インドのシンガーのミシン

日本でミシンと言えば祖母の時代の女性的なイメージがあるが、インドでミシンといえば路地や小さな店舗で仕事をしている男性たちの印象がある。

インドでミシンといえば寡占状態にあるシンガーだが、創業171周年だそうだ。1852年と言えば、なんと「インド大反乱」勃発の5年前、英国政府ではなく東インド会社が統治していた頃からあるわけだ。そして創業翌年の1853年にはボンベイ・ターネ間で初の鉄道が走り、その後各地で鉄道建築を進めていき、インドの交通革命が始まったのだ。

おなじみの黒い金属製の足踏みミシンは、長年改良を続けて現在に至るわけだが、おおよその形などは当時からさほど姿を変えていないというシーラカンス。

散歩していたら新品ミシンをたくさん置いてある店があり、値段を聞いてみると、「8,500Rsだが今なら1,500Rs引いて7,000Rsなんですよ」と言う。つまり今のレートで12,000円強ということだ。

懐かしい記憶の中に、田舎で暮らしていた祖母の家にこのタイプの(もちろんインド製ではなく日本製)ミシンがあり、足元の踏板で速度を調整しながら上手に縫いものをしている様子を幼かった私はすぐそばでしげしげと眺めていた記憶が蘇ってくる。

こういう歴史的なミシンが今でも大量に生産されてドカドカとマーケットに出ているというのは、とてもすごいことに思える。

祖母の家にあった日本のシンガーミシンもこれとほとんど変わらない形状だったようだ。そんな大昔のものが今も新品で生産されているインドに畏敬の念を抱かずにはいられない。

トリシュールの街角で

トリシュールの街を歩いていて、2、3回ほど「あのう、ヒンディーわかりますか?」と話しかけられた。

こういういかにもの観光スポットで声をかけてくるのはどういう人たちか決まっているが、やはり「旅行中で金を盗られた」「息子が病気で」という類で、要は金をくれというのものであった。同じストーリーを年中繰り返しているはず。ムンバイのヴィクトリアターミナスあたりで英語で話しかけてくる輩と同じだ。

外国人観光客の姿が少ないぶん、ここではインド人旅行者たちがこんな具合に声をかけられているのだろう。観光地であれば、基本的に都会も地方もそんなに変わらない。

若者はバリスタにスタバ、オールドタイマーはインディアン・コーフィー・ハウス。食事もいけるインディアン・コーフィー・ハウス。ビリヤーニーはビーフで。具材に印牛とともに角切りココナツがゴロゴロ入っていることに異郷を感じる。でも悪くない。

デリーやラクナウなどのビリヤーニーとここ南のそれでは米も中身も味付けも違うけど、ビリヤーニーの祖先は中東のプラオ。日本で食べる洋食としてのピラフもスペインのパエジャも、ルーツは同じイスラーム圏。いわば親戚関係の料理群。それぞれの地域で「こう作ると美味しい」という経験値と知恵が集結して、独自の味付け、具材、料理法を編み出して出来上がっている。世界を股にかけて横に繋がる食文化。それぞれ個性があって面白い。

創り上げられる偶像

西ベンガル州ではスバーシュ・チャンドラ・ボース、マハーラーシュトラ州ではシヴァージー、地域ではなくダリットの人たちにはアンベードカルといった具合に、それぞれのコミュニティを象徴するヒーローたちの存在がある。

2000年代以降、アーディワースィー(Adivasi=先住民)の英雄として急速に存在感を高めているのがビルサー・ムンダー。2000年にビハール州から分離して、先住民族人口が占める割合が高いジャールカンド州が成立。同州政治はこのアーディワースィー出身の政治家たちがリードしてきたため当然のことながら、彼ら自身のヒーローとしての存在として焦点が当たることとなった。

もともと英国統治に対して声を上げた「フリーダム・ファイター」として知られる人々の中にビルサー・ムンダーもいたのだが、それまでは「知る人ぞ知る」という存在。

ジャールカンド州成立に加えて、2000年以降のインド社会の右傾化、合わせて近年の右翼勢力によるアーディワースィー取り込みの姿勢もあり、同州では「ビルサー・ムンダー」を取り上げた博物館、既存の博物館へのビルサー・ムンダー関係の展示の増強、名前を冠した公園等々による「英雄化」が進んできた。

それまではこうしたアーディワースィーの人たちの中の「ご当地ヒーロー」がコミュニティの外で注目を浴びることも、知名度が上がることもなかった。当然その背景には差別感情や彼らを見下す風潮などもあったことは言うまでもないだろう。

それがなぜ今になって?といえば、1990年代以降、中央でも地方でも政治の主力は権威や家柄といった名目的かつ伝統的なものではなく数の力と動員力という「大衆力」とでも呼ぶべきものにシフトしていったためだろう。

今や中央政界でも地方政界でもコアな部分からはブラーフマンはほとんどいなくなっており、数の力で勝るコミュニティから送り込まれた有力者たちが多い。パンジャーブではジャート、UPやビハールではヤーダヴ、ラージャスターンではミーナーその他、もともとは支配階級ではなかったけれども人口規模の大きなコミュニティの人たちが政界を牛耳るようになった。

モーディー首相にしてみても、言うまでもないがOBCs(その他後進諸階級)の出。これまでインドの歴代の首相はブラーフマン、ラージプート、カトリーであった(チャラン・スィンは例外的にジャートの出)であったため、やはりそういう面からもモーディー首相は異色である。

それはそうと、以前は政治へのアクセスはあまりなかった(票は投じても代議士として選出される機会はとても少なかった)アーディワースィー、つまり先住民であり、部族とも呼ばれる人々がマジョリティの州(ジャールカンド}が成立するとともに、そうした周辺部の人口割合が高い地域では、より慎重な扱いがなされるようになってきているし、それを象徴するかのように、アーディワースィーの人々を政治の表舞台に登場させることが珍しくなくなった。

そうした空気の中で、アーディワースィー出身の女性、ドロウパディー・ムルムーが大統領に就任したり、国民会議派の党首がやはりアーディワースィー出身のマッリカールジュン・カルゲーが選出されたりしたのだ。当然、「ジャールカンド州といえばビルサー・ムンダー」という州内外での認知度も高まっている。

だがビルサー・ムンダーが全国的によく知られたフリーダム・ファイターではなかったためチェンナイを本拠地とするインディアン・エクスプレス紙による「ビルサー・ムンダーって誰?」という2017年の記事がこちら。「偶像」「アイコン」というものは、ときに政治力により、時代をさかのぼって創造されるものてあることを改めて感じる。

Who was Birsa Munda? (The Indian EXPRESS)

ただ「アーディワースィーの英雄 ビルサー・ムンダー」と言ってもアーディワースィーそのものが幾多の異なる先住民族を総称する呼び方であり、その中には当のムンダー族以外に様々な文化や言葉の異なる少数民族がおり、彼らの中で民族を超えた共感、連帯のようなものがあるのかといえば、そういうわけではない。

よって「アーディワースィーの英雄」というよりも、「ジャールカンド州政界の中核として台頭したムンダー族のアイコンであるがゆえに、同州のアーディワースィーを代表する歴史的人物として位置づけられた」というような、あまりストレートではない解釈が必要かもしれない。