Taj MahalかTejo Mahalayaか

Tejo Mahalaya (荘厳で偉大な棲家)という名前を聞き慣れない方はググッていただきたい。いくつもの関連記事が出てくる。

ヒンドゥー史上主義者たちの主張によると、このTejo Mahalaya は現在誤ってTaj Mahalと呼ばれており、ムスリムの皇帝の妃の墓廟であると誤解されているが、本当はMahadeva Mandirつまりシヴァ寺院であるのだという。元々そこにあった寺院をシャージャハーンによるタージマハルの構造物が呑み込む形で「併合してしまった」というのだ。インド考古学局によって閉鎖されている謎の20の部屋(メディアによっては22の部屋とも)があり、そこにはこれがムスリムの墓廟などではなく、ヒンドゥー寺院であるという証拠が隠されている、ゆえに誰も入ることができないように固く閉じられていると主張している。

確固たる史実をまったく無視した、何の合理性も道理もない主張だが、ついにアラーハーバード高等裁判所へ、インド考古学局に謎の20の部屋を開けて調査チームを受け入れよという訴え出たのだ。バラエティ番組的な興味関心は覚えるものの、そしてヒンドゥー史上主義者に勝ち目はないように思えるのだが、もし芳しい結果が得られなくとも、すぐに次の一手を容易しているはずだ。そんなこんなで、どんどん外堀が埋められて、いつしかヒンドゥー寺院であるとの既成事実みたいなものが積み上がるとも思えないのだが。

1989年代後半からサフラン勢力が頭を持ち上げ始めて、90年代には檜舞台に躍り出るまでになった。そして今世紀に入ってからは、まるで19世紀後半のヒンドゥー・ルネサンスのごとく、これまでの共通理解や社会通念を覆すような「ネオ・ヒンドゥー・ルネサンス」を展開している様には、もう驚きしかない。その「ルネサンス」は地域、カースト、社会的地域を超えて人々を強く結びつけ、それ以前は排除あるいは無視されていた層や部族も大手を広げて歓迎される一方で、ムスリム、クリスチャンといった外来の思想を奉じるコミュニティーに対しては非常に敵対的だ。

高等裁判所は訴えを退けたが、この原告団は最高裁まで争う構えを見せている。仮にこのTejo Mahalayaの「調査」が近い将来実施されたとして、結果がどのようなものになるのか、それがメディアでどう消化されて人々に伝えられるのか、社会がどのような反応を見せることになるのか。

この件もそうなのだが、時を同じくして、デリーのクトゥブ・ミーナール、マトゥラーのクリシュナ・ジャナムブーミー、バナーラスのギャーンヴァーピー・マスジッドと似たような文脈での訴えがなされて、同時期に並行して進行していくというのは、どう考えても偶然ではないだろう。

また、ムスリム支配を背景に持つ地名に対する改名が相次いでいることも然り、一連の嫌ムスリム的な事象が相互に作用しあっている部分もあるようだ。現在のインドが急速に変貌しているのは経済面だけでなく、こうした思想面においても同様だ。

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