アーナンド・バワン②

そんな彼らのインド政治をリードする出発点となったこの屋敷で私自身が特に気に入ったのは大量に展示されているネルー/ガーンディー家の家族写真の数々。とりわけ何でもない日常のスナップ写真の類がとても良かった。そんな昔にカジュアルな記念写真がたくさんあるというのは、やはりそういう特別な家柄であるからとはいえ、他の市井の人たちと変わらない彼らの家族愛や日々の暮らしぶりが伝わってくるようで、心温まるものがある。

赤ん坊時代のインディラー

子供時代のインディラーの可愛らしい写真がたくさんあり、やはり父親ジャワーハルラールにとってとても大切な愛娘であったことがよく伝わってくる。同様に幼い頃のラージーヴとサンジャイが祖父ジャワーハルラールと遊んでもらっているとき、3人のとても幸せそうな表情も素敵だった。

ネルーと娘のインディラー
ネルーと娘のインディラー、そして孫のラージーヴ
ネルーと孫のラージーヴ(右)、サンジャイ(左)

また英国留学中だったラージーヴが母親の知らぬ間にロンドンで、当時「遊学中」だった(きちんとした留学ではなく、「遊学」だった)イタリアの女の子、ソーニアーとぞっこんの仲となり、ラージーヴは彼女をインドに連れて帰って結婚するわけだが、その新婚時代の写真もあった。

当時のインドではまず見かけなかったショートヘアでミニスカートをまとった「ガーンディー家の嫁」について、インド各メディアが「キュートだけど、ちょっと頭の足りない軽薄な女の子」と揶揄していた時代。この時期に彼女はデリーのオーロビンド・マールグにあった政府系のヒンディー語学校「Kendriya Hindi Sansthan」に通っており、いつも夫のラージーヴが送り迎えしていたという。

メディアからの評判はさんざんだったが、義理の母となったインディラーに気に入られてとても可愛がられていたという。ラージーヴの弟サンジャイの妻、メーナカーとはあまり折り合いが良くなかったとされるのとは対照的である。

メディアからは「賢明ではない」と評されたソーニアーが実は賢明であったのは、結婚に当たっての譲れない条件として「政治には関わらないこと。政治とは無縁の市民として生きること」を条件として提示し、ラージーヴの合意はもちろんのこと、インディラーからも内諾を得ていたことだろう。

1968年にふたりは結婚し、デリーに居を構えてふたりの子供をもうける。ラーフルとプリヤンカーだ。ラージーヴは国営インディアン・エアラインスのパイロットとして勤務しており、彼らにとって平穏な時期がしばらく続いていた。

アーナンド・バワン①

1890年代にモーティラール・ネルーが購入して以降、同家の屋敷として、そして独立前の国民会議派執行部の拠点のひとつとして機能してきた屋敷。モーティラールの息子で後に初代首相となるジャワーハルラールの娘で、これまたインド首相となるインディラーもここで誕生している。

ジャワーハルラールの居室、マハートマー・ガーンディーがしばしば泊まったという部屋、子供時代のインディラーの部屋なども家具類等そのまま保存されている。

インディラーの寝室

ネルー家、そしてインディラーがパールスィーのフィローズ・ガーンディーと結婚してからはガーンディー家となった同家の人々のことを私が直接知る由はないが、どの代の人々についても共通している印象というのは、高慢さではなく高潔さ、人の良さと優しさといった豊かな人間性を感じさせるキャラクター(少なくとも広く認識されている範囲では)だろうか。

もちろんインディラーの息子で、母を継ぐと目されたサンジャイ(後に航空事故死)による市民に対する強制断種のような横暴、インディラーによる「非常事態宣言」と独裁を批判された時期などの例外はあるものの、同家で連綿と受け継がれるイメージは「Noblesse Oblige」だろう。

20ルピー硬貨

インドは2の数字の硬貨やお札が多い。昔は2パイサ、20パイサといった硬貨があったし、2ルピー札もあった。

今は20ルピー、200ルピー札があるし、2016年11月に廃止されるまでは2,000ルピー札もあった。

あまり見かけないのだが、硬貨でたまに20ルピーのものを受け取ることがある。こちらは10ルピー硬貨と紛らわしいので、手にしたらすぐに使ってしまうほうがいい。

こちらの硬貨は2022年に独立75周年記念ということで「アーザーディー・カー・アムリト・マホートサヴ(自由解放の記念祝祭)」と銘打っていくつものイベントが開催されたことを記念してのもの。

10ルピー硬貨は地域によってはあまり歓迎されないことも少なくない。「お札でくれ」と言われることがある。どこか切れるとたちまち使えなくなる紙幣よりもマシかとは思うのだが。「ジャラジャラと重くなる」ことも理由のひとつらしい。

 

手書きの説得力

「ゲート前は駐車厳禁」と書いてある。

「ゲート前への駐車厳禁!」と書かれている。印刷なような書体だと、ともすれば形骸化してしまうものだが、手書きであるためか気持ちがこもっている。「見なかったとは言わせないぞ!」とういうような具合だ。

SHER-E-PUNJAB(パンジャーブの獅子)

店の名前は「Sher-e-Punjab」と書いてある。

シェーレーパンジャーブ(SHER-E-PUNJAB)と言えば、スィク王国を打ち立てたマハーラージャー・ランジート・スィンであったり、不屈のフリーダムファイター、ラーラー・ラージパト・ラーイであったりする。

実はパンジャーブ料理店でもこの「SHER-E-PUNJAB」を名乗る店がとても多い。いったいインド全国でいくつの「パンジャーブの獅子」を名乗るダーバーやレストランがあるのだろうか。こんなにたくさんあるくらいなら、「SHER-E-PUNJAB会」でも作って、全国で横断的に連携してみてははどうか?

この「– E –」で繋ぐ言葉はペルシャ語からの影響から来たものなので、インドで皆さんよく耳にするであろう。「– E –」繋ぎの言葉としては、死刑、極刑を意味する「SAJA-E -MAUT」であったり、クラシック映画の金字塔「MUGHAL-E-AZAM」であったり、パキスタンのテロ組織の「LASHKAR-E-TOIBA」であったりするかもしれない

かといって、インドやパキスタンで「☓☓の○○」を「○○-E-☓☓」と言うようなことは無く、慣用句での定形的な使用がなされるのみ。それでもこの「-E-」は廃れたり、忘れ去られたりすることなく、受け継がれていく。