インディア・トゥデイ誌8月8日号 によれば2004年にインドから海外旅行に出た人々の数(観光以外の出張旅行なども含まれているのかどうかは不明)は620万人で前年比16パーセント増、2005年は750万人で20パーセント増の見込みだという。
日本からの海外に出かける人々の数に比べるとたいしたことはないし、さらにインドの巨大な人口からすればたいした数字ではないとはいえ、先行きが大いに期待される新しいマーケットが出現したことになる。
国全体として眺めてみると、貧困を原因とする社会問題がいまだに山積されている。所得格差がますます広がったと見る向きもあるかもしれないが、いつでも先進的な部分とまったくそうでないところが折り重なっている様は、いつの時代にあってもインドらしいといえるかもしれない。
過去にはほとんど無視できるような数であったこと、国際観光業といえば主に外国からインドに来る人々をさばくことであったことを思えば、なんと大きな変化であろうか。 海外旅行する人たちの訪問先の38パーセントが中東方面、34パーセントが東南アジア方面という。これらの地域でも特にインド系の人口や宿泊・食事関連施設の多い 国々への訪問客が多いようだ。そして28パーセントは欧州方面に繰り出している。
国別で見れば、1位シンガポールに47万人、中国に31万人、アメリカに30万人、タイに30万人、香港に24万人とある。90年代まで二国間の直行便のフライトもなく、アルナーチャル・プラデーシュからカシミールまで、非常に長い国境を接していながらも、相互の行き来が公にはほとんど無に近かった中国だ。(地元の人々による「国境貿易」は細々と続けられてきたし、ごく限られた人数ながらもカイラス巡礼を行なうインド人ツアーグループは以前からあったようだが)
それが今ではリッチなインド人たちがよく訪れていたアメリカやタイをしのぐほどの人気を博しているというのには驚かされてしまう。
カテゴリー: column
ハイジャック防止へ タフなポリシー
今後、インド政府は最悪の場合「ハイジャック機を撃墜することを認める」ことになるのだそうだ。CS (Cabinet Committee on Security )が発表した方針によれば、人命の保護と事件終結に向けてハイジャック犯たちとの対話は行えども、犯人たちの要求を交えた交渉は行わないとのことである。
インド機のハイジャック事件といえば、1999年のインディアン・エアラインスのネパール首都カトマンズ発のニューデリー行きのフライトが武装グループにより乗っ取られて、アムリトサル、UAEと迷走した後、当時タリバーン政権下のアフガニスタンのカンダハール空港にて籠城した事件が記憶に新しいところだ。
最悪の場合旅客機を撃墜するというのは、2001年9月11日にアメリカで起きた同時多発テロでの顛末を受けてのことだ。インドもまたテロ多発国であることに代わりはなく、「脅しには屈しない」という明白な姿勢こそが、事件を未然に防ぐという判断なのだろう。同時にこれは、万一危機が発生した際の被害を最小限に食い止めるため強硬手段に出ることを可能にするため「国家的合意」を形成する手続きである。
ともあれこうした事態が発生すれば、政権を担当する内閣や与党の性格その他の要因により、ずいぶん違った姿勢を見せるかもしれない。またインド領内で乗っ取られたインド機であっても、たとえば大勢の外国人ツアーグループを乗せていたりした場合、「9.11型」の攻撃が予想されたとしても、外交上大いに問題であることから先述の手段は非常に取り難いのではないだろうか。
実に物騒な時代になったものである。
Planes can be shot down, no negotiation with hijackers
(Hindustan Times)
スパイス・ジェットに乗ってみた 2
実質のフライト時間が40分強しかないムンバイ・ゴア間では、他社の機内サービスも同程度か、せいぜいサンドイッチなどの軽食であったはず。
