亡命者と母国

チベット亡命政府こと中央チベット行政府(Central Tibetan Administration 略称CTA)は、インドのヒマーチャル・プラデーシュ州のダラムサラを本拠地とする。CTAのウェブサイトは、チベット語、英語のほかに中国語、スペイン語、ドイツ語、アラビア語、ロシア語そして日本語でも読むことができる。
国家元首であるダライラマ14世のもとに、立法機関としての亡命チベット代表者議会、行政府としての内閣、司法機関として最高司法委員会がある。また文部省、財務省、内務省、厚生省、情報・国際関係省、宗教・文化省、公安省といった『省庁』それぞれに担当大臣がいる。またチベットにとって重要ないくつかの国々には、同亡命政府の大使館に相当する海外出先機関として代表部事務所が置かれている。日本もそのなかのひとつで、東京の新宿にダライラマ法王日本代表部事務所がある。

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総体としてしっかり

ムンバイーを本拠地として一定の影響力を持つシヴセーナー。地元マハーラーシュトラの民族主義を基とするヒンドゥー右翼政党だ。彼らの『ヴァレンタインデイ攻撃』については、よく外国のメディアにも取り上げられるところである。ヴァレンタインのギフトを売る店を襲撃したり、『西洋的な退廃の浸透だ』などと大げさなアピールをワアワア繰り広げたりする。
数年前、ムンバイーで彼らがBJPとともに実行した『ムンバイー・バンド』を目の当たりにする機会があったが、前日に地元に暮らすU.P.州出身の運転手から『セーナー(シヴセーナー)のバンドは本当に怖いよ』と聞いていたのだが、実際あまりに暴力的かつ脅迫的なリーダーシップ(?)と、徹底した実力行使ぶりには背筋が寒くなる思いがした。
ちょうどその時期、党の創設者であり最高指導者であったバール・タークレーが表舞台から退き、実権を息子のウッダヴに譲り移した時期だった。これまで長きにわたり強い指導力を発揮してきたカリスマが退くことにより、求心力が低下するのでは?という声を払拭するために、このときに起きたムンバイー市内でのバス爆破事件への抗議活動としてのバンドを実行するのは、都合が良かったのだろう。あまりに極端で過激な劇場型政治である。
やはり代替わりの時期ともなると、新体制やその中での個々のリーダーたちの位置づけや序列などをめぐり様々な摩擦や衝突がある。翌々年のこの時期には、かつてシヴセーナーとBJPが連立した州政府首相まで務めたことがある大物政治家、ナラヤン・ラーネーが党を脱退してコングレスに加入して世間を騒がせたし、それまでウッダヴとともにシヴセーナー新世代の顔として、大親分のバール・タークレーの直近下位にあったラージ・タークレーも党を離れることになった。ラージは、先述のウッダヴのいとこであり、バール・タークレーの甥だ。

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悪玉センセイ

投降した女盗賊、プーラン・デーヴィーの彼女の半生を描いた映画『Bandit Queen』が制作されたのは1994年。その2年後に社会党から立候補して国会議員に選出され、これまた話題を呼んだ。2001年にニューデリーで殺害されるまで、『元犯罪者』の議員として何かと世間の耳目を集める人物であった。
はなはだ残念なことではあるが、インドの政治家の中には犯罪にまつわるさまざまな疑惑を抱える者(政敵に「まんまとハメられて」罪に問われるケースだってあり得るだろうが)『現役の犯罪者』は少なくないし、在任中に有罪判決を受けて服役する例も決して珍しいことではない。
目下、鉄道大臣として手腕を発揮しているRJDのラールー・プラサード・ヤーダヴにしてみても、元映画女優にしてAIADMK党首でもあるジャヤーラリターにしてもみても、これまで汚職その他のスキャンダルには事欠かなかった。清濁併せ呑む度量の大きさは、大国をまとめる大衆政治家の器の証としては言いすぎだろうか。
前者については、昨年だったか彼の大学生の娘のボーイフレンドが死亡した状況が不審であったということで、ひょっとして?という憶測が飛んだりもした。娘と付き合っている男性(大学の同級生)が一緒のキャンパスの友人カップルたちとピクニックに出かけた先の渓谷で急死し、川の中から遺体が発見されたというものである。死亡時の目撃者はいない。
ラールー・プラサード・ヤーダヴ率いるRJDの元RJD党員にして国会議員でもあったパップー・ヤーダヴは、対立する人物を殺害したかどで終身刑の判決を受けた。
コングレス、BSP、BJPと所属政党をいくつも変えてきたアマルマニ・トリパーティーは、元U.P.州政府大臣を務めたこともある有力政治家だが、やはり脅迫・殺人その他の大きな疑惑を抱えてきたが、2003年には不倫相手の女性を手下に殺害させたことにより。夫婦そろって終身刑に。
JMM党首で、元ジャールカンド州首相シーブー・ソーレーン。以前秘書として雇っていた男性を殺害して終身刑を受けるも、その後証拠不充分で釈放となった。あるいは明らかにヤバい人物、あるいは限りなくクロに近いグレーな人物が政治家であったり、しかもかなり高い地位を占めていたりする。

