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カテゴリー: food & drink

  • ターリー定期券

    ターリー定期券

    バスでローハルガルを後にして、スィーカルに到着。バススタンドに面した新築のホテル内にあるレストランに入る。
    なんと、ここでは「ターリー定期券」なるものが設定されている。ひと月3500Rs支払えば、何回来ていくら食べてもOKというシステム。ここのターリーは簡素だが味はよかった。この町に単身赴任していて、住居がごく近いというような一定の条件が揃っている人にとっては、なかなか魅力的かもしれない。

    「ターリー定期券」月3,500Rs
  • クールワル・コーティー

    クールワル・コーティー

    ナワルガルでの宿泊先は、クールワル・コーティー(Koolwal Kothi)。この建物は1934年竣工。19世紀終わりから20世紀初めにかけて、建てられたハヴェーリー(屋敷)は、それ以前とは違って西洋風建築が主流となるが、1930年代半ばともなると、こうした大きな建物が造られた最後の時代と言っても良いだろう。

    近年は、シェカワティーのハヴェリーで、異なる様々な時期やタイプのものが、こうして宿泊施設に転用されているため、いろいろ宿泊してみると楽しい。

    ちょっとアップマーケットな施設が多いのだが、シーズンオフとなる暑季には宿泊客がほとんどいなくなるため、各種予約サイトを通じて大幅に値引きされたプランで出ている。

    かつて様々な藩王国が割拠したラージャスターン州、グジャラート州では、各地にそうした王たちのパレスであった建物で、現在は「宮殿ホテル」となっているものが沢山あるが、シェカワティー地方においては、往年の「豪商の館」がご当地ならではの宿泊施設となっている。

    シェカワティー地方に共通して言えることだが、小さなダーバー(安食堂)を含めて食事をできる場所が極めて少ない。往々にして宿泊先で済ませることになるだろう。

  • AL – JAWAHAR

    AL – JAWAHAR

    ジャマーマスジッドの近くのエリアにあるムガル料理の名店、AL – JAWAHARへ。
    ひとりで行ったので多く食べることはできないが、マトンシチュー、タンドゥーリーローティー、シークケバーブを注文。
    さすが人気店だけあって、食事時を外れた時間帯でもお客の出入りは多い。
    極上で奥行き深い味わいを堪能し、大変満足した本日の午後である。こういう食事、つまりムグラーイーを味わうに、本場デリーに来なくてはいけないことを実感。やはり旧ムガル朝のお膝元にあってのものなのだろう。
    出来れば5人くらいで出かけていろいろ注文してみれば、賑やかな食卓でいろいろ味わうことができて良いことだろう。

  • 朝食と喫茶

    朝食と喫茶

    アングロインディアンな朝食は、亜大陸どこに行っても普遍的で、それこそペーシャーワルだろうが、ダッカだろうが、デリーで食べるものと大差ない。

    おまけに英領下ではなかった(とはいえ深い縁を持つこととなった)ネパールでも普通にあるし、まだ訪れたことはないがブータンでも同様だろう。加えて、英国が短期間ではあったが影響下に収めたアフガニスタンでもごく普通にブリティッシュな朝食はあるのだろう。少なくとも街なかでは。

    それにしても朝食アイテムばかりが、やけに広く普及して現地化するというのは面白いが、喫茶の習慣とセットで捉えるべきかもしれない。立場、地位の異なる人が会食する習慣のなかったインドで、チャーイを入れる店先で様々な人々が集い、議論が生まれた。

    英領末期のカルカッタでは、当時まだ珍しかったカフェで、紅茶カップを片手に人々が社会を語り、それはインド独立への大きなうねりを後押しするとともに、そうしたインテリ層の中からは後に貧農たちと手を携えて闘おうという左翼革命思想も台頭し、その流れのひとつがナクサライト(マオイスト)勢力となった。

    喫茶の習慣は、階層間の対話と議論の場を提供し、インドを大きく変えた・・・と言っても大げさではないだろう。

  • REVOLUTIONARIES

    REVOLUTIONARIES

    露店の店構えに革命が起きているように思う。この清潔さ、この洒落たたたずまい。
    お兄さんたち、オジサンたち、見た目はまったくサエないけど、露店業界のゲバラなのかもしれない。
    近くには、「サルダールジー」という露店を出している業者のオフィスまであった。少なくとも、従来の露店とは、ちょっと形態が違うと言えるかもしれない。

