アレもコレも中国製

デリー市内のおもちゃ屋の店先のショーケースに並ぶミニカー。小学校3年生の息子がジーッと見入っている。

『アレが欲しい』 

指差したのはオートリクシャーのプラスチックのミニチュア。

「同じものをいくつも持ってるじゃないか」と言えば、『色合いも造りも違うんだよ』などと判ったような口を利く。

 

そんな具合なので息子の部屋のガラクタ箱の中には、アンバサダーやスモウといった乗用車、はてまたターターのトラックなどのプラスチックで出来た安物ミニカーの様々なバージョンがいくつもゴロゴロしている。

こうした玩具のクルマの多くを製造しているのはCentury Toysという会社だが、今日のオートリクシャーを手に取ってみると、車体の底にMADE IN CHINAの文字を見つけた。

 90年代初頭までの何でもかんでもインド製だった時代と違い、今では様々な分野に外資が進出しているし、それと並行してマーケットに並ぶ品物にも輸入製品が洪水のごとく押し寄せるようになっている今のインドだ。

日用雑貨類でも中国製品の進出は著しく、今の日本のように『China Free』で生活することは無理とまでは言わなくとも、特に廉価な商品の中に中国からの輸入品が占める割合はとても高くなっている。もちろん玩具類などはその典型だが、いかにもインド的なおもちゃ類の中にも中国製品が混ざっているとは今まで気が付かなかった。

中国の工場労働者たちは、作業現場で作る『見たこともない二色ボディーのオート三輪』がインドで売られるものであるとは知らないだろうが、よくよく考えてみればバーザールで販売されている安価な神像の類の中に中国製品が占める割合がかなり高くなっている昨今なので、こんなことは驚くに値しないのだろう。

インド自身も安くて豊富な労働力に恵まれた国であるにもかかわらず、そこに堂々と割って入る中国の工業力には脱帽するしかない。

憎悪の連鎖

世界を震撼させたアメリカの同時多発テロから9年になる。不幸にも被害に遭われた方々やその遺族の方々は言うまでもなく、『9/11』がその他の私たちに与えたインパクトは大きかった。まさにあの時を境に『世界は変わった』と言えるだろう。 

被害者といえば、また事件直後のアメリカでは、外見から中東あるいは南アジア系と見られる人々に対する襲撃事件が相次ぎ命を落とした例も少なくないし、事件後アメリカが取り巻きの国々とともに直ちに取った『テロとの闘い』の名の元に展開させた報復行動により、この世から葬り去られたアフガニスタンとイラクというふたつの国(の政権)とそれと命運を共にした当時の体制側の人々やその巻き添えになった無辜の一般市民たちも同様だ。 

サッダーム・フセイン政権が崩壊直後、それまで厳しく社会を律してきた治安機構そのものが不在となったイラクでは、それまでこの国で長らく弾圧の対象となっていた思想や信条を抱く集団が大挙して周辺国・地域から流入して、強力なリーダーシップで国を率いてきた独裁者のいなくなった『新天地』に地歩を固めることとなり、イラクの社会に混乱と暴力を、人々に怖れと生命への不安をもたらすこととなった。 

アメリカは『イラクに民主主義をもたらした』と言う。確かに野心と才覚を持ち合わせた個人が策略を弄して上へ上へとのし上がることのできる自由は与えられたかもしれない。だがそれよりもずっと沢山の人々が、上昇しようにも見えない天井があるものの、彼らの社会に課せられた規範を踏み外さない限りは、生命や財産の心配をすることなく日々安心して暮らしていくことのできる社会とどちらが大切だろうか。 

ご存知のとおり、イラクは確認されている原油埋蔵量は、サウジアラビアに次ぐ世界第2位の1,120億バレル。しかも埋蔵量の9割は未開発であるとされ、本来ならば非常に豊かな国である。人口およそ3,000万人のイラクでは豊富な石油関係の収入を背景に、1990年8月2日に起きたイラクのクウェート侵攻に端を発した湾岸危機とこれに続く国連による経済制裁や湾岸戦争以前には、それなりに豊かで安定した市民生活が営まれていた。市民や外国人が過激派に誘拐されて殺害されるようなことなど想像もつかない、極めて良好な治安が保たれてもいた。 

