インドの東6 コロニアルな新聞

ラングーン・タイムス
ミャンマーは、旧英領とはいえ、現在は英語による出版活動が盛んではないうえに、表現の自由に大きな制限があることもあり、最大の都市のヤンゴンであっても、本漁りはあまり期待できない。
ダウンタウン周辺で、いくつかの書店を覗いてみたが、およそ英語で書かれているものといえば、語学学習書と辞書、あるいはコンピュータ関係書籍くらいのものだろうか。
ビルマ語の書籍にしてみたところで、表紙を眺めてみて想像できる限りでは、当たり障りのない小説、学習参考書、実用書くらいしかないように思われる。
そんなわけで、特にここで本を購入するつもりはなかったのだが、各国の大使館が点在するアーロン・ロード地区の一角に、ミャンマー・ブック・センターという店があり、そこの一角にはミャンマーの歴史や社会について書かれた英文の書籍が置かれているということを聞いた。あまり期待していなかったが、ダウンタウンから遠くないこともあり、ちょっと出かけてみることにした。
タクシーで乗り付けてみたコロニアルな建物は、『書店』というよりも、ヤンゴンにおいては異例なほど大きく、かつ洒落たみやげもの屋といった風情である。そのたたずまいを目にしてガックリきたが、とりあえず建物の上階に書籍があるというので、階段を上ってみる。
3階にある書籍コーナーは、インドの鉄道の一等コンパートメントの3倍くらいのスペースしかなかったが、植民地期の出版物の復刻版が多く、なかなか興味深かった。
また独自の社会主義路線を歩み始めたころに、当時政権を担っていた社会主義計画党関係機関が机上で描いた(?)明るい将来を伝えるプロパガンダ書籍なども書棚で見かけた。
そうした中からいくつかの書籍を購入してみた。それらの中で『The Rangoon Times Christmas Number』なる題で、1912年から1925年までの英字紙ラングーン・タイムスのクリスマス版をまとめたものは、まさにそれを読んでいた人々の息吹を感じさせてくれるようであった。
この時代のラングーン、つまり現在のヤンゴンは、国そのものが英領インドに属していたことのみならず、人口の面からも『インドの街』であった。1912年においては、ビルマ族とカレン族ならびに地元の他の民族を合計した人口が10万3千であったのに対し、インド人18万8千人と、2倍近い数を占めており、マジョリテイがインド人であったのだ。ちなみに他の民族については、中国人2万3千人、イギリス人を含めた欧州人が3500人余り、アングロ・インディアンおよびアングロ・バーミーズが8300人少々、その他アルメニア人とユダヤ人が少々といった具合だ。
さて、この新聞のクリスマス版は、在住のイギリス人社会における出来事や彼らを中心とするビルマの発展と進化について、その年に起きたことを回顧するものとなっている。デルタ地帯の河下り旅行記、行政や教育に関する話題、狩猟やポロにサッカーといったスポーツ、大きな鉄道事故に洪水といった惨事、政府や軍などの式典、イギリス人富裕層の見事な屋敷の写真その他いろんな記事が掲載されている。
この時代の広告を眺めるのもなかなか面白い。この時代は銃の規制などなかったのだろうか、洋服や靴のものと並んで広告が出ている。今も世界各地で親しまれているホーリックスのアドバタイズメントは掲載されているが、当時も同じ味だったのだろうか。イギリス本国はもちろんのこと、インドを本拠地とする商社や銀行なども紙面各所に広告を出している。アサヒビールの宣伝もあり、現地の取扱代理店は、三井物産ラングーン支店と書かれている。
銀行の広告
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船会社の広告もある。人々が飛行機で移動するようになる前の客船全盛の時代だけに、なかなか興味深い航路がある。ロンドンから地中海、そしてイエメンのアデンを経てコロンボ、さらにはペナン、シンガポール、香港、上海ときて日本にいたる定期便の記述もあるが、どのくらいの時間がかかったのだろうか。
当時のカルカッタ、ボンベイ、カラーチー、マドラス、コロンボ、ラングーンといった地域の主要港から域内を結ぶ便についても書かれている。特に当時のインド西部から今のガルフ諸国の港への便がけっこうあることに加えて、今はほぼ荷物の出入りに限られる港、例えばグジャラートのマンドヴィー、ポールバンダル、あるいは漁港として知られるタミルナードゥのナーガパトナムなどといった港をはじめとする地域の代表的な海港が、当時は外の人々に対する玄関口としての役割を担っていたことを改めて思い起こさせてくれる。
船会社の広告
それでも便数は週一便、二週に一便などといった記述が並び、今の主だった国際線・国内線の空港と違い、『主要港』といってもずいぶんのんびりとしたものだったことだろう。
他に購入した本も含めて、いろいろ興味深いことが書かれていたが、また何か機会を見つけて取り上げてみたいと思う。