    その名も「サルダールジー(スィク教徒の愛称)」という露店
    隣の別業者による露店。衛生にとても気を使っているように見える。
    これまた別の露店だが、ちょっとオシャレな感じ。
    露店「サルダールジー」の「本部」はこのオフィスであった。
  • Sita Ram Diwan Chand

    Sita Ram Diwan Chand

    パハールガンジの奥まったところにあるSita Ram Diwan Chand。デリー在住の方に連れて行ってもらったのだが、パハールガンジにこういう朝食の名店があるとは知らなかった。チョーレー・バトゥーレーの専門店。

    朝8時に開店。直前までシャッターは閉まっていたが、奥ではスタッフがすでに準備していたようだ。基本的に立ち食いの店だが、パハールガンジにありながらも、ずいぶん清潔でスタッフはキビギと効率良く働いている印象。持ち帰りのパッケージも販売されているため、これから鉄道で移動などという場合には、ここで調達してから乗車するといいだろう。チェーン展開しているかといえば、そうではないようで、店舗はここにしかないそうだ。

    店内で食べる
    持ち帰り用パッケージはこんな具合

    大変美味で、毎日でも通いたいおいしさだが、店内はこれから仕事に出かけるという人たち、あるいはこのあたりのオフィスにて働いているあるいは経営しているらしき人たちが多いようだ。おそらく常連さんたちなのだろう。

    Sita Ram Diwan Chand

  • マジヌーカーティーラーのチベット難民コロニー

    マジヌーカーティーラーのチベット難民コロニー

    ダリヤガンジに書籍を買いに行った後、少し足を伸ばしてマジヌーカーティーラーのチベット人マーケットへ。昼食はここで済ませることにした。

    チベット難民コロニー入口のゲート

    界隈は、1980年代後半あたりの有様からは想像も出来ないくらい変容した。インドのどこ場所についても、そんな昔と比較するのはナンセンスなのだが、この場所については、高級化、利便性の向上具合が凄まじい。

    洒落たブティック(チベット衣装を売っている)、モダンなテイストの品々を揃えてセンスの良い店内レイアウトの仏具屋、快適そうなゲストハウスやホテル、人気のレストラン(主にチベット料理)などがひしめき合っており、露店が立ち並んでいた昔と同じ場所とは思えない。

    非常に建て込んでいるうえに、高層化が進んだ(大半が違法建築のはず)ため、昼間でも果たして朝なのか夕方なのか判然としないほど陽が差し込まない。

    チベット人の中年女性が白い小石のようなものを袋に入れて売っているが、これはチベット式の乾燥式チーズだが、どこから運んできたのか、あるいは仕入れたのか尋ねてみたが、この人にはヒンディーも英語もまったく通じないため、インドにやってきて日が浅いチベット人なのかもしれない。

    チベット式乾燥チーズ

    ダラムサラをはじめとする在留チベット難民が多いところでは、「最近インドにやってきた」という人に出会うことは珍しくはない。そういう人でも、何かしら仕事や居場所があるのは、やはりチベット人居住区ならではといえる。

    昼食は、チベット料理の店でトゥクパとシャプタ(薄切り肉のソテーみたいなもの)を注文した。水牛のものが品切れとのことで、チキンものとなる。

    チキンシャプタ

    中華料理の影響が強いチベット料理だが、中華料理ではポピュラーなのに使われない食材がある。それは魚だ。

    すべてのチベット人が魚を食さないのか、広いチベット文化圏どこでもそうなのかは知らないが、一頭殺せば何人もが食べられる四足獣や鶏と違い、小さな川魚はひとつの命が与えることのできる恩恵が小さいため、殺生がより罪深いということになるらしい。

    そうした意味から、川魚ではないが私たちの大好きなイクラやタラコのようなものは、とんでもなく罪深い殺生ということになるというようなことを聞いたことがある。

  • デリーでパールスィー料理を楽しむ

    デリーでパールスィー料理を楽しむ

    イスラーム教徒の勢力に圧迫された拝火教徒たちが、イランからインドに移住したのは10世紀(8世紀という説もある)。つまり1,000年以上経過しても、独自のアイデンティティを維持するとともに、独自の食文化も保持している。

