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カテゴリー: food & drink

  • Cha Project コールカーター華人街復興計画

    最盛期には2万人を数えたというコールカーターの華人人口。市内中心部のラール・バーザール界隈を中心とするあたりを旧中華街とすれば、東郊外のテーングラー地区が新中華街となる。

    どちらも1962年の中印紛争の勃発にともない、敵性国民として検挙されたり、ラージャスターン州にある強制収容所に送られるなどといった扱いを受けるようになってから、その数は激減。同様に、そのころまでは西ベンガル州のダージリン、アッサム州(1972年に分離したメガーラヤ州を含む)の一部にも存在していた華人コミュニティもこうした動きにより大打撃を受けることとなった。

    その後も華人人口は漸減しており、インド国外、とりわけカナダに移住する人たちが多く、彼らは直接大陸から来たわけではなく、父祖は中国出身でも自身の生まれ育ちはインドであるため、「印度華人」というアイデンティティを持つことになり、こうした人たちが旧正月にはコールカーターに残る親戚を訪問したりしている。

    さて、この中華街復興のため、10億ルピー規模のプロジェクトが進行中であるとのこと。その名も「茶プロジェクト」というもので、観光振興を狙ったものであり、シンガポールの華人グループと西ベンガル州の観光担当部門が共同で進めていくものであるとのこと。

    混雑している旧中華街の小路を「フード・ストリート」として打ち出し、郊外でスペースに余裕がある新中華街では文化紹介やエンターテインメント的な場を準備するとのことだ。両中華街が今後どのようになっていくのか、お手並み拝見といったところだ。

    すでにシンガポールではそうしたプロジェクトは手慣れたものであろうことから、ソツなく上手にまとめてみせてくれることだろう。

    Kolkata: Rs 100cr revival for ‘twin Chinatowns’ (THE TIMES OF INDIA)

     

  • 東京都内のインド料理店

    東京都内のインド料理店

    従来、多くの「インド料理店」とは、ムグライ料理やパンジャーブ料理といったインド北西部の料理が大半であった。その経営者や従業員も主にインド北西部かネパール、パーキスターンから来た人々というケースが多く、どこも似たり寄ったりの食事を提供していた。

    そのため、インド料理といえばタンドゥーリー・チキンやケバーブ、そしてナーンが必須であるかのように捉えられていたりするようだ。

    そんなわけで、南インド料理を標榜するレストランでもこれらのディッシュがメインメニューに挙げられていたりして、ちょっと何だかなぁ?と思ったりする人も少なくなかったことだろう。もちろん現在も同様で、新しくオープンした料理屋を覗いてみても、往々にしてそんな具合。

    ちょっと趣向の違う感じの店となると、飲み屋主体の店などもあるが、そうしたところでは「メイン」の品目に入っているタンドゥーリー・チキンとやらが、タンドゥールで焼いたものではなく、食紅だかパプリカだかで赤く着色した鶏肉のブツ切りを油で揚げたものになってしまっていたりして、これまたたまげてしまう。知り合いのヒマーチャル出身のオジサンがやっている「オヤジの手料理」的な店では、おそらく簡単に手に入るし、冷凍の大きな半身を買うと安いからなのだろうが、魚料理にシャケ(!?)を用いていて、これまた困ってしまうのである。こんな具合だったら、東京で「標準化」されたありきたりの店のほうがよっぽどマシだったりするのだ。

    だがそんな状況の中でも、インド各地の料理で勝負する店もいくつかあるようだ。

    インド料理の固定観念が180度変わる珠玉の12軒in東京 (mecicolle)

    個人的には、ピュア・ヴェジながらも多彩な小鉢とバリエーション豊かな味わい、食事の最中にこれまた様々な甘味類が提供されるグジャラーティー・ターリーの専門店が出来たら楽しいのになぁ!と思ったりもする。

