お隣さんはどこに行く??

9月10日のナワーズ・シャリーフ前首相の帰国直後の逮捕と国外追放、10月18日のベーナズィール・ブットー前首相の帰国当日夜のカーラーチーでの凱旋パレードの際に起きた、パーキスターン史上最大級と言われる被害を出した自爆テロ事件、大統領選立候補資格の有無をめぐる最高裁との対立、テロの拡大等を理由にした非常事態宣言発令、司法の痛烈な批判と最高裁長官の首すげ替え、閣僚宅への過激派による自爆攻撃、ブットー前首相の自宅軟禁とその解除を繰り返すなど、混迷が続くパーキスターン情勢。
亜大陸の反対側にあるバングラーデーシュも、今年1月に総選挙が実施されるはずであったが、対立する政党間での軋轢が激化した結果、大統領による非常事態宣言発令、選挙管理内閣による統治へ。選挙は現在のところ来年10月以降になりそうな見込み。こちらもまた先行き不透明だ。
もっともインドもかつて為政者が強権を発動した時期がなかったわけでもないし、北東部やカシミールでの分離活動やそうした地域で主に軍による人権抑圧、オリッサ、ビハール、アーンドラ・プラデーシュその他広い地域で活動する極左集団、カーストやコミュニティをベースにした対立等々さまざまな問題を抱えている。また90年代から経済的に目覚しい発展を遂げることになったとはいえ、それ以前は長く停滞にあえいでいた。
それでも総体として今のインドの好調さと安定ぶりは際立っている。旧英領『インド』としての歴史を共有する兄弟国でありながら、なぜこうも違うのだろうか?という思いを抱かないでもない。もっとも分離前の広大な地域をまとめあげたのは、亜大陸に住む人々自身ではなく、イギリスの統治によるものであったことから、元々同じ国であったとすること自体に幻想が含まれているのかもしれない。
もっとも今のインドにしても、現在の優位が未来永劫に続くという保証があるわけではない。20世紀には『来たる××年代の大国』『次世紀のアメリカ』と目された国が失速していく例はいくつもあった。インドとて、10年、20年後どうなっているかについては誰も正確な予言をすることはできないだろう。そもそも経済とは自国内のみで完結するものではないし、特に今の時代にあっては国際情勢その他、自分たちではどうにもコントロールできない事象に影響されることも多い。
〈続く〉

サイクロン接近!

ベンガル地方に時速200kmという強い風速の大型サイクロンが接近中。すでにインドの隣国バングラーデーシュの主要港であるチッタゴンやコックス・バーザールは操業を停止しているのだとか。嵐は本日11月15日夕方から翌16日にかけて、ベンガル地方を縦断する見込みだ。
早期警戒システムの導入とコンクリート製のサイクロンシェルターを多数建設したおかげで、バングラーデーシュにおけるサイクロンの被害は相当少なくなってきているとはいうものの、デルタ地帯からなる低地が国土の大半を占めるため、風雨による直接のインパクトに加えて、高潮による影響も懸念される。
このサイクロン、バングラーデーシュはもとより、インド東部沿岸部やミャンマー西部海岸地域にもかなりの爪痕を残すのではないかといわれている。今からほぼ24時間の事態の推移が気になるところだ。下記のロイターによる記事にあるように、今回のサイクロンは『Terrain lower than 3 metres (10 feet) above sea level may be flooded requiring massive evacuation of residential areas as far inland as 10 km (6 miles).』『Complete destruction of mobile homes 』という事態を含めた甚大な被害が心配される規模であるらしい。
洋の東西を問わず、自然災害に際して貧しい人ほどその影響を受けやすく、また被災からの回復にも時間がかかるものだ。明日、明後日以降に私たちが目にするニュースが心痛むものでないことを願うばかりである。
Super cyclonic storm Sidr (Reuters)
Storm lashes Bangladesh coast, thousands evacuated (Reuters)

IITジャパン・コンファレンス 11月15日(木)〜17日(土)

11月15日(木)から17日(土)にかけて、IIT(Indian Institutes of Technology)同窓会による『IITジャパン・コンファレンス 日印パートナーシップ−両国の戦略的関係構築に向けて−』が慶応義塾大学三田キャンパスにて開催される。
在日IIT同窓会のウェブサイトによれば、これまで世界各地でのコンファレンスを開いており、今回は日本初のIITコンファレンスとなるとのことだ。同ウェブサイトの『プログラム』をクリックしてみると、日印の大学関係者はもちろん、両国財界のそうそうたるメンバーの名前が並んでいる。
いよいよ日本とインドの関係も観念的なものや政府当局によるスローガン的な友好の意思の表明が先行するのではなく、人々の営みそのものである経済の分野でのつながりが本格的に深化してきたことを示している。両国の産業界において相互に欠くことのできないパートナーとしての存在感がさらに高まる近未来の日印関係に思いを馳せてみよう!
IITジャパン・コンファレンス