ラオスの刑務所で

インドとはまったく関係のない話で恐縮ではあるが、滞在先のバンコクで手にした英字紙Bangkok Postにショッキングな記事が出ていた。
『妊娠中の英国女性に銃殺刑迫る』
ラオスで麻薬密輸容疑で逮捕されたナイジェリア出身の英国籍女性が、昨年8月にラオス首都のヴィエンチャン空港からタイのバンコクへと出国しようとしていたところ、686gのヘロイン所持していたため逮捕され、近々判決が出ることになっているのだという。
現在、ラオスではヘロインを500g以上所持していると極刑に相当することになっており、近く開かれる法廷で有罪となれば、銃殺刑に処せられることになるのだそうだ。 だが彼女は妊娠中。今年9月に出産予定だという。
在ラオスの英国大使館は、彼女が拘禁されるようになって数ヶ月経つまで、それを知らなかったという。その後毎月20分だけ大使館の担当者との面会が、ラオス当局者の立会いのもとで認められているだけとのことだ。
1988年生まれのSamantha Orobator Oghagbonは現在20歳。第三者のために運ぶことを強要されたと主張しているという。
彼女は昨年7月に休暇でオランダ、タイを訪れた後にラオスに行き、ここから8月6日に空港から出国しようとしたところで逮捕されて以来、彼女は女性刑務所に収監されている。ここは囚人たちへの虐待ぶりの酷さで悪名高いところであるらしい。
本人はヘロイン所持の事実を認めているとはいえ、それが死刑に相当するものであること、また彼女が妊娠中であり、産まれてくる予定の子供には何の罪もないこと、また出産予定時期からして、その妊娠とは明らかに刑務所に収監されて以降のものであり、刑務所のスタッフによる暴行の結果であるらしいことが取り沙汰されていることなど、非常に考えさせられるものがある。
目下、在ラオスのイギリス大使館を通じた外交努力が続けられており、また今月7日にラオスとイギリスの間で、犯罪者の引渡しに関する協定が結ばれたことから、この女性が極刑を逃れてイギリスに移送され、自国で服役できる可能性も開けてきたようではあるが、近々下りる予定の判決がとても気にかかるところである。
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安宿街に歴史あり

