謎の船会社職員

ジャンジーラー島遠景

ムルッドへは、ジャンジーラー島を見学するために来たのだが、多数のスクールトリップのグループが入れ代わり立ち代わり到着していて、てんやわんやの状態。チケットも長い行列で、買ってからも乗船のため再度長い長い行列。ハイシーズンにここを訪れると丸1日仕事になりそう。

鄙びた遺跡をのんびり訪れることを想像していたのだが、全く違う展開に驚いていた。予想を大きく裏切ることがしばしば起きるのはインドらしい。

スクールトリップの時期でなければ、つまり学期中にはガラガラらしい。

 

そんなわけで、いつ将棋倒しが起きてもおかしくないジャンジーラー島入口。ものすごい混雑だ。

「まだしばらく上陸まで時間がありますのでお耳を拝借します・・・」から始まり、以下のような案内が始まった。

「コロナ以前はガイドが常駐しておりましたが、コロナで閉鎖していた時期もあり現在はガイドはおりません。そこで私が皆様のために事前にご説明して差し上げます。」

とのこと。

 

「高いお代はいただきません。おふたり、3人連れの方は100ルピー、5、6人様の場合は200ルピーを目安にいただけると幸いです。」とかなんとかで、船上の講釈が始まった。

州外の観光客が多いため、ヒンディーでやってくれている。

なかなか弁の立つ男で、大きな貯水池を備えていることから「ジャル(インドの言葉で「水」)・ジャズィーラー(アラビア語で「島」」)と呼ばれ、これが転化してジャンジーラーになったという島名の由来は初耳だった。てっきりジャンジール(鎖)の島という意味かと思っていたので目からウロコ。

歴史、スィッディーの王のこと、その出自と背景、マラーターとの関係、島の中の主な施設や建物などについて、船の待ち時間の関係で「ジャンジーラー島上陸者」が与えられた「45分間」で効率よく見るために順序よく簡潔に話をまとめている。船会社の職員というより、こちらの仕事のほうでプロなのではなかろうか。謎の船会社職員である。

最後に上陸にあたりご注意いただきたいことがあります・・・とのことで、皆が耳を傾けていると驚きの話が。

「ムスリム及びコーリー(というヒンドゥーのカースト)のおよそ200世帯ほどがくらしていたとされるジャンジーラーですが、出入島にあたって厳しいセキュリティ管理がありました。住民ひとりひとりに識別のためのコインが渡されており、帰島の際にこれを必ず呈示する必要がありました。失くすということは決して許されず、欲に目がくらんでコインを売り渡してしまったとみなされました。コインを呈示できなかった帰島者はその場で衛兵に取り押さえられて殺害されてしまうのでした」とのことで、乗船者たちは眉をひそめる。

「しかし今を生きるお客様たちは心配御無用です。さきほど申し上げた気持ちばかりの謝礼をいただければ、皆様の安全な上陸とご帰還はしっかりとガランティー(Guarantee)されておりますのでご安心ください。」で笑いを取るとともにチップの念押し。

その後は「はい、そこのグループの方々」「はい、あなたがたは何人ですか?」「そこの方々」と、団体さんたちを指名して効率よくチップを回収していく。手慣れたものだ。

こんな場所なので仕事ではなく観光で来ている人たちが全てなので、100、200、400・・・と男の手の中にお金が集まっていく。

みんな船会社のチケットは埠頭で買ってから乗り込んでいるが、その船を舞台にこの人は上手い口先で船賃とは別の次元のサービスを提供して、そのままポケットに入れる術を心得ているのがすごい。

話が面白かったので私も50ルピーくらい渡そうかと思ったが、大人数のグループいくつかから手早く集金すると、彼はサッサと引き上げていった。そのあたりのスマートさにもいたく感心した次第。やはり謎の船会社社員である。

この人による島のガイダンスは手短であったものの、見学にはかなり役に立った。こういう公式どおりではない人が、割とそのへんにゴロゴロしているのもインドの面白いところだ。

爽やかな朝

すっきりと目覚めると朝になっていた。

バルコニーからの景色が美しい。

宿近くの食堂に入って席に着くと、目の前の窓といいそこからの眺めといい、素晴らしい絵のようで素敵だ。

注文したものが出てきた。予想に反して都会風のパウが添えられたチャナ。ムンバイあたりから来るお客の好みに寄せたのか。

ニンブーを絞り、たっぷり添えられたタマネギのみじん切りを載せて、パウですくって食べると、これまたいい感じ。

食べ終えて店を出て少し歩くと、地酒を売る店があった。夕方訪れてみるとするか。

近くのお宅の玄関口では、可愛らしいネコがうたた寝をしている。

麗しく、爽やかで心地の良い朝である。

夕飯

ムルッドは浜辺沿いに広がる小さな町。アラビア海に沈む夕日をしばらく眺めていると、いい具合に夕食の時間になった。近くのこじんまりした店に入ってみると、簡単ながらもおいしい食事が出てきた。油脂分が少なめで健康的な感じでもあった。