『9/11』やその後の一連の動きの中で被害に遭った人々たちの住む地域や社会的な背景は様々であり、思想や信条による色分けはない。たまたま犯人たちが特定の宗教を信仰することになっている人々であった。だがその事件とこれに対する報復劇の最中には、関連地域に生活するキリスト教徒であれ、イスラーム教徒であれ、あるいはユダヤ教徒も大きな被害を受けてきた。事件そのものが政治化されたがゆえの未曾有の『災害』だ。 

この災害はイラクに先立ち、1978年以来続いてきた内戦の復興からほど遠いアフガニスタンをも呑み込んでしまった。こうした『政治的災害』は、今なおそのエネルギーは衰えることなく、地殻のすぐ下で不気味な響きを立てているその奔流は今後どこへと向かうことになるのか。 

こうした災害をもたらした『政治屋』たちの謀略をよそに、アメリカで『未知なる人々への憎悪』という市民の間からも火の手が上がりつつあることについては、これまでとはまた違った注意が必要なのではないかと思う。 

あるキリスト教系の団体が、今年の9月11日をイスラーム教の聖典であるクラーンを集めて、これらの焚書を実行すると宣言している。 

9月11日にコーラン焼却集会を計画 フロリダの教会 (CNN.co.jp)

彼らは嫌イスラームの姿勢で広く知られており、同教団のウェブサイトでは、反イスラームのメッセージを伝えるTシャツや書籍の販売も行なっている。 同サイトには、この教団による『クラーンを燃やす10の理由』『クラーンを燃やすあと5つの理由』といった主張も書かれている。 

他者に対するこれほどの過激な姿勢については、まさに『カルト』と表現するほかなく、彼らの主張がアメリカや他国の大衆や世論をどれほど感化するのかといえば、その影響力はごくわずかなものであると信じたい。それでもイスラーム社会全体を敵とみなすこうした団体の存在は大変センセーショナルであることから、メディアによる取材・報道の格好の材料となる。ゆえに国内外に与える社会的なインパクトは大きい。 

彼らの行動は、イスラーム原理主義過激派により反米感情を煽る格好の材料として使われる。イスラーム社会に暮らす大衆の間で『反米・反キリスト教』感情をかきたて、彼らの側でも『未知なる人々への憎悪』の炎を燃え上がらせることになる。今後もアメリカ政府機関や多くの罪なきアメリカ国籍の一般人たちがテロや誘拐といった暴力行為の標的となる理由づけに利用されることは想像に難くない。多くは直接出会ったこともないし、声を交わしたこともない未だ見ぬ人々同士の間での憎悪の連鎖を断ち切るにはどうすればよいのだろうか。 

交通や通信手段の発達により、世界は狭くなったとはよく言われることだが、地域・信条・思想を越えての人々の距離はそう簡単には狭まることないようだ。むしろコミュニケーション手段の進化とともに、疑いや憎悪といったネガテイヴな感情がいとも簡単に国境を越えて人々の間でこれまでにない速度で伝わることが可能となっていることについて、大きな不安を抱かずにはいられない。

日本式の食事処 2

そんな『和食圏外』のインドで、しかも都市圏から遠く離れていながらも健闘している和食レストランがある。ダラムサラのマクロードガンジにあるルンタ・レストランだ。 ルンタ・ハウスという建物の中にある。 

NGOルンタ・プロジェクトが、現地のチベット難民たちによるNGO組織であるグチュムスの会とともに、難民に対する職業訓練施設を兼ねて運営しているものだ。ルンタ・レストランは彼らの活動のための収益部門のひとつである。 

そんな訳で通常のレストランとは性格が異なるのだが、ここはずいぶん繁盛している。日本人旅行者その他の滞在者による利用とともに、ロンリープラネットにも紹介されているため西洋人客が非常に多いことも特徴だ。またインド人観光客の姿も散見される。 

パッと見た感じでは、店内に日本式食堂という雰囲気はあまりないが、奥の方には座敷風になっているコーナーがあってくつろげる。 マクロードガンジに多いツーリスト向けのレストランやカフェの中のひとつだが、店内が広くてキビキビしたスタッフの応対が良いことに加えて、普通ならば日本国外ではかなり高い値段の付く日本式の料理を、バックパッカー向けの食堂の価格で提供していることが人気の理由だろう。 

お好み焼きが50Rs, かき揚げ丼は60Rs, 日替わりの定食(巻き寿司の日もあり!)は120Rsといった具合だ。日本国外で『和食』を謳うレストランの中で格段に安い。他にもうどんや日本風のカレーライスもあり、どれも男性客にとっても充分な分量が出てくる。パンやデザートといった洋風のアイテムもある。ピュア・ヴェジのアイテムもあるので、菜食主義のお客も安心だ。 味のほうは、質実剛健というか、男の手料理というか、ちょっとごっつい感じはするものの、私たちが普通に作って食べている家庭料理といった印象だ。 