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The Great Khaliに仰天

The Great Khali
テレビ画面に流れているZEE NEWSをボンヤリ眺めていたら、すごいコワモテの巨漢が登場していた。筋骨たくましく、見るからにタダ者ではない。なんでもアメリカのWWE所属で、グレート・カーリーというリングネームで活躍するインド人、ダリープ・スィン・ラーナーという人物なのだそうだ。背丈はなんと、2メートル20センチもある。
残念なことに、私はプロレスのことはまったくといってよいほど知らず、彼がどういう活躍をしているのか見当もつかなかったが、Youtubeを検索してみると彼の試合の映像がいくつも引っかかってくる。その中のひとつにこういうものがあった。なんだかものすごい迫力である。The Great Khali’s Fan Siteというサイトもあるくらいだから、かなりの人気者なのだろう。
ちなみに日本との間にもなかなか深い縁があり、新日本プロレスに短い期間在籍していたらしいから、プロレスファンの方々はよくごご存知かもしれない。
リングでは荒々しい彼が、里帰りすると信仰心厚い青年となるのだとかで、お寺で坊さんにひざまづいていたり、人々と一緒にバジャンを歌っていたりする様子などがニュースで流れていた。彼の家族はパンジャービーで、現在ヒマーチャル・プラデーシュに在住。
プロレスラーとしてのみならず、なんと俳優としてのキャリアも築いている。2005年のアメリカ映画『The Longest Yard』に出演し、今年2008年公開予定のGet Smartにも登場する。
ふさわしい役どころがあるのかわからないが、いまにボリウッドから声がかかることはないだろうか?風貌も体型もヴジュアリスティックで、映画向きではないだろうか。個人的には、インドに里帰りして筋肉アクション系スターとしての活躍を大いに期待したいと思う。軽く2メートルを超える身長だと、あまりにスケールが大きすぎてスクリーンからはみ出してしまうかもしれないのだが。

聖地

墓廟
パーキスターンのスィンド州ラルカーナー郊外のガリー・クダー・バクシュ村にあるブットー家の墓。墓というよりもまさに廟なのである。先月27日に暗殺されたベーナズィール・ブットーが10月に帰国して墓参した際、またそのわずかふた月あまり後に彼女自身の葬儀が行なわれたときにも、テレビや雑誌などに取り上げられていたが、
ブログ『Farzana Naina』にその写真が数点掲示されている。
水際に臨む好ロケーション、一件古風な建築ながらも細部のデザイン等が省略されているように見えるのは、現代的にアレンジされたものなのか、それともまだ造営途中であるのか。私たちが生きる今の時代に造られた墓廟としては、極めて例外的に壮大なものだ。ブットー家の財力と集金力、そして支持基盤の強固さを感じさせられるとともに、この『大衆政治家』父娘の封建的かつ権威主義的な面をも示しているようだ。廟内にはベーナズィールの父、ズルフィカール・アリー・ブットーの墓が安置されていたが、これに暗殺された娘のものが加えられる。
いつか機会を得て、ぜひこの墓廟を見学してみたいと思う。しかしそこに葬られているのが、今となっては歴史の本の中の記述のみに存在する歴史の彼方の人物ではなく、直に会ったことはなくても、これまで各種メディアで盛んに取り上げられてきた故人の力強く色鮮やかな記憶がまだ生々しいだけに、大きな墓廟の凛としたそのたたずまいから深い悲哀が感じられるようだ。
非業の死を遂げた父ズルフィカールとともに、まだまだ多くのことをやり残したベーナズィールの悔恨や怨嗟の想いが凝縮されたこの建築を目にして、ブットー家ないしはPPPを支持する人たちは、その遺志を継ぐ決意を新たにするのだろう。精神と肉体が消滅し、次第に人々の中から故人の人格や行いといった日常的な部分についての記憶が薄れていくものだ。しかし非人間的な大きさの廟に祀られ、当人たちの表情、感情や体温を感じさせないシンボルと化し、輝かしい業績や政治スタンスのエッセンスのみが昇華されて人々の心に刻まれるようになる。
政治家としてのブットー父娘について、さまざまな意見があるところだが、カリスマ性、魅力と話題に富んだ政治家であったことは誰も否定しないだろう。党の『終身総裁』の観があり、大看板でもあったベーナズィールを失うという大きな痛手を負ったPPPだが、彼女がここに葬られることにより、墓廟は支持者たちにとって『聖地』としての資質をさらに高めることになったに違いない。
ちなみに墓廟とラルカーナーとの大まかな位置関係は以下のとおりである。
ブットー家墓廟位置