    グジャラーティー・ターリー

    次々にいろんなアイテムが気前よく提供される中で、「ライスを頼んだらシメの合図」というグジャラーティー・ターリーのお約束事は、米食文化の日本には合わないはずではあるけれども。いや、それよりも大変高価なターリーとなってしまいそうで、なかなか手が出ないものになるのではないかと心配したくなったりもする。

  • MAJNU KA TILLA

    MAJNU KA TILLA

    デリーのカシミーリー・ゲートから北の方角、ヤムナ河とアウター・リングロードに挟まれた部分に、チベット難民たちの定住地として有名なマジヌー・カー・ティッラーと呼ばれる地域がある。デリー・メトロのヴィダーン・サバー駅を降りたところから、この場所を往復している乗合オートリクシャーを利用することができる。

    オートを降りて、歩道橋で道路を越えた先がこの場所。沢山のタルチョがかかっていたり、チベット旗が建物にかかっていたりすることから、いかにもチベット人居住区という感じがする。

    チベット人地区の入口
    チベット仏教寺院
    非常に狭い路地。こうした建物は違法建築ということになるのだろう。

    最後にここを訪れたのは、もう十数年も前のこととなっているので、着いてしばらく歩いてみても、ここが同じ場所であるとはとても信じられなかった。建物の背が高くなり、空が非常に狭くなっているためもあるだろうし、洒落た店が増えているためでもあるかもしれない。もちろん、ずいぶん前のことであるがゆえに、私の記憶自体が変質してしまっているということも考えられるが、それら全てが合わさった結果、「とてもどこだか判らない」という具合に感じられるのかもしれない。

    狭い路地の多いオールドデリー地区にあっても、あまりに狭く、くねくねと曲がり、道幅が少し広くなったり、極端に狭まったりしている頭上に高い建物がそびえている様子から察するに、このあたりのビルの多くは典型的な違法建築なのだろう。近年はさらに上階を建て増ししたりして、この有様にさらに拍車がかかっているのではないだろうか。

    路地にはインド人の姿も少なくないが、チベット人たちがやはり多い。さきほどこちらに渡る歩道橋には路地には仏具の店があったりして、チベット文化圏のラダックのレーに戻ってきたような気さえする。中国からの麺その他の食品の輸入品が食料品店の店頭に並べられているのも目にする。

    実に久しぶりに来てみたということもあるし、すでに昼前になっているが、まだ朝食を済ませていないため、レストランに入ってみることにした。月並みではあるが、ギャトクとモモを注文して、かなり待たされたものの大変おいしかった。

    ハウズカース・ヴィレッジにあってもおかしくないようないい感じのレストランやチベット関係のグッズの気の利いた店もあって、なかなか楽しい。また、このあたりにはゲストハウスがいくつもあり、外国人の姿もままあることから、滞在している人たちもあるのではないかと思う。両替所もあるので特に不便はないことだろう。今度デリーに来たときには、ここで滞在してみるのもいいのではないかと思う。

  • ナマステ・インディア2014

    今年で22回目の開催となるナマステ・インディアは、東京都渋谷区の代々木公園のイベント広場にて、9月20日(土)と21日(日)に開催される予定。

    だが代々木公園に端を発するデング熱の関係により、今週9月6日(土)と7日(日)の日本インドネシア市民友好フェスティバルもその次の週9月13日(土)と14日(日)のベトナムフェスティバル2014も中止となっていることから、ナマステ・インディアについても雲行きはかなり怪しい。

    「いつもこのイベントに来るとバッタリ出会う人」や「いつもこれに来ると見かける人」がよくあるのではないかと思う。屋外のイベントに出かけてみるにはとても気持ちのいい季節。当日は好天に恵まれることを期待したいものだ。

    ただし近年の会場の混雑ぶりはいかんともしがたく、「開催日の午前中に激しい雨でも降れば、人出が少なくなっていいかも?」などと、ちょっと意地悪なことを思ってしまったりもする。

