植民地末期ビルマでの暮らしの回顧録 Every Common Bush

著者である主人公の女性、パトリシア自身の英領ビルマでの生活の回顧録。彼女は1923年にラングーンで生まれて、日本軍の侵攻により1942年にインドに脱出するまで、ビルマで暮らしている。

彼女の先祖は、1840年代に軍人として赴任した初代(1857年のインド大反乱の際、アラーハーバードで死亡)とその妻、彼らに伴われて渡ってきた二代目となる子供たちがインドに根を下ろした。インドに暮らしてきた家族がビルマに移住したのは主人公の親の代であったようだ。主人公は本国から離れてアジアに移住した家系の五代目であり、植民地で暮らす最後の世代となる。

彼女の父親は自動車整備工。やがて企業して自らの自動車販売会社を持つようになり、順風満帆な生活を送るが、いつしか事業が不振に陥ってしまう。仕事に行き詰った結果、行政関係の仕事に就くが、独立運動とともに社会不安が高まる中、身の危険を感じて運輸関係の民間企業に転職。

第二次大戦開始による暗雲はアジアにも着実に影響を及ぼし、日本による真珠湾攻撃のニュースはビルマに暮らす主人公やその家族たちの生活にも暗い影を落とすようになる。

父は、勤務する運送会社がビルマから中国に至る「援蒋ルート」で軍需物資を運搬するという危険な業務に従事するようになるとともに、子供たちはビルマ中部のシャン高原にあるヒルステーション、メイミョーに疎開。

1942年、ラングーンに侵攻した日本軍はまもなくビルマ中部以北にも進撃を続ける中、まだ任務から離れることができない父親よりも一足早くインドに脱出。飛行機でチッタゴン、船でカルカッタ、そして鉄道でデヘラドゥーンへと向かい、主人公はしばらく看護婦として勤務することになる。

すでにビルマから外に出るフライトが無くなってしまった父親は、仲間たちとビルマからインド北東部を経て逃れる決断をしなくてはならなくなってしまう。

道中、命を落とす仲間たちも出る中、なんとかインドにたどり着くことができた父は家族と再会。家族はボンベイを経て、バンガロールに落ち着くこととなった。

作品の前半から中盤にかけては、主人公のどかな子供時代と家の中での出来事、彼ら家族を取り巻く人々の平穏な日常と在緬イギリス人たちや地元の人々の様子が描かれている。幼い子供だった主人公が成長していくとともに、植民地ビルマで暮らしていた様々な人たちとの付き合いも深まり、家や学校の外の社会に対する観察力が深まっていく。青春時代を迎えた主人公が、第二次世界大戦の戦況やビルマの独立運動の盛り上がりなどに対して、冷静に観察していた様子がうかがえる。

植民地在住のイギリス人とはいえ、ワーキングクラス出身で、5世代に渡ってインド・ビルマに在住。決して特権階級などではない主人公たちは、当時のラングーンの社会各層との繋がりは深く、そうした中で巧く世渡りをしていくたくましさを持っていたようだ。家庭内での英語以外に、ビルマ語やヒンドゥスターニー語(現在よりもインド系の人口が占める割合が高かった)をごく当たり前に使用する多言語・多文化環境にあったようだ。

バンガロールに落ち着いたあたりでストーリーは終わる。その後まもなくインドは独立を迎えることになるが、パトリシアとその家族たちはその後どうなったのだろうか、と少々気になるが、おそらく他の多くの英領インド在住のイギリス人たちがそうであったように、英国に「移住」あるいは第三国に転出し、その後は大過なく暮らしていたがゆえに、こうした本を出版することになったのだろう。

植民地末期の生活史として貴重な一冊であるが、amazonから手軽なkindle版が出ているので、多少なりとも関心があればご一読をお勧めしたい。

池袋西口の「リトル・ダッカ」な日曜日

4月19日(日)に東京の池袋西口公園にて、「第16回カレーフェスティバル & バングラデシュボイシャキ メラ」が開催される。

いくつかのカレー屋さん、ハラール食材屋さんがあることを除けば、バングラデシュはともかく南アジアとの繋がりはほとんどない池袋ではあるが、この西口公園だけは、長年恒例の行事となったこのイベントとともに、2005年にカレダ・ズィア首相(当時)来日時に贈られたショヒード・ミナールのレプリカが置かれていることからも、ずいぶんバングラデシュと縁の深い公園となっている。

当日、こうしたイベントが開かれていることを知らずに通りかかった人たちは、この一角だけに着飾ったベンガル人たちがワンサカと溢れていることに驚くことだろう。日本で生まれの「二世」たちの姿も少なくなく、単なる一時滞在ではない、日本にしっかりと根を下ろして暮らしているベンガル人たちが多いことも感じることができる。

さて、この機会に春の喜びを在日バングラデシュの方々とともに、みんなで分かち合おう!

