ALLWYN

インドのHMTという、かつて存在した国営時計メーカーの製品が好きなのだが、1990年代末までは、同じく機械式時計を得意とする「HYDERABAD ALLWYN」という公営企業もあり、「ALLWYN」というブランド名にて、なかなか個性的なモデルを作っていた。こちらの時計は購入したことはないのだが、今となれば1個くらい入手しておけば良かったと思う。ボディーが厚めでがっちりしたタイプのモデルが多く、個人的にも好みであった。国営ではなく「公営」なのは、アーンドラ・プラデーシュ州営企業であったからだ。本拠地はハイデラーバード。

国営のHMTがトラクターを造っていた(現在時計部門はないが、トラクター製造事業は健在)ように、ALLWYNも多角的に展開する経営する会社だった。時計以外にトラック、バス、スクーター、冷蔵庫まで製造していたのだ。「政治は民主主義、経済は社会主義」で、混合経済とか揶揄されていた時代を象徴するかのような存在であった。今となると、「政府が時計やら冷蔵庫やら作るなんて?」ということになるが、1980年代後半までのインドでは、政府系企業がそうしたものを作るのは、ごく当たり前のことであった。なぜなら経済面で、インドがお手本としていた計画経済体制のソヴィエトで、そうやっていたからだ。

だがインドで特徴的であったのは、計画経済体制でありながらも、「財閥」が存在していたことだ。それら財閥は政府からライセンス交付されたうえで、割り当てられた製品、産品を国の計画の一環として生産していた。当然、政府によって割当られる以上、基本的に財閥企業間の競争はなく、のんびりした時代であったといえる。まさに政・官・民が一体となっての巨大談合体制が、「混合経済」の正体。

当然、そんなシステムが永劫に続くはずもなく、これが80年代末から90年代はじめにかけて破綻してしまう。ピンチをチャンスに変えるべく、一気に改革開放に舵を切って、うまく成長の波に乗せた凄腕設計者は、当時の財務大臣だったマンモーハン・スィン。高名な経済学者で、デリー大学教授、財務省顧問、中央銀行総裁、国家計画委員会副議長などを歴任するなど、元々は政治家ではなかったのだが、時の首相であったナラシマ・ラーオに抜擢され、1991年6月から1996年6月までの間、財務大臣として「経済危機のどん底のインド」から「高度経済成長を続けるインド」へと大きく変貌させた。

マハートマー・ガーンディーが「インド独立の父」ならば、マンモーハン・スィンは「現代インド繁栄の父」なのだが、後に首相(2004年5月から2014年5月)となってからは「会議派総裁ソーニアーとガーンディー家の忠実な番頭さん」を演じるハメになったためか、今ではあんまり賛える人がいないのは寂しい限り。

首相に就任した2004年5月だが、イタリア出身のソニアー・ガーンディー総裁率いる国民会議派が総選挙でBJPを破り、政権に返り咲いたが、ソーニアーの首相就任については、野党のみならず国民会議派党内からも異論が噴出し、「真の実力者(ソーニアー)の操り人形として首相の座に据えられることとなった。マンモーハン・スィンの傍らに常にしかめっ面で、影のように付き添うソーニアーの姿は、「首相に仕える秘書役」ではなく、「僕に代弁させる影の首相」であった。大きな手腕を奮った財務大臣時代と異なり、本来ならば内閣のトップであるはずの首相在任時のマンモーハン・スインは、2期合計10年務めたのであったが、結局最後まで自分のカラーを出すことはなく、主であるガーンディー家の忠実な番頭に徹していた。

HYDERABAD ALLWYN社は、財務大臣時代のマンモーハン・スィンが造り上げた「成長軌道に乗ったインド」の時代の中で、分割したり、部門を民間に売却するなどして、生き残りを図るが、いずれも芳しくなく、21世紀を迎える前に消滅している。

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