ラダック たかがSIM、されどSIM

夏の旅行シーズン中のラダック地方の中心地、レーの町の旅行代理店の店先にはこのような貼り紙がある。

「××月××日から7日間のマルカ渓谷のトレッキング参加者募集」

「××月××日から2泊3日でヌブラ渓谷へのジープ旅行参加者募る」

「××月××日出発、4日間でストック・カングリー峰登頂、参加希望者はぜひ!」

旅行者本人が当該の旅行代理店に費用の相談をした際に提示された料金(同業者組合の関係で、複数の代理店で尋ねても同じような料金を提示されることが多い)を見て、「誰かシェアする人がいれば・・・」という希望を受けて、このような貼り紙がなされるようである。そのため、協力関係にある代理店では同様のリクエストのある顧客を融通しあうケースは多々あるようで、ポピュラーな目的地等についてはいくつかの代理店を回るとちょうど都合の良い個人なりグループなりとマッチングする可能性は高い。

逆に、協定料金を設定している同業者組合関係の事業者同士が主体となって、このようなツアーを催行しているところがあるかといえばそうではないようで、実際に店頭に相談するために現れた顧客があってのことになる。相談に現れて、シェアする相手を募集するポスティングを希望したお客にしたところで、その店以外でも同様の相談や依頼をしている可能性は高い。

携帯がないから個々に連絡つかない。本人が現れないとわからない。言いだしっぺの本人が雲隠れしたままで、集まった人々でツアー成立ということもある。とりわけとても沢山の人々が訪れるマルカー渓谷トレッキングであったり、シェアジープで行くパンゴンツォなどの場合はその典型だろう。だが訪れる人の数がより少ない場所への場合は、その企画自体が流れてしまうことも多いようだ。

多くの場合、コミュニケーションがお客から代理店への一方通行になりがちである。つまりお客本人がその代理店に「その後どうなった?」「人は集まった?」と幾度か通うようでないと、うまく連絡がつかないものである。代理店のほうではいくばくかの前金を預かるようにしたり、宿泊先の電話番号を聞くようにしていることも多いようだが、それでもまだ正式に申し込んだわけではないため前金の支払いを渋るお客が少なくないのはわかる。また、宿泊先の電話番号といったところで、お客が宿泊先の室内にずっと閉じこもっているはずはないし、宿が気に入らず変わることだってある。そんな具合で、代理店のほうからお客に連絡を取りにくいのがどうも弱いところである。

インドの他の地域であれば、携帯SIMの安価なプリペイドのプランがあるので、airtelなりvodafoneなり、地元インドの携帯番号を持っている旅行者が多いのだが、ラダックが位置するJ&K州の場合、他州で契約したプリペイドプランは利用できない(電波そのものが入らない)し、かといってJ&K州の地元のプリペイドSIM(これは反対にJ&K州の外では利用できない)を入手しようにも、購入の際にいろいろ条件があり、非居住者の外国人にとってはハードルが高い。そんなわけで、インドの他州ではいつも地元のプリペイドSIMで携帯電話の通話やインターネット等を利用している外国人旅行者たちは自前の通信手段を持たないことになる。(ポストペイドのプランは利用可能なので、外国人であっても居住者でこれを持っている人は利用しているキャリアの電波の届く範囲では通話可能)

J&K州でこのような措置がなされている背景には、カシミール地方の政情に関する問題、また州そのものが隣国であるパーキスターン、中国との係争地と背中合わせであること、軍事的に重要な地域であること等々の要素がある。プリペイドSIMは、その有効期間中においては、購入時の所有者から第三者に転売・譲渡してしまうことも事実上可能であることから、実際の利用者が誰であるのか判らないSIMが地域に氾濫してしまうのは、治安対策上好ましくないことなのである。

だが、この「プリペイドSIM問題」がなければ、レーの旅行代理店業を営む人たちはずいぶん助かることであろうし、それらを利用する立場の旅行者たちにとっても利するところは大きいはずでもあるのだが、こればかりは当分変わることはないだろう。

レーにて 4

「おーい!また来たんだね!」

レーのメインマーケット界隈を歩いていると、誰かが背後から声をかけてきた。

振り向くと、そこでニコニコしているのは、昨年アリアン・バレー等に行くときに頼んだ運転手、ザンスカールからこの時期のレーに働きに来ているナワンさんであった。

「やあ、元気そうだね。今年はいつごろまで仕事なんだい?」

3年続けて訪問しているとはいえ、滞在期間は短いし、話をしたりする人は限られているものの、夏の時期にレーで商うために来ているカシミール人、レストランに出稼ぎに来ているネパール人、地元ラダック人の旅行代理店スタッフ等々、旅行者相手の仕事をしている人たちによく声をかけられる。何はともあれ、日々多くの人々を相手にしていながらも、こちらのことを覚えてくれているのは嬉しい。

