チャット高

とりあえず両替と食事のためにダウンタウンのボーヂョー・アウンサン・マーケット界隈へ向かう。

以前は引く手あまたであった外貨両替だが、今回はかなり事情が違っていた。普段ならば随時ドル買いをしている貴金属や宝石等を扱う店で尋ねてみると、両替はしませんと即座に断られたり、レート調べると言ってどこかに電話してから「今日はやめておきます」などと言われたりもした。

昨年以前は1米ドルあたり1,000 ~ 1,100チャット台であったと記憶している。それ以前は1,200 ~ 1,300チャット台の時期もあった。ところが現在は820 ~ 840前後くらいで推移しているようだ。

あまりドルを歓迎するムードではないことにいささか驚きながらも、とりあえずまとまった金額のミャンマー通貨チャットを手にした。

ところで両替のヤンゴンにおける市中レートを日々更新して伝えているウェブサイトもあり参考になる。

Today’s Market Rates

このチャット高については、宿にガサッと置いてあった週刊英字紙ミャンマータイムスのひと月近く前の古新聞に興味深い記事を見つけた。今年に入ってから、ミャンマーでは空前のドル余り状態にあるのだという。

旧英領ながらも、英語で読めるきちんとした現地メディアがほとんど不在といえるミャンマー(New Light of Myanmarという英字日刊紙はあるものの、中身は政府広報紙プラス新華社通信からの配信記事とインターネット上に掲載の各種メディアからの転載)で、唯一の英文によるクオリティ・ペーパーである。

政治、経済、エンターテインメントその他各方面につき、なかなか興味深い記事と分析が掲載されている。日刊紙ではなく週刊というのは寂しいところだが。

『ドル余り』といっても、常時外貨準備高不足および加えて先進国による経済制裁という苦難を強いられてきたこの国である。是非については色々取り沙汰されている昨年11月に実施された総選挙結果により『文民政権』が発足したことを受けて、近々経済制裁が解除されるのではないかという期待から、国外からの投資が急増しているらしい。

加えて、今年1月から2月にかけて国有資産の大規模な売却があり、これについて海外から9億ドル近い大量の資金の流入があったと書かれていた。これが本当であるとすれば、外貨準備高20億ドル少々の国に、いきなりそれの半分近くの外貨が雪崩れ込んだことになる。

具体的にどの国のどういった方面の資金が流入しているのかについては触れられていなかったものの、近年のドル安という外的要因に加えて、ミャンマー国内へのドル流入の急増という内的要因が作用していることはわかった。チャット高により、輸出関連産業は打撃を受けており、とりわけ10%の輸出税が徴収される国外市場向けの製造分野への投資には急ブレーキがかかっている状態であるとのことだ。

そんなわけで外国人旅行者を宿泊させる許可を得ている宿や観光地の入場料、入域料といったものは原則ドル現金払いであるのだが、自国通貨ベースにすると著しく目減りしてしまうのを避けるためか、チャット払いを選好するところもある。従前の逼迫した外貨事情によるものであるものとはいえ、本来ミャンマー国内での支払いは、同国通貨チャットでなされるべきものなのだが。

ここしばらく毎年ヤンゴンを訪れているが、旧市街で植民地時代に造られた建物の取り壊しと新しいビルの建設が続いており、街並みは確実に変化してきている。

昔は苔むしたコロニアル建築が多い河港の街であることから、コールカーターのそれを連想させるものがあったが、今はそうした景観にシンプルなコンクリート仕上げのビルが多く混じり、中国ないしはタイ等の東南アジアの他の国々の街を思わせるものがある。

かつて英領インドの一部を成していたこともある植民地時代の残滓を、今の時代になってようやく脱ぎ捨てようとしているかのようである。また今のミャンマーに影響を与えている国はどこであるかを示しているともいえるだろう。

現在のチャット高には、各国の経済界から『東南アジア最後のフロンティア』市場としての大きな期待感があるのだろう。果たして経済制裁が解除される日が近いのかどうかについては何とも言えないものの、それでもこの国が大きな節目を迎えつつあることは間違いはずだ。

放射能検査

バンコク出発から1時間ほど経つと、ヤンゴン到着の機内アナウンスが流れる。郊外を旋回しながら高度を下げていく中、地上には燦然と黄金色に輝くいくつかの仏塔が見えてくる。まもなく飛行機はヤンゴン国際空港に着陸する。2007年に完成した国際線ターミナルビルは、バンコクのそれとは比較にならないほど規模は小さいものの、きれいでモダンな造りである。

イミグレーションの列に並ぶ。ヤンゴンに乗り入れている航空会社は近隣国のものばかりであり、機材も大きなものは使用されていない。発着便数も少ないため、そう長く待たされることもなく、実に気楽な空の玄関口だ。

出迎え等の人々がたむろする待合室からは、大きなガラス張りになっている室内がすべて見渡せる。入国審査、機内預け荷物が出てくるターンテーブル、カスタムズ等を通過して出口にやってくる人々の姿がよく見える。すぐ横に隣り合う旧態依然の国内線ターミナルとはずいぶんな違いだ。