    現時点では開催か中止かについての発表はなされておらず、まだ開催期日が少し先ではあるのだが、一体どうなることやら・・・。

  • スィットウェへ2

    スィットウェへ2

    ミャンマー・ブームでヤンゴンの宿泊費が高騰しているのはよく知られているところだが、地方の観光地もまた同様の傾向がある。国際的にも有名なバガンやマンダレーはそれでも元々の客室数のキャパがあるので急騰するというほどのことはないのかもしれないが、よりマイナーで訪れるお客が少なかったところでは、存在する宿の数が限られているため、ヤンゴンのようなビジネスや投資関係での需要はほとんどなくても、観光客がこれまでよりも少し多く訪れるようになるだけで、ずいぶん影響が出るようだ。

    スィットウェで、エアコンが付いているちょっと小奇麗なシングルルームが40ドル前後もするというのは明らかにおかしい。経営者たちの間でそういう密約があるのかどうかは知らないが、宿の数自体が数えるほどしかないため、そのようなことが可能となってしまう。これについては外国人料金が設定されているため、地元の人たちが同額を支払っているわけではないようだ。

    たいていの宿では外国人料金がいくらで、地元料金がいくらであるかは教えてくれなかったりするのだが、ごく新しく出来た比較的安めの一軒ではその料金が前者はドル建て、後者についてはチャット建てで表記されていた。チラリと見ただけだが倍以上の開きがあるようだ。

    今後、ミャンマーの経済成長が進み、観光のインフラも整備されていくにつれて、国内の旅客の潜在的な需要も大きい。今後、宿泊費に関する内外格差が解消するのかどうかはよくわからないが、宿泊施設が増えていくことにより、相対的に料金が手頃になっていくことを期待したいものだ。


    結局、この町ではストランド・ロードにあるストランド・ホテルという名前のホテルに宿泊することにした。まるでヤンゴンにある東南アジアを代表する名門のひとつであったホテルのようなロケーションと名前だが、これとはまったく無関係の新築ホテルである。シングルルームで60ドルと、この田舎町にしてはずいぶん強気な設定だが、開業してからまだひと月とのことで、ロンリープラネットのようなガイドブックにもまだ取り上げられていないのだが、すっかりくたびれた感じの宿に40ドル、50ドル支払うよりも気持ちがいいので投宿することにした。やはり宿は新しいに限る。非常に清潔で、コテージタイプというのもいい。室内もスタイリッシュだし、スタッフもフレッシュな雰囲気でキビキビと働いている。

    水際に政府関係の大きな建物や市場などが並び、水運時代の植民地期に開かれた当時のたたずまいを残しているようだ。ここを軸にして背後に繁華街、そしてさらに裏手には住宅地が広がる。マウラミャインも似たような造りの町である。


    この時期、市場で外見はビワのような小型のマンゴーが売られている。上の画像の左側の小さなものがそのタイプである。姿形に似つかわしくなく、味はそのままマンゴーなのだが、水分が多くて酸味も強いジューシーな味わい。果実の量に比して種子の部分が大きいため、あまり食べられる部分は多くはないのだが。ひとくちにマンゴーといっても、実にいろんな種類があるものだ。


    河沿いのマーケットには米のマーケットもある。実にいろいろな種類のコメがあるもので、インディカ系のコメにもいろいろ粒が小さかったり、大きかったり、赤みを帯びていたり、もち米であったりといろいろある。もち米はやはりシャンのものであるという。輸入米もインドからの長粒種、タイ産のものもある。世界的な米の大産地であるこの国でも、外国から輸入もしているとは知らなかった。個々の嗜好によりいろいろな米を食べているのだろう。

    それはさておき、日中の気温は40℃くらいまで上がるので、夕方のビールが実に旨い!