    インド国内でわずか6万人程度というコミュニティーで、多くはムンバイーやアーメダーバードなどに集中しているのだが、さすがはインドの首都デリーだけのことはあり、ここでもパールスィー料理にありつくことはできるのだ。

    このレストラン「Rustom’s Parsi Bhonu」は、パールスィー寺院とダラムサラから成る敷地内にある。ダラムサラのカンティーンと書かれているため、簡素な場所を想像したのだが、ちゃんとした、しかも小洒落たクラシックなレストランであるのは、リッチなパールスィーらしいところかもしれない。

    パールスィー寺院
    パールスィーのダラムシャーラー。レストランはこの中のカンティーンという位置づけらしい。

    私が訪れたとき、BGMがビートルズというのも、いかにものパールスィーらしく感じられた。イスラーム化とともに先祖の故郷を追われてインドに定住したパールスィーだが、英領時代に生活スタイルが西洋化した、オリエント起源で非クリスチャンのウェスタナーと言ってもよい部分があるのがパールスィーだ。

    元クイーンの故フレディー・マーキュリーがムンバイーのパールスィーの一族に生まれ、ザンジバルで子供時代を過ごした後、英国に移住したが、そういう人物をパールスィーのコミュニティーが生んだことは、何ら不思議ではないことなのだ。

    メニューにはいろいろなものが用意されているのだが、一人で食べに行くと、何皿も注文出来るものではないので、結局ターリーにした。

    前菜のようなもの?から始まる。
    「ターリー」に含まれるどのアイテムも上品な味わい。
    デザートとして注文したラガ・ヌー・カスタードの甘美味で夢心地。

    それでも前菜?みたいなのから始まり、味わいは洋食みたいであるのは興味深い。本日出たアイテムはすべて上品な味わいであるとともに、やはりボンベイを想起させる都会的なムード。

    とりわけ面白かったのは、ターリーを食べ終わってから注文したLaga Nu Custardである。
    「パールスィーの婚礼のときによく出されるものです。メレンゲを加えてふんわりと仕上げてあります」とのことで興味を持ったが、今のイランやトルコの甘いもの屋にあってもおかしくないような菓子であった。

    イスラミックなイメージのあるローズウォーターで味を整えてあるが、パールスィー伝来の菓子がこの風味を持つとすれば、イランがイスラーム化する前からあったものということになり、本来イスラームとは無関係の味わいと香りということになるのではなかろうか?

    レストラン名:Rustom’s Parsi Bhonu
    所在地:Delhi Parsi Dharamshala, Bahadur Shah Zafar Marg, Delhi 110002, India
    電話:+91 99100 60502

  • ウズベクレストランでプラオを食す

    ウズベクレストランでプラオを食す

    インドのイスラーム料理のルーツは、中央アジア、ペルシャ、アラビア。インドのビリヤーニーの祖先、あるいは親戚にあたるウズベクのプラオをデリーで食べるという喜び。

    食は文化。同じアイテムが地域や民族を超えて伝播すると、それぞれの趣向や解釈が加味されて姿を変えていく。ビリヤーニーはインドが独自のアレンドを加えたプラオである。

    食事をしていても大陸規模の地域文化や歴史の連続性、ひいてはそれらを伝えたイスラーム共同体(共存共栄する繋がりばかりではなく、征服者と被侵略者というケースもまた多かったにしても)のネットワーク、イスラーム文化の強烈なインパクトと浸透力を感じずにはいられない。

    それはさておき、マジョリティがヒンドゥー教徒のインドとはいえ、非ムスリムにおいても、歴史と社会、建築文化、言語、風俗習慣、日々の行動などに、否定しても切り離せないイスラーム起源の習俗が色濃く残されている。ゆえに、現代のインドもまたイスラームに深く影響された国のひとつである。

  • タイフェスティバル2018

    都内における最大級の屋外イベントのひとつ、「タイフェスティバル2018」は、東京渋谷区の代々木公園にて、5月12日(土)および13日(日)に開催される。

    タイ王国大使館が主催するこのイベントは、現在では名古屋と大阪でも開催されるようになっており、それぞれタイフェスティバルin名古屋(6/2, 6/3)タイフェスティバル大阪(5/19、5/20)として開催されており、いずれも盛況のようだ。

