
昨年まで築地本願寺で行なわれていたナマステ・インディアだが、今年から場所を代々木公園に移して開催されている。雲ひとつない秋晴れに恵まれた本日10月1日土曜日だが、昼ごろまで来場者の出足が鈍く今年5月にこの場所で開かれたタイフード・フェスティバルとの格の違いを感じずにはいられなかったが、この公園での催し物としての知名度がまだ高くなかったこともあるのだろう。
それでもやはりイベント会場としては都内有数の地の利もあってか、午後に入ると会場に集まる人々の数が雪ダルマ式に増えてくるのには驚かされた。
都内でよく知られたインド料理レストランの屋台やアクセサリーなどの雑貨類、本や映画DVDなどを扱う業者たち、そしてNGOやインド政府関係機関等々のブースがところ狭しと並ぶ会場内では、第一ステージと第二ステージでそれぞれ音楽、古典舞踊、ダンスに講演とさまざまなプログラムが繰り広げられている。
だがそれだけではない。多くの来場者たちにあまり知られていない(私も配られたパンフレットをよく見るまで気がつかなかった)のだが、公園から徒歩5分ほどのところにある「たばこと塩の博物館」が第二会場(代々木公園はメイン会場)となっており、こちらでも写真展、文化講演、スライドショーなどが行なわれているのだ。
ステージで披露するパフォーマーたち、様々なブースの出展者たち、そして来場する人々と、どこを眺めてみてもまさに「老いも若きも」といった印象を受けた。昨年以前よりもグッと規模を広げ、会期もそれまでの1日限りから2日間の開催となった背景には、やはり日本でインドに対する関心の高まりがあるからに違いない。実に喜ばしいことである。
イベント二日目にして最終日となる明日10月2日の日曜日には、今日にも増して多くの来場者たちが詰めかけることだろう。
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自転車に乗って村八分 2

前置きが長くなったが、インディアトゥデイ9月21日号には、あるダリットの女の子をめぐるこんなニュースが掲載されていた。
オリッサ州都のブバネーシュワルから10キロほどのところにあるナルスィンハプルは上位カーストが多数を占める村。ここに暮らすダリットの小作農民の娘、マムターが日々繰り返すごくなんでもない行為が、地域で大きな波紋を呼んでいる。村に住むこの階層の女性の中で初めてカレッジで学ぶ彼女は自転車通学しているのだが、問題とされるのはまさにここなのだ。
「アウトカーストの者が自転車に乗ってはならぬという禁を破っている」ということで、地元の支配層の怒りを買い、彼女の父親はその連中から不条理な要求を突きつけられた。
1. カレッジを退学する
2. カレッジへ徒歩で通学する
3. この地域で村八分
以上の中からいずれかを受け入れること。
自転車に乗って村八分 1

一般の村人が使う水汲み場を利用できなかったり、立ち入ることさえ許さない寺があったり・・・。今でもアウトカーストの人々が日常的に差別と直面する場面は少なくないようだ。
とはいえ現代インドが彼らの地位および経済状態の向上を目指して、指定カースト・指定部族への留保制度により学校への入学や就職等での優遇措置などの特典(そのため生じた様々な問題や弊害もあるが、ここで是非を云々しない)を講じてきたこと、また近代化とともにカーストの持つ意味が次第に薄れてきたこともあり、そうした出自を持つ人々の中にも高度な専門分野で活躍したり、経済的に豊かになったりということもないではない。
もっとも彼らの地位向上は、必ずしも上から与えられたものであるわけではなく、独立インドの初代法務大臣アンベードカル博士に見られるような、自助努力による部分も大きいのだろう。
踊る袋菓子

おお、懐かしい。かつて日本でブームを巻き起こした「踊るマハラジャ」のひとコマに出会うなんて。とてもよく目立つパッケージのお菓子が東ハトから発売されている。
この「ガラムマサラ」という名のスナックを開封してみるとこんなのが出てきた。
形といい色合いといい、サモーサーを思わせるものがある。でも大きさは指先くらいで中は空洞の揚げ菓子である。おそらくインドのナムキーンをイメージしたのか、そこからヒントを得て開発したのか。ピリリとスパイシーどころか、私には少々辛すぎる。
でもなんで今ごろ「ムトゥ」なんだろう。ちょっと不思議なお菓子である。

マオイストたちの裏インド 2

社会的なテンションがあるところには、それなりの理由があるのだ。マオイストの影響下にある地域の住民にとって、銃器や暴力へ怖れからやむなく従っている、口を閉じているといった日常があったとしても、彼らがさらに力を伸ばしていく背景には、やはり特定層からそれなりの支持を受けている事実があるはずなのだ。
話は飛んで、現在カシミールの治安状況で問題となっているのは極左勢力ではなく原理主義過激派だが、この点については同様だ。どちらにしても自分たちが「生きるために必要だ」と信じているものの、客観的に見れば誤った方法で頑張ってしまっていると言えるだろう。
彼らはふざけているわけでもなく、怠けているわけでもない。きわめて真面目で真摯な姿勢で邁進しているのだから、当局による「悪いから叩く」対症療法だけでは延々とイタチごっこが続くだけだ。こうした勢力が跋扈する土壌を作らないよう、社会の体質を改善する必要があることは誰もがわかっているはず。こういうときこそ頼りになるのが政治の力であるはずだが、実に様々な勢力の微妙なバランスのもとに成り立っているがゆえに難しい。