日本人観光客や滞在者が多いとはいえ、『和食圏外』の国で、しかも都市圏から遠いこと、また値段の面でも格安であることから、NGOの収益部門であることも併せて、通常の和食レストランとは異なる型破りな存在である。 運営母体であるNGOの活動はもちろんのこと、ルンタ・レストランの今後ますますの繁盛を期待したい。

 <完>

日本式の食事処 1

海外にある日本式の食堂、和食レストランといえば、主に日本人在住者や訪問客が多いところ、あるいは現地で日本食に関心の高いエリアという、言うまでもなく大きなマーケットが成立する場所に出店している。それらは往々にして大都市である。 

裾野の広がりがグローバルな中華料理やファストフードの類と異なり、まだまだ日本の『民族食』的な色彩が強いため。縁もゆかりもないところにいきなり出店というケースはあまりない。『日本ブランド』は、世界中どこに行っても評判の高いクルマや家電製品などとは違い、食の分野ではマイノリティだ。現地にそれなりの『和食文化』的なインフラが存在していることが不可欠だ。 

多くは個人事業主による出店で、日本人がオーナーであることが多いが、同様にかつて日本に留学した経験があったり、働いた経験があったりするなど、日本とのゆかりの深い現地の人が開業した店も数多い。また日本人と現地の人による共同経営(日本人とその配偶者である地元の人という組み合わせを含む)もよくみかけるところだ。 

特に日本企業が多く進出しているところでは、接待などで使われるような高級店も少なくないが、日系企業オフィス近隣でランチや仕事帰りに一杯引っかけるのに利用してもらうような店、単身赴任者を主に相手にしているような大衆食堂と居酒屋を兼ねたような店も多い。 

大衆食堂風とはいえ、途上国においては現地の気楽なお店に比べるとずいぶん高いため安食堂とはいえない。主な顧客層といえばたいていは日本人客ということになる。 

これらとは別に、近年は日本の外食チェーンの海外進出も盛んになってきており、和食では大戸屋がタイ、台湾、香港、インドネシア、シンガポールにいくつも出店している。居酒屋の和民はアジアの複数の国々で展開している。 

また『和食』と表現していいのかどうかわからないが、日本発の食としてのラーメンを味千ラーメンが中国、韓国、東南アジア、北米、オセアニアに進出しているし、餃子の王将が海外展開するのは、本場中国の大連だ。 

日本式カレーのCoCo壱番屋もアジア5か国とハワイに店を出している。海外でも日本国内と同じルーを使用しているという。なんと6年後あたりを目途にインドへの進出を画策しているようだ。日本のカレーがインド上陸となれば、日本国内での話題作りにはなるかもしれないが、これについてはレシピそのものを根本から見直さなくてはならないだろう。

和食ないしは日本式の食事関連以外にも、イタリアンのサイゼリヤ、ステーキが中心のペッパーランチも積極的に海外に進出している。 

こうした日系の外食チェーンの主戦場は東アジアと東南アジアの大都市だ。各国・地域の消費文化の中心地でもある。もともと味覚、食材、調理法などで共通するものが少なくなく、親しみやすいこと、サブカルチャーやファッションその他の面でも日本の影響が濃く見られることなどからも、和食ならびに日本食以外の分野についても『日本ブランド』がそれなりの浸透力を持つことができる。

そのため地場資本の外食チェーンでも『和食』アイテムを取り上げるところが増えてきており、現地レベルの庶民的な価格で日本食らしきものを食べることができるようにもなりつつある。 

ただし食事の分野において日本のネームヴァリューがまったく通じないところも少なくない。欧米においても都市在住者以外では日本食といっても『中華料理と違うのかい?』とまったくイメージさえ沸かない人は少なくない。また同じ『アジア』の中でもヒマラヤの西側の国々となると一気に『和食圏外』となる。とりわけ中東あたりまで来ると、刺身や寿司の類を『奇食』ととらえる人さえ少なくない。 

インドやスリランカあたりで大都市には和食レストランがいくつかあるが、いかんせん『圏外』であるため、東アジアや東南アジアでの和食に比べると、食材の供給の問題もあるがコストバリュー、ヴァリエーションともに著しく低くなってしまうのは致しかたない。 

