    また当時はまだ貧しかった中国ではあるが、同様に経済的には苦しかったインドにとっては、とても拮抗できない強大な敵として浮上してきたこともあるだろう。反対に、中国からしてみれば、インドはさほど怖い相手ではないため、インドにおける対中感情と比べて、中国における対インド感情は悪くなかったりする。
    歴史的なしこりや感情的な好き嫌いは、そう簡単に克服できるものではないかもしれない。だが人やモノの行き来が盛んになることにより、相手国における自国資本の投資、自国企業の操業その他さまざまな交流が盛んになるのは安全保障上も決して悪いことではない。
    「絆」を結ぶことはできなくても、活発な経済活動によって生じるしがらみが、外交面で両国が衝突するような事態になったとしても、お互いに利益をもたらす二国間の経済活動を犠牲にしてまで、軍事衝突を起こすには至らない安全弁として働くことは、尖閣諸島問題を抱える日中両国が、緊張の度合いを高めることはあっても、また一時的にデモや不買運動等で経済活動が冷え込むことはあっても、そうした異常な状態が決して長続きはしないであろうことからも明らかだ。
    今のところ、中国系メディアが大げさに報じているほどには、インドで中国語学習がブームになるような具合にまでは至ってないようだ。
    だが中国語学習の需要が高まってきていることは驚くに値しない。インドと違って英語が非常に通じにくく、現地の言葉が不可欠の中国において、中国語が判るということは計り知れないメリットになり、それを習得した個人にとっても語学そのものが貴重なスキルになるからだ。
    インドと中国の間で、さまざまな「しがらみ」が今後ますます増えてくることを期待したい。それは将来の両国の繁栄のためになるだけではなく、アジア全体の安全保障にも繋がることであるからだ。
  • 旅行マガジンTRANSITの第20号はミャンマー特集

    旅行マガジンTRANSITの第20号はミャンマー特集

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    経済面で世界中から注目を集めるようになったミャンマーだが、旅行先としてはそれよりもはるか以前から注目されるべきであった。

    東南アジアと南アジアの境目にあり、多文化、多言語、多民族国家であることから、見どころのバラエティにも富んでおり、おしゃべりで人当たりもよく人情味にも溢れる優しい人々に囲まれて、訪れる人々の大半が熱烈なミャンマー好きになって帰っていく。古くから「ビルキチ(ビルマキチガイ)」なんていうコトバがあるくらいだ。

    大都市でもひなびたムードで、時代を感じさせるモノがひしめいているのは、隣国タイにはない魅力。もちろんそれは長く続いた国際社会からの孤立と、経済制裁による経済の停滞によるものであって、旅行する人には興味深いものであっても、土地の人たちにとってはそんな感傷なんてどうでもいいことなので、今後ミャンマーの経済活動が順調に上向きに推移していくとともに、大きく変化していくことだろう。

    今からでも決して遅くはない。とっても感じのよい、そして素敵な人々が暮らすミャンマーをぜひ体験していただきたい。

  • 横浜にある英連邦戦没者墓地

    横浜にある英連邦戦没者墓地

    英連邦戦没者墓地

    今年1月、東京で数年ぶりの大雪が降った数日後に、横浜市保土ヶ谷区にある英連邦戦没者墓地を訪れた。

    沢山の墓標が並ぶ

    この墓地は、1945年に開かれたもので、第二次大戦中に日本軍の捕虜となった英連邦軍人・軍属で、日本への移送中に亡くなった方々ならびに捕虜として日本国内で抑留中に死亡した方々1,555名に加えて、戦後の日本進駐中にこの世を去った方々171名、加えて朝鮮戦争での犠牲者の方々等が埋葬されている。

    墓標は他国にあるCWGC管理下の墓地のものと共通のデザイン

    墓地を管理しているのはイングランド南東にあるバークシャーに本部があるCWGC (Commonwealth War Graves Commission)だ。敷地は日本政府の国有地だが、終戦後に進駐軍に接収されるとともに、1951年のサンフランスコ講和条約により、英連邦戦没者墓地としてCWGCに永久無償貸与されている。一種の戦後賠償である。