だが格安会社の参入により既存の航空会社ではそれらと「差」をつけるために、短時間のフライト時間ながらも、無理して温菜のついた正規の機内食を出していることが、ゴアからの帰りに他社便を利用してみてわかった。
しかし時間がタイトなため、食べ終わらないうちに回収されてしまう人も少なくなかったし、フライトアテンダントたちが片付け終わるのが空港滑走路へ進入する直前になるなど、安全面等でどうかと思うのだが。
ムンバイ・ゴア間の運賃が4900ルピー前後の既存各社は、同じルートの通常料金が1650〜1700ルピー程度のスパイス・ジェットやエア・デカンとの圧倒的な「価格」差を目の前にして苦労するのは無理もない。
スパイス・ジェットに乗ってみた 1
今年5月にスタートした格安国内航空会社「スパイス・ジェット」に乗ってみた。現在、同社のフライトは、アーメダーバード、バンガロール、デリー、ゴア、ムンバイ、プネーの計6都市で発着(2005年8月現在)している。
この航空会社については以前も取り上げたが、新しく設立されたロイヤル・エアウェイズ社により運行されており、鉄道のアッパークラスを利用する客層をター ゲットとしているため、運賃はAC?クラスとほぼ同等だ。 出発直前まで(空席があれば)料金が変動するようになっており、予約するタイミングや予約状況により支払金額が上下するため、フライトの座席が「時価」で販売されるという特徴がある。
私が利用してみたのはムンバイからゴアへ向かう便である。ターミナル入口のところでポリスが利用客の航空券を確認するのは以前と変わらないが、現在ではチェックイン荷物のX線検査については各航空会社が行なうようになっている。各社のロゴ等の入ったシャツを着たスタッフが乗客たちの大荷物をチェックする。空港運営にかかる人件費の削減とともに、セキュリティにかかわる責任をなるべく多く航空会社のほうに転嫁しようというのが当局の思惑ではなかろうか。
もともと決して広いとはいえない一般民間航空会社用のターミナル施設 (国営のインディアン・エアラインスを除く)だが、もうそろそろ飽和状態にあるように見える。乗り入れ航空会社が多くなった分、過密なダイヤのため乗客たちの往来が忙しくなっただけではなく、チェックインカウンターや出発ゲートの案内窓口など、各キャリア固有の設備も増えたので、ずいぶん手狭となり雑然としてきた。
そのありさまはバスターミナルのイメージとやや重なるものがある。まさに「空の旅の大衆化」といえるかもしれないが。近々スタート予定の会社は他にもいくつかあるし、大幅な増便が予定されているキヤリアも少なくないのだが、今後どうなるのだろう。
スパイス・ジェットはチケットレスの航空会社だ。主にインターネットで受け付けるため、予約発券業務にかかる人件費等含めたコストが大幅に圧縮されている。乗客の予約記録等はPNRコードで管理される。乗客はチケットの代わりにウェブサイト上でブッキングした際にプリントアウトした予約記録を手元に保管することになる。
使用される機材のほうも低コスト主義(?)で、かなりくたびれたものを想像していたがそんなことはなかった。ボーイング737は実に真新しいものである。
同社が所有する機体は今までのところわずか3機だが、近いうちに20機まで増やす予定である。機内サービスは皆無かと思っていたが、袋菓子、飴、200mlボトルのミネラルウォーターの配布はあった。
いかにも新興の会社らしく、地上職員もフライトアテンダントも今回見たところ20代の若い人たちばかりのようであったが、溌剌としていてなかなか好印象であった。
<続く>
空が壊れた 3
7月28日朝、雨足が弱まっているものの、今度は高潮が懸念されているという。やれやれである。だが昼すぎからすっかり雨が上がった。