私の順番が来て係官にパスポートを差し出すと「向こうに戻って放射能検査を受けてください」とのこと。今年3月11日に発生した東日本大震災により、福島第一原子力発電所で深刻な事故が起きたことを踏まえての措置である。

白衣を着た係員が私の身体全体をなめまわすように測定器を当てる。もちろん何の反応も出ないのだが。もし放射能の高い数値が出たら入国できないのかと尋ねると、「どうなんでしょうねぇ。ちょっと私もわかりません」と屈託のない笑顔を見せてくれる。

現場の人たちにしてみれば「わからないけど、上のほうからそういう指示が出たからやっています」というわけなのだろう。居住地ではなく国籍で検査の有無を決めているのがおかしい。たとえ米国在住で長らく自国に戻っていない日本人が「あなたは日本人だから」と検査させられたり、千葉県在住のカナダ人はチェックされなかったりという具合なのだ。

ともあれこれほどの規模の原発事故を経験した国は他には旧ソビエトのみ。世界中で大きなパニックを呼んだチェルノブイリの事故と同じレベル7という最大級のカテゴリーに区分されていることもあり、不安に思われるのは仕方ないだろう。

バンコクを出るときに買ってみた週刊の邦字新聞『バンコク週報』には、在タイの日本食レストランの客離れによる苦戦が伝えられている。また食品のみならず工業製品等も検査のため海港や空港等で長いこと留め置かれるという事例が多々あることが伝えられている。

今や日本産、日本製という『ブランド』が安心と品質のシンボルではなく、『放射能にまみれている・・かも?』と、かなりの疑念を持って見られるようになっているのははなはだ残念である。

バーングラー詣で

長らく世界の工場として様々な外国企業の生産活動の拠点としての立場を欲しいままにしていた中国だが、昨今では賃上げ圧力が高くなり、ストが相次いで操業に支障を来すなどといった例が頻発している。

その結果、アパレル製造業等を中心としたバーングラーデーシュのブームが続いていることはご存知のとおり。特にユニクロを運営するファーストリテイリングが進出を決めてから更に拍車がかかったようだ。 そうした企業等を対象にした視察ツアーを組む会社もある。

人件費は中国よりもかなり低めとはいえ、インフラ事情は中国と比較にならず、法体制の不備も指摘されているところだ。加えて高い政治意識と盛んな組合活動を背景に様々な理由でハルタールが頻発するお国柄。それでも外資は次々に同国にやってきては事業を展開していくはずだ。

世界最大級の被援助国が世界の工場に変身する日は遠くないのかもしれない。その過程の中で明るいニュースもあれば、ネガティヴな側面も出てくるのだろう。東ベンガルの大地でも人の世の移ろうスピードが今後ずいぶん速くなっていくことだろう。

MAI (Myanmar Airways International) 成田空港に乗り入れる日はそう遠くない?

1996年から2000年まで関空からヤンゴンまで直行していた全日空のフライトが休止となって以来、日本からミャンマーへダイレクトの便は長らく存在しなかった。

そんな中、この春先にカンボジアのスィアム・レアプ、そしと中国の広州へと新規乗り入れを果たしたMAI (Myanmar Airways International)が近い将来ヤンゴンから成田への乗り入れを計画しているそうだ。

同社は長らく国営航空会社として知られていたが、同国を代表する民間銀行のひとつKANBAWZAが昨年2月に80%の株式を取得し、残りの大半を政府が保有という形になっている。

昨年11月に実施された総選挙により『民政移管を果たした』として、先進国による経済制裁の解除を熱望するミャンマー政府だが、同国が加盟するASEAN自体も同国の国際社会復帰を期待している。そうした中で、ミャンマーは2014年にASEAN議長国となることを希望する意志を表明している。これによって政権の正統性を示すとともに積極的な外交への足掛かりとしたいのだろう。

ミャンマーの『民政移管』については、軍人が制服を脱いだだけとの批判もあるものの、ともすればいくつもの『小さな国々』に分裂しかねなかった独立後の歴史の中で、同国の統一を維持するために国軍が果たしてきた役割は大きかったことは無視できないため、そのすべてを否定することはできないと私は考えている。どこの国にも独自の事情や歴史背景があるものだ。

インドの北東諸州の延長上にある(ナガ族のようにインドとミャンマーにまたがって暮らす民族もいる)民族と文化のモザイクといえる地域だ。東南アジア、南アジアそして中国といった三つの異なる世界がせめぎ合う土地であるだけに、ASEANの他国とは比較にならない固有の不安定な要因を抱えている。

それはともかく、国際社会への飛躍を画策しているのは政府だけではない。1946年にUnion of Burma Airwaysとして設立され、1972年にBurma Airwaysに改称、そして1993年にMyanmar Airways Internationalとなって現在に至るまで、ナショナル・フラッグ・キャリアとしての長い歴史を持つ航空会社も同様だ。