    なにぶん天候に左右される部分が大きい屋外イベント。これら催しの日は好天に恵まれることを期待したい。

  • SEI VUI RESTAURANT

    SEI VUI RESTAURANT

    カルカッタの旧チャイナタウンで進む「茶プロジェクト」もあって、かつて中国から単身で渡ってきた男性たちが起居した宿舎スペースが、このほど「SEI VUI RESTAURANT」中華レストランになったとのこと。

    たしかこの建物やその界隈には、華人の同郷会館(出身地ごとの寄り合い組織)があり、いかにも華人居住区というか、そういうムードの建物が多い。

    ムスリム地区と重なっているので、華人よりもインド人ムスリムのほうが沢山で、少し南に下るとアングロインディアン、東に進むとユダヤ人、アルメニア人地区に近い、いかにもカルカッタらしい人種と文化のるつぼといったエリア。

    カルカッタへの華人移住は18世紀からはじまっているが、とりわけ19世紀後半から20世紀前半にかけて、中国の動乱の時期にかけて渡ってきた人たちが多い。

    主に広東省、とりわけ梅県からやってきた人(広東人と客家人)たちが占める割合が高かった。今のように交通が普及し、情報化が進んだ時代ではないので、各地から幅広くというものではなく、何かしらの縁やコネのある地域から大量に移住というケースが普通であったようだ。

    英領下でインドと合邦していた時期にインド人労働力を投入し、20世紀初頭までは定住した人々のマジョリティがインド人であった「インドの街ラングーン」のヤンゴン華人の故地もカルカッタ華人のそれとほぼ重なる。

    これはマレー半島における南インド系の人々の移住パターン(かなり狭い範囲から集中的に移住しているという意味で)とも共通するものがある。

    当時、労働者として渡った多くの人々は読み書きが満足に出来る人は稀だったので、書き残されたものはほとんどないかと思うが、こうした人たちを斡旋する業者みたいなのはどうだったのか?
    大陸から遠く離れて、インドに移住し、たくましく定着して富を築いていった華人たちの手記の類があったら読んでみたいものだ。

    SEI VUI RESTAURANT (Youtube)

  • 第19回カレーフェスティバル&バングラデシュ ボイシャキ メラ

    2018年4月15日(日)に東京の池袋西口公園で、ジャパンバングラデシュソサエテイによる「カレーフェスティバル&バングラデシュ ボイシャキ メラ」が開催される。今年でもう19回目となるだけあり、この時期の池袋の風物詩としてすっかり定着している。

    このイベントに出入りする人たちの半分くらいは在日のバングラデシュの人たちで、関東一円はもとより、東北や関西など遠くから同胞の集まりにやってくる人たちも少なくない。そんな具合なので、当日の開催時間だけ、池袋西口がさながら「リトルダッカ」といった様相になる。

    回を重ねるごとに、参加しているバングラデシュの人々の中に年配者の姿も増えてきている。これはバブルの頃に来日して定着した人たちの中で、そういう年齢を迎えた人もあれば、両親等を呼び寄せたといった要因もあるのだろう。

    また、日本生まれの元気な子供たちの姿も少なくないのだが、昔はあまり見かけなかった在日のベンガル系中学生、高校生くらいの少年少女たちの姿も多くなった。やがて在日三世の姿も見られるようになるのだろう。

    かつては20代から30代くらいの男性が大半であった在日バングラデシュ人の人口構成が、年齢層、性別ともに幅が広がっていることを垣間見ることができる。

    今でも日本人女性と結婚するバングラデシュ男性は少なくないが、近年では故郷で親族が取り決めたお嫁さんを呼び寄せるケースが少なくないようで、日本における生活に安定した基盤がある人が多いことがその背景にありそうだ。

    また、インドと同様に、日本で働くバングラデシュ人の中には理系人材がかなり多いのだが、多くのインド人と異なるのは、日本の永住権、さらには国籍を取得する人たちが少なくないことだ。

    「ベンガル系日本人」という新たなアイデンティティを持った子供たちも、続々とこの世に生を受けているわけで、今後が楽しみである。

    第19回カレーフェスティバル&バングラデシュ ボイシャキ メラ