津波から半年

 早いもので、世界的な大災害となった昨年12月26日の津波から6カ月が過ぎた。インドでは、死者と行方不明者合わせて1万6千人を超す。津波の原因となったインドネシアの大地震の震源地スマトラ沖に近いアンダマン・ニコバールでは4千人(非公式には1万人とも)が死亡、5万人が家屋を失ったとされる。
 現在、地元当局は島嶼からなる同地域の沿岸部を津波災害から守るため、2億ルピーを投じて土による堤防を建設中だが、これに対して環境専門家たちは資金の無駄であるとともに、環境にも悪い影響を与えると警告している。
 今回のような大きな津波が来ればこんな堤防で防ぐことはできないであろうこと、大地が海水に浸ったことによる塩害が心配されているところだが、幸いこの地域が降水量豊富であることから、じきに地面から塩分が取り除かれるはずのところ、地表を伝う雨が海に流れ込まなければ塩が土地に堆積してしまうのだという。そして土が海に流れ出すことにより珊瑚が死滅してしまうことや建設用の土砂が掘り起こされることにより島の森林が減少することも危惧されていると、下記リンク先のニュースに書かれている。
 未曾有の大災害後、行政側としては何かしらの手立てをするのは当然のことだが、「地域住民の要求により」とはいうものの、中央政府から下りてくる特別予算がついた以上、何としてでも消化しなくてはならないという消極的な理由もあるのかもしれない。現場をあずかる担当者の立場にあっても組織の歯車のひとつにすぎず、上意下達の命令体系の中で黙々と仕事をこなすしかないのだから。個々の職員たちはそれなりに誠実にやっているつもりでも、総体で見れば責任の所在がはっきりしないい加減さが目に付くのは、洋の東西を問わずお役所ならではの体質かもしれない。
 また「地元からの要求」はさておき、こうした付け焼刃の事業案件を掘り起こしては中央政府や地元行政の要所に働きかける土建業者やブローカーがいて、人々の見えないところで大きな利権が動いていることもあるのかと想像する向きもあるだろう。
 ともあれ数百年に一度とされる稀な大災害を「今回は運が悪かった」と片付けてしまうのか、今後同様の騒動が起きるのは数世代先になる可能性が高いことを承知のうえで可能な手を打っておくのか。津波にかかわる研究や対策の充実が望まれるところではあるが、ただでさえ財政的に苦しい途上国にあっては悩ましいところだろう。記憶はやがて風化していくものだが、今回の津波は私たちにどんな教訓を与えたのだろうか。
Questions over Andaman tsunami aid (BBC South Asia)

ラクダを駆る子供たち

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 ご存知のとおりUAEではラクダレースがとても盛んだ。テレビで中継されたり新聞に結果が大きく報道されたりするなど国民的な娯楽だ。レースで入賞することは、オーナーにとって大きな名誉であるとともに、現金以外にも高級乗用車、四輪駆動車その他の財産をもたらしてくれる。
 伝統的なラクダレースを担ってきたのはもちろんアラビア人たちであったが、現在騎手のほとんどが外国人、しかも南アジア出身の子供たちなのだという。「体重が軽いこと」と、外国人である彼らの「低賃金」に加えて、競技が「危険であること」がその理由だ。レース中の事故や他の騎手(の子供たち)とのケンカなどにより、命を落とす者が後を絶たないのだというから胸の痛む話である。
 子供たちは親の意思でブローカーに託される場合もあれば、組織的な誘拐により連れ去られることもある。産油国を出入りする労働者その他の南アジア人の子供に偽装して入国して騎手としての訓練を施される。UAEでおよそ3000人の子供たちがラクダレースにかかわっており、その中のおよそ7割から8割がパキスタン出身だという。
 UAEで1993年から子供を騎手として使うことを公には禁止した後も、この状態はそのまま続いてきており、今年の5月になってこの問題に真剣に取り組むべく当局が重い腰を上げたらしい。今後は16才以下および体重45キロ以下の者がラクダレースの騎手になることはできなくなるとともに、「ロボット騎手」の導入も検討されている。
 このほど騎手として働かされていたパキスタンの子供たち22名が国連の仲介により帰国することができた。ほとんどが貧困層の出身で、年齢わずか3歳の幼児も含まれるというほど、ほんの小さな頃に連れられていくケースが多いためか、帰国してからも両親を探り当てるために血液検査等が必要になるという。
 一連の動きは歓迎すべきことではあるが、問題は受け入れ側だけではなく、送り出す国々にもあることはもちろんだ。UAEのラクダレースに限らず、南アジアから湾岸産油国へ同様の手口で送り出される南アジアの子供たちがいるのはよく知られているところだ。こうした悪辣な「幼児移民」を生む背景が消えてなくなるわけではない。騎手がダメなら次は何のためにどこに送り込まれることになるのか、世間は注視していく必要がある。
Repatriated child jockeys return (BBC South Asia)

