総体としてしっかり

ムンバイーを本拠地として一定の影響力を持つシヴセーナー。地元マハーラーシュトラの民族主義を基とするヒンドゥー右翼政党だ。彼らの『ヴァレンタインデイ攻撃』については、よく外国のメディアにも取り上げられるところである。ヴァレンタインのギフトを売る店を襲撃したり、『西洋的な退廃の浸透だ』などと大げさなアピールをワアワア繰り広げたりする。
数年前、ムンバイーで彼らがBJPとともに実行した『ムンバイー・バンド』を目の当たりにする機会があったが、前日に地元に暮らすU.P.州出身の運転手から『セーナー(シヴセーナー)のバンドは本当に怖いよ』と聞いていたのだが、実際あまりに暴力的かつ脅迫的なリーダーシップ(?)と、徹底した実力行使ぶりには背筋が寒くなる思いがした。
ちょうどその時期、党の創設者であり最高指導者であったバール・タークレーが表舞台から退き、実権を息子のウッダヴに譲り移した時期だった。これまで長きにわたり強い指導力を発揮してきたカリスマが退くことにより、求心力が低下するのでは?という声を払拭するために、このときに起きたムンバイー市内でのバス爆破事件への抗議活動としてのバンドを実行するのは、都合が良かったのだろう。あまりに極端で過激な劇場型政治である。
やはり代替わりの時期ともなると、新体制やその中での個々のリーダーたちの位置づけや序列などをめぐり様々な摩擦や衝突がある。翌々年のこの時期には、かつてシヴセーナーとBJPが連立した州政府首相まで務めたことがある大物政治家、ナラヤン・ラーネーが党を脱退してコングレスに加入して世間を騒がせたし、それまでウッダヴとともにシヴセーナー新世代の顔として、大親分のバール・タークレーの直近下位にあったラージ・タークレーも党を離れることになった。ラージは、先述のウッダヴのいとこであり、バール・タークレーの甥だ。


宗教マイノリティ、ことさらムスリムに敵対する態度はもとより、同じヒンドゥーであっても、初期は南インドからの移民たちを攻撃し、次いで隣接するグジャラートの人々やラージャスターンからのマールワーリーを排除する姿勢を示してきた。そして近年はムンバイーに来ている出稼ぎ者の多いビハールの人々に対しては、『我々の仕事を奪っている』とターゲットにしてきた。様々な人々が暮らす地域で『俺たち』『奴ら』を線引きして区別し、敵対勢力と位置づける後者を切り捨てる代わりに前者を利して結束を固めて支持を得ようという、典型的なアイデンティティ・ポリティクスを実行してきた団体だ。
他州からの移民に排除的な姿勢を見せる地域の民族主義政党とはいえ、マハーラーシュトラ州内限定で活動する団体というわけでもなく、宗教右翼政党として各地に拠点を持っており、北インド各地でもしばしば例の咆哮するトラのトレードマークをあしらった支部を見かける。2006年7月には、デヘラードゥーンで、『ラージダーニー・バンド』を成功させ、ウッタラーンチャル州都ほぼ全域が日中一杯『死んだ』状態となった。
当初、地元ではこの地域のおけるシヴセーナーの実行力を軽視する空気があったらしいが、活動家たちは手始めに早朝バススタンドを襲撃し、続いて早い時間帯から市街地のビジネス地区で派手に暴れるなどといった強烈な先制パンチが恐怖を呼び、結果として、夕方までという期限付きながらも呑気に街を歩くのは牛や犬だけというゴーストタウンが出現したのだ。なお彼らの影響力は国外にも及んでおり、ネパールにはネパール・シヴセーナーという関連団体がある。
話はシヴセーナーの代替わりのところに戻る。新時代を迎えての党内のパワーゲームの結果、外に飛び出ることになったラージは、シヴセーナー時代の仲間や手下たちを連れてマハーラーシュトラ・ナウニルマーン・セーナー(MNS)を組織した。マラーター民族主義&ヒンドゥー至上主義という看板では、既存政党で州レベルでは政権与党の経験まであるシヴセーナーに比べて何ら新しいものはなく、これまでの支持層にアピールするものもない。
そのためMNSが打ち出してきたのは、ヒンドゥーのカラーを取り除いての『世俗』つまり宗教色なしでのマラーター民族主義というものであった。ラージは自らの『今のシヴセーナーは手ぬるい』という批判とともに、『我こそがバール・タークレーの正当な後継者である』と宣言し、シヴセーナーの支持者を削り取ることを狙っている。偏狭な地域民族主義ながらも、『世俗』というポーズのもとに、ムスリムやダリットといった層に加えて、これまで中道および左翼勢力の支持基盤の中からマラーター主義に共感する『地元民』を取り崩して自分たちのところに囲い込みたいという思いがあったのだろう。
BJPのL.K. アードヴァーニーがラージの言動について『違憲だ。そしてこの国の伝統と相容れないものだ』と発言し、RSS最高指導者のK. S. スダルシャンも『ラージは調和と秩序を破壊しようとしている』と非難の声を上げるなど、政治家としてのラージ・タークレーの出身母体のシヴ・セーナーと友好関係にあった勢力とも袂を分かつ覚悟はできているようだ。自身の政治生命を賭けて、なんとか居場所を探し求めているのだろう。事実、新しい政党を立ち上げてみたものの、今までのところ『鳴かず飛ばず』といった状態が続いていたようだ。
最近のラージ・タークレー関係ニュースのリンク先をまとめた『Raj Thackeray News』 というサイトがあり、近ごろの彼のお騒がせぶりを垣間見ることができる。北東地域やカシミールといった周辺地域では分離活動が頻発しているとはいえ、私たちがインドの『多様性の中の統一』というおおむね安定したありさまから学ぶべきことは多いだろう。しかしながらその心臓部にあたるマジョリティの中でも、その『多様性』に挑みかかる動きがあり、それを支持する層もまた少なくないこともまた事実なのだ。
しかし右翼にしても左翼にしても、様々な主義主張を掲げて突っ走ろうとする勢力があり、そこここで衝突を起こしたり、大きな波紋を広げたりするなど、末端ではけっこう大変なことになっている例は後を絶たない。それでも地域あるいは国家の総体としてはあまり極端な方向にブレることなくバランスよくまとまり、見識と良識を感じさせてくれる。こうした『どっしりした不安定さ』というか、『不安定な安定感』というのか、いろいろ問題はあっても、総体としてしっかりまとまっているところは、実にインドらしく尊敬に値するところだと思う。

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