人の振り見て・・・

 近隣のオフィスで働く人々がワンサカ押し寄せる大忙しの時間帯が過ぎた昼下がり、のんびりした空気が流れる店内。厨房近くの席で食事をしていたら、インド人のウェイターとコックの楽しげな会話がずっと聞こえている。まったくおしゃべりな人たちだ。ここは東京都内のインド料理店。
 ギギーとドアが開いた。ショートヘアの30代くらいのお客が入ってきた。身なりや持ち物からすると、仕事で外回りの途中といった雰囲気である。
「いらっしゃいませ。お昼はバイキングになってます」
 ウェイターは客を席へと案内して水をテーブルに置いて戻ってくる。その様子を調理場から覗き見ていたコックが首を突き出し彼に尋ねる。
「ありゃあ男かい?女かい?」
「女だった。驚いたね」
 店内は日本人客ばかりで言葉がわかりはしないと思ってか、何の遠慮もなくそんなことを話題にしている。本人のところまで充分届くボリュームで。確かにそのお客、ちょっと男っぽいタイプではあったが。
 外国でどうせ周囲の人々は理解しないだろうと、日本人の連れに自分たちの言葉でかなり無礼なことを口にすることは私自身も心当たりがある。今後気をつけようと思う。

チキン65

 世界三大料理といえば、中華料理にフランス料理までは定番だが、あとひとつについては地域や人によって挙げるものが違ってくる。ウィキペディアに出てくるようにトルコ料理と続くのは、ヨーロッパ人の感性ではないかと思う。
 この中になんとか和食を押し込みたいのはやまやまだが、ややとっつきにくい玄人好みの味(?)であるためか、外国人は食べつけた人でないとなかなか「旨い」と支持してくれないのが弱点。また国や地域によっては日本食の存在が非常に希薄なところも少なくないので、どういうものだかイメージさえわかないということも少なくないだろう。
 そこに来るとインド料理のほうが、そのユニバーサル度で和食をかなりリードしているかもしれない。だがこれを常食している人たちの中で、栄養過多からくる糖尿病がもはや国民病といわれかねないほど蔓延しており、現代インド人の食生活について警鐘が鳴らされている。
 それにもかかわらずベジタリアンメニューが揃っていること、そして様々なスパイスを多用した「薬膳」的料理としてヘルシーなイメージが定着していることから、世界の各地の人々からもかなり肯定的に受け止められることが多いのではないだろうか。
 世界三大料理からいきなり卑小な話になるが、インド風鶏唐揚スナック、チキン65はビールの格好のつまみだが、この「65」とは一体・・・?
材料の名前ではないし調理方法でもない。食べ物という大地の恵みを手作りで仕上げたものに記号のような名前が付いているのは不思議だ。
「65種類の調味料を使うから」(そんなややこしい料理とは思えないが)、「正式には生後65日前後の若鶏を使うことになっているから」と諸説紛々のようだ。尋ねても納得できる返事が返ってきたことがない。
 はたして「65」の正体とは如何に?

天国に一番近い木の下

「▽◇△××!!」 誰かが突然意味不明の大声で怒鳴った。
 びっくりして立ち止まったその瞬間、空気を裂くような鈍い音に続いて軽い地響き。我に返るとすぐ脇に大きな椰子の実がゴロリと転がっているのに気づいて目が飛び出そうになり、全身からサーッと血の気が引いていく。
「大丈夫かっ?」飲み物を手にしたカナダ人カップルが、駆け寄ってきた。昨日この宿で初めて顔を合わせて夕食をともにした彼らだが、今朝はいきなり私の命の恩人である。
 パラダイスのように美しい海岸を散歩して、危うくそのまま天国に行ってしまうところだった。よく晴れた南国のビーチ、どこまでも青く抜けるような澄み切った空、小鳥のさえずりと付近で遊ぶ子供たちの声・・・。こんな平和な朝にこんな危険が待ち受けているのだから、世の中いつ何があるかわかったものではない。「ココナツ直撃で邦人死亡」は勘弁願いたい。
 一説によると、ココナツの落下による死亡事故は世界中で年間150件ほどあるそうで、遊泳中のサメによる被害のおよそ10倍にのぼるということだ。古いものになるが「Falling Coconuts Kill More People Than Shark Attacks」「Famous coconut palms often ‘neutered」といった記事を目にするとこの危険性についてあらためて考えさせられる。
 特に背の高い木になるほど、実の付いている部分が視界に入りにくいうえに、落下に加速がついて破壊力も大きく増すのだから恐ろしい。
 その日はどこを歩いても頭上が気になって仕方なかった。のどかな南国の豊かな緑は、時に何をやらかしてくれるかわからない。

コトバそれぞれ 2 ヒンディー語紙はどこにある?

