King is pinched

1週間近く前の記事だが、ネパール王室についてこんな記事があった。
Nepal ex-king told to pay bills (BBC South Asia)
22ヶ所の宮殿や屋敷の過去数年間にわたる電気料金100万ドル超を11月7日までに期限内に支払わなければ彼らへの電気供給をストップさせるというもの。
元国王は、この膨大な金額を支払うのか、電気を止められるという屈辱に甘んじるのか、それとも何か他の手立てがあるのかどうかわからないが、5月に王室が廃止されてから身分上は普通の『国民』となった元国王とその家族。
最終的な王室廃止に至る過程の中で、王室財産はかなり処分されているはずだが、それでも海外に隠した『埋蔵金』の話もあるし、そもそも王や王族が経営にかかわる有力企業も少なくなかったようだが、そのあたりはどうなっているのだろう。
まだそれなりの財力があるようだが、政治的な権力を失い丸裸になった元国王一族に対する圧力は相当なものだろう。今までのところ、彼自身は国外への亡命は否定しているものの今後どうなるか。
現在与党の座にあるマオイストにしてみても、それと協力関係にある他の勢力にしてみても、王室の廃止により不人気だったギャネンドラ元国王が民間人になったとはいえ、今でも旧王党派や王室にシンパシーを抱く人々が皆無というわけではないし、そこを基盤にして政治活動に乗り出す元王族やその縁者が出てこないとも限らない。
現政権にとっては、後に憂いを残さないために、旧王室のさらなる弱体化を進めたいところではないだろうか。更には本音では国内から退去して欲しい、地理的にも遠い場所に行ってくれればなお幸い・・・といったところかもしれない。今後も様々な形での締め付けは続くことだろう。
政府からさまざまな『弾圧』を受ける旧王族たちは、この国でどこまで持ちこたえることができるのだろうか。

インド人学校へ転身

昨日『デリー近郊に日本人村建設?』と題して書いたように、インドで日本からの企業進出を促すための積極策が打ち出されているが、地味ながらも日本においてもインドからの進出を誘致するための具体策がいくつか打ち出されている。そのひとつが来年4月に横浜市緑区で開校予定のインド人学校だ。廃校となった小学校の3階部分を利用して運営するとのこと。
インド系学校来春開校 緑区の小学校跡 (YOMIURI ONLINE)
少子化の日本にあっては、学齢期の子供を持たない人には想像もつかない速度で生徒たちの人数が減少している。現在20代、30代以上の年齢の人たちにとって、小学生、中学生時期に通っていた学校には何クラスあって、何人の生徒たちがいたか思い出して欲しい。
もちろん地域差は大きいのだが、参考までに東京都港区役所のウェブサイトにこういう一覧表があった。
港区立幼稚園・小・中学校園児・児童・生徒数一覧表
学年毎に2クラス、3クラス程度というのがごく当たり前になっており、学校施設の規模と不釣合いなほどである。とりわけ東町小学校の全学年合計で77人、港陽中学の全学年合計78名という数字が目を引く。まるで山村部の分校みたいな人数だ。
こうした傾向は、東京都内どこも共通した現象であり、都外においても似たようなものだろう。地域によっては『学校選択制度』という手段により、居住する学区と隣接する地域の学校に入ることを選ぶことができるようになっている自治体もある。
すると人気校と不人気校の歴然たる差が出てしまい、年度毎の予算配分はもちろん、やり手の校長や教頭、評価の高い教師が優先的に人気校に配置されるといった人事面での処置もあり、不人気な学校はますます凋落していき、やがては廃校や近隣校との統合という整理へと導かれていくようになっている。
そして、廃校や統合により使われなくなった校舎や土地は、資産の有効活用という名目で他の施設建設のために転用されたり、民間に売却されたりしていくことになる。
やや話はそれてしまったが、もともと厳しい基準で施設も充実している公立学校施設という『器』である。都内に数ある空き教室を多数持つ公立学校と同居・・・というのは無理にしても、今後も更に統廃合が進み用済みとなる施設が続々と出てくるにあたり、交通至便な都心近辺にある学校施設を横浜市のように、新設される外国人学校のために有償で貸し出してはどうかと思う。
さらには学費の問題もある。外国人学校は総じて費用が非常に高い。私学助成制度を大幅に見直して、充分な補助を行政から受けられるようにすべきではないだろうか。少子化が進む中、能力の高い外国出身の人たちが定住することが必要となってくることは自明の理だ。
また、その子女たちがしかるべき教育を受けることができる環境を整えることは行政の責任であり、そうして育った子供たちが将来、生まれ故郷ないしは自分たちが育った土地である日本に根を下ろし、この国を支えてくれるようになる、そんな『国家百年の計』が必要なのではないかと思う。

デリー近郊に日本人村建設?

