いまもどこかで

 祖父の家にあった古い雑誌のページをめくっていると、こんな記事が目に付いた。
<毎晩くり返されていることのひとつに、乗車拒否がある。そのころタクシーに乗ろうとすると、メーターの何倍もださなければ、行ってくれないというのである。お客は腹を立てる。新聞やテレビもそういう運転手なりタクシー会社を非難する。警察はときどきおもい出したように、一斉取締りとやらをやる。
 乗車拒否はたしかにほめられたことではない。しかし繁華街の夜11時前後あたりは、おびただしいバー、キャバレーや料理屋がいっせいに店をしめる時間である。べつにそういうところで飲んで悪いわけではないが、飲みたらずに別の盛り場まで行こうという客だったら、そう目くじらをたてないで、たまにはメーターの何倍分かをチップとしてはずんでやってもよさそうなものである>
 一体どこの国のことかと思えば1960年代の東京銀座の話であった。黄色く変色したページは、およそ40年もの歳月の経過を物語っている。
 いまもインドの街角で繰り返されている光景。日本では私たちの世代の記憶にないものだが、かといってそんな遠い昔話でもないようだ。

男児か女児か?

三歳の女児の父親が『娘を殺す』と脅迫
目にしたとたん嫌な気分になるニュースであるが、いろいろと考えさせられた。
 ラージャスターン在住の夫婦の間に女の子がふたり。夫は妻に避妊手術を受けさせたが、それでもふたたび身ごもってしまった。生まれてきたのはまた女の子。夫は施術した病院に補償を求め、それがかなわないならば経済的に支えることができないため末娘の命を絶つと州首相を「脅迫」した。
 この事件はあまりに極端な例ではあるが、インドでは就学率・識字率の男女格差、(非合法とされるが)出生前の性別診断による妊娠中絶等から生じる男女出生率のアンバランスなど、根強い男子偏重の傾向が見て取れる。
 結婚持参金問題を含めた慣習のみに原因であるわけではなく、相続について定めた法律、地域の社会と経済の構造、およそ人びとの生活を取り巻く要素が複雑に作用しているため「差別だ」と単純に切り捨てることはできない。
 こうした風潮は保守的な田舎に残っている……というわけではない。パンジャーブやハリヤナ州のような先進地域にあっても、人口の男女比には不自然な差があるのだから。
 跡取り息子の役目は、家督を引き継いだり、親の火葬の場で薪に点火したりすることだけではない。就労機会や賃金の上でも、一部の例外を除けば一般的に男子のほうが有利であることは間違いない。
 都市部では核家族化が進み、かつてインドの大家族のありかたの典型のように言われてきた「ジョイントファミリー」なんてもう昔話だが、家族が小さい単位になれば少子化という現象が出てくる。
 子どもが少ないほど、ひとりひとりにかける期待が大きくなるものだ。田舎に残る幼児婚の習慣はまさに別世界の話で、親によらず自らの意思で配偶者を選ぶような都会の若夫婦たちでさえも「できることならば男の子を」と願うのは自然なことかもしれない。
 また社会保障制度がしっかりしていない現状では、もっとも有効な老後の保障という面もあるだろう。外に嫁に出してしまう娘よりも、跡継ぎで新婚家庭の主である息子の方が親の面倒を見てくれそうだし、こちらの言い分も通り易い…と思うのは無理もない。

