王家の麗人

向かって右は夫のアブドゥッラー国王
話は先日のUAEのドバイから変わってアラビア半島の反対側に位置するヨルダンのハーシム家。言わずと知れたアラビアの名門中の名門、預言者の家系に連なる非常に由緒ある家柄だ。シリアとイラクにおいても王として君臨したハーシム家の系統が政変により途絶えたことから、アラブ世界きっての由緒ある家柄だ。
・・・と書いてみたところで、主題は王家自体ではなく現在のアブドゥッラー国王ラニア王妃。国王は、先代のフセイン国王健在の時代には長男ながらも皇太子の立場にはなく、フセイン国王が亡くなる直前、突然弟のハッサン王子と皇太子の地位を交代し、まもなく父である王が死去してからはその責任ある王位に就くことになった。
冒頭の写真で王妃と並んで写っているアブドゥッラー国王は、風貌からもそれとわかるように母親はイギリス人である。これがアラビアきっての名門王家の跡取りとなるのに障害であったらしい。しかし死期が迫った先代王は、彼の息子たちの中で最も優れた人物に王位を託す決断をすることとなった。
ラニア王妃にしてみれば、王族と結ばれたとはいえ、夫は将来王位との縁はないものと思っていたはずが、結婚からわずか6年のうちに王妃の座に上り詰めることになった。まさに現代のシンデレラ物語である。
王妃はクウェート生まれのパレスチナ人。父親はクウェートで医師として働いていたが、91年のイラクによる侵攻に始まる混乱の中、一家はヨルダンに活路を求めた。ラニアは首都アンマンで外資系金融機関の職員として働くことになった。そこであるパーティーに出席したことがきっかけとなってアブドゥッラー王子と知り合い、まもなく求婚される。
『世界で最も美しい王妃』との評判だが、まさにそのとおりだと思う。しかも王妃が自身のウェブサイトを持っているというのもまた珍しい。おそらく実際にサイトを管理しているのは王室か政府関係者ではないかと思うのだが、堅苦しくない洒落たデザインで、明るさや活力を感じさせてくれる。
王妃が王家ないしは政府の広告塔的な役割を担うことができる最大の要因は、やはりその人並み外れた美貌はもちろんのこと、いつでも誰に対してもソツのない対応ができる聡明さに加えて、民間出身という封建的なものを感じさせない出自がゆえのことだろう。そういう彼女をヨルダンという国の顔としてプロモートする王家ならびに政府の柔軟さ、したたかさもまた興味深い。
アラビアの王家においては女性の王族が慈善、教育などを指揮して活動する例は珍しいわけではなく、カタールやバーレーンにもラニア王妃のような活動を展開する精力的な王妃たちがいる。
ともあれ、世間でこの人に対する関心は相当なもののようで、YouTubeでQueen Raniaと打ち込むだけで無数の動画が引っかかってくる。リベラルなヨルダンという国とそこに暮らす人々に敬意を表するとともに、見目麗しき王妃を応援したい。

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