KLのインド空間

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 クアラルンプル市内のインド人街といえば、ムルデカ・スクエアやマスジッド・ジャメの北東側にあるマスジッド・インディア通りを中心とする界隈のことを言う。
 オーディオ関係の店では、当然のごとくインド音楽や映画ソフトを扱い、タバコや雑誌を売るキオスクでは「INDIA TODAY」「OUTLOOK」「FILMFARE」といったインドの雑誌が並んでいるのが嬉しい。さすがにA.R. RAHMANが郊外のシャー・アラムでライヴを行うだけのことはある。
 華やかなサーリーやパンジャービーの生地を売る店が目を引く。両替屋に行けば、ルピー札を換金するお客がいるところを見ると、やはり本国との間で人々の出入りも盛んなのだろう。
 もちろんインド人ばかりではなく多数のマレー人や中華系の人々の商店等もまた多く混在しているのだが、やはり他の地域に比べるとインド人密度が格段に高い。食べ物、人々の体臭、神々にささげる花輪の香りなどが入り混じり、この界隈にはまぎれもなく濃密な「インド」が匂っている。

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聖地BATU CAVES

聖地BATUCAVE
 マレーシア在住のインド系ヒンドゥー教徒の聖地、BATU CAVESを訪れてみた。市内中心部から北の方角にクルマでおよそ30分走ると見えてくる断崖絶壁。その中に聖なる洞窟があり、いくつかの祠とお寺がある。
 車道に面した大きな門をくぐり、見えてくるのは崖の中腹にポッカリ開いた大きな穴と、奥へ続く長い階段。有名どころの割には、金属探知機どころか制服のガードマンさえいない。こんなところはインド本国ではまず見当たらない。ちょっと哀しくなる。
 ところどころに参拝者たちに対する注意書きの看板があるが、タミル語に加え、マレー語と中国語でも書かれているのはいかにもマレーシアらしいところだ。足が半分しかのらないような狭いステップを上がっていくと、体中から汗が吹き出てくる。最上段まで上りきって後ろを振り返ってみると、クアラルンプル市内が広く見渡せる。いい眺めだ。
 巨大な洞窟からは、無数の鍾乳石が垂れ下がっている。天井の最も高い部分は40メートルほどあるだろうか。ところどころ穴が開いており、差しこむいく筋もの光が幽玄さを感じさせる。まさに「神的空間」である。それとは裏腹に入口のところから奥のほうにかけて点在する極彩色に塗られた像や祠は、まさに神々を象徴するものでありながらも、やけに世俗的に見えてしまう。
 タイプーサムの大祭のときには、信者たちでごった返すというが、私が訪れたときはまったくガラガラであった。近隣在住と思われる人がときおりブラブラ入ってくるのを除けば、私ひとりでこの聖域を貸切にしていたようなものであった。
 暗い中で目を凝らしてみると、灰皿があり、吸殻がいくつも残されている。どうやらここで一服つけても構わないようだ。聖地にしてはずいぶん緊張感に欠ける。ちょうどこのとき洞窟内の建物の改修工事が行われていた。これは工事夫たちが残したものだと思うことにする。
 このバトゥー・ケイヴス。階段上り口の手前には礼拝堂、信者たちのための集会ホールなど色々そろっており、宗教施設としてはかなり規模が大きい。
 移民先で信仰の対象となる聖地を見出すということは、まさに「滞在」から「定住」へと進む中で重要なプロセスのひとつなのではないか。インドから人びとが移民した先にこうした「聖地」がはたしてどのくらいあるのか知らないが、いつか機会があればこれらの「発見」と「発展」の過程を追ってみたいと思う。
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インドなクアラルンプル

 近々マレーシアを訪れることになっている。首都のクアラルンプルのみ数日間の滞在だが、ちょっと楽しみにしていることがいくつかある。
 まずはインド料理だ。当地居住のインド系人口のほとんどがタミル人なので、当然のごとく南インド料理と香り高いコーヒーの世界なのだ。つまみ食いがてらインド人街をのんびり流してみたい。
 次に映画を観たい。市内あちこちでインド映画が上映されているが、時間があまりないのでどれが良い作品か事前のリサーチが重要となる。
 店先でどういった作品のDVDやVCDが売られているかチェックして歩くのも面白い。ここのバザールは、インド本国よりもかえって品揃えがいいのではないかと思えるほど。ヒンディー語のボリウッド映画にしてもタミル映画にしても、クラシックな名作から封切直後の最新作までズラリと揃っているのにはいつも驚かされる。
 もっとも海賊版の氾濫も相当なもので、ここからまた第三国へと流出しているとも聞く。インド政府から再三「キビシク取締りを!」と要請されているのも「なるほど」とうなずけるわけだ。
 シネマホールで上映される作品同様、どれもたいていマレー語字幕が入っており、人種を問わずこの国の人々が楽しめるようになっている。この国でもインドの銀幕スターは若者たちの憧れだ。2400万あまりの人口の8パーセント近くを占めるという大きな規模のインド系人口あってのことではあるが、娯楽の分野にインド映画が確固たる地位を築いているのは羨ましい。
 市内をひたすら歩いてみるのもまた楽しい。数え切れないほどのインドなスポットが待ち構えているからだ。その名もうれしい「マスジッド・インディア」というモスク、ターバンを巻いたスィク教徒たちが出入りするグルドワーラー、そして大小さまざまのヒンドゥー寺院もある。クアラルンプル郊外にちょっと足を伸ばせば、マレーシアに住むヒンドゥー教徒の聖地、バトゥー・ケイヴスを訪れることもできる。洞窟の中に寺院があり、大祭タイプーサムの際にはすごい人出になるそうだ。
 今は「これは楽しみだ、ムフフ・・・」とあれこれ夢想しているものの、実はどこへも行けそうにない。不本意ではあるが今回仕事で訪れるため大忙しなのである。トホホ・・・。
 