    〈続く〉

  • ヤンゴン到着

    ヤンゴン到着

    ヤンゴンに着いた日の晩は、空港目の前のホテルSEASONS OF YANGONに宿泊した。

    数年前には朝食込で一泊の料金が25ドル、30ドルといった料金で、ずいぶんなお得感があったものだが、ミャンマー・ブームで市内の宿泊料が急騰のご時勢だけに、70ドルというところまで来ている。私は、翌朝早い時間帯にフライトに搭乗する予定がある場合、ホテルから道路を渡るだけで国内線ターミナルにも国際線ターミナルにも着いてしまうという安心感から利用していた。

    今回は、翌朝のフライトは午前11時という非常に楽な時間帯ではあるものの、朝の時間をゆったり過ごしたくて、ここに泊まることにした次第であるが、たかが「寝るだけ」のスペースのために70ドルというのは無駄に感じられるとともに、また近い将来訪れる際にはさらに金額が上昇していることは間違いないので、私がこのホテルをまた利用することはないように思う。

    空港近くに宿泊していると、雑踏が恋しくなり、タクシーでダウンタウン地区まで出ることにした。ところどころで、新しくオープンしたらしい時計やカバン等の高級ブランドの直営店(?)などが目に入ってくる。これまではインドの街に似ている印象を持っていたヤンゴンの街だが、今にタイの街のような感じになっていくのだろうか。

    ダウンタウンで下車して、中華料理屋で夕食を取った後、ドーナツ屋でコーヒーを飲みながら店内のWIFIを利用してメールのチェック。隣の席には子連れの母親が彼女自身の妹らしき女性と楽しそうに会話している。小学校に入るあたりの子供がいながらも、非常にお洒落で美しい人がいるというのは、やはりこれから豊かになりつつある都会らしいところなのかもしれない。生活にゆとりがあるゆえのことである。

    窓の外を行き交う人々を眺めていると、とりわけ若者たちの間ではロンジー姿ではない洋装になっている人たちがずいぶん多くなっていることに気が付いたりもする。通りには携帯電話のハンドセットを販売する店が増えているが、前はどんな商売をしている店舗が並んでいたのかよく思い出せない。

    ミャンマー・ブームの到来は、ビジネスだけではなく観光客も大いに誘致する結果となったことを受けて、スーレー・パゴダ近くのこのエリアには、まだ商品は垢抜けないものの、明らかに外国人観光客のみを相手にするみやげもの屋もいくつか出来ている。今後も通りの眺めはどんどん変化していくことだろう。

    日没後、次第にあたりが暗くなっていくこの時間帯、店内に入ってくる人や出ていく人、外を歩いている人たちの様子などをウォッチングしているのもなかなか楽しかったりする。

  • 5月の代々木公園は「タイ月間」

    2014年5月17日(土)と18日(日)に、東京都渋谷区の代々木公園でタイフェスティバル2014が開催される。例年大盛況のイベントであり、今年も大勢の人出が予想される。すでに代々木公園のイベント広場も手狭になっているのだが、他に替わる会場がないため、仕方ないのだろう。

    そのちょうど1週間前の5月10日(土)と11日(日)には同じ会場にて、やはりタイ関係のソンクラン・フェスティバル2014も開催される。さらには、タイフェスティバル開催後には、5月24日(土)と25日(日)のラオスフェスティバル2014、そして5月31日(土)と6月1日(日)に行われるメコンダンスストリート2014というイベントもやはりこの場所で開かれるため、タイ料理レストラン、タイやその周辺の製品を扱う食材や民芸品等の業者、NGO等々については、連続して出展してくるところもあることだろう。また、来場するお客の層も大きく重なるものがある。

    今年の5月の代々木公園は、さしずめ「タイ月間」といった様相になりそうだ。

     

  • パーキスターンに味の素進出

    かつてアジアで「グルタミン酸を旨みと認識する食文化圏はヒマラヤの手前まで」と言われていたことがあった。

    確かに中国や東南アジアではそのような食文化が展開されていて、インドから西はといえば、異なる味覚の世界という捉え方がなされていたようだ。

    もちろんそれらの国々でも肉の旨みというのは誰もが判っていたこととは思うが、グルタミン酸調味料の大きな商圏といえば、やはりアジアの東側であったことは間違いない。

    だがここ数年は、エジプトで「行商スタイル」での営業活動を展開する味の素が売上を伸ばしていること、人口増加率が高くて若年層の人口が厚く、今後順調な所得増が見込まれるイスラーム圏(といってもあまりに広大だが)での販路を求めて様々な策を練っている様子が伝えられている。