A Taj Hotel in N.Y.

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 国際的なホテルチェーンFOUR SEASONS HOTELグループ傘下のTHE PIERREは、ニューヨークにある五ツ星ホテルだ。日本語サイトも用意されているので、日本人の利用客も多いのだろう。このホテルの英語によるウェブサイトのトップページ右下部にはこんな文章が掲載されている。
Important Note: The Pierre New York is expected to be sold on or about June 30, 2005, after which Four Seasons will no longer operate the Hotel. All confirmed reservations will be honoured by the Hotel, which is expected to become part of Taj Hotels Resorts and Palaces. If you have any questions or concerns please contact the Hotel at the number listed above.
 つまりこのホテルがタージグループによる買収の結果、7月1日から「インド系ホテル」として再出発することになるのだ。従来から名前が広く知られている高級ホテルということもあり、これまで築いてきたブランドイメージが大切にされるであろうが、経営陣が入れ替わる・・・しかもインド系企業と化すことにより「スパイスが効いた」変化が長期的には見られるのだろう。
 インド本国を中心に近隣国その他UAE、イエメンやイギリスなどでも高級ホテルを展開する同グループだが、アメリカでの五ツ星クラスのホテルの経営を手がけるのは初めてとのことである。
Taj Declared New Operator of The Pierre (Hotel Travel News)
Taj to operate The Pierre (4 Hoteliers)

今年の雨は?

 インド気象庁は18年連続で「平年並み」のモンスーンを予報しているが、この長い年月に各地でひどい旱魃や大きな水害もあった。それでも多くの年では、広く全体でならしてみれば通常の雨量ではあったかもしれない。
 農作物については小麦の生産量の86%がウッタル・プラデーシュ、パンジャーブ、ハリヤナー、ラージャスターン、マディャ・プラデーシュに集中しているのを見てもわかるとおり、気候や風土が地域ごとに大きく違うこの国では、収穫されるあらゆる作物が各地でまんべんなく栽培されているわけではもちろんなく、作物ごとに産地が特定の地域に集中することが多いようだ。そのため局地的な雨量の多寡が人々の暮らしに不可欠な産物の流通に大きく影響することもありえる。
 現在インドでは熱波による死者が125名にのぼり、一説には200名を越えたともいわれているという。もっとも大きな被害を受けているのがオリッサ州で75名、そしてアーンドラ・プラデーシュ州では35名の死亡が確認されているそうだ。
 ところによっては気温が摂氏50度に達したところもあり、とりわけ体力の劣る子供や老人には非常にきつい季節である。また都市部にありながらも被害を確認しにくいのが路上生活者たちだろう。死者が出ても、それが果たして暑さによるものなのか、病気あるいは栄養失調によるものなのか判然としないことが多いに違いない。
 一般の市民たちの間でも似たようなことが言えるかと思う。庶民の間に広くエアコンが普及している社会ではないので、もともと具合の悪かった人が暑さのために急速に体力を失い容態が悪化することもあるだろうし、勤労者たちにあっては睡眠不足に加えて昼間の暑い最中での仕事で消耗することによる過労死も少なくないと想像される。この時期、人々を襲う不幸の中で、高い気温が引き金となっているものはかなり多いはず。
 昔、ラージャスターン州でモンスーンの訪れに遭遇したとき、それはまさに映画に出てくるシーンのようであった。酷暑の中で静まり返った午後、誰もが心の底から願っていた雨季が、地平線の彼方から巨大で分厚い雲のうねりとともにやってきたのだ。
 あたかも目の前に巨大な滝が出現したかのような激しい雨・・・というよりも天から注ぐ奔流を、人々は窓からあるいは軒先から満面の笑みで迎え、瞬く間に流れる川となった道路で子供たちは茶色い濁流の中で嬉々として遊んでいるのであった。
 私自身もその晩、潤った空気と低い気温のおかげで、久しぶりに食欲が沸き夕食で何を口にしてもおいしく感じられ、涼しく快適な夜はぐっすり眠ることができた。
 6月初めにはケララ州に到達したとされるモンスーンだが、今年の雨はどうなるのだろう。おそらく「平年並み」に悲喜こもごもあるのだろうと想像しているが、どうか良き雨季でありますように。