第16回カレーフェスティバル & バングラデシュボイシャキ メラ (Japan Bangladesh Society)

ナガランド 暴徒による性犯罪者のリンチ殺害事件の背景

2月24日にナガランド最大の街であるディマープルで起きたナガ女性に対する暴行事件で逮捕された男性が収監される刑務所が暴徒に襲われ、この男性が外の往来に引きずり出されて殺害されるという凄惨な事件が3月6日に発生した。

Indian ‘rapist’ who was lynched by mob who broke into prison and beat him to death had ‘offered his victim £50 to keep quiet about the attack’, she claims (MailOnline)

メディアが掲げるヘッドラインを目にする限りでは、インドで近年増加している性犯罪に対して業を煮やした市民たちの怒りが社会の秩序と正義を求めて暴発という具合に読めるだろう。もちろんそれには間違いないのだが、もうひとつの側面がある。

文化も人種も異なる「抑圧者」インドに長年虐げられてきたとされる鬱積とベンガルやアッサムからの移民流入に対する不満の爆発で、こちらは前述の社会秩序や正義とは大きくベクトルが異なるコミュナルなものとなる。

今回の事件については、ディマープルでしばらく続いていた市民による抗議活動の延長線上にある。

Protest against Feb 24 rape rattles Dimapur city (Nagaland Post)

レイプ事件を起こした犯人はアッサム州出身のムスリム男性(2月24日の事件発生後以降しばらくはそのように伝えられていた)であった。そして被害者は地元のナガ女性。ディマープルは、ナガランドの最大都市でありながらも、州内のその他の土地と異なり、アッサム州に隣接する平地にあり、人口の相当部分がナガランド州外の平地から来た日々とであるため、まったくナガランドらしくない普遍的な「インドの街」に見える。
そんなディマープルの刑務所に押し掛けた数千人とも言われる群衆の大半は地元ナガランドの人々であったようだ。

ナガランド州首相は、この事件の背景にコミュナルな対立の構図があることを否定しているが、同州内のいくつかの有力な在野政治団体がこの機を利用しないことはないだろう・・・というよりも、そうした組織がこれを絶好の機会とみて、市民による抗議活動の中に活動家を合流させて扇動し、数の力に任せてこの事件を起こしたと捉えるほうが正しいことと思われる。この事件は、現在それなりの安定を手に入れたナガランド州をふたたび不安定な状況へと陥れる導火線となり得るかもしれないため、今後の進展から目を離すことができない。

また、2月24日にこの事件が起きた際の報道では、犯人の男性は「アッサム出身のムスリム」ということになっていた。また3月6日のこの事件を受けて、アッサム州首相は、おそらくこの事件がナガランドの野党勢力中の政治団体による反ベンガル人、反アッサム人のシンボルとして利用されていることを念頭に置いて、デリーの中央政府に対する治安強化を促す発言をしている。

殺害された性犯罪者について、いつしかナガランドポストのような地元メディア、そして全国をカバーする大手メディアでもこの男性をアッサム人ではなく「バングラデシュからの不法移民であることが疑われる者」と報じるようになっている。「外国人による犯罪」とすることにより、国内でのコミュナルな色あいを薄めようという当局の意思が反映されているのか、報道機関による自制ということなのかもしれない。あるいは隣国から不法に移住したがゆえに、逮捕された際に自らのアイデンティティーを偽っていたことが後になってから判明したということなのかもしれないが。

Centre concerned as tensions run high in Nagaland (The Hindu)

北東インドでコミュナルな色合いの濃い流血事件が起きると、その背景には奥深い闇が横たわっていることが多々ある。

バーングラーデーシュの2タカ硬貨は日本製

すでに1年ほど前の話になるが、日本の独立行政法人造幣局がバーングラーデーシュの2タカ硬貨を製造することとなっている。

バングラデシュ中央銀行から2タカ貨幣の製造を受注(独立行政法人造幣局)

バングラデシュ2タカ貨幣製造受注に関する契約調印式(独立行政法人造幣局)

他にもニュージーランド、スリランカ、カンボジアブルネイミャンマーオマーンなどの記念硬貨の製造を受注している。また、独立行政法人印刷局はインドネシア政府証券印刷造幣公社との間で技術協力等に関する覚書を交わしている。

独立行政法人国立印刷局とインドネシア政府証券印刷造幣公社との間で技術協力等に関する覚書を締結 (独立行政法人国立印刷局)

日本の紙幣の印刷に使われているのは株式会社小森コーポレーションの印刷機だが、インド中央銀行に紙幣製造一貫プラントを1996年に納入開始している。

日本の貨幣製造技術が国外でも高く評価されているがゆえのことであり、人々が日々手にするお金に日本の「技」が生きているということは喜ばしく思う。

インドの華人コミュニティ

TAIPEI TIMESのウェブ版に、中印紛争以降のインドで迫害や不利益を受けてきた中華系コミュニティに関する記事が掲載されている。

FEATURE: India’s fading Chinese community reflects on war past (TAIPEI TIMES)

彼らが紛争勃発後に、敵性国民としてどのような扱いを受けてきたかについては、上記リンク先にあらましが書かれているので、あらためて説明するまでもないだろう。

彼らのコミュニティは、コールカーターに集中しているが、紛争以前にはムンバイーにも小さなコミュニティは存在していただけでなく、その他の主要都市にもいくばくかの華人人口があったようであり、現在もまだ残っている人たちがあるようだ。

北東地域もその例外ではなく、アッサムにもかなりの数の華人たちの姿があったようだ。紛争勃発当時はまだアッサムの一部であった現在メガーラヤ州の州都シローンで、今でも商いを営む中華系の家族があることからも容易に想像がつくだろう。

近く、インド人作家のリター・チョードリーによる、アッサム地方に暮らした華人たちに焦点を当てた歴史小説が出版される予定だ。

Makam by Rita Chowdhury

この本は、今年の春あたりに出る予定であり、私自身もそのころすでに予約しているものの、どういう理由なのか知らないが、かなり遅れているようだ。大変興味深い内容であるに違いないので、とても楽しみにしている。まぁ、気長に待つことにしようと思っている。