    インド兵たちが埋葬された一角
    インド人に埋葬れているのはほとんどがムスリム
    ムスリム兵士・軍属の墓標の中、唯一のヒンドゥーであるグルカ連隊所属のネパール人傭兵のものがあった。

    同じCWGCが管理しているため、墓標のデザイン、記念碑の形状、敷地レイアウト等々、私が以前訪れたことがある他の英連邦戦没者墓地とよく似ており、墓地内を歩いていると、日本国内にいる気がしない。

    柔らかな陽射しに包まれた墓地

    ~インドとミャンマーにあるCWGC管理の英連邦戦没者の墓地に関する記事~

    マニプルへ5 インパール戦争墓地 (indo.to)

    ナガランド3 コヒマ戦争墓地 (indo.to)

    泰緬鉄道終点 (indo.to)

    アクセス:JR保土ヶ谷駅あるいは関内から横浜市営バスにて「児童遊園地前」下車

  • ふたたびコールカーター中華朝市へ

    ふたたびコールカーター中華朝市へ

    「中華朝市」とはいえ、売り子の多くはインド人

    コールカーターでは必ず早起きして中華朝市に出かけることにしている。ラール・バーザール近くで旧ユダヤ人地区にも近い場所のかつての中華街(といっても往時の繁栄は見る影もないが)で毎朝夜明けとともに開かれている。タクシーで乗り付けるならば、Lu Shun Saraniの中華朝市と言えば、運転手はすぐに判ってくれるはずだ。

    中華朝市では豚肉入りの肉まんを食べた。この旧中華街は、現在では事実上のイスラーム地区となっており、中華系の人が営む店で働くムスリムたちも多いのだが、そういうものも売られている。朝食をつまみに出てくる華人たちの姿もあるが、週末ともなると地元カルカッタのインド人たちはもちろんのこと、他州からやってきたインド人観光客たちの姿もある。

    いつもどおり、ここで祖父から三代に渡って中華食材・漢方薬の店を開いている客家系のCさんのところに挨拶に出向く。このお店にいると、お客たちはもとより、地元の写真家やジャーナリストたちと出会うことも多く、それもまた楽しい。Cさん自身がおしゃべりでとっつきやすい性格であるということもあるが、コールカーターのチャイナタウンや中華系社会に関する情報通であるため、取材に来るというケースが多い。

    ときおり、インドのメディアで取り上げられたり、ジャーナリストが著した本などが出ることはあるものの、地元カルカッタ華人により書かれた、インサイダーとしての立場からの華人コミュニティ史の書籍は存在しないようだ。

    多くの語るべきものがあり、文化面でも歴史面でも貴重なものであるはずだけに、残念なことだ。今の時代を謳歌して繁栄している状態であれば、そういうものを書いたり、書かれたものを編纂したりということが起きてくるのだろうが、すでに衰退してしまったコミュニティの場合は、なかなかそういう風にはいかないようだ。この地域にいくつかある、華人たちの出身地ごとの同郷会館には、この方面についておそらく大変貴重な資料が眠っているのではなかろうか。これから更に世代を継いでいくに従い、コールカーター華人史が当人たちによって書かれる機会はますますなくなってくるはず。相変わらず、華人たちのインド国外への流出は多いということもある。

    この街からカナダに移住した華人たちは多く、「インド華僑」のアソシエーションがあるくらいなので、カナダから遠い故郷を想う書き手が出てくることはあるかもしれないが。

  • ラヴァングラーの町

    ラヴァングラーの町

    ラヴァングラーの町の中心。どこに向かっても数分で町の外に出てしまうが建物は多層が多い。

    ラヴァングラーの町には食欲がそそられるようなレストランは見当たらないのは、いかんせん田舎の集落なので仕方ない。それでもスマートフォンでインターネットを利用できる(ただし接続速度は眠くなるくらい遅い)のは大したものだ。フェイスブックで友人たちのやりとりを見たり、書き込みをしたりしていると、自分がどこにいるのかわからなくなる。

    もっとも、スィッキムの田舎では、町から少し出るとネットどころか通話さえも通じなくなるのだが。私が利用するのはairtelだが、こうした不便なところでは国営のBSNLのほうが電波状況は良いらしい。