    なぜエジプトで“味の素”が売れるのか?(東洋経済)

    味の素、東アフリカに進出へ ケニアに拠点、来年度から販売 (SankeiBiz)

    また、最近は日本初のハラールファンドが設立されて、日本の食品業界が本腰を入れてイスラーム圏へ進出を図りつつある様子もうかがえる。

    日本初のハラルファンド 地銀など50億円出資 (日本経済新聞)

    このあたりの動きが可能となったのは、やはり化学調味料メーカーの営業努力はもとより、昨今のグローバル化により、食の分野でも多様化が進んだことも背景にあるのだろう。

    同様に、日本国内の消費が長く頭打ちであること、中国や東南アジア方面でも競合相手が増えて、マーケットが飽和状態にあるため、これまでは「圏外」であった地域に活路を求めなくてはならなったという事情もある。

    そこにきて、4月に入ってから新聞紙上を賑わせていたこんな記事もあった。

    味の素、パキスタン進出 「ハラル」市場の攻略拠点に(日本経済新聞)

    これらの地域へのグルタミン酸を主原料とする調味料等の販売はネスレをはじめとする欧州勢が先行しており、日本企業はこれを追う形になるのだが、化学調味料の浸透とともに、地元の食の世界もジワリと変化を迎えつつあるのだろう。

    果たしてそれが良いことなのか、そうでないのかは定かではないものの、今後の行方に注目していきたい。

  • 第15回カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ

    長年に渡って恒例のイベントとなっているJAPAN BANGLADESH SOCIETYによる「第15回カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ」4月20日(日)に池袋西口公園にて開催される。

    関東一円ならびにその他の地方からも在住のバーングラーデーシュ出身の人々が集まり、このときばかりは日本国内での催しものとは思えないほど大勢のベンガル人たちの姿が見られる。私自身もここに出向くと、そのあたりからやってきて日本に定住している知人たちとよく再会するので楽しみにしている。

    南アジア系の料理屋も多く出店しているので、東京都内でどこか新しいお店を開拓してみようかと思っている方にも、味見したりスタッフと話してみたりするのにちょうどいい機会であることだろう。

    この手のイベントは天候に左右される部分が大きいので、当日は好天に恵まれることを祈る。

  • ナコーダー・マスジッド

    ナコーダー・マスジッド

    ナコーダー・マスジッドのエントランス

    アーグラー郊外のスィカンドラーにあるアクバルの廟を模しているとされる、コールカーターのナコーダー・マスジッド。現在のグジャラート州西部のカッチ地方を起源とする商業コミュニティにより建造されたスンニー派のモスクで、1926年に完成している。

    この街のモスクを代表する存在であるといえるが、地元のコミュニティではなく、国内とはいえ現在のインドの西端からやってきたムスリムたちにより建造されたというのは、いかにもコスモポリタンなコールカーターらしい。同時にこのあたりにはグジャラート州などインド西部起源のムスリム住民が多いのではないかという推測もできるだろう。

    この地域は旧中華街、旧ユダヤ人地区等と交わる昔からの繁華街。元々、欧州人でも地元ベンガル人でもない外来の人々が多く定住したエリアなので、前述のグジャラートから移住したムスリムたちにも都合が良かったのかもしれない。

    1万人の礼拝者を収容できる大型モスクなのだが、狭小地に建てられているがゆえに、伝統的なムガル様式を踏襲した建物ながらも、礼拝堂が多層構造になっているのが特徴だ。

    エントランスのあるザカリア・ストリートからよりも、ラビンドラ・サラニからの側面の姿のほうが見事な造形を楽しむことができる。モスクが面している道路とキブラの方向とのズレを、建物が捻じれた構造にすることによって解決してあるため、ちょっとだまし絵のような印象も受ける。