ラージャスターンからスィンドへ

 インド・パキスタン両政府が、ラージャスターン州のムナーバーウ駅からスィンド州のコークラーパール間の列車運行を再開することで合意した。
 もともとはインドのジョードプルからバールメールを経て越境、パキスタンに入ってからはミールプル・カースを経てハイデラーバードへと続いていたこの砂漠越えルートは、英領時代の地図を開けば明らかなとおり、かつては首都デリーと貿易港カラチを結ぶ幹線ルートの一部であった。
 ちなみに現在ラージャスターン州とスィンド州を分けるインド・パキスタン国境は、植民地時代にはいくつもの藩王国による自治領ラージプータナと植民地政府が直接支配するボンベイ管区北西部との境界でもあった。イギリスからの分離独立後も1965年までこの路線が存続していたものの、両国間の関係悪化により廃線となっている。
 突如注目を浴びることになったムナーバーウ駅だが、現在ここへはバールメール駅から鈍行列車が毎日一往復するのみだ。
 カシミールからグジャラートまで、ずいぶん長い国境線を共有していながら、今のところ陸路ではパンジャーブ州のアタリー・ワガー国境しか開いていないことを思えば、新たにこのルートが開かれることの意味は大きい。
 ただこの鉄道再開が話題になったのはこれが初めてではない。80年代後半もまさにこの路線についての検討が進められていたようだが、やはり浮き沈みの多い両国関係の中で立ち消えになったという経緯があるのだから今回もどうなるかわからない。

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国境地帯の地雷原

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 アフガニスタン、アンゴラ、カンボジアなど内戦が続いた地域では、各地に残された地雷によって多数の市民が負傷しており、そのありさまは日本でもしばしば報道されているが、インドでも同様の問題が起きていることがインディア・トゥデイ誌(12月6日号)に報じられていた。
 最近の印パ関係は比較的良好なものとなっているが、2001年末以降しばらくの間は一触即発の緊張状態が続いていた。
 きっかけとなったのは同年12月にデリーで起きた国会議事堂襲撃テロだ。国家中枢が狙われるという未曾有の大事件を受け、急遽展開した軍事警戒行動「オペレーション・パラークラム」の一環として、ジャンムー&カシミール州、パンジャーブ州、ラージャスターン州にかけての国境地帯におよそ100万個もの地雷が敷設された。
 その結果、2002年1月から2004年3月の間にこの地域に住む一般市民は、死者58名、負傷者310名という犠牲を払うことになった。現在もまだ地雷は除去されたわけではない。今後も悲劇はさらに続くことであろう。
 地雷は、軍人・一般市民の区別なく殺傷するとともに、敷設後長きにわたり人々の生活や往来を著しく阻害する危険な装置だ。一般的に地雷の製造コストは一個あたり3ドルからと言われるほど非常に安価だ。しかも敷設後に人員を配置することなく敵の行動を制限できる。そのため紛争地帯では実に手軽な兵器として使用されているのが現状だ。
 たとえ地雷が戦略上必要なものであったとしても、国際政治や両国の対立となんら関係もない庶民が、たまたま国境地帯に住んでいるがうえに負わされるリスクはあまりに大きすぎる。
 死亡者については25万ルピー、障害が残った者に対しては10万から15万ルピーの補償金が中央政府から支出されている他には、被害者へのリハビリテーションあるいは年金の支出といった対策は講じられていないというから、インドという国に対する地域住民の人心は離れていくのではないだろうか。
 今後急いでそれらを取り除く作業を進めていかなくてはならないはずだが、地雷の除去には製造コストのおよそ50倍の費用がかかるだけではなく、探知機と作業に熟練したスタッフをしても、5000個除去するごとにその中から1人の死者と2人の負傷者が出ると言われるほどのリスクがともなう大事業だ。

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