求む!航空機 

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 インドから航空旅客機の大型発注が相次いでいる。エア・インディアに対してボーイング社に対して50機で60億ドル分、ジェットエアウェイズからは20機で28億ドル分の注文がなされている。エアバス社についてはインディアン・エアラインスにより43機で120億ドル分、つい最近就航したキングフィッシャー・エアラインスからは15機にして30億ドル分もの発注がなされている。
 準備中でまだ航空会社として機能さえしていないインディゴ・エアラインスからもなんと60億円分、100機のA320という大型発注をしているというから驚いてしまう。
 キングフィッシャー・エアラインにしても、このインディゴ・エアラインスもしても、前者はビール製造会社、後者は旅行関連会社という、ともに航空業に直接たずさわることはなかった異業種からの参入。このところのインド航空界は、新会社による就航が相次ぐとともに、従来の国内線の会社は国際線に進出するなど非常に目まぐるしい進化を見せており、文字通り大競争時代に入っている。
 5月からエア・インディアのアムリトサルからバーミンガムトロント行きの便が就航、エア・サハラがデリー・シカゴ間のノンストップ便を近々就航させる。ロンドン便も今年9月から予定されているなど、地方空港発の国際ルート、従来の主要国際空港からの新たなリンクともに増えている。
 インドでは今後、既存の空港の整備や新たな施設の建設が進むことと思われるが、国営のインディアン・エアラインスを除けば国内線のルートは西側に密で東側のほうは薄い西高東低型。東北地方は言うに及ばずビハール、西ベンガル、オリッサ、チャッティースガル、アーンドラ・プラデーシュにかけて旅客機の飛行がかなり希薄な地域が広がっていることが気になる。
 民間航空会社の飛行ルートを眺めてみれば、それはまさしくおカネの流れるルートそのものを如実になぞっていることが見て取れるいっぽう、インディアン・エアラインには「国営会社」として他とは違った役割を担っていることも感じられる。
 階層格差だけではなく、地域格差も大きいため、効率ばかり優先するわけには当然いかないお国柄。役所的な体質はさておき、他社とは比較にならないほど大きな同社だが、経済的にとても不利なルートも敢えて運行を続けなくてはならないことは相当大きなハンデだ。今後このままの形で収益率の良い民間会社と同じ土俵で競うのはチト苦しいのではないだろうか。
IndiGo – Indian budget airline to buy 100 Airbus 320s (Airlines India)
Airbus wins $6bn order from India (BBC South Asia)