ジェイド・グーディー

ジェイド・グーディーが危篤状態にあるとのこと。2007年にリアリティショー『ビッグブラザー』にて、シルパー・シェッティーに対して執拗に投げかけた問題発言により、人種差別だとして内外に大きな波紋を投げかけたあの人だ。
差別的な発言をしたのは彼女だけではなかったようだが、その口火を切り、同様の発言を繰り返したことに加えて、普段メディアを通じて彼女が視聴者に与えていたイメージもあったことから、袋叩きに遭うことになったようだ。
この出来事がいろいろなメディアで取り上げられるまで、私はこの人がイギリスでとても有名なタレントであることさえ知らなかった。実のところ、私はこの人がテレビに出演しているところを直に見たことはなく、YouTube他の動画投稿サイトで彼女が出ているクリップを片っ端から閲覧しただけだが、それでも彼女の強烈な個性は充分伝わってくる。
その後、ジェイドはインドへ謝罪旅行に赴き、シルパーとともにインド版ビッグブラザーのビッグボスに出演するなどして、彼女と和解しているが、もちろんインドでは彼女に対してネガティヴなイメージは根強いだろう。
もともと歯科医院で看護婦の仕事をしていた彼女は、2002年にビッグブラザーに『ちょっと可愛らしい看護婦さん』として出演する機会を得て、一気にスターダムを駆け上ることになった。
しかしながら、とりたてて外見がどうというわけではなく、なにか人を魅了するものを持ち合わせているわけでもない。私でもセレブになれそう、と思わせる『普通さ』とは裏腹の毒舌マシンガントークが多くの人々の非難を巻き起こしつつ、瞬く間に悪役としての地位を築いたようだ。
自身の名前を冠したパフュームをプロデュースしたり、フィットネスのDVDに出演したり、自伝を出版したりと、テレビ以外の場所でも活発に動いていた。
昨年夏に末期ガンであることが判明してから、様々な治療を受けてきたがすでに病巣は多臓器に広がっており、あと数週間の命らしいと各メディアに報じられていたのは今月前半のこと。
その深刻な病状について、彼女に知らされたのは先述のビッグボスに出演時。番組中のアナウンスで『出演中に電話を使うことは許されないが、事があまりに重大であるときにはそれが許可されることもある』とあったように、実に深刻な事実がイギリスの主治医から彼女に伝えられ、ジェイドはイギリスに緊急帰国した。
インドを、インド人を侮辱したと大騒ぎになったしばらく後で、インドを訪れてから受けた重篤な宣告。何か因縁じみたものを感じたのは私だけではないだろう。
以前交際のあったボーイフレンドとの間にもうけた5歳と4歳の息子の母でもあるが、現在同棲中のボーイフレンド、ジャック・トゥィードと今年2月に挙式、晴れて正式な夫婦となった。しかしこのカップルに残された時間はあまりに短かったようだ。
昨日夜から容態が急激に悪化し、すでに意識のない状態にあるという。天敵から友人へと転じたシルパーは、ムンバイーからイギリスへ向かっている。
ジェイドは、自分に与えられた定めを受け入れて、最後の瞬間までメディアの前に姿を見せ続けることを宣言し、人々の注目を一身に集めるタレントであることを天職としてまっとうしようという、非常に芯の強い女性である。
・・・だが、彼女自身はまだ27歳。二人の幼い子供たちの母親でもある。あまりに酷な運命の仕打ちだ。

多文化共生ってなんだろう?

日本のバブル景気の時期に、パーキスターン、バーングラーデーシュその他の国々から大挙してやってくる労働者たちの姿があったが、その後の景気後退にともない多くの人々が帰国したり、この国を離れたりした。しかし日本で配偶者を見つけて定住した人たちは少なくないし、数は決して多くないが起業して運命を切り拓いた人たちもある。これらの人たちが日本で生まれた子供の親となったり、故郷から身内を呼び寄せたりするのはごく自然な流れだろう。
この時期に移民してきた人たちの子供たちは、すでにティーン・エイジャーになっており、あと数年もすれば社会に出て働くようになってくるのだろう。ふと気がつけば、今年成人式を迎えた人たちは、すでに平成の時代になってから生まれているのだ。昭和生まれの世代が旧人類扱いされるのもそう遠い将来ではないのかもしれない。
それを思えば、バブル時代の移民者たちで比較的早い時期に日本で配偶者を得た人たちの子供たちは、すでに中学生あるいは高校生くらいになっていてもおかしくない。多くは日本で普通の公立学校に通い、かつて私たちがそうしてきたのと同じような教育を受けて成長しているようだ。
出稼ぎで3Kと形容される仕事に従事する人たちだけではなく、景気が良かったバブル期には、『国際化』が標榜されていた頃でもあり、留学生や企業内転勤その他様々な形で来日するいろいろな国々の人々の姿があった。こうした人たちの中にもその後日本に定着したケースが多いことは言うに及ばない。
こうした人々が日本で定着してから母国の身内の人々、兄弟姉妹や、従兄弟その他の親戚が日本で大学あるいは大学院に進学するために面倒を見るというのはよくあることだ。そうして世話してもらったニューカマーの人々もまた、年月を経て同様に結婚して子供をもうけたり、他の身内の人々を何らかの形で呼び寄せたりといったことを経て、彼らのコミュニティが次第に拡大していくことになるのだろう。
そんなわけで、特に外国人が多く暮らす地域の小学校、中学校などでは、昔とは比較にならないくらい様々な顔立ちの生徒たちが教室で机を並べているようだ。
もちろんこうした外国にオリジンを持つ生徒たちの親の中には、特に父親の母国の方式の教育ないしは民族教育を受けさせたいと思う人は少なくないようだ。日系ブラジル人たちのように、日本での在留や就労が容易な人たちの場合は、家族を伴って来日するケースが多く、一定の年齢までブラジルで育った子供たちは言葉の問題もあることから、彼らの人口が多い地域ではブラジル人学校がいくつも設立されることとなった。