ずいぶん前のことになるが、『タイ・バンコク・カオサンロードの歩き方』というサイトがあった。エコノミーな宿の紹介か?と思って覗いてみると、バンコクのエコノミーやホテルとゲストハウスが集中する地区の成り立ちやここに宿泊する人々、働く人々の動態などが詳細に描き出されているなど、想像していたものとはかなり様相が違った。
ただの安宿街にもそれなりのきっかけと必然性があって成立していること、そうした地域にも盛衰があり、これもまた具体的な理由があることがいろいろ記されており、とても面白かった。
ただの旅行者が書いた雑記帳のようなものではなく、大学でメディア論を専攻する研究者の手によるものであり、こうしたエリアが形成されていく歴史やその背景にある事情など、社会学的な分析がなされているがゆえに大変興味をおぼえた次第である。
しかしながら、そのサイトはすでになくなっている。それを引き継ぐ形で『カオサンからアジア』へというタイトルでウェブ上に存在(最終更新日が2000年7月だが)するとはいえ、以前のものとは比較にならないため、ここで敢えて参照しない。
あのコンテンツは一体どこに行ったのか?と探してみると、書籍になっていたことがわかった。
こうしたことは、すっかり頭の中から消え去っていたのだが、バンコクのスクムヴィット界隈で適当な宿がないか?とウェブで探していると、たまたまここに行き当たり、『ああ、そういえば・・・』と思い出した次第である。別に私が宿泊する先は安宿ではないのだが。
たぶんこれは前述のサイト『カオサンロードの歩き方』から一部削除されずにウェブ上に残ったものではないかと思う。以前、このサイトを見つける前から、カオサンロードがバックパッカーたちのバンコクでの滞在先としてポピュラーになる前には、西洋人たちにはマレーシアホテル周辺がポピュラーで、チャイナタウンは日本人宿泊者が多かったということは知っていたが、スクムヴィットのエリアにも安い宿が多かったということは知らなかった。
この残骸?にも書かれているが、カオサンロード登場以前の安宿街の形成には、ベトナム戦争が影を落としていたという説明もまた興味深く読んだことを思い出す。従軍していた米兵が、休暇で気晴らしにやってくるタイで、彼らの滞在先としての需要があったというのは、さもありなんといったところだ。
その当時から営業を続けているマレーシア・ホテルは、ある意味老舗の宿といえる。周囲に安い宿が次々に開業したことから、相対的に料金が高めになり、中級ホテルとみなされた時期もあったようだが、タイの経済成長にともない、良質なホテルが増えた結果、やはり相対的に低料金の安ホテルとなっている。なんだか胡散臭いイメージが定着してしまっているが、コストパフォーマンスは高いようで、実際に利用した人からの評判はなかなか良いらしく、リピーター宿泊客も多いらしい。
ただしバンコク市内各地に、様々なロケーションにいろいろなタイプのホテルが沢山あるのに、わざわざここを選ぶ理由は特に見当たらないように思う。
今でこそ、日本発で世界各地へのフライトのチケットが安く出回っているが、そもそも格安航空券というものが一般的でなかった時代、日本からインド方面に向かおうとするバックパッカーたちは、とりあえず香港かバンコクに出て、そこからカルカッタなどへ向かうのが一般的であった。そのためタイ訪問そのものが目的でない者も、安いチケットを購入するためにバンコクに滞在していたのだろう。
その格安航空券にしてみたところで、今や航空会社が直接ネットで販売する正規割引に押されている。米国系航空会社が格安航空券を販売する旅行代理店にコミッションを廃止し、他の航空会社もこれに追従するのが流れになっていることもあり、従来の『格安航空券』というものが、そう遠くないうちになくなるであろう、とさえ言われている。
バンコクで、特に用事はないのだが、久しぶりにカオサンロードに足を向けてみようかと思う。外国人客がワンサカ宿泊しているだけに、気の利いたみやげもの類は多いのだ。価格も手ごろだし。Tシャツ等の衣類もなかなかの品揃えだ。
そういえば、カオサンロードをはじめとして、バンコク各地にスピード仕上げを売りにするスーツの仕立屋が多い。しかし店の人たちはどうして揃いも揃ってサルダールジーばかりなのだろうか?仕立服屋の世界で『パンジャービー・カルテル』でもあるかのようだ。バンコクで、テイラーとして定住して稼ぐ彼らにも、興味深い『歴史』があるのではないかと思う。スーツの価格はもちろん要交渉だが、落ち着く値段はまずまずのようなので、一着注文してみるのもいいかもしれない。

