自転車に乗って村八分 1

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 一般の村人が使う水汲み場を利用できなかったり、立ち入ることさえ許さない寺があったり・・・。今でもアウトカーストの人々が日常的に差別と直面する場面は少なくないようだ。
 とはいえ現代インドが彼らの地位および経済状態の向上を目指して、指定カースト・指定部族への留保制度により学校への入学や就職等での優遇措置などの特典(そのため生じた様々な問題や弊害もあるが、ここで是非を云々しない)を講じてきたこと、また近代化とともにカーストの持つ意味が次第に薄れてきたこともあり、そうした出自を持つ人々の中にも高度な専門分野で活躍したり、経済的に豊かになったりということもないではない。
 もっとも彼らの地位向上は、必ずしも上から与えられたものであるわけではなく、独立インドの初代法務大臣アンベードカル博士に見られるような、自助努力による部分も大きいのだろう。


 政治の舞台では、選挙における一票の価値は富豪や元地方藩主であろうと、ダリットであろうと、その価値は同じだ。政治家たちにとって、彼らの支持を取り付けることの意味の大きさは計り知れない。民主主義とは数の力、まさに政治の大衆化である。
 さまざまな政党がひしめく中、選挙という政治の自由競争のもとで、無視することのできない貴重な票田をめぐり、彼らの支持を取り付けようと力を入れる大政党もあれば、地元のダリットたち自身を主体とする地域政党もある。ダリット出身の政治家たちの中には、地方政治ときには国政をも左右するほどの力を持つ大物政治家だっている。
 近く行なわれるビハール州選挙では、ダリット票の動きが注目されている。ラールー・プラサード・ヤーダヴ率いるラーシュトリヤ・ジャナタ・ダルとラーム・ヴィラース・パースワーンをリーダーとするローク・ジャンシャクティ・パーティー、どちらも基本的に下層階級を支持基盤とするが、牛飼いカーストのヤーダヴやムスリム貧困層を中心に主に貧しい人々の広範囲なサポートを得る前者に対し、後者はことダリットについては圧倒的な支持を獲得している。この選挙をめぐりダリットたちの票の動きは、ビハール政治の趨勢を決めるひとつの大切な要素ともなるだろう。
 華々しく活躍するダリットたちもチラホラ出てきている一方、やはり長い歴史の中で下積みを強いられてきた人々がまだまだ圧倒的大多数を占めている。また彼らに対する周囲の偏見が根強いのは言うまでもない。これらの問題が解消するには、今後ずいぶん長い時間がかかることだろう。 
 大多数のダリットの人々は「オギャー」と生まれた人生のスタート地点からして厳しい貧困状態に置かれているとはいえ、被差別階級以外のコミュニティでも食うや食わずの暮らしを続けている人々は少なくないことも忘れてはいかない。いずれにしても、どん底から脱出するのには本人たちの相当な努力、才覚、そして運が必要なのだろう。
<続く>

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