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BS1の『内偵員』

すでに放送が終わってしまった番組で恐縮だが、NHKのBS1で、本日午後8時から9時まで、『BS世界のドキュメンタリー 内偵員〜インド・人身売買との闘い〜』がオンエアーされていた。
NHKのウェブサイトの番組紹介にもあるように、ムンバイーの歓楽街で売春を強要されている少女たちを救うために取り組んでいるNGO,Rescue Fondationで内偵員としての任務に従事するスタッフの活動を追ったドキュメンタリー。
定期的に髪型を変え、必要に応じて変装して隠しカメラを持って売春宿に客を装って入る。あらかじめ情報を得ている少女本人と接触するなどして情報を得て、警察と協働して摘発に臨む様子を描いている。
Rescue FoundationのNewsletterのページをクリックすると表示される内容は、この番組で取り上げられていた。
この内偵員という仕事、もちろんアンダーグラウンドな世界の仕事に干渉することになるため、探りを入れる相手に身元が割れると命の危険があり、またその社会で面が割れてしまうと仕事にならないため、なかなか成り手が見つからず、慢性的な人手不足の状態にあるようだ。
この団体の代表者は、創設者であり、最初の代表者であった人物の妻。ご主人は、救出活動を行なった帰りに、乗用車が大破する事故に遭い亡くなっている。その背景にはマフィアの関与も取りざたされていたのだとか。その遺志をついでこの責につくことになったということだ。
またこの団体では、保護された後のリハビリや社会復帰を助ける施設も運営しており、ウェブサイトでは、そうした活動を紹介するギャラリーも設置されている。
内偵の様子や警察と協働での摘発・救出活動の映像については、よく日本の民放であるような『摘発 歌舞伎町24時』といった番組でも見かけるような構成であった。
よくわからないのは、この団体そのものの背景だ。専従のスタッフを抱えて施設もかなりしっかりしたものを持ち、相当な資金力があることを感じさせる。
売春させられている個々の女性の動向についても、近々他の店に移る予定であることを把握していたり、仕事がムンバイーからデリーに移ったことやそこで働いている店が特定できたりするなど、相当な情報網を持っているようだ。
しかも警察と合流して現場の摘発に参加しているようなので、単に被害女性の保護と更正のために市井の人が取り組んでいる運動というわけではないように思う。
たぶん、かなり政治的なコネクション、相当有力なパトロンあってこそのことではないかと思うのだが、そのあたりについて番組が踏み込んで取り上げているわけではない。
もちろん、それだからといって、彼らの活動の価値が否定されるわけではないし、賞賛されるべき取り組みであることは何ら変わりがないのだが、この活動のアウトラインを知るうえで重要なファクターなので、とても興味をおぼえずにはいられない。
現在のところNHKのウェブサイト、BS世界のドキュメンタリーには示されていないが、いつかこの番組が再放送される機会があるのではないかと思うので、ご関心のある方はぜひご覧いただきたい。

インドの西隣の核保有国にクーデター近し?