    町の中心でバスが発着するあたりに宿を取ったが、ここから四方を眺めてみると、どちらの方角に歩いても数分で外に出てしまうほど小さな町であるような気はしない。それなりに建て込んだ感じがするからだ。スィッキムの田舎町はたいていこんな具合であるのは、以前も書いたがおそらくインフラ整備とそれにかかるコスト等の関係があるのではないかと私は想像している。

    山また山の複雑な地形で、どこもかしこも斜面だらけだ。電気や水道を引くのも平地と違って楽ではないため、ややなだらかで交通の便の比較的いい場所があると、商いを生業とする人や公共関係の仕事に従事している人たちは、いきおいそこに集住することになる。周囲に広がる余地はあるにもかかわらず、小さな町なのに平屋は少なく多層階の建物が多い。

    あまり豊かそうな人は見かけないものの、さりとてひどく貧しげな人の姿も見かけない。そこそこ事足りて暮らしているといった風情がいい。小さな町だけあって、道を行き交う人たちは、お互いによく知った相手のようだ。

    夕方6時を回るとバーザールの大半の店がシャッターを降ろし、食堂さえも7時過ぎると開いているかどうかも怪しくなってくる。

    夕方7時で人通りはなくなってしまう。

    そんなわけで、夜はずいぶん早く寝てしまうことになる。スィッキムではバスもシェアジープもやけに朝早い時間に出発して、その後は公共交通手段がないということが多いため、朝寝坊するリスクが減るのはまあ助かる。

    やけに早く寝るため、朝日が昇るとともに目が覚めることになる。
    バスやシェアジープは早朝に出る

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  • ラヴァングラー ボン教寺院とブッダ・パーク

    ラヴァングラー ボン教寺院とブッダ・パーク

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    ラヴァングラーの町からYundrung Kundraklingというボン教の寺院を訪れた。スィッキムでは唯一のボン教寺院であるとのこと。

    見た目はチベット仏教の寺院と同様に見えるため、そう言われなければ気がつかない。入口のところにチョルテンがあるのも同じ。寺院建築や中の壁画はもちろんのこと、祭壇や堂内の様子、タンカ、高僧の高い席も似たような感じである。宗教用具も共用しているものが多いのではなかろうか。僧侶の装いも似ている。

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    チベット仏教自体がボン教の強い影響を受けているが、同様にボン教もチベット仏教の影響を多く受けているためではないかと思う。ともあれボン教の寺院を訪問するのは初めてであったため、非常に新鮮な体験であった。寺院は小さいものの、いろいろと感じるものがある。やはり来て良かった。寺院内ではボン教に関する資料(100Rs)が頒布されており、一部購入した。

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    ボン教寺院からラヴァングラーに戻り、坂道を登ってブッダ・パークに出る。ここはラヴァングラーの新しい名所となることが期待されている。今年3月にここを訪問するダライ・ラマによる大仏の開眼式が執り行われることになっており、これをもってこのブッダ・パークが開園することになる。現在はすでに園内はほぼ完成しているようだが、開眼式までは大仏には目隠しがなされている。

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    新しい宗教モニュメントにはあまり関心はないのだが、よくよく考えてみるまでもなく、どんなに由緒ある寺院等であっても、出来立てのホヤホヤの時代もあったわけで、その後歴史を刻んでいくことになる。

    こんな小さな町の割には、ずいぶん大掛かりでしっかりしたものを造ったものだと驚かされてしまう。資金やアイデアはどこから来たのかといえば、当然町の外のどこかに違いないはずで、このブッダ・パーク建立の背景には大きな政治経済力学があるに違いないと見るのが当然だ。スィッキム州政府の先導のもとに、地元仏教界、その他の有力者等の綱引き等があったようだが、どちらかというと施設そのものよりも、そちらのほうに興味がいってしまう。