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我想う、ゆえに本あり

従来の狭くて暗い書店から、明るく広い新しいタイプの書店へ!?
 インド全国、主要都市に8店舗の支店を展開している大型書店「CROSSWORD」。入り口をはいったところで、警備員にカバンを預けて番号札をもらうところまではほかのお店と同じだが、そこから先がずいぶん違う。
 薄暗い店内に書籍が雑然と積まれていたり、書棚から一冊抜くと後ろにも本が並んでいたり、あれこれ物色しているうちに自分の手も服も本と同じく埃にまみれてしまうようなこともない。
 明るいフロアーに、きれいにディスプレイされた豊富な蔵書。気に入ったものを手にとり、店内のイスやソファに腰掛けて、ゆっくりページをめくりながら選ぶことができるのだ。通路スペースも広くとってあるのも開放感があっていい。清掃が行き届いておりトイレもピカピカだ。
 一般書店なので専門書の類はあまり見当たらないが、とにかく快適。従来のものとは一線を画す新しいタイプの書店である。
 インドは出版活動が盛んである。この国に関する様ざまな分野の本が英語で出版されているため、現地の言葉を学ばなくても、容易に知の大海に漕ぎだせる。欧米の小説など読み物はインドでもすぐに出版されて価格も安いので、本の虫にとってはありがたい国だ。
 ひとつ残念なのは、そうした「資源」が豊富なわりにアウトレットはかなり貧弱であること。都会の富裕な地域ではこうした「快適な書店」が少しずつ登場してきているものの、本屋の数自体は人口の割にずいぶん少ない。大きな街を離れるとキオスク程度のものしかないという、かなりお寒い状況である。

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インドのデジカメ考

Better Photography Magazine
 インドで「Better Photography」という雑誌が売っている。これは日本で言えば「日本カメラ」「CAPA」に相当する写真専門誌。ちょっとページをめくってみると、インド各地の美しい写真が目に飛び込む。この国はまさに被写体の宝庫である。
 だが簡単なスナップ写真はともかく、撮影テクニックを駆使した「趣味の写真」がまだ一般的ではないこともあり、内容は日本の専門誌と比べるとかなり初歩的だ。撮影技術に関する記事は少なく、新製品のレビューに終始しているといった印象で、しかもメーカーのカタログの記載内容をそのままなぞっているといった印象を受ける。
 そんな中、興味を引かれるのは、そうした紹介記事の大半がデジタルカメラに割かれていること。いままで、インドで見かけるカメラといえば、安手のコンパクトカメラくらいのものであったが、ちかごろ都市部ではデジカメを手にする人たちが確実に増えてきている。 
 日本の場合と同じく、価格が下がってくればデジカメの即時性、ランニングコストの低さは大きな魅力となり、さらに普及が進むはずである。
 雑誌の広告には、サムソンコダック(日本ではDCS Pro SLR/nという60万円前後の高級デジタル一眼レフを販売している)など、日本ではデジカメのメーカーとしては馴染みのない企業の名前も目につく。
 デジカメ業界では、銀塩カメラ以上に、技術的に先行するキヤノンやニコンといった日本企業による寡占状態が著しくなってきているが、海外市場ではこうした会社もエコノミーな価格帯ではけっこうがんばっているのだ。

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巨木にお別れ

 バスに乗ってカルナータカ州の国道を走っていると、突然前方が詰まって渋滞してしまった。ピクリとも動かない。反対側の車線は、車がパッタリ途絶えている。交通事故だろうか?
 他の乗客たちとともにバスを降り、前の様子を見にいってみると、そうではないことがわかった。道路わきの大木が倒れ、道路を遮断しているのだ。
巨木にお別れ こんな作業があちこちで行われていた / photo by Akihiko Ogata
 「走っている車の上に落ちてこなくて良かった!」とほっと胸をなでおろしたが、よくよく見れば、倒木は事故や偶然ではなく人為的なものだった。現在、バンガロールからマイソールを経由して西へと進む幹線道路の整備が急ピッチで進んでいるが、この「作業」もその一環なのだ。
 倒木の上で木こり(?)たちが、斧やノコギリで大きな幹や枝を細かくばらしては、道路の外に放っている。枝はちょっとした木の幹みたいに太く、すべてを取り除くのは大変な作業である。ようやくバスが再びエンジンをかけて走り始めたのは小一時間も経ってからだっただろうか。
 工事によっては片側二車線に拡張される道路もある。州の大動脈らしく立派な道路となって、人びとの往来や物資の輸送の便を格段に向上させることだろう。それにしてもこうやって平気でクルマの交通を長い時間遮断する作業がまかり通ってしまうのはいかにもインドらしい。
 しばらく進むと、また同じように道路がブロックされていた。幸いこちらでは迂回路があり、それほど待たされることなく先へと進むことができた。
 この翌日も翌々日も、クルマで走っていると幾度か同じような「渋滞」に遭遇した。相当な勢いで工事が進行していることがわかる。

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