求む!航空機 

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 インドから航空旅客機の大型発注が相次いでいる。エア・インディアに対してボーイング社に対して50機で60億ドル分、ジェットエアウェイズからは20機で28億ドル分の注文がなされている。エアバス社についてはインディアン・エアラインスにより43機で120億ドル分、つい最近就航したキングフィッシャー・エアラインスからは15機にして30億ドル分もの発注がなされている。
 準備中でまだ航空会社として機能さえしていないインディゴ・エアラインスからもなんと60億円分、100機のA320という大型発注をしているというから驚いてしまう。
 キングフィッシャー・エアラインにしても、このインディゴ・エアラインスもしても、前者はビール製造会社、後者は旅行関連会社という、ともに航空業に直接たずさわることはなかった異業種からの参入。このところのインド航空界は、新会社による就航が相次ぐとともに、従来の国内線の会社は国際線に進出するなど非常に目まぐるしい進化を見せており、文字通り大競争時代に入っている。
 5月からエア・インディアのアムリトサルからバーミンガムトロント行きの便が就航、エア・サハラがデリー・シカゴ間のノンストップ便を近々就航させる。ロンドン便も今年9月から予定されているなど、地方空港発の国際ルート、従来の主要国際空港からの新たなリンクともに増えている。
 インドでは今後、既存の空港の整備や新たな施設の建設が進むことと思われるが、国営のインディアン・エアラインスを除けば国内線のルートは西側に密で東側のほうは薄い西高東低型。東北地方は言うに及ばずビハール、西ベンガル、オリッサ、チャッティースガル、アーンドラ・プラデーシュにかけて旅客機の飛行がかなり希薄な地域が広がっていることが気になる。
 民間航空会社の飛行ルートを眺めてみれば、それはまさしくおカネの流れるルートそのものを如実になぞっていることが見て取れるいっぽう、インディアン・エアラインには「国営会社」として他とは違った役割を担っていることも感じられる。
 階層格差だけではなく、地域格差も大きいため、効率ばかり優先するわけには当然いかないお国柄。役所的な体質はさておき、他社とは比較にならないほど大きな同社だが、経済的にとても不利なルートも敢えて運行を続けなくてはならないことは相当大きなハンデだ。今後このままの形で収益率の良い民間会社と同じ土俵で競うのはチト苦しいのではないだろうか。
IndiGo – Indian budget airline to buy 100 Airbus 320s (Airlines India)
Airbus wins $6bn order from India (BBC South Asia)

「ロリウッド」にボリウッドの足音が聞こえてくる

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 1965年に勃発した印パ戦争以来、パキスタンではインド映画上映が禁止されているが、人々は主に海賊版等によるレンタルビデオ、VCD、DVD、ケーブルテレビなどといったメディアにより、インド映画によく通じていることは広く知られているところだ。そのパキスタンで今、「インド映画解禁」の動きがあるという。もちろんそれとは並行して強硬な反対意見もあるのだが。
 下記リンク先の記事によれば、パキスタンで1970年には1300もの映画館があり、年間300本もの映画が製作されていたものの、現在では映画館わずか270と見る影もなく、昨年の製作本数はなんと18作品でしかないのだという。この国では映画産業の衰退が深刻な問題になっている。
 その背景にはいろいろな原因があるようだが、インドにくらべてショービジネス界への偏見が強く、才能あるタレントを発掘しにくいことからくる人材不足、隣国インドの映画を締め出した結果生じた保護主義的な環境の中で、競争力が失われたことなども含まれるのではないだろうか。映画界の尻すぼみ状態から資金も不足すれば、優れた演技者や制作者の育成が難しくなることは想像に難くない。ハリウッド、ボリウッドといった呼称にならい、パキスタン映画製作の中心地がラホールであることから「ロリウッド」と呼ばれていても、産業としてはインドのそれと比較して相当脆弱なのだ。
 インド映画が本格的に入ってくることにより、地元映画の「ボリウッド化」が懸念されているというが、パキスタンの映画館そのものが自らの生き残りのためにインド映画を必要としているというのは皮肉な話だ。ハリウッド映画の配給は高価だし、庶民たちには言葉の壁もあるため、やはり頼りになるのはボリウッドというわけだ。
 とりあえず今年末をメドに最近カラー化されたクラシック映画MUGHAL-E-AZAMが上映されようかという動きになっている。

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マスコミ人来たれ!

 東京都内の路上でのこと、手にした地図とにらめっこしては周囲をキョロキョロ見渡している外国人の姿があった。「何かお探しで?」と声をかけてみれば、こちらは土地っ子なのでたちどころに彼の問題は解決。
 風貌から南アジアの人かと見当はついたが、やはりインド人。しばらく立ち話をして名刺をもらったが、ある大手週刊誌記者であった。日本でIT関係の取材をしにきたのだという。
 まさにIT業界を中心にインド人のプレゼンスが目立つ21世紀の日本。やってくるのはそうした職場で働く技術者やその家族たちだけではない。コミュニティの規模が大きくなればこれらの人々の生活のニーズを満たすため食品や日用品その他を流通させたり、テレビ番組や映画ソフトなどのエンターテイメントを供給したりする業者も増えてくる。インド人による日本でのビジネスがそれなりに育ってくれば、それを取り上げるメディアも出てくるのだろう。
 インドのマスコミで、外国の通信社配信の日本関係記事が取り上げられることは少なくない一方、インド人ジャーナリスト自身による日本取材記事はとても少ない。広く世間にモノを言うことを生業とする人たちが積極的に日本の姿をカヴァーしてくれるのはありがたいことだ。日本に縁のない人、来る機会のない大多数の人々を含め膨大な読者たちを対象に全インド規模で「日本体験」を広めることができるのは彼らをおいて他にない。こうした動きは日印間の距離を確実に縮めていくことだろう。