インドのテレビAaj Takを見ていたら『パーキスターンに再びクーデターの危機迫る』というテロップとともに、危機を伝えるニュースが流れてきた。
‘पाकिस्‍तान में फिर हो सकता है तख्‍तापलट’ (Aaj Tak)
緑豊かでのどかな風景の広がるスワート地方で、仏蹟等の見どころも多く、風光明媚な上部スワートとともに、観光地としても名高いエリアであったが、2007年に始まったタリバーンによる武装闘争のはじまりとともに、物騒な地域として知られるようになってしまっている。
そのスワートで、今年2月にこの過激派勢力による彼らのイスラーム法による支配を認める政府当局の決定を憂慮する内外のメディアによる報道は記憶に新しいところだ。
Pakistan agrees Sharia law deal (BBC NEWS South Asia)
Aaj Takのテレビ報道によれば、当事者能力を欠く政府の元にあるパーキスターンで再びクーデターの動きが予想されるとのこと。続いて先日バーングラーデーシュ首都で発生した国境警備隊の反乱についても、パーキスターンのISIの関与の可能性を示唆するニュースも流れており、ちょっと背筋が寒くなる思いがする。
もちろんパーキスターンと対立関係にある隣国のメディアによる報道であること、とりわけ昨年11月26日にムンバイーで発生した大規模なテロ以降、同国に対する囲い込みの姿勢を強めているインド発のパーキスターン国内情勢に関するニュースである部分はある程度差し引いてとらえる必要はあるかもしれない。
しかしながら、インドの隣国の政局の混迷ぶりを目にすれば、誰もが多少なりとも懸念しているところではないだろうか。
同国内の不穏な動き自体もさることながら、こうした状況を横目に第三国による大掛かりな陰謀が着々と進められているのかもしれないし、こうした報道の裏側にはそれを現実のものとしようという意思が蠢いているのかもしれない。
これが杞憂であればそれに越したことはないのだが、テレビから流れるニュースを見つめながらいろいろと思うところの多い本日の夕方であった。
とりあえずは、国はどこであれ、世の中が平安であること、無辜の市民たちに犠牲を強いるようなことが起きないことをを祈るのみである。

香港飯店

華人の影が非常に薄いインドにあって、その人口が集中しているのはご存知のとおりコールカーター。
その中でも彼らの姿が多く見られるエリアといえば、市の東部にある主に皮なめし産業と比較的規模の大きな中華料理店が多いことで知られるテーングラー地区、今はその名残をとどめるに過ぎないが往時はチャイナタウンとして栄えたラール・バーザール界隈、チッタランジャン・アヴェニューなどが挙げられるが、ニューマーケット界隈から消防署を経てパーク・ストリートへと走るフリー・スクール・ストリートもそうした華人たちがかなり多い場所のひとつである。
彼らが経営する男女入口が別々となっている理髪店兼美容室、堅牢そうな履物を多数そろえた靴屋の店先に中華系とおぼしき店主らしい人物の姿が見える。ここ数年来、私がコールカーターに来るたびによく通っている中華料理屋『香港飯店』もその界隈にある。英文では『Hong Kong Chinese Restaurant』と書かれたその店は、コールカーターで生まれ育った鐘さんという客家人兄弟が経営している。
地元ベンガル料理を含めて、インド各地のおいしい料理が味わえる、大都会コールカーターに来てまで中華料理?という気がしないでもないのだが、中華だってこの街の立派な名物料理のひとつといえる。豚肉がまず見当たらない、野菜をやたらと細く刻んである、やたらとグレービーであるなどといった具合に、インド化された部分はあるとはいえ、他の地域で食すインド中華に比べて格段に美味であることが多いと私は感じる。やはり餅屋は餅屋、中華料理は華人あってこそのご馳走だ。
立派な中華レストランが立ち並ぶテーングラーを含めて、市内各所で目に付いた華人経営らしきところで食事してみたが、鐘さんのこじんまりした食堂は高級店と比べても決して引けをとらない味をエコノミーな値段で実現している。特に魚料理がお勧めである。客席のすぐ脇の厨房から聞こえてくる調理の音も臨場感があっていい。
鐘さん兄弟の弟さんのほうとよく話をするだが、これまでこの方にはコールカーターの華人コミュニティや彼らゆかりの場所などについて、多くの貴重な情報や示唆をいただいていきた。
鐘さんの一日は、まず朝6時すぎにマーケットに行き、野菜・肉・魚等の食材を購入。8時すぎには店のドアが開き、フロアーを掃き清めている。同時に厨房では仕込みの作業等が始まっている。9時くらいになれば、もうほとんどスタンバイ状態だ。そして夜は10時すぎの閉店時間までずっと店を切り盛りしている。基本的に年中無休で、休みといえば旧暦の新年の際にほんの数日店を閉めるくらいだとか。
営業中、彼は出納台のところに詰めているとともに、込み合う時間帯や雇っている料理人が休みの日には自ら厨房にも立つ。『買い物、掃除、接客、調理、会計その他諸々、なんでもするよ』『10の仕事を10人で分け合うのが×××人だとすれば、私ら中国人はその全部を一人でこなすのさ。日本人と同じだろ?』という現在50歳の彼は、若い頃に親戚のツテで中国で学んだこともあるのだとか。
最近、コールカーターに投資や仕事関係で大陸からやってくる中国人もけっこうあるそうだ。そうした人たちがしばしば彼の食堂に立ち寄るとのことで、私もそうした人物の姿を見かけた。彼らとってインドで数少ない中国語が通じる店であることもさることながら、ここの料理の味自体もなかなか好評のようだ。
場所は、さきほどのフリー・スクール・ストリートをパークストリートとの交差点方面へと下り、消防署を左手に見て少し進んだところで道路右側にある。
バックパッカーたちをはじめとする各国からの旅行者たち向けの宿が集中するサダル・ストリートからすぐそばなので、このあたりに来ることがあれば、『おいしい中華料理』のために立ち寄ってみてはいかがだろう。