<続く>

無線タクシー

以前、MERU TAXIと題して、ムンバイーをはじめとするインドの大都市で操業している無線タクシーについて書いてみたが、デリーでも幾度か利用したので感想を記しておく。

MERU以外にもEasyCabs, MEGA CABS, quick cabs等、この手のサービスは増えている。どこもシステムは似たようなもので、対応もマニュアル化されているため利用方法はほぼ同じ。どの会社にかけてみても、非常に礼儀正しくキビキビとした応対をしてくれる。

まずは携帯電話(基本的に携帯電話を持っていることが必要)でコールセンターにかける。一度でもその会社を利用したことがあれば、こちらの氏名と携帯電話番号、利用した日時や場所等といった先方の記録が残っているため、こちらの氏名を名乗る必要はない。コールセンターのオペレーターは、電話を取るなり『Hello, Mr. ×××, may I help you ?』と答えてくれる。

オペレーターに利用したい時間、出発地と目的地を伝えると、こちらが保留で待っている間に、相手は配車の手配を進めている。『今すぐ利用したい』といった場合、特に込み合う時間帯であったりすると『都合のつくクルマが見つかりません』と断られる場合もままあるようだが、前述のとおり同種のサービスを提供している会社は複数あるため、どの時間帯でもタクシーがまったく見つからないということはあまりないだろう。

予約の受付が完了すると、タクシー会社からすぐに携帯電話にSMSが入る。これからやってくるクルマの番号、運転手氏名、運転手の携帯電話の番号が記されている。そして到着少し前になると、ごく近くまで来ている運転手自身からの電話が入るといった具合だ。携帯電話でなくPCにてネット予約も可能だ。

こうした無線タクシーで使用されているのは小型のセダン。アンバサダーやパドミニーのようなクラシックなものではなく、日本でいえばカローラに相当するモダンな車種である。

乗車すると、メーターのある液晶モニターにこちらの氏名、携帯電話番号その他の情報が表示されている。車内もきれいでエアコンも効いている。運転手のマナーや運転そのものも、従来のタクシーより丁寧だ。コールセンター同様、こちらもマニュアル化されているらしい。

料金は完全にメーター制。目的地に着くと車内に装備した小型プリンターから領収書が印刷される。降車するとまもなくタクシー会社からSMSが届く。内容はタクシーを利用した感想についてのアンケートだ。

従来のタクシーとの明確な差別化あってこその商売なので、運転手の仕事ぶりはしっかり管理されているようだ。先述のとおり、タクシー会社には個々のお客の利用履歴が残っている。顧客からクレームが寄せられるとその内容も保存しているのだ。

予約のため携帯からコールセンターに電話すると、オペレーターが電話を取るなり『昨日は運転手が遅刻しまして申し訳ございませんでした』と言うのでびっくりした。前日に利用した際のこと、タクシーはすぐ近くまで来ていたようだが、こちらの指定した場所がちょっと込み入った場所にあったため見つけるのに手間取り、30分くらい遅れていた。その際、到着を待つ間にコールセンターに電話して一言文句を伝えておいたのがちゃんと記録されていたらしい。

応対がきちんとしているうえに明朗会計。加えてクルマにGPSを搭載していることから、クルマがどこにいるかはタクシー会社から一目瞭然でもある。とりわけ女性客には好評だろう。

ドライバーたちの立場については、インドの従来のタクシー運転手と大差ないようではある。日本のように『××タクシーの社員』という身分ではないため、被雇用者ではなく運転業務の請け負うという形だ。簡単に言えば、タクシー会社に一定の金額を支払ったうえで預かった車両を運転するのである。

タクシー会社は、クルマの整備と携帯電話ないしはPCによりネット予約したお客の斡旋を行ない、運転手はお客から受け取る料金の中からタクシー会社への支払いとガソリン代を差し引いた分を手取り収入とする。もっともこれはMERUの場合であるので、他社には少し異なる形態のものもあるかもしれない。

こうした無線タクシーのサービスは、デリー、ムンバイー、バンガロールなどといった大都会で広がってきている。またアムリトサルくらいの規模でも、この類のタクシーを目にする街が出てきている。

インドで無線タクシーは、年間成長率100%といわれるホットな業界だ。大都市圏をはじめとする中間層の人口がそれなりのサイズを持つエリアでは、今後かなりの速度でこうした業態のタクシーが浸透していくことになるはずだ。