亡命者と母国

チベット亡命政府こと中央チベット行政府(Central Tibetan Administration 略称CTA)は、インドのヒマーチャル・プラデーシュ州のダラムサラを本拠地とする。CTAのウェブサイトは、チベット語、英語のほかに中国語、スペイン語、ドイツ語、アラビア語、ロシア語そして日本語でも読むことができる。
国家元首であるダライラマ14世のもとに、立法機関としての亡命チベット代表者議会、行政府としての内閣、司法機関として最高司法委員会がある。また文部省、財務省、内務省、厚生省、情報・国際関係省、宗教・文化省、公安省といった『省庁』それぞれに担当大臣がいる。またチベットにとって重要ないくつかの国々には、同亡命政府の大使館に相当する海外出先機関として代表部事務所が置かれている。日本もそのなかのひとつで、東京の新宿にダライラマ法王日本代表部事務所がある。


1950年の中国人民解放軍によるチベット侵攻と実効支配の開始、それに対して1956年に始まった地元チベットの人々の蜂起によるチベット動乱の中、1959年にダライラマがラサを脱出してインドに亡命。当時のチベット政府関係者、僧侶、一般市民などもインドその他の国に逃れた。ちょうどこの時期、ともに第三世界の盟主的な存在であったインド・中国両国が領土問題から武力衝突を起こした中印紛争の時期と重なる。
亡命チベット人社会の核となるダラムサラの他、インド各地の都市部、ヒルステーション、仏教ゆかりの地その他にチベット人たちの定住コミュニティが散在している。1979年以前にインドに到着した難民たちは、比較的楽にインドにおける居住許可が与えられている。居住許可は毎年更新しなくてはならないが、更新できる回数に制限はない。その後もチベットから避難する人々の流れは細々と続いているものの、かなり苦労することになっているようだ。外国に旅行する際には、パスポートがないかわりに、インド内務省発行で2年間有効の身元証明書を利用することになるが、出国に際しては本人が居住する州当局への照会の後に発行される再入国許可を得なくてはならない。
多くは決して豊かとはいえないものの、経済的にはそれなりに充足した暮らしをしている人が比較的多いようだ。亡命政府関係者や宗教関係者たちを除き、人々はチベット人コミュニティ内外で、小さな商店、レストラン経営者や従業員、路上や市場等での物品販売などといった商業活動で収入を得ている。
犯罪分子等による突発的な事案等を除き、チベット人居住者とインド人の関係は概ね良好である。またインド政府もチベット人たちに対して居住許可を盾にした理不尽な要求も少なくとも表向きはほとんどないようだ。チベット難民たちは、インドで就労したり、土地等の財産を所有したりするのは自由。ただしインド国籍を持っているわけではないので、政治参加したりすることはできない。た金額や規模などごく限られたものであるとはいえ、配給や公的医療援助など、インド市民が受けられる福利厚生の対象ともなっている。法的にはインド人との結婚は可能だが、そういう事例はごく少ないようだ。
国際的にも中国内部でも、チベットは自国の不可分の領土であることの既成事実化がほぼ完成してしまって久しい。インドにしてみても、近年の中国との関係改善から、彼らを受け入れ始めたときの大義はもちろん、外交上のカードとして利用できるポテンシャルも大きく低下し、現在ではかえって独自の対中外交を展開していくうえでのさまたげとなりえる。インドにおけるチベット人たちを取り巻く環境は確実に変化している。
在印のチベット人自身についても同様だ。ダライラマのインド亡命から半世紀近くが経過した。この時期に大量にインドに流入してきた第一世代の人々は高齢化し、すでにコミュニティを担うのはインド生まれの次世代の人々だ。仮住まいであったはずの『亡命先』だが、すでにここが故郷になってしまい、『祖国チベット』の土さえも踏んだことがない人々がマジョリティを占めている。彼らはこれまでインドで暮してきたように、大半の人々は今後もずっとここで家庭を築いて生涯を過ごすのだろう。その次の世代も、またその次の世代も。
今年7月に73歳の誕生日を迎えるダライラマ。まだまだ元気で精力的に活動を続けているが、彼も人間である限り未来永劫に生き続けることはできない。偉大な指導者の比類なきリーダーシップのもとにまとまるチベット人社会だが、ダライラマ後について内部的には求心力、対外的にはどうやって世間の関心を引き続けることができるかという不安は大きい。
ダライラマという存在の位置づけも危ういものを含んでいる。政治指導者である以前にチベット仏教界において、法王という立場の宗教指導者である。現在のダライラマ健在なうちには、聖俗両面をまとめ上げる絶大な力を発揮するものの、やがて『転生』する際にはどういう運びになっていくのだろうか。このあたりで中国側と亡命政府側で陰に日向にさまざまな綱引きが展開されていくことになることだろう。加えて新たに『発見される』ことになる次代のダライラマの幼少時代はもちろん、長じてからも現在のダライラマのように動乱の時代を生き抜いて鍛えられた智慧と卓越したリーダーシップを期待するのは酷というものだ。
ダライラマ後の亡命チベット人社会は、実質的な集団指導体制へと移行していくことになるのだろう。彼らに対するインド政府のスタンスはもちろんのこと、定住した亡命者たちにとって、インドが事実上の『母国』となっていることと合わせて、今後の亡命チベット人社会について注目していきたいところである。
India stops Tibet protest march (BBC NEWS South Asia)

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