    ラビンドラ・サラニから眺めるとこんな具合

    ユナーニー医学の腹薬

    周囲は門前町となっており、様々なイスラーム関係のグッズやその他の日用品などを商うイスラーム教徒の商売人たちの店や露店が所狭しと賑やかに並んでいる。モスクのエントランス正面にあるAMINIA HOTELという食堂は、このバーザールで最も早い時間帯から開く店のひとつのようだが、まだ辺りが薄暗いうちから店のスタッフたちが準備を開始して、通りを行き交う人々の姿が多少目に付くあたりには営業を開始している。ここのネハーリーは絶品なので、朝の時間帯にここを訪れる際にはぜひ味わっていただきたい。

    AMINIA HOTELでは、もちろんそれ以外の時間帯にも各種ケバーブ類その他、おいしいイスラーム系料理が沢山用意されている。いかにも下町の大衆的な料理屋さんといった風情で、エコノミーながらも味わいは本格的で、ナコーダー・マスジッドの向かいというロケーションも最高だ。夕方遅い時間帯になっても営業しているので、ぜひともナコーダー・マスジッド詣でとセットで訪れたい。

  • コールカーターの中華レストラン「トゥン・ナム」

    コールカーターの中華レストラン「トゥン・ナム」

    コールカーターの宿で出会った日本人旅行者と食事に出かけた。アテにしていたこの街の一番古くからある中華レストランの「欧州飯店」に電話をかけてみたが、誰も出ないのでどうやら休みらしい。

    街の東郊外にある華人地区のテーングラーまで出るのは面倒なので、ラール・バーザール近くの旧中華街に行くことにした。カルカッタ警察本部のあたりでタクシーを降りる。このあたりから先はムスリム地区になっている。

    道沿いにあるモスクのスピーカーからは、怒りをぶちまけるかのような過激な調子で、ウルドゥー語による内容も扇情的な説法が大きな音で流れている。こういうタイプのモスクがあると、ムスリム住民でもこれに同調しない人も多いだろうし、近所に住んでいたり、たまたま通りかかったりする非ムスリムのたちは、不安をおぼえるのではないかとさえ思う。

    さて、チャターワーラー・ガリーを進んでいくと、暗い夜道ながらも漢字で書かれた赤いお札が貼られた家屋がいくつもあるので、今も華人たちがかなり暮らしていることが感じられる。

    小さな店で商っている華人たちは、混血しているので一見ネパール人?と思うような風貌の人たちが多い。中国大陸からの移民は19世紀後半から20世紀初頭にかけての清朝末期、その後の国共内戦にかけて、中国の政情が混乱していた時期にインドに流入してきたわけだが、とりわけ初期の移民の大半は男性であった。当然の帰結として伴侶に現地女性を求めたケースが多かったがゆえに、現在コールカーターに居住している華人の間では、やはりどこかでインド人の血が入っていることは往々にしてある。

    さて、小路を進んでいくと、チャターワーラー・ガリーとスンヤートセーン・ロードが交差するあたりにあるのが、この旧中華街に今も残る中華レストラン「トゥン・ナム」である。ちなみにスンヤートセーン・ロード(Sun Yat Sen Rd.)とは、中国や台湾で言うところの「中山路」に当たる。Sun Yat Senとは、孫逸仙こと孫中山、言うまでもなく孫文のことであるからだ。

    平行している道路はLu Shun Sarani、つまり「魯迅路」であり、まさに中華街らしいロケーションである。しかしながらこの界隈からの華人人口の流出は著しく、隣接するムスリム地区に呑み込まれてしまっているのだが、かつて華人の屋敷であったと思しき建物は今もそのような雰囲気を残しているし、いくつかの中国寺院や華人たちの同郷会館なども見かける。

