「AURANGABAD WITH DAULATABAD, KHULDABAD AND AHMADNAGAR」というガイドブック

これがとても役に立った。

一般的なガイドブックは、ネットを通じた各種メディアの発達により、ほぼ役目を終えたと考えている。少なくともアクセス、宿泊施設、食事等の情報はわざわざガイドブックで入手する必要はなくなっている。

そのいっぽうで特定の狭い地域を細かく紹介した案内書にはまだまだお世話になる機会は多い。どんな見どころがあるのか、それらの背景も加えて具体的かつ詳細に網羅したガイドブックだ。写真や各遺跡等の見取図等も豊富だ。

インドの地場の出版社JAICOは出版点数は多くないものの、いくつかテーマを絞り込んだ良書を世に送り出している。できれば電子版をアマゾンで販売してもらいたいのだが、紙媒体でインド国内でしか買うことができない。

DECCAN HERITAGE FOUNDATIONJAICO PUBLISHING HOUSEから出しているもので、他にもデカン周辺各地のガイドブックが出版されており、いずれも良書である。

消えゆく街道風景

道の両側に大木が等間隔でどこまでも並び、緑のトンネルの中を走っていくような眺めがどこにでも見られた。英領期に強い陽光を避けることが出来るよう各地で道沿いに植林が進められた結果このような形になった。

しかし1990年代以降は急激にこうした景色が姿を消している。経済発展に伴う交通量の急増から国道等主要道路の複線化が至上命題となったからだ。各地で道路脇の大木が次々に伐採され道路を盛土しての拡張工事が進んでいった。

こうした眺めは今でも田舎では目にするものの、やがて昔の映像や写真のみに残る「昔のインドの風景」となることだろう。

クルダーバード

エローラをあとにして、クルダーバードへ。クルマですぐ近くだ。

街道の眺め

聖者廟周辺にはそれにあやかっていろいろな人々の墓が林立していたりするが、第6代ムガル皇帝のアウラングゼーブもそのような具合で埋葬されている。

サイード・ザイヌッディーン・シラーズィーのダルガー
アウラングゼーブの墓

その墓所が立地するのはスーフィーのチシュティー派の聖者サイード・ザイヌッディーン・シラーズィーのダルガー(聖者廟)内。アウラングゼーブ自身が自身の葬儀は簡便に、墓は露天で、敬愛する聖者の墓の傍らにと希望したがゆえとのこと。

ムガル最盛期の支配者の墓所とは信じ難いほどの簡素さであり、故人の清廉さと質実剛健さを偲ぶことが出来るように思う。

アウラングゼーブには関係ないが、意外だったのはこの墓所の世話人が盲目の方なのだが、日本語がけっこう堪能であることだ。ここに日本人の訪問者がそれほど多いとは思えないだけにちょっとびっくりした。

ダルガー・ブルハヌッディーン・ガーリブ

クルダーバードのアウラングゼーブの墓所のあるダルガーの道路挟んで向かいにある別のダルガー・ブルハヌッディーン・ガーリブ。瀟洒な感じで世話人の人もとても知的な感じだった。

これまた徒歩ですぐのところにあるのが、バーニー・ベーガム・バーグというペルシャ庭園。ここにはバーニー・ベーガム(アウラングゼーブの孫、ビーダール・バクトの妻)の墓がある。いわゆるチャール・バーグ形式、日本風に言えば「田の字型」の庭園。

荒れてはいるものの、その佇まいから往時を想像するのは難しくない優美なガーデン。この地に残るムガル式建造物の傑作のひとつだ。庭園内のあずま屋のルーフはバングラー型になっている。せっかくの素敵な場所なので、きちんと整備してくれたらどんなに見事に生まれ変わるか、と思ってしまう。

少し離れた郊外にあるのは、軍人や宮中の護衛として重用される例が多かったスィッディー(アフロ系インド人)の出世頭のひとり、マーリク・アンバルの墓。

この町には素敵なペルシャ庭園もあるし、こうした歴史的な建造物がいくつもある点から、クルダーバードは気に入った。だがこの日クルマを頼んだムスリムの運転手によると「ここの男たちはみんなグトカーを噛んで呆けたような人が多い。あまり良い印象はありませんな。」とかなんとか。たしかにあまり暮らし向きのよくなさそうなムスリム地域は、あまり雰囲気の良くないどこかすねたようなやさぐれたムードがあるものだが、クルダーバードもそんな具合だ。何泊かしてみると、他にもいろいろ謂れのある知られざる名所がいくつもありそうだ。町のムードはあまり良くはないのだけれども。

お上りさん観光客

アジャンターの遺跡群の中の石窟寺院には、近代的なアパートのようなものがあり、居住性も良好なように思えるものもいくつかあった。往時は中には絵が施されていたようなので、かなり華やかなものであったことだろう。また壁には漆喰が塗ってあったため今のような暗さでもなかったのかもしれない。

No.1からNo.34までの窟があるが、No.30以降のものがかなり離れているため、電気エンジンの園内の乗り合いが走っている。

田舎のお上りさん観光客は相手が見るからに外国人でも平気でものを尋ねてくる人たちがけっこうある。たぶん気持ちが高揚してあまり周囲が見えなくなっているのだろうか。

お揃いの帽子を被った壮年の団体さんが肩で息をしながら「おーい、あんたぁ。ここから先には何か見るものあるかなぁ?」などと質問してくる。

こちらはたった今観てきたばかりなので記憶は新鮮。「30番から34番までの石窟があるけど、32番は見応えあるから頑張って行ってみたほうがいいですよ!」と教えてあげる。

年齢とともに脚が悪くなったり、肥満で歩行がたいへんになった人たちもいる。インド人の年齢はよくわからないけど、私の親の年代よりもはるかに若いはずだ。そして悪くすると、僕とそんなに大きく年齢変わらなかったりするかもしれない