そんな彼らのインド政治をリードする出発点となったこの屋敷で私自身が特に気に入ったのは大量に展示されているネルー/ガーンディー家の家族写真の数々。とりわけ何でもない日常のスナップ写真の類がとても良かった。そんな昔にカジュアルな記念写真がたくさんあるというのは、やはりそういう特別な家柄であるからとはいえ、他の市井の人たちと変わらない彼らの家族愛や日々の暮らしぶりが伝わってくるようで、心温まるものがある。

子供時代のインディラーの可愛らしい写真がたくさんあり、やはり父親ジャワーハルラールにとってとても大切な愛娘であったことがよく伝わってくる。同様に幼い頃のラージーヴとサンジャイが祖父ジャワーハルラールと遊んでもらっているとき、3人のとても幸せそうな表情も素敵だった。



また英国留学中だったラージーヴが母親の知らぬ間にロンドンで、当時「遊学中」だった(きちんとした留学ではなく、「遊学」だった)イタリアの女の子、ソーニアーとぞっこんの仲となり、ラージーヴは彼女をインドに連れて帰って結婚するわけだが、その新婚時代の写真もあった。
当時のインドではまず見かけなかったショートヘアでミニスカートをまとった「ガーンディー家の嫁」について、インド各メディアが「キュートだけど、ちょっと頭の足りない軽薄な女の子」と揶揄していた時代。この時期に彼女はデリーのオーロビンド・マールグにあった政府系のヒンディー語学校「Kendriya Hindi Sansthan」に通っており、いつも夫のラージーヴが送り迎えしていたという。
メディアからの評判はさんざんだったが、義理の母となったインディラーに気に入られてとても可愛がられていたという。ラージーヴの弟サンジャイの妻、メーナカーとはあまり折り合いが良くなかったとされるのとは対照的である。
メディアからは「賢明ではない」と評されたソーニアーが実は賢明であったのは、結婚に当たっての譲れない条件として「政治には関わらないこと。政治とは無縁の市民として生きること」を条件として提示し、ラージーヴの合意はもちろんのこと、インディラーからも内諾を得ていたことだろう。
1968年にふたりは結婚し、デリーに居を構えてふたりの子供をもうける。ラーフルとプリヤンカーだ。ラージーヴは国営インディアン・エアラインスのパイロットとして勤務しており、彼らにとって平穏な時期がしばらく続いていた。