同国を代表する航空会社でありながら、これまで国外の乗り入れ先といえばシンガポール、クアラルンプル、バンコクといったASEAN近隣国首都に加えて、週一便でインドのガヤー(こういうフライトがあるのは面白い)のみという寂しいものであった。

それが先述の最近就航したスィアム・レアプ便、広州便に加えて、今後は東京、ソウル、デリー、ドゥバイ、ジャカルタ、デンパサールといった街への乗り入れという積極的な攻勢をかけようと画策しているというから只事ではない。『民政移管』をテコとしてなんとか飛躍を図りたいという政府とビジネス界双方の強い意志の表れのひとつだろう。今後ミャンマーはこれまで以上に大きく変わる予感がする。

それが同国の国際舞台への復帰と多国間での盛んな経済交流を生むことになるのか、それとも先進国不在の間に積極的に進出してきている中国の草刈り場のままでいることになるのか、それは日本を含めた先進諸国の足並み次第ということになる。

デリー発ブータンツアーの価格

デリー発のブータン行きのツアー(パロー・プナカー・ティンプー)が手頃であることに気が付いた。7泊8日で33,333Rsである。同時期の同じく7泊8日のタイ行きのツアー(バンコク・プーケット・パタヤー)が39,999Rsであることと比較すると、ずいぶん値ごろ感がある。

Amazing Bhutan (makemytrip.com)

Fun-tastic Thailand (makemytrip.com)

上記の金額はインド国籍の人向けのものであり、私たちが利用できるわけではない。ブータンは独自の鎖国政策の関係で、外国人の入国を大幅に制限している。観光目的で訪問する場合も通常はツアーのみとなる。

そして3人以上のツアーの場合、各々の滞在費用が1日当たり200米ドルとなる。モンスーンの閑散期には165米ドルに下がるようだが、それでもまだずいぶん高い。これらはツアー・オペレーターを問わない公定価格となっているようだ。加えて物価上昇と米ドルの価値が漸減していることにより、2012年1月から250米ドルへと値上げが予定されている。もちろんのことながら、これらの金額にはブータン出入国にかかる国際線チケット代は含まれていない。

外交上、ブータンと特別な関係にあるインドの国籍を持つ人たちについてはこうした『外国人料金』は適用されないことから、こうした価格でのパッケージツアーが実現している。

ただしブータンという国について、私たち外国人が憧れるのと同じようなイメージをインド人観光客たちが抱いているかということについてはちょっと疑問がある。すぐ隣の国であることに加えて、自国の広大なヒマラヤ地域とひと続きの位置にあるということもある。

またインドといっても広いので地域にもよるが、北インド都市部とりわけ東側地域に滞在・在住しているブータン人たちはけっこういる。西ベンガル北部では、商用・観光・買い物その他の目的でやってきたブータンの人たち、そしてブータンのナンバーを付けたクルマもよく見かける。

同様にブータンに仕事のために在住しているインド人も少なくない。下は土木作業の労働者から上は様々な分野の専門家まで、広い分野に関わるインド人たちがいる。

ブータンのテレビ放送のネットワークはインドの技術援助によって実現したものであるし、通信網も同様だ。現在、ブータンで国語であるゾンカ語関係を除き、たいていの科目は英語を介して教えられている。政府の意志で教育の英語化が推進されたためであり、1970年代以降に教育を受けた人々ならば、流暢な英語を話すようになっているようだ。だがその『英語環境』をブータンの教育現場にもたらした人々とはインド人教師に他ならない。

先述のブータンとインドの間の特別な外交関係と繋がりでもあるが、ブータンが独自に在外公館を持たない国にあっては、現地のインド大使館がその部分の役目を担う。

そんなわけで、在インドのブータン王国大使館は、在日本の業務も兼轄しており、担当官が毎年一定の時期に来日して東京の在日本インド大使館にて執務することになっている。

それらはともかく地理的に近いこと、人の往来も盛んなことなどから、インドの人々とりわけブータンからあまり遠く離れていない地域に住んでいる人たちにとっては、日本人が抱くような『秘境』といった印象、『鎖国政策』を続けている閉ざされた国という印象はあまりないかもしれない。

それよりむしろチベット系仏教徒たちの見慣れたイメージ、自国にもある景色や眺めの延長線上にあるように、地味に捉えている部分のほうが大きいのではないかとも思う。

インドの人々にとってのブータンは、ヴィザや高額な滞在費といったハードルがなく、経済的にも時間的にもちょっとゆとりのある人ならば、いつでも訪れることのできる国である。ブータン通貨ニュルタムはインドのルピーに対して等価で固定されており、ブータン国内でインドルピーはそのまま通用するという環境でもある。

そんなわけで、気安く外国旅行に出かけることができる層の人たちの間では、ブータンという国に対して文化的な興味関心でもなければ、南アジアとは明らかに違う世界であるタイ、美しく開放的なムードのビーチのほうがエキゾチックで興味をそそるものであることと思われる。

私たち外国人にしてみれば、同じ時期で同じ期間のもので『ありきたりのタイのツアーよりもブータン訪問のプランのほうが安いなんて!』とビックリすることになるのだが。