テレビで体験 ダージリンのトイトレイン

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 6月16日(木)午後8時から放送のNHKの番組「探検ロマン世界遺産」で、インドのダージリン・ヒマラヤ鉄道が特集される。
 1879年から建設がはじまり1881年に開通したダージリン・ヒマラヤ鉄道。海抜100メートルのスィリグリから2200メートルのダージリンまで全長86キロのルートを走る。開業当時から客車を引っ張ってきたのはマンチェスターのアトラス・ワークス社製の蒸気機関車。オーストリアのサマリング・アルパイン鉄道に次いで、世界で二番目に古い狭軌の山岳鉄道といわれる。
 1999年に世界遺産に指定されてからも赤字続きだ。存続のためにフランス資本へ協力打診の話があった。老朽化した蒸気機関車に代わるディーゼル機関車の投入を検討すればユネスコによる世界遺産の取り消しの警告を受けた。このときはマハーラーシュトラ州のネーラルとマーテーラーンの間を走るもうひとつのトイトレインで使用中の蒸気機関車を慌てて移送するなどいろいろ大変だったようだ。その後、一部ディーゼルのエンジンが導入されているので、この問題については一応の決着はついたらしい。 
 世界遺産とはいえ自然や遺跡などと違い、歴史的背景への価値が認められたものの基本的には鉄道という運輸事業。今後どれほど長きにわたって存続するのかわからない。皮肉ではあるが、やがて消えてなくなるかもしれないがゆえに「遺産」としての魅力がさらに増すともいえるだろう。

槍玉にあがるカリスマ

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 BJP党首のL.K. アードヴァーニー氏は、1927年(1929年とも言われる)に現在パキスタンとなっているスィンド州のカラーチーで生まれた。1947年の印・パ分離前にはカラーチーでRSS(Rashtriya Swayamsewak Sangh) のオーガナイザーとして活躍していた。
 現在のBJPの前身にあたるジャナ・サングが結成されたときからの幹部でもあり、筋金入りの右翼政治家だ。サフラン勢力の重鎮であるとともに、1992年のバーブリー・マスジッド破壊事件等々、様々な大衆政治活動をリードしてきた彼は、常にタカ派の硬骨漢として知られている。
 そんな彼のさきの外遊先での発言が大きな波紋を呼んでいる。訪問先のパキスタンで、同国で建国の父として尊敬を集めながらも、インドでは母国を分離の悲劇へと導いた張本人と認識されているモハンマド・アリー・ジンナーについて、「世俗主義者」「歴史を造った人」などと持ち上げた。極右ヒンドゥー勢力のリーダーの訪パは「成功であった」とされたのもつかのま、帰国した彼を待ち受けていたのはヒンドゥー至上主義団体RSSを中心とした、いわゆるサング・パリワール(以下パリワール)内から噴出する非難の集中砲火であった。
 近年では同じパリワール内にあっても、RSS、VHP(Vishwa Hindu Parishad)といったイデオロギーをリードする団体と、政権党となってから穏健化した(かのように見えた)B JPとの間ではアヨーディヤー問題その他をめぐるスタンスの違いから不協和音が伝えられており、野党に転落してからは党首のアードヴァーニーと元首相のヴァジペイーに対し公然と引退を求める声さえ上がっていた。
 そこにきてこの発言。パリワール内のBJP以外の団体からは「パキスタンが世俗国家だったら、なぜ彼はスィンドからこちらに移住したのだ」「パキスタン人アードヴァーニー」等々の発言が繰り返されているのに対し、あるムスリム団体は彼を擁護する姿勢を表明し、左翼陣営は「彼の発言はまあいいんじゃないか。ただジンナーがわが国を分離させたことについては触れるべきであった」と一定の理解を示す動きがあり、あたかもアードヴァーニー氏ひいてはBJPが一夜にして右翼陣営から鞍替えしたかのような錯覚をおぼえるほどだ。
 今回の一連の動きをうけて、辞任を表明しているアードヴァーニー氏だが、筋金入りの闘士にして老獪な政治家である彼の真意はいったい何であったのか。訪問先でのリップ・サービス、強硬派のイメージを払拭、新たな支持基盤の掘り起こし等々、それなりの計算があったのだろう。
 だが今回の騒ぎによる右翼陣営の混乱、氏の後継問題など何ら利するところはなく、彼の長い政治生活の中で最大の失言にして深刻な誤算であったようにしか思えない。今年11月に78歳(あるいは76歳)になる彼にそう長い時間は残されていない。
 どうも不可解な出来事ではあるが、アードヴァーニー氏もやはり人間。右翼陣営のカリスマ的な指導者も「老いた」ということなのだろうか。
 史実をめぐる歴史認識というものは、国境をまたげば百八十度違うということは珍しくないが、パキスタンとの外交関係そのものだけではなく、インド国内的にも「パキスタン」というカードはいかにデリケートで厄介なものであることがよくわかる。
 ともあれ今回の騒動がどう進展するのか、目が離せないところである。
L K Advani resigns as BJP President (OUTLOOK)
Advani refuses to reconsider resignation (Deccan Herald)