    さて、レストラン「トゥン・ナム」で席に着いて料理を注文する。経営者は客家人家族。「トゥン・ナム」とは、客家語で「東南」かな?などと想像してみたりもする。二人で訪れると、いろいろ注文できていいものだ。ご飯の豚肉あんかけ、魚と豆腐の炒め物、チョプスィー、ワンタンスープその他を注文した。どれも美味であった。インドの中華は炒め物でも最後はグレイビーに仕上げるのが特徴。やはり乾いたご飯と乾いたおかずでは食べないようになっている。

    店内のお客たちの多くは中華系の人たちであった。豚肉を出す店であるがゆえに、この地域と隣接するムスリム住民たちをまったく相手にしていないということになるが、それでもかなり繁盛しているようである。

    経営者家族は華人。注文聞きはインド人で、トイレを借りると途中で見えるキッチンの様子から、料理しているのもインド人であることがわかった。それでも味はちゃんとした中華なので、みっちりと教え込んであるのだろう。

    先述の欧州飯店では家族以外の料理人を雇うことなく、門外不出のレシピとで調理をしているとかで大変美味しいのだが、トゥン・ナムも負けず劣らずいい料理を出してくれる。やはりインドにおける中華料理の本場コールカーターの旧中華街に店を構えているだけのことはある。

    Chinese Restaurant 「Tung Nam」(火曜定休)

    24 Chattawala Gully, Kolkata 700012

    Phone.22374434 / 9831635767

     

  • モコンチュンのクリスマス 2

    モコンチュンのクリスマス 2

    モコクチュンの町

    山の上に広がるモコクチュンの町は、想像していたよりは大きく、見た感じは物資もそこそこ豊かな感じがするのは、ここまで来る道を考えると不思議である。物資を運ぶもっと効率的なルートが他にあるのかといえば、そんなことはないだろう。ナガランド最大の街、ディマープルからのルートが一部アッサムを経由するこのルートで到達するのは、他よりもベターな道路を選好してのことであるからだ。ナガランド州において、ディマープル、コヒマに次いでモコクチュンは大きな町ではないかと思う。

    Hotel Metsuben

    Hotel Metsubenという、町の中でも小高いエリアにあるところに投宿。Metsubenとはナガの言葉で「花」という意味だ。クリスマスなので、込み合っているのではないかという予想は外れた。外国人客は私以外には、インド人バイカー、フランス人の四人連れのグループ、そしてインド人家族連れが二組だけで、ガランとした感じであった。食事も材料の調達の関係があるので事前に注文しておいてくれとのこと。下半期におけるひとつのピークと思われるシーズンでこのような具合ということは、それ以外の時期には閑古鳥が鳴いていることだろう。

    私とインド人バイカー以外は、隣州のアッサム州発のツアーで来ている人たちだ。ナガランド州の交通事情を考えると、これが最善の方法であることは、クリスマス前後の数日間が州内のすべての分野において共通であり、交通機関さえもその例外ではないということを知るに至り判った。ツアーで来ている人たちと、自前の足を持っているインド人バイカー以外は、たとえ町周辺を散策してみようにも、徒歩で行くしかないだけでなく、州内の移動もままならない。同様に、この州では週末は同様の状態となるため、インドの他州と比較して、あるいは同じ山間の州と較べてみても、信じられないくらい旅行はしにくいことになる。

    スィッキム州でも地域間の公共交通機関により移動は、主に朝早い時間帯のシェア・スモウのみという具合であったが、ここでは主要な町のひとつであるモコクチュンからであっても、ディマープル、コヒマ以外へのバスやスモウは、休みの日以外であってもあるのかないのか判然としないくらい頼りない。もともと人口密度が薄く、人やモノの地域間での移動も少ないのだろう。確かに今日眺めた範囲に限られるが、沿道で見かけた集落もずいぶん小さくて簡素なものばかりであった。

    さきほどナガランド州内のウォカーから到着したインド人バイカーは旅慣れた感じの男性。5週間の休暇中で、ロイヤル・エンフィールドの大排気量モデルを駆り、遠路はるばるケララ州から来ているとのことである。ジャーナリストかライターかと思えばそうではなく、なんと医者であるという。

