マスコミ人来たれ!

 東京都内の路上でのこと、手にした地図とにらめっこしては周囲をキョロキョロ見渡している外国人の姿があった。「何かお探しで?」と声をかけてみれば、こちらは土地っ子なのでたちどころに彼の問題は解決。
 風貌から南アジアの人かと見当はついたが、やはりインド人。しばらく立ち話をして名刺をもらったが、ある大手週刊誌記者であった。日本でIT関係の取材をしにきたのだという。
 まさにIT業界を中心にインド人のプレゼンスが目立つ21世紀の日本。やってくるのはそうした職場で働く技術者やその家族たちだけではない。コミュニティの規模が大きくなればこれらの人々の生活のニーズを満たすため食品や日用品その他を流通させたり、テレビ番組や映画ソフトなどのエンターテイメントを供給したりする業者も増えてくる。インド人による日本でのビジネスがそれなりに育ってくれば、それを取り上げるメディアも出てくるのだろう。
 インドのマスコミで、外国の通信社配信の日本関係記事が取り上げられることは少なくない一方、インド人ジャーナリスト自身による日本取材記事はとても少ない。広く世間にモノを言うことを生業とする人たちが積極的に日本の姿をカヴァーしてくれるのはありがたいことだ。日本に縁のない人、来る機会のない大多数の人々を含め膨大な読者たちを対象に全インド規模で「日本体験」を広めることができるのは彼らをおいて他にない。こうした動きは日印間の距離を確実に縮めていくことだろう。

世界一の大仏プロジェクト

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 カルナータカ州都バンガロールからマイソール方面へ50キロほど進んだラーマナガラムで計画されている「世界最大の仏像」の製作計画に対する環境保護団体等の反発が世間の耳目を集めるようになっている。
 インディア・トゥデイ6月6日号に写真入りで記事が掲載されているのを見た。どこか記憶の片隅にある風景だと思えば、昔の記録的大ヒット映画SHOLAYの舞台であった。取り巻き連中と馬に乗って地域を荒らしまわる大盗賊ガッバル・スィンと若き日のアミターブ・バッチャンとダルメンドラが扮する主役が対峙するインド版西部劇みたいな舞台にまさにぴったり、巨岩ゴロゴロの大地にサボテンならぬ潅木がチョボチョボ生えている広大な景色だ。
 予定されている大仏とは、そのロケーションといい規模といい2001年3月に当時のタリバーン政権により爆破されたアフガニスタンのバーミヤンの石仏を彷彿させるものらしい。こちらは大きなものが高さ55メートルだが、ラーマナガラムで予定されているものは何と217メートルという途方もなく大きなものだ。
 サンガミトラ・ファウンデーションによる「プロジェクト・ブッダ」と呼ばれるこの事業にかかる費用は3億ルピー、500名の彫刻師と2000名におよぶ土木作業員が動員されるという。中央政府の環境・森林省およびカルナータカ州政府の認可を得ているということだが、今後しばらく紆余曲折が続くことになるのだろうか。
 断崖に石仏を彫り出すだけではなく、広報、教育、啓蒙、医療、福祉、観光、商業活動といった様々な活動の拠点となる施設の建設が予定されているという。荒地を耕す以外にこれといって何もない土地に新しい事業が誘致されるということは、地元の活性化や雇用機会の拡大等々、非常に好ましく思えるのだが。表面上は事業主体である同ファウンデーション対複数の環境団体の対立という形をとっているものの、背景には大きな政治勢力の駆け引きがあるのだろう。
 ともあれ大きなものを見物するのは大好きだ。建造にかかる費用以上に価値のあるものになるはずもないが、完成した暁には高さ200メートル超の大仏を眺めにぜひ出かけてみようと思う。さぞ迫力のある眺めに違いない。
Greens see red over Buddha statue project (The Hindu)