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  • タシディンのゴンパへ

    タシディンのゴンパへ

    タシディン・ゴンパ入口
    なかなか洒落た造り
    タシディン・ゴンパを訪れる。田舎にある割にはずいぶんゴージャスな感じがする寺院だ。何がゴージャスかといえば、細長い敷地の通路には、信者たちの寄進による沢山のカラフルなマニ石があしらってあることだ。
    こんな眺めがずっと続いている。
    どこまでもどこまでも・・・。
    おそらく地震のためダメージがあって修復したのだろう。いくつかあるお堂の壁は新しく塗られている。境内にいた地元の人の話によると、ここの寺院では壁にひびがはいったりはしたものの、崩落するような大きな被害ではなかったという。
    2011年9月の地震による大きなダメージはなかったという。
    建物の中にある大きなマニ車は、ちょうど下部のベアリングの交換をするというところであった。現在、私たちが目にするマニ車がスムースに回るのは、もちろんベアリングが入っているからで、そういうものができる前の時代には、回すのにかなり力が要るものであったことだろう。
    寺院敷地内に沢山のチョルテン群
    2011年9月の地震は多くの寺院で改修工事を促すことにもなったようだ。おかげで(?)被害が少なかった寺院や資金力のあるお寺はやけにキレイにしてある。
    良く整えられている敷地内
    朝の散歩のつもりで立ち寄ったが予想以上に素晴らしかったタシディン・ゴンパ
    敷地内はよく整備されている。とりわけ入口から見て、敷地の向こう側に沢山のチョルテンが集まっている部分は特徴的である。敷地内にいたおばあさんが、「こっちにおいでなさいよ」と言うのでついて行ってみる。彼女が数々のマニ石やチョルテンに礼拝しながら連れて行ってくれた先は、まさにそのマニ石を彫ったり、そこに仏画を書いたりする職人さんの工房であった。
    マニ石を描く職人さんの工房
    奉納されたマニ石。おそらくさきほどの職人さんの手によるもの。
    こちらも同様
    あまり生産的ではないかもしれないが、チベット仏教圏では、こうした寄進文化が非常に良く発達している。だが、実は仏画というのは感覚で適当に描いているものではなく、最初にいくつもの直線を引き、極めて幾何学的な正確さで下書きを進めていく、非常に精密なものなのである。
    朝の早い時間帯であったため、お堂の中はちょうど朝の勤行の最中。そのため堂内を見学することはできなかったものの、勤行自体を見学することができて良かった。
    風力で回るマニ車
    寺院から宿までは、斜面のつづら折れの道なので徒歩30分くらいかかる。寺院からの階段の参道で、一匹の大柄な犬が近づいてきた。叱っても後ろからついてくる。特に吠えたり、噛み付こうとしたりする様子もないので放っておくが、ときおりやけに近くまで来るので叱りつける。
    まるで帰り道を案内しているかのように、しばらく先に進んでは、こちらが追いつくまで待っている。するとしばらく後をついてきて、叱るとしばらく先に進む。そこでしばらく待っていて・・・といった具合に。
  • ユクソムからタシディンへ ワンデイ・トレック