煽る政府と暴走するメディア

今回はインドと関係のない話題で恐縮である。先週土曜日に初めて耳にした『豚インフルエンザ』の話題だが、その後の急速な展開には大いに戸惑っている・・・というよりも、日本のメディアによる取り扱いやこれに対する社会の反応について、大いに疑問を抱いている。
4月28日までの報道によれば、メキシコでこのインフルエンザの感染によるものと疑われる死亡例が152件であることが目を引くが、その他の国における感染者は、アメリカで64人、カナダで6人、スペインで2人、ニュージーランドで3人、イスラエルで1人、コスタリカで1人の感染が確認されている(その他の国における推定感染者を除く)とのことだが、実際のところどういう病気なのかはよくわかっていないようだ。
先述の報道の時点では、メキシコにおける死亡例の多さが注目されているものの、その他の国ではまだ死亡例は報告されていない。また症状は通常のインフルエンザと同程度で、患者は順調に回復しているとのこと。
何故、同じ型のウイルスでも、メキシコとその他の国々でこうも違うのか、まだその理由はよくわかっていないようだ。現地の医療事情や地域的な要因、つまりインフルエンザが頻繁に流行する地域ではよく見られる型のウイルスによる流行であっても、普段それとあまり縁がない地域では大きな被害をもたらすことがあるという。
日本で馴染み深い(?)A香港型のインフルエンザの流行により、2002年にマダガスカルで、5,000人の患者中、死者374人という惨禍をもたらした例がある。当地でこの型のウイルスにかかった経験が少なく、免疫が低い人々に広まったこと、栄養状態や医療の普及状態などといった要因も絡み合い、重症化する例が多くなったとされる。もちろん今回のウイルスは、私たちにとっても新型であるとされるわけだが、地域的には人々の持つ耐性に差があったりすることはあるのかもしれないという説もある。
メキシコとそれ以外の国において、ウイルスが悪さをする程度が違うことだけではない。メディアの報道とそれを目にした人々の反応にも、国や地域によってかなり温度差があるようだ。日本の対応は、ご存知のとおり非常に厳格である。
もちろん死者が大量に出てからでは遅いわけで、その前に被害を限定的に封じ込めよう、またその被害が及ばないように水際で阻止しようという意図はよくわかる。だが今回のインフルエンザについて、メキシコ以外で感染した例においては、毒性がそれほど強いものではないことがほぼわかっている今、これほどヒステリックになる必要があるのか、こうした対応に伴う高い代償を払ってまでそういう姿勢を取ることに合理的な理由があるのかどうか疑問なのだ。
日本のマスメディアにも問題があるようだ。『言葉の壁』のため、大多数の人が読むのが自国の日本語メディアに限られるので、テレビのニュースや新聞記事等の論調にいとも簡単に『洗脳』されやすい。日本において、それらメディア自体の均質性が高いため、どこも同じようなことを書きたてる。そのため、情報が統制されている状態に近いともいえるかもしれない。
言葉の壁以外にも、日本語圏自体が人口1億2千万を越える大言語圏であり、しかもこれの言語圏が日本国内に限定されるといって差し支えないものであるがゆえに、日本語による報道自体がほぼ同じ傾向に集約されやすいということもあるかと思う。

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ジェイド・グーディー亡くなる

先日から危篤状態にあった、イギリスのリアリティーショーのスター、ジェイド・グーディーが亡くなった。享年27歳。ご冥福をお祈りしたい。
Reality TV star Jade Goody dies (BBC NEWS)
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彼女の命を奪った病、子宮頸ガンは、よく知られているとおり、ヒト・パピローマ・ウイルス(HPV)への感染が大きな原因であるとされる。
他のガンに比べて、若年層の患者が多いことも特徴だが、日本ではこの病についての検診の受診率が低いことも問題とされている。
現在では、HPVへの感染に対する予防ワクチンという、有効な手立てがあるが、少なくとも日本ではまだそれは普及していない。しかし今年中には承認される見込みらしい。
性交渉未経験の10代前半の女児を対象とする公費負担による接種を求める声が高いという。