アメリカに渡ったボース

 日本でも「ボーズ」あるいは「ボウズ」として広く知られるアメリカ企業BOSE 。
 私たちがよく目にするスピーカー以外にも主に音響分野で製品開発等をおこなっているが、民生用以外にも宇宙開発や軍事用にもさまざまな技術を提供する頭脳集団でもある。
 創立者のアマル・ゴーパール・ボースの父親、ナニー・ゴーパール・ボースは当時インドの独立の志士であったがゆえに、イギリス当局の追及から逃れるために故郷カルカッタを離れなくてはならなかった。そして向かった先はアメリカ。
 フィラデルフィアで生まれたアマルはやがてマサチューセッツ工科大で博士号を取得した後、同大学の教授となる。そして彼は1964年にBOSE CORPORATIONを設立した。その後この会社はおおいに発展して現在にいたっている。
 優秀な科学者にして経営者でもあったアマル・ゴーパール・ボース氏は、なんと2000年に引退するまで同大学の電子工学の教授を続けていたというからおそれいる。
 アメリカ資本ながらも創立者の出自でインドと縁があるBOSE社。本来は「ボース」のはずが独自の読み方が定着しまっているものの、我々にとって身近なNRI系の会社でもある。

にぎやかな街 2

 このあたりは新宿の繁華街で働く人たちの「ベッドタウン」としての側面もある。また昔から中国系や韓国系を中心とした外国の人々も多く住んでいたようだ。  
 しかしバブル以降、以前からこの地域に生活するそれらの二世、三世たちに加えて自ら本国からやってきた移民第一世代の人口が爆発的に増えており、その流入は今も続いている。
 こうして同胞の数が膨らむとともに、土地とのかかわりを持たず地元社会に貢献することがなくても、地元の人々にはよく見えない××人空間、××コミュニティの中ですべてが事足りてしまうようになる。
 その結果、日本人社会から乖離した外国人空間がそれぞれのコミュニティに枝分かれすることになる。相互の接点はあまり(ほとんど)ない。異なる人々が融け合うことなく、また結合することもなく、たまたまそこに「集住」しているサラダボウルのような感じだ。
 そんな根無し草的な日常の中で、癒しを求める人たちも少なくないのだろう。界隈での宗教活動はなかなか盛んらしい。前述のイスラーム教徒の礼拝室はもちろん、外国系信者を多く抱える教会は多いし、ビルの地下に「××寺」を名乗る韓国の仏教系団体が活動拠点を構えていたりもする。「悪霊払いをします」ということだが、いったいどんなことをしてくれるのだろう?
 前置きが非常に長くなってしまったが、インドの大都会にも(インドに限らず多民族ではどこもそうだが)こういうところがあると思う。中国人やタイ人がいるというのではない。土地にルーツを持たない人が多いこと、おなじ地域を行き来していても相互に接点のない異次元コミュニティ空間があり、違った生活習慣や信条を持つ人々が集住しているといった点だ。
 デリーを例にとってみれば、インドで90年代から続く好景気の中で、首都圏人口が10年あまりで約四割増加したという。近郊のノイダ等を含めた工業化の進展、商業活動が盛んになったことにより、他地域から大規模な人口の流入が続いているためである。
 年々デリーの治安が悪くなっていることを懸念する声は多い。(だからといってデリーが危険な街だと言うつもりは毛頭ないが)確かにマスメディアでも犯罪率の高い増加傾向についてしばしば報じられている。
 また市内の主要な住宅地で鉄製のゲートにより夜間の出入りを遮断するところが増えている。変な時間だとわざわざ遠回りをする必要があったり、明るいうちに見つけておいた柵の破れ目みたいなところから出入りしないといけないなどということも珍しくない。昔はそんなことはあまりなかったはずだが。
 デリーにしてもムンバイにしても、昔からそこに暮らしている人たちに加えて近隣地域、そして国内にあっても言葉さえうまく通じない地方からやってきた者まで、実に多くの人たちが暮らしている。生活文化や価値観も異なる人々が重層的に集住する都会の良いところは互いに干渉されることなく、自分たちのやり方で日々過ごしていくことができることだ。しかし匿名性の高い社会だからこそ犯罪者やテロリストにとっても居場所を見つけるのはそう難しくないはずだ。
 単調な田舎の地域社会(その中でいろいろあるにしても)と違い、都会では何年暮らしていても、個人的な接点がなければ自室の壁一枚向こうで生活している人が何者なのか見当もつかないのが当たり前なのだから。
 大きな街の猥雑さと騒々しさは異なるコミュニティが軋みあう不協和音なのかもしれないが、その多様性こそが生み出す活気やパワーが周囲へ及ぼす影響もまた大きい。国こそ違えど、にぎやかな街に共通する匂いがあるようだ。
<完>