この頃には一部の区間で折り返し運行ながらも郊外電車が運行再開していることがわかった。空港への道も通れるようになったという話だ。ニュースでは「今後まだ48時間、非常に強い雨となる見込み」と伝えているので安心できない。しかし同じ低気圧により、アーメダーバードでひどい振りとなり、市内いくつかの地点では洪水が起きているというから、豪雨の中心はグジャラートへと北上したのかもしれないと思った。
夕方、宿泊先から目と鼻の先のエアインディア事務所を訪れてみたが、やはり明日のことは何もわからないようだ。洪水になってからコンピュータシステムもダウンしているので、もし明日飛ばなかった場合に備えて他の便の空き状況を調べてもらうこともできない。
雨は止んでいるものの、高潮の影響もあり滑走路の冠水がひどくまだ空港は機能していないという。
外に出ると久しぶりに雲の切れ目から赤く染まった夕焼け空が覗いていた。雨の最中誰もいなかったマリーンドライヴの堤防に人々の姿が戻ってきた。タクシーを拾う。実は今回、妻と小さな子供を連れての家族旅行なのである。豪雨の最中にムンバイに到着して初めてのまともな観光である。
クルマを降りた先のチョウパッティー・ビーチでも、やはり人出が戻ってきていた。都心にこんな「砂浜」がある環境は実にうらやましい。人々の間を縫うようにして、綿菓子、ゴザ貸し、トウモロコシ売りなどが行き交う。波打ち際で砂地から勢い良く湧き出ている水流があった。私たちのすぐ横でそれを見ていたインド人家族、父親が小学生くらいの息子に「地下の伏流水が地上に湧いて出ているのだ」と大真面目に教えている。だがこんな都会であるからして下水に違いないと思う。
ともあれ「外を歩ける天気」とはとてもいいものだ。このまま天候が回復してくれることを願ったが、夜半になると再び激しく降り始めた。
翌朝7月29日は5時半に起きて空港へと向かった。幸い昨夜の雨はそうひどくなかったようだ。まだ暗い雨上がりの街をタクシーはひたすら北へと向かう。予約していたのは午後のフライトだが、どうせダイヤはとても混乱していることだろう。実際に飛ぶのはいつになるかわからないし、また豪雨がやってくれば再び空港が閉鎖ということもありえる。空港が開いているならば、可能な限り早いフライトに変えてもらって出発したほうが良い。
昨日、一昨日と洪水で行き止まりとなってしまったハイウェイ上の混乱ぶりがテレビで伝えられていたのがまるでウソのようにどこもかしこもガラガラに空いているのだが、やはりあのとき水に浸かって放置されたままの大小の車両たちの姿がそこここにある。洪水のあった地域で道路沿いの建物の壁をよくよく見ると、「ここまで水が来た」という痕跡が確認できるものが少なくない。
しかしあれほどの洪水だったのがウソのように迅速に引いているのは助かる。これがもし河川の氾濫によるものならば、上流の他地域でも降水が続けばさらなる増水はまぬがれないからだ。
昨夜、このあたりでは「津波が来る」というデマが流れて、一部の地区ではパニックとなり死者まで出たという。おそらく昨日の「高潮」の情報がねじ曲げられて伝わったのではないかと思う。ずっと停電しており電話や携帯も不通になっていたために、口コミで間違った噂が広まってしまったのだろう。
いよいよ空港が間近になってきた。飛行機が高度を下げて滑走路へと進入するのが見えた。どうやら今日は大丈夫らしい。空港ターミナルに着いてそのままチェックインカウンターで「デリー行きの可能な限り早い便に替えたい」と伝えると、ちょうど手続き中の午前8時代の飛行機を利用することができた。
翌30日は再び激しい雨による洪水のためムンバイ発着のフライトがストップ。今回の一連の水害で被害に遭った方々、そしてしばらく足止めを食った方々のことを思えば申し訳なく思うが、ちょうど豪雨の切れ目のところで街を出ることができたのは幸運であった。
ムンバイというインド有数の大都会にあっても、あるいは地上のどこにいたとしても、人間というもの、また人間の造ったものが大自然の脅威の前にあってはいかに無力であるかということが少し理解できたような気がする。
<完>