道路を掘り返して工事中

レーのメインマーケット界隈は、再開発とやらでちょっと忙しい感じになっている。道路が通行止めとなり、路面を掘り起こしての工事が進行中。完成すると、ちょっと小洒落た一角になる予定らしい。

このような感じになる予定らしい。

「ポプラの木は切り倒されてしまったし、なんか風情がなくなってしまうようで、どうかな?と思うんだけれどもね。」という人もあれば、「キレイになるのが楽しみだよ。」という者もある。

いずれしても、限られたエリアでの再開発であり、夏のシーズンにおける集客効果を狙ったものであるがゆえに、それで何かが大きく変わるわけではなさそうだ。

メインマーケットの裏手の旧市街の小路が入り組んだムスリム地区は、どこか中央アジアを思わせる雰囲気があり、土釜で焼いた挽肉入りのサモーサーをかじりながらフラフラと散歩するのがとても心地よい。

〈完〉

レーにて 3

宿泊している宿のすぐ隣にあるPadma Guest Houseの屋上のレストランが私のお気に入りである。

Padma Guest House屋上のレストランからの眺望

レーの町にありながらも、周囲の眺めが開けているため、畑の向こうに広がる山あいのパノラマ風景を楽しむことができる。

ここで出される食事はおいしいが、さりとてそれらが特別に・・・というわけではないし、メニューがとりわけ多いわけではないのだが、やはりこのロケーションの良さと、利用者がほぼこのPadma Guest Hose宿泊客だけという静かで落ち着いた雰囲気もいい。

朝早くにこのレストランがあるテラスから眺める風景、夕方陽が落ちてから次第に暗くなっていく山並みの眺望、スカッと晴れた日の昼間、曇りでどこかからか雷鳴が聞こえてくる午後など、いずれの時間帯や天気でもそれぞれの味わいのある心地よいロケーションだ。

シーズンオフの厳冬期も営業しているのかどうかは知らないが、ピリピリと冷たい空気の中で、白い雪を被るエリアがすっかり広くなった山々を望むのも大変いい感じなのではないかと想像してみたりする。

〈続く〉

レーにて 2

ここ3年ほど夏にはラダックを訪問しているが、レーでの常宿となっているのはSia-La Guest house

ラダック人ムスリム家族が経営する宿で、庭いっぱいに栽培されている野菜と周囲のポプラの木の葉の緑が目に心地よい。今年からは母屋とそれに面した芝生のところでWifiを利用できるようになっていて、ますます快適になった。オーナー夫婦は話好きな人で、彼らの人柄を慕っての常連客が多いようだ。観光客以外にもNGO等で活動している人たちの利用もかなりある。

レーの町は際限なく広がっていっているように思えるが、宿の奥さんの話によると、レーの町が広がっているのはラダック地域内の他のエリアからの人口の流入、村からの人口の流入等があるのだそうだ。町の外縁部では土地を占拠しての違法建築も増えているとか。

違法建築はともかく、レーとその他の地域では学校の教育の質、就業機会、給電や給水の状態はもとより、その他様々なあらゆる面での格差が大きいため、レーに集中してしまうのはわかる。北方のヌブラよりも先のトゥルトゥクあたりからもかなり来ているそうだ。

それ以外にも、レーの町中ではインダス河をしばらく下った先で、ラダックの中では低地にあたる通称「アリアン・バレー」地域の人たちの姿もあり、ほおずきや花を頭にあしらった女性の姿をときどき目にする。モンゴロイド系の一般的なラダック人たちとは異なるアーリア系の風貌をした人々である。

村の若い人たちが町に大勢来てしまい、村で畑仕事する人たちが減ってしまったりということもあるようだ。村で農作業している低地からやってきた出稼ぎインド人たちが大勢いるのもそういう理由があるのかもしれない。

だが治安面での懸念等はないのだろうか。とりわけ若い男性ばかりということになる出稼ぎ人たちだが、そのような問題もはらんでいることが想像できなくない。

田舎から町に出てくる人たちが多いのと同様に、レーの人たちの間でもやはり子供たちをデリーやチャンディーガルの学校に送ったり、仕事を求めてインドの他の地域に行ったりということは少なくないようだ。

こうした事柄は、日本における農村から町へ、町から主要都市や東京へという人口の移動とも似た性格があるようにも思われる。

〈続く〉

レーにて 1

観光シーズンのこの町には沢山の宿があり、よりどりみどりである。ガイドブックで好意的に取り上げられているところ、ツアー客の利用が多いところなどでは数日先まで予約で一杯ということもあるとはいえ、そうしたコネを持たない宿は宿泊客がほとんどなかったりもして、「これで本当にやっていけるのか?」とこちらが少