にぎやかな街 1

 繁華街の裏手、四方を高い金網フェンスで囲まれているのは少々気になるものの、昼間は人々が出入りする普通の公園、夜になると園内は煌々と照らされるが入口の扉が閉ざされ入ることができなくなってしまう。公園に隣接した無人の小屋に付いた赤色灯が回り続け、遠目にはポリスボックスがあるか、パトカーが停車しているかのように見える。
 周囲の家々は高い塀に囲まれているため庭の様子さえうかがい知れず、シャッターで密封された車庫の中、クルマの有無さえ外からわからない。通りから見える窓には鉄格子がはまっている。
 ある朝、開店直前のドラッグストアーに押し入った何者かに店長が刺された。付近にあるコンビニエンスストアーは、「定期的に」強盗の被害に遭っている。
 近ごろは見かけなくなったが、ひところはパッと見てそれとわかる娼婦たちが日没あたりから出てきては客を引いていた。そんな彼女たちの用心棒、電柱にもたれたくわえタバコの体格の良い男たちが、それとなく周囲の様子に気を配っていたものだ。
 これらはどこか外国の街の話ではなく、東京都新宿区大久保界隈のことである。少々物騒で不健康なイメージがないでもないが、なかなかカラフルで面白い街でもある。時間帯や場所にもよっては通りを歩いていてすれ違う人々の半分くらいが外国人と思われることもある。
 実にさまざまな人々が出入りするだけに味覚のバリエーションは広い。ごくありふれた中華料理屋もあれば、「中国吉林省延辺朝鮮族自治区料理」をうたった店もある。独自の香味料を効かせた羊肉の串焼きはなかなか美味だ。
 ときどき看板を「シンガポール料理」「マレーシア料理」「台湾料理」「タイ料理」とかけ替えるところもある。新しい店ができたな、と多少期待して足を踏み入れてみると何のことはない、以前の店員が迎えてくれる。確かにメニュー構成は多少違っているものの、これまでどおりの「華人料理」が主体なのである。
 また「タイのイスラーム料理」専門店があるのもこの界隈ならではだ。
 食品、日用雑貨、新聞に雑誌といろんな品物を手広く扱う東南アジアスーパー(?)に入荷した大きなドリアンが芳香をあたりに漂わせるようになると新緑の時期。縛り上げられた上海ガニが中国食材店で売られるころ、また韓国の秋夕(日本の中秋の名月)用の自家製菓子が韓国雑貨屋の軒先に並ぶようになれば秋を思うといった季節感もある。
 雑居ビル内のミャンマー人ムスリムが経営するハラールフード屋には南アジア食材も揃っているため、客にはインド人の姿も多い。だがちょっと耳を澄ませていると、話す言葉からインド系ミャンマー人とわかることがよくある。近所にはケララ州出身のインド人による同じような店もあり、こちらでは国際電話のプリペイドカードの品揃えが充実している。通話する方面によって様々な料金やタイプが用意されているのだが、インドを含めた南アジアの人々には良好な通話品質とエコノミーな価格から、ZAMZAMカードが人気らしい。他にもいろいろこの類はあるが、しばしば額面よりかなり安く販売されていたりする。
 このあたりにはビルの一室を借りたイスラーム教徒の礼拝所がある。
 さまざまな人々がゴチャ混ぜに行き交っているのだが、ほんの目と鼻の先で暮らしていてもまったく接点がないのがこの街の特徴だ。
 昨今の韓流ブームに便乗した韓国ドラマ関係のグッズを売る店、異国としてのタイやミャンマーの味を楽しませる料理屋等々、日本人を主な顧客とするものも少なくないが、ほとんど同じコミュニティ(国、民族、宗教)の同胞相手に商う店がとても多い。それらは自国語のみで書かれた(申し訳程度に小さく書かれた日本語も付け加えられていることもある)看板などからわかる。 
 通りを歩いていると、そうした食堂、美容室、雑貨屋、不動産屋等々、様々なものが目に入ってくる。この地域あるいは首都圏に在住する同胞たちの人口が大きければ、そのコミュニティ内で充分商売が成り立つのだ。
 生活や活動の場は重なっているものの、相互に接点を持たない異次元空間が広がっているかのように見えるのがこの大久保周辺だ。
<続く>