食事を終えて店を出てしばらく歩くと、こんなお宅が目に入ってきた。

軒下スペースに長椅子とか一人がけの椅子がいくつかあって、ここで家族やご近所さんがゆったりと会話するのだろう。

実は画面左側には居間への扉があって、中が丸見えなので遠慮しておいた。3歳くらいの小さな女の子がお母さんと遊んでいたが、似たような顔をしたお母さんがもう1人いた。たぶんどちらかがお母さんでもうひとりがその姉妹なのだろう。

タバコとパーンを売っていた小屋も時代が代わると様変わり。

これではかなりキビしい。主力商品はそれらではなく、菓子、ジュース、石鹸、洗剤などに。大人ひとりがなんとか座れる規模の店では、とてもキラーナー(雑貨屋)には太刀打ちできないし、バリエーションや品数もかなわない。

ムルッドでホテルなどが集まっている浜は夜になっても州内や隣接州から来た観光客が多いため、照明で煌々と照らされている。抜けていく潮風が心地よい。

ムンバイに着いてムルッドへ

ムンバイに着いた。空港で軽くパンを食べてコラバまでタクシーで急行。ここのインド門から出る船に乗りたかったのだが、途中ダラビーのあたりの渋滞がひどかった。

マンガロールを早朝に出たものの、インド門のところの埠頭に到着してわかったのは、利用できる船は14:15発であること。

うまく行けば昼前の船に乗ることができるかと思ったが、預け荷物が空港で出てくるまで1時間、市内移動の渋滞もあるので、なかなか期待どおりにはいかないものだ。

1時間ほどで対岸のマンダワーに当着。ときどき「ロンドンに来ているような気分になる」ムンバイの対岸なので、「ケンブリッジみたいな街」を想像していたが、まったくそんなことはなく、ただのインドの田舎町であった。船のチケット代金に含まれているアリーバーグ行きのバスに乗る。アリーバーグはこの地域の交通のハブらしく、そこそこの規模はあるようだ。

マンダワーで下船
船代に込みのバスに乗車

降ろされたところから少し歩くとバススタンドがあり、本日の目的地のムルッド行きのバスがちょうど出るところ。バスの案内所の女性に乗るべきバスを尋ねると、「あれがそう、あーもう出ちゃうから走ってー!」などと言う。そう言われれば、頑張るしかない。夕方だし、これを逃すとどのくらい先になるかわからないので間に合って良かった。

アリーバーグでバスを乗り換えてムルッドに移動。ようやく本日の目的地まであと1時間くらい。南インドも良かったが、マハーラーシュトラの田舎の緑豊かな眺めも素敵だ。

アリーバーグでバスを乗り換えてムルッドへと向かう。

文字がおなじみのデーヴァナーガリーとなった。地元の言葉マラーティーは知らないけど、広告や新聞記事など目にするものは字面を追えば何について書かれてあるのかだいたい把握できるのがありがたい。ケーララやカルナータカでは、まったくわからない丸文字がヒソヒソ話をしているようで、なにか落ち着かないものがあった。

ほぼ海岸沿いの道路を行くのだが、バスの車窓からの眺めは1980年代のインドのような気がした。道路幅はバス1台分プラスアルファ、舗装は凸凹であちこち崩れたり穴が空いたりしていてバスはゆっくりゆっくりとそれらを越えていく。

丘陵地が続き、細くて凸凹した道路を、バスは唸りを上げながら苦しげに上っては、下りでホッとしたような感じで惰性で走り、ときに出現する角度のきついカーブをうまくやり過ごして進んでいく。

このあたりで陽はアラビア海へと傾き、広々とした豊かな砂浜に立つ人々のシルエットが影絵のように見える。

ムンバイや半島外の郊外地域を構成するナウィー・ムンバイから距離的には近いのに、こんな素朴な田舎が「ロンドンの対岸から近く」にあったことに驚くとともに、マハーラーシュトラ州のこのエリアはまだ訪れたことがなかったので、「案外良さそう」と嬉しく思っている次第。

今日は、飛行機、空港タクシー、船、バスふたつと、たくさん乗り物に乗った。今日はもう見学する時間はないけれども、ゆっくりとビールを愉しもうと思う。