流行のドバイの背景に 2

インドにとって、自国にあり余る人材の雇用先としても、出稼ぎ労働者の送金による外貨獲得源としても、湾岸産油国の存在は貴重だ。自国民の高い出生率とそれに伴う失業率の高さに悩むサウジアラビアでは、社会の各分野において就労者の自国民化を進めているが、数年前にタクシー運転手から外国人を漸減させて自国民化する具体的な方策が打ち出されたときには、インドをはじめとする南アジア各国メディアのウェブサイトにて、それに関する記事がトップを飾っていた。
混乱が続くイラクで、メディア、援助、経済その他にかかわる外国人の誘拐ならびに殺害に関する報道が続いた時期があったが、同様にイラクでの運輸業にたずさわるインドやネパールのトラック運転手たちが連れ去られて殺害される事件も発生した。高いリスクを覚悟のうえで就労した人、隣国のクウェートで働くという話であったのが、実際に渡航してみると配置されたのはイラクだったという、ブローカーに騙されたケースもあったようだ。いずれにしても他の安定した国々ではなく、いまだ混迷の続く国でさえも、そこに石油が出るならば、外から人々を引き寄せる大きな力を持っていることがよくわかる。そこにくれば治安が大変良くて生活インフラも整ったアラブ首長国連邦ともなれば言わずもがなである。
ところでその『人口』は、少々注意を要する点かもしれない。湾岸産油国での人口統計には往々にして外国人、しかも期限付きで在住している出稼ぎの人々まで含まれているのは奇妙に感じる。おそらく自国民があまりに少なすぎるので、こうした人々をも含めないと国の実態が把握できないということが背景にあるのではないかと思う。
アラブ首長国連邦としての一人当たりのGDPは38000ドルとのことで、まあ『先進国並み』ということになる。しかしここには年収5000ドルにも届かない大勢の出稼ぎ労働者たちも含まれている。もちろん外国人在住者=低賃金労働者というわけではなく、様々な分野のエキスパート、専門家、経営者、投資家等も含まれているものの、大半は底辺で働く人たちということにはなる。そのためこの国では『少数派』であるアラブ首長国連邦の国籍を有する人たちだけを見れば、日本のそれの四、五倍に及ぶのではないかという説もあるが、少なくとも私たちの平均的な年収よりもよほど懐具合が良いらしいことは容易に想像がつく。つまり『はるか先進国以上』の裕福な国民が暮らす国である。
そういう経済的な要因はもちろんのことながら、近代以降におけるインドとの間の歴史的なつながりも深い。19世紀半ばから20世紀はじめにかけて、今のドバイを含むアラブ首長国連邦、オマーン、カタール、バーレーンはイギリスの保護国、当時世界に冠たる中東の貿易港アデンを擁するイエメン南部がイギリス植民地となっていた。同じ英領ということもさることながら、イギリス本国政府の植民地省の管轄ではなく、インド省の所轄で、当時のインド政府のボンベイ管区がこれに当たっていたという点も何か作用しているのかもしれない。アデンといえば、グジャラートのジュナーガル生まれでリライアンスグループの創業者ディールーバーイー・アンバーニーが仕事人としてのキャリアの第一歩を踏み出したのはまさにそこであった。
現在のエアインディアのネットワークを見ると、西方面とりわけ湾岸諸国へのネットワークが密で、主に国内線を飛ばすインディアンもこれら地域の主要都市へのネットワークを持っている。石油以前のアラブ首長国連邦をはじめとする湾岸諸国とインド西部との間には元々蒸気船の定期航路が発達しており往来が盛んであり、客船の時代が終わるとともに飛行機に取って代わられる。だが石油で潤う前の湾岸諸国とインドの立場はかなり異なるようで、当時貧しかったアラビアに様々な新しいモノをもたらしてくれる先進地がインドだったようだ。
昔のドバイ
昔のドバイ
人口のおよそ6割をインドおよびその他の南アジアから来た人々で占めており、インドないしはインド人の存在なしでのドバイはあり得ず、それがゆえに『インドで最もキレイな街』などと揶揄されることもあるようだ。今流行りのドバイの背後にちらつくインド世界の濃い影が興味深い。現地在住のインド人ないしはインド系の人々について詳細に書かれたものがあれば手にしてみたいと思っている。
カルカッタ出身の友人がアラブ首長国連邦に赴任しているうち(ドバイ首長国ではなくアブダビ首長国のほうで仕事しているのだが)にちょっと様子を見に出かけてみたいな、と思うこのごろである。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


上の計算式の答えを入力してください