    ユクソムからタシディンへ ワンデイ・トレック

    ユクソムの宿で朝食を済ませてから、山道をタシディンに向けて出発。一日だけの山歩きを楽しむ。日中一杯で歩くことができる距離で行程も簡単なのだが、道は判りにくいところはいくつかあった。集落のないところ、人が通りかからないところで突然分かれ道になっていたり、それまで歩いてきた、あるかないかわからないような道自体が忽然と消えてしまっている箇所があるといった具合。
    シンプルで素朴なマニ車
    大きながけ崩れの跡。滑落しないよう注意。
    行程で特にこれといって大きな見どころはないのだが、やはりそこは尾根から眺めるスィッキムの山間の自然豊かな景色を眺めること、ひなびた集落の様子を目にすること自体が最大の見どころということになる。歩きながら目標となるのは、ルート上にあるお寺であったり村であったりする。お寺の類で最初に訪れたのはドゥーブリー・ゴンパー。
    お寺は大改装中
    お堂はふつうに見えたのだが・・・。
    2011年のスィッキム地震爪痕が今も生々しい
    壁画はかなりひどく損傷していた。
    復旧が完了するまで相当な時間と費用がかかることだろう。
    お寺は外装を大改装中。僧院に誰もいなかったが、中に入ってみると、その理由が判った。2011年9月に起きたスィッキム地震のためである。一階のお堂は比較的状態が良いとはいえ、壁画が剥がれ落ちている部分がある。おそらくこれでもかなり修復を施したのだろう。外壁もきれいになっている。しかし、上階のお堂はひどいものだった。壁の絵が広範囲に渡って崩落している箇所がいくつもあり、仏具や装飾等が無造作にゴロゴロ置かれているなど、修復の最中にあった。
    緑したたるスィッキムの山の景色
    途中の集落の子供たち
    登り坂でひと汗かいたら小休止
    本日の行程において、勾配がきつくて大変なのは、その次のホーングリー・ゴンパーまで。あとはところどころ登り坂はあるものの、基本的には下降していくルートである。逆に言えば、ユクソムからタシディンに向かうのではなく、その反対のルートであると、かなり上り基調で体力を消耗するということになる。
    正面から見ると何でもないようだが・・・
    向かって右側の壁はすっかり崩落していた。
    ホーングリー・ゴンパーも地震の影響を受けており僧侶は不在であったが、被害はこちらのほうが明らかに大きかった。正面から見て右側の壁がほぼ完全に崩落してしまっている。おそらくガントク近くのルムテクやペマヤンツェー等の寺院も被害を受けたのではないかと思うのだが、やはり復興のカギとなるのは資金力ということになるのだろう。
    グラーム・パンチャーヤトが運営するゲストハウス
    ホーングリー・ゴンパーの敷地脇には、地域のグラーム・パンチャーヤトが経営しているというゲストハウスの看板があった。そういうレベルで経営がなされている「公共の宿」が他にあるかどうか知らないが、かなり珍しい例ではないかと思う。
    ここからは下り基調である。向こうの山にタシディンの町が見える。直線距離では、渋谷から新宿、あるいは渋谷から池袋程度の距離のはずだが、複雑に絡み合う高度の異なる山々の稜線を越えてのことなので、実際に歩く道のりは見た目よりもはるかに長い。
    Hongri Gompaまでの登りがきつかったので、これからは下りと安心していると、今度は分かれ道でどう進めば良いのかわからないところがいくつもあった。またガレキで行き止まりになっているところもある。
    ふたりばかりの集落を過ぎて、Nessaの村に到着。ここでようやくジープ道に出る。未舗装だが四輪駆動は通ることができる道なので、一気に文明社会に出た気がする。ここでようやく小さな商店があり、コーラとビスケット購入して遅い昼食とする。午後2時半くらい。
    スィッキムでよく家屋等の屋根の上で翻っているのを見かける三色旗、赤、黄色と緑の旗は何なのか尋ねてみると、現在の州与党のSDF(Sikkim Democratic Front)の党旗だということ。ここからもうすぐ近くにタシディンの町が見える。タシディン行きのジープが出るところであったが、せっかくなのでそのまま歩くことにした。
    ひとつ集落を過ぎてSinon Gompaに着いた。扉が閉まっているので見学できなかったが、外壁にあちこちヒビが入っており、入口両側の壁画も割れている。外壁については修復したばかりのようで真新しくなっている。
    スィノーン・ゴンパー境内にはためくタルチョー
    ゴンパの裏に学校があり、その脇からタシディンに下ることになるのだが、近くに見えてもまだまだ遠かった。すでに日没は近いので急がなくてはならない。学校脇で大工仕事をしていた人が、しばらく下るとジープ道に出るというので、その小道を急ぐ。しばらくは階段で、そこからは先のトレッキングルート同様の岩石だらけの細い路となる。
    ようやくジープ道に出たものの、今度はどちらに行けばよいのかわからない。道の上に民家があったので、大声で誰かいないか呼んでみると、出てきたのは子供たち。これはアテにできない。ジープ道から直下に下るけもの道がタシディン行きだと言うのだが、すでに太陽は山の向こうに沈んでおり、ジャングルの中で真っ暗になったら大変困る。とりあえず向こうから来たクルマがあったので、タシディンの方角を確認。クルマが来た方角がタシディンであった。
    問題はどのくらい遠いかということ。向こうから来た女の子たちに尋ねてみると、12キロなどというとんでもないことを言っている。これは何かの間違いだろう。しかし、他に尋ねる相手もいない。仕方なくその方角に歩くが、ちょうどジープ道を横切る二人連れがいたので聞いてみると、「ここを通ると15分でメインロードに出る」とのことなので、付いていくことにした。彼らは集落の住民で、帰宅するところであった。分かれ道に来て、彼らが集落に行くところで、それとは違う側がメインロードに続く道だと教えられる。
    しはらく下るとジープ道に出た。つづら折れになっている道をショートカットしたことになるのだろう。もうかなり暗くなってきた。タシディンまでは、まだ5キロあることが道路脇の表示で判った。タシディンまでのシェアジープがあればぜひ乗りたいが、なくてもここを歩いていけば着くということ、けもの道ではないので懐中電灯を点ければ歩くことができて、やがて到着できるという安心感がある。しばらく進むと見晴らしの良いコーナーがあり、タシディンの夕暮れ風景を一望できる。景色は美しいのだが、早く着きたい。歩きくたびれたし空腹だ。
    眼下にはタシディンの町
    しばらく進むと後ろから二台の大型トラックが来るのが見えた。止めて尋ねるとタシディンの方向に向かうというので乗せてもらうことにした。
    タシディンの町に着き、小さなマーケットにある食堂で、ペリンから同行させてもらっているUさんと夕食。注文して出てきたモモもトゥクパも疲れた身体に染み入るように旨く感じられる。ビールも最高に気持ちよく胃の中に吸い込まれていく。
    タシディンでの夕食
  • ペリンから一日観光