こんな記事が目に付いた。
インド首都に「日本人村」 企業の進出促進、日印閣僚合意へ (NIKKEI NET)
『日本の中小企業などのインド進出を促すため、インドの首都ニューデリー近郊にマンション、ショッピングセンター、レストランなどを備えた「日本人村」をつくる』とのことで、日印の閣僚間で合意することになっているのだそうだ。
『工業団地や物流拠点だけでなく、日本人が現地で快適に生活するのに必要なあらゆる設備や店舗を集積した複合都市開発』とも書かれている。いったいどんなものができるのか?
マンモーハン・スィン首相は本日訪日、明日10月22日に予定されている麻生首相と日印首脳会談で、『産業大動脈構想』に正式合意することになる。この構想は、デリーとムンバイー間の産業基盤の整備をしようというもので、両都市間を結ぶ貨物専用鉄道の建設が最大の目玉。鉄道沿線には、24の開発地域を設けることも計画されている。
日本政府はおよそ4500億円規模の円借款を供与すること、工業団地開発などにインドと共同で約150億円の基金設立を予定するなど、総事業費10兆円規模の大型プロジェクトであるというから大変なものだ。
日印両国政府ともに、日本からインドへの投資拡大について非常に前向きの姿勢を続けているものの、日本の経済界から見たインドは、中国や東南アジアと違って、まだまだ距離感があるようだ。日本の対印投資は全体の0.3%に過ぎないという腰の重さは、まさにその証拠といえる。
そこで、日本の企業がインドでより操業しやすい環境を整えるとともに、インド側からの積極的な姿勢をアピールしようという目的で、日本人村の建設が企画されたのだろう。『中小企業などの進出を〜』とあるように、バブル前後からの日本の製造業を中心とした、中国や東南アジアに対する旺盛な進出や投資のありさまを研究したうえで、モノやサービスの貿易自由化するEPA(経済連携協定)交渉の大筋合意も近いインドの魅力と合わせてアピールしたいところだ。
『日本人村』では、在住日本人が必要とする様々なサービスを提供する手立てがなされる。日用品店、食料品店、レストランといった店舗が軒を並べるほか、在住日本人たちを相手とする学習塾、不動産屋、メディアその他さまざまな業種の人々もまた続々と上陸してくるとすれば、在留邦人4万人の上海、同じく3万人バンコク(ともに短期滞在者、出張者、観光客を含めると常時滞在している者を含めた邦人数は倍以上になるという)のようになる日はそう遠くないのかも??
両国政府や出資関係者の思惑どおり、急激に在留邦人が増えることが良いことなのかどうかはさておき、こうした情勢のもとで今後10年間ほどのスパンでデリーに在住する日本人人口がこれまでよりも更に速いスピードで増加することは間違いないようだ。その中でインドと日本の間での様々な関わりかたの選択肢が増えてくることは、私たち日本人にとっても、インドの人々にとっても、決して悪いことではないように思われるのだが、いかがだろう。

ストリート・チルドレン 銀行での預金を呼びかけ

ストリート・チルドレンたちにユニオン・バンク・オヴ・インディアのカードを配布するスキームが行なわれる。
この試みを主導するのは、ムンバイーで路上生活をしていたり恵まれない境遇にある子供や若者たちを支援しているNGO、Shelter Don Boscoで、ディワーリーの時期に合わせて開催されるこうした子供たち向けのキャリアづくりのためのイベントUDAAN 2008にて、500枚のカードが手渡されるのだそうだ。
Union Bank issues free Saving Account cards for street kids (WEBINDIA123.COM)

続きを読む ストリート・チルドレン 銀行での預金を呼びかけ

王家の麗人

向かって右は夫のアブドゥッラー国王
話は先日のUAEのドバイから変わってアラビア半島の反対側に位置するヨルダンのハーシム家。言わずと知れたアラビアの名門中の名門、預言者の家系に連なる非常に由緒ある家柄だ。シリアとイラクにおいても王として君臨したハーシム家の系統が政変により途絶えたことから、アラブ世界きっての由緒ある家柄だ。
・・・と書いてみたところで、主題は王家自体ではなく現在のアブドゥッラー国王ラニア王妃。国王は、先代のフセイン国王健在の時代には長男ながらも皇太子の立場にはなく、フセイン国王が亡くなる直前、突然弟のハッサン王子と皇太子の地位を交代し、まもなく父である王が死去してからはその責任ある王位に就くことになった。
冒頭の写真で王妃と並んで写っているアブドゥッラー国王は、風貌からもそれとわかるように母親はイギリス人である。これがアラビアきっての名門王家の跡取りとなるのに障害であったらしい。しかし死期が迫った先代王は、彼の息子たちの中で最も優れた人物に王位を託す決断をすることとなった。
ラニア王妃にしてみれば、王族と結ばれたとはいえ、夫は将来王位との縁はないものと思っていたはずが、結婚からわずか6年のうちに王妃の座に上り詰めることになった。まさに現代のシンデレラ物語である。
王妃はクウェート生まれのパレスチナ人。父親はクウェートで医師として働いていたが、91年のイラクによる侵攻に始まる混乱の中、一家はヨルダンに活路を求めた。ラニアは首都アンマンで外資系金融機関の職員として働くことになった。そこであるパーティーに出席したことがきっかけとなってアブドゥッラー王子と知り合い、まもなく求婚される。
『世界で最も美しい王妃』との評判だが、まさにそのとおりだと思う。しかも王妃が自身のウェブサイトを持っているというのもまた珍しい。おそらく実際にサイトを管理しているのは王室か政府関係者ではないかと思うのだが、堅苦しくない洒落たデザインで、明るさや活力を感じさせてくれる。
王妃が王家ないしは政府の広告塔的な役割を担うことができる最大の要因は、やはりその人並み外れた美貌はもちろんのこと、いつでも誰に対してもソツのない対応ができる聡明さに加えて、民間出身という封建的なものを感じさせない出自がゆえのことだろう。そういう彼女をヨルダンという国の顔としてプロモートする王家ならびに政府の柔軟さ、したたかさもまた興味深い。
アラビアの王家においては女性の王族が慈善、教育などを指揮して活動する例は珍しいわけではなく、カタールやバーレーンにもラニア王妃のような活動を展開する精力的な王妃たちがいる。
ともあれ、世間でこの人に対する関心は相当なもののようで、YouTubeでQueen Raniaと打ち込むだけで無数の動画が引っかかってくる。リベラルなヨルダンという国とそこに暮らす人々に敬意を表するとともに、見目麗しき王妃を応援したい。