天まで届くか? ボビー・ジンダル

Bobby Jindal
今年10月、アメリカのルイジアナ州知事選挙で得票率54%という圧倒的な支持を得て見事当選して、来年1月からの就任が決定した共和党のボビー・ジンダル。アジア系アメリカ人のなかで、インド系は中国系、フィリピン系に次いで第三位。総人口の中に占める割合は0.6%に過ぎないとはいえ、シリコンバレーで活躍する実業家たちの中にインド出身者たちの名前がズラリと並んでいるとともに、その他医者や弁護士といった高度な知的職業に従事する人々の割合が高いとされるのが特徴だ。高学歴で富裕層が多く低所得層が少ないといわれる。
極めてアメリカ的なものの中にもインド人との縁が深いものは決して珍しくない。たとえば高性能な音響機器を製造するアメリカ企業Boseもまたインド系アメリカ人にして、アマル・ゴーパール・ボースが起業したものである。彼の父、ノーニー・ゴーパール・ボースは、インド独立の志士で政治活動により投獄経験があり、当時のイギリス官憲の追及を逃れるため渡米した。
在米インド系人口は、高い教育水準と所得レベルを持つ有力なマイノリティ・コミュニティながらも、政界への進出はさほど盛んでないとされてきたが、ここにきて保守的な南部のルイジアナ州知事選で選出され、全米初のインド系知事、同州における135年ぶりの非白人知事となったのがインド系二世のボビー・ジンダル。ちなみにルイジアナ州で始めて白人以外の知事となった人物とは、P.B.S.ピンチバックという人物で、白人農場主と彼の元奴隷であった黒人との間に生まれたとされる。在任期間は1872年12月半ばから翌83年1月半ばまで、わずかひと月あまりと短いものであった。
ボビー・ジンダルは1971年生まれの36歳。インドのパンジャーブ州からの移民の息子として、ルイジアナ州のバトンルージュで生まれた。父の故郷に祖父母が生きていたころは、繰り返しインドを訪れていたという。元々はヒンドゥーながらも中学生のころクリスチャンに改宗。ブラウン大学卒業後、イギリスのオックスフォード大学に留学して政治学修士号を取得。同じくインド系アメリカ人スプリヤーとの間に三人の子供たちがある。
彼は突然降って沸いたように表舞台に登場したわけではない。大学院修了後、20代前半で同州保健局の責任者、20代後半で同州立大学の統括責任者、そしてブッシュ政権発足時の厚生次官補に抜擢されるなど、非常に優秀な行政官として手腕を発揮してきた。また4年前初めて同州知事選に出馬。一次投票は首位で通過したものの、二位につけたブランコ氏との決選投票で僅差の敗北を喫するなど、常に人々の耳目を集めてきた人物である。一昨年9月に大きな被害をもたらしたハリケーン、カトリーナへの対応への批判からブランコ知事が再出馬をあきらめたこと、民主党の票田であった都市部の黒人有権者たちの多くが今でも他州に避難したまま戻ってきていないことなども、共和党の彼に有利な結果を引き出すことになった。
彼の州知事当選を、昨今のアジア系アメリカ人の台頭の一例、インド系アメリカ人の政治進出のシンボルという見方もできるかもしれないが、その実彼のスタンスや支持者層は、インド系の人々の利益を代表するものではないし、いわんや広く他のマイノリティや社会的弱者の利害をも代弁するものではない。南部でも特に保守色が強い、いわゆるデイープ・サウスに位置するルイジアナ州で、伝統的な白人保守層の価値観の代弁者として人々から票を集めたのが奇しくも非白人のアジア系候補者のボビー・ジンダルその人なのだ。肌の色や人種の違いを超えたオーソドックスな保守派として異色な存在だといえる。
しかしながら出自にとらわれない広範な支持とまだ36歳という若さは、これまで彼が発揮してきた確かな行政手腕と合わせて今後も目が離せない。ひょっとするとこの人物は、将来米国政界の頂点、ひいては世界政治を左右する高みにまで上り詰めるのではないか?という予感がするのは私だけではないだろう。
Bobby Jindal GOVERNOR (ボビー・ジンダル公式サイト)

あっちでインド、こっちでもインド

11月15日(木)から20日(火)までの間、東京都杉並区で『日印交流年記念フェア』が開催される。区の所有する公共施設で開かれる小さなイベントのようだが、『日印交流年』事業の認定を受けて行なう行事らしい。
交流年・・・といっても何か具体的な背景があるわけでもなく、両国の友好と相互理解を旗印に政府が音頭を取っているだけのこと。それでも日印交流年の企画に関わっているミティラー博物館のサイトを覗いてみれば、古典音楽や舞踊など多彩な面々が来日して公演がなされていることがわかる。日本でインドの魅力を広めるため、おそらく一定の効果は上げているのであろうし、そうしたステージを見る機会が広く与えられることに意義があることは間違いない。
前述の東京都杉並区だけでなく、全国各地で交流年にちなんだイベントが開催されているようだ。検索サイトで『日印交流年』に加えて自治体名を入れてみると、宮城県愛知県大阪府鹿児島県など、各地で開かれた催しにアクセスできる。
よく知らなかったのだが、あちこちでインドにちなんだイベントがいろいろ開かれているようだ。これで年が明けたら何も無し・・・ではなく、これを機会にインドに対する関心が高まり、いつもどこかで何かしらこうした催しが開かれているのが当たり前といったムードになれば喜ばしい。