    ペリンから一日観光

    朝一番の眺めはいまひとつだった。
    ペリンといえば、この町からのカンチェンジュンガ峰の眺めで知られているが、夜が明ける前に起きだしてみたが、残念ながらちょうど峰の部分に雲がかかっていた。これはこれで奥ゆかしくていいかもしれないが。
    幸いなことに雲が移動して眺めが良くなった。
    本日のクルマ。フロントガラスのヒビ割れの補修がなかなかイカしてる。
    本日は日帰りでこの地域をクルマで観光するつもりにしていたが、明日にはユクソムに行くつもりであったので、本日の行程が終わったらユクソムで降ろしてもらうことにした。
    大きな吊り橋
    滝。珍しいものではないが・・・・。
    最初に大きな吊り橋と滝を訪れる。このあたりは水にも恵まれているため、緑は豊かだ。山あいに広がる段々畑、村落、日を浴びてのどかな村の風景を楽しむ。日向にいると陽射しはそれなりに暖かいのだが、日陰に入ると非常に寒い。自宅にあるダウンの中で最も厚いものを着てきて良かったと思う。
    晴れ渡った空に草木の色が映える。
    こんな感じの家屋が多い。
    蒸篭を日常的によく使うのだろう。
    日本の信州を思わせるような景色
    日陰はやけに寒い
    ケチョパリ湖に行く。ここには土産物屋を経営している日本人女性がいらっしゃるという情報はウェブで得ていた。
    すぐに判るだろうか?と入場チケット売り場から中に入ってすぐのところであった。小さな日の丸が店の壁に貼られているので人に尋ねなくてもそれと判り、お会いすることができた。だがここに立ち寄るインド人観光客たちは、まさか日本人がここで店を開いているとは想像もしないようである。
    湖自体は、ブーティヤー族仏教徒の聖地ということになっているらしいが、一般の観光客が多く、参道に列を成している状態だ。夏のシーズンには大混雑になっているのだろう。
    湖の手前にはチベット仏教寺院がある。ブータンやチベットから来た僧侶も滞在しているとのことで、山間の小さな集落にあるとはいえ、なかなか「国際的」なお寺でもあるようだ。
    仏教寺院
    ケチョパリ湖
    ビューポイントへの道
    湖の眺め
    山間の集落にも携帯電話のタワーが建っており電波がちゃんと届く。
    彼女に勧めていただいたビューポイントまで歩いてみることにした。湖のすぐ東側の斜面を登ったところにある。展望台脇にある店の主らしき男が、芝の上で昼寝をしている。日常は分刻みで仕事をしている身としては、時間がふんだんにあるという点について、少々羨ましくならないでもない。
    そこからもうひとつの滝に行く。ここは高低差が大きく、筋もみっつある。一番大きなものはかなりの水量で迫力がある。
    ふたたび滝
    本日はペリン周辺の景色を楽しむことができて良かった。午4後時半くらいにユクソム到着。のんびりした感じの集落だ。宿もなかなか新しくてキレイだ。ペリンから同行のUさんとビール飲みながらの夕食を楽しんだ。
    ユクソムでの宿
    夕食(の一部)