    「え、医者が忙しい?40歳を過ぎて自分なりの地位を固めれば、仕事は下の者たちがやってくれる。もうしゃきりきに働く年齢ではないさ。」とのこと。この人自身は50歳前後くらいだろう。インドの医者がそんなにヒマとは思えないのだが、どうやら自分で病院を経営していて、彼の子供たちや雇用しているスタッフたちに任せているので、わざわざ「お偉いさん=彼」がオペを取り仕切るようなことはないということのようだ。

    「外科医なんだが、まあアレを切ったり、これを付けたりってな具合だね。要は大工仕事と同じだ。」と笑う彼の趣味はバイクで駆け回ることであるといい、この年齢にしてバイクでケララ州から北東インドにやってきて、帰路もまたこの北東地域から一路ケララ州まで走破することになる。体力にも自信があるようで、なかなか面白い人物らしい。

    大蛇のとぐろみたいなクリスマスツリー
    立派な体格のサンタさん
    雪は降らないけど雪ダルマ
    これまたクリスマスツリーの一形態か?

    この日はクリスマスイブであったため、町中にいくつもある教会ではミサが続いている。賛美歌を合唱する様子を見ていると、これらを日本語で歌ったミッション系スクールに通った高校生時代のことを懐かしく想い出す。ギターその他の洋楽の楽器による伴奏でやっているところもあり、いかにもクリスマスというムードである。

    町一番の大きな教会
    着飾って教会前に集まる子供たち

    ナガランドのキリスト教の歴史は浅く、建築的には見るべきものはない。それでも外部の宗教とまったく縁のなかった地域で、ときに首狩りに遭い殉教してしまう宣教者を出しながらも、教えを広めていったバプティストの人たちの情熱と根気には頭が下がる思いがする。もともとイギリスによる統治に対する反抗が強い土地だったので、そうした外来者による宣教についても相当な嫌悪感や反対もあったことだろう。

    ミサの後に撮影。教会の中はこんな感じだった。

    ナガランド、マニプル、ミゾラムは禁酒州ということになっているため、バーはなく、ホテルでも酒は出していない。どこか闇のバーはあるのではないかと思うのだが。禁酒州がゆえに、町中には酒の広告類もない。ここに住んでいる人たちは、アッサムに出かけて「おおっぴらに飲む」ことに喜びを感じたりするのだろう。

    地元の人たちはけっこう飲んでいるという話もあるので、どこかでかなり出回っているのだろう。軍用に大量に供給されているはずなので、そのあたりからも流れているものがあるのではないかと想像はできる。マーケットや空き地などでビールの空き缶やウイスキーの空き瓶などを見かける。

    夕食は宿のレストランにて。ナガのチキンの料理を食べる。大豆発酵させた調味料を使っているため独特の臭いがする。ちょっと納豆に近いような、そうでもないような具合だ。味わいについては賛否が分かれるところではないかと思う。

    旨いかどうか微妙な味
    ナガ料理については人により評価が大きく分かれるはず

    夜は嫌になるほど冷え込む。二枚の毛布の下に、フリースを着たまま潜り込んだのだが、それでも寒くて寝ることができないほどだ。

    昼間もそうであったが、布団に入ってからも外からはまるで銃撃や爆弾のような物凄い轟音の爆竹の音が断続的に響いてくる。ディワーリーのときによく鳴らしているものと同じだが、子供達の遊びとしてはちょっと危険過ぎる。誤って失明したり指を失ってしまったりという話も耳にする。あんなものは禁止してしまえばいいのにと思うが、そのあたりのさじ加減というか、許容度は日本とインドでは天地の差がある。危険だからと禁止してしまえばいいかといえばそうでもなく、こうしたことから学ぶことも少なくないことも事実であるからして、さじ加減がむずかしいところだ。

    夜はとても冷え込む

    〈続く〉