 新聞といえば、ヒンディー紙には他の地元語紙も同様のことと思うが、購買層が違うため全国規模で流通している英字のメジャー紙とはずいぶん違うカラーがあるのは言うまでもない。
 よりローカル色が強く、ときには「主婦がチャパーティー焼いたら表面にオームの文字が・・・」なんていう見出しとともに、脱力記事が掲載されたりするのは楽しい。「以前できたときは家族が食べてしまったけど、縁起がいいから今度はしばらくとっておくつもりなの」という奥さんのコメントもついていてなお微笑ましい。
 子供のころ毎年訪れた祖父の郷里三重県の「吉野熊野新聞」や「南紀新報」にもこんな雰囲気があったな、と少々懐かしくなる。それらを何十年と愛読していた祖母の話では「××さん宅で3日続けて茶柱が立つ!」という感じの記事が掲載されることもしばしばあったという。
 ニュースの精度や質に問題はあっても、庶民の新聞はまたそれで面白い。読むことができれば何語のものでも構わないのだが、インドの地元語ローカル紙で、私が読んでわかるのはヒンディー語紙しかないので仕方ない。
 だがこのヒンディー語紙、タミルナードゥでもケララでも、在住の人たちにはいろいろ入手できる経路や場所などあるのかもしれないが、私のようなヨソ者が探してみてもなかなか手に入らなかった。
 州都のチェンナイでは繁華街の売店でラージャスターン・パトリカー紙を購入できるスタンドはポツポツ存在するが、他ではなかなか見つからなかった。ママラプラムとマドゥライではごくわずかな部数を置いている店があることを確認できたが、後者ではなぜかチェンナイ版ではなくバンガロール版であった。それ以外の街では鉄道駅やバススタンドのような人の出入りの多いところの新聞スタンドで尋ねてみてもサッパリ見つからなかった。
 ところでこのラージャスターン・パトリカー紙、その名の示すとおりラージャスターン州をベースにする地方紙である。わざわざ南インドで販売するならば、同紙より地域色の薄いデーニク・ジャーグランのようなよりグローバル(?)なものではなくて、なぜラージャスターン・パトリカーなのか?とも思うが、とりあえず手に入れば何でもいい。
 ページをめくると南インド発のローカルニュース、そして全国ニュースに加えてラージャスターン州各地域の主な出来事をあつかうページもある。ヒンディー語を母語とする人々向けのメディアであることから、南インドの地域ニュースというよりも、まさにラージャスターン出身者たちの同郷紙といった色合いが濃い。
 使用されている言語だけではなく内容面からも異邦人向けの新聞ということは、日本国外で在住邦人相手に販売される「読売新聞衛星版」みたいなものか?とふと思ったりもする。
アウトレットも置かれている部数もごく限られているが、チェンナイ版、バンガロール版と発行されているからにはそれなりに需要があるのだろう。

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コトバそれぞれ 1 聞こえるけど見あたらない

 インドにおいて、ヒンディー語はおよそ4億人といわれる国内最大の話者人口を擁する大言語であるとともに、憲法第343条における「連邦公用語」でもある。
 だが広い国だけあって地域よってはその地位が頼りなく思われることもある。いわゆるヒンディーベルトと呼ばれる地域から外に出ると、その言葉が使用される度合いや通じる程度も地域によってさまざまであるからだ。
 全国各地から人々が集まるムンバイーやアムダーバードのようなコスモポリタン、とりわけ繁華街ではあたかも土地の言葉であるかのように使用されている。ヒンディー語圏から来た人たちが大勢住んでいることもあるだろうし、母語を異にする人々をつなぐ共通言語としての役割も大きい。これらの州の公用語であるマラーティー語にしてもグジャラート語にしても、言語的に同じ系統でヒンディー語と近い関係にあるということもあるだろう。どの社会層の人もよく話すし田舎に行っても通じる相手がいなくて困るということはまずないはずだ。
 だがビハール州からの出稼ぎが多いコルカタはさておき、西ベンガル州全般となるとちょっと事情は違ってくるようでもある。学校教育の中でヒンディー語を教えることについてどのくらい力を入れているか、そして地元の人々自身がヒンディー語を理解することを必要としているかといったことで、地域でのヒンディー語の受容度や通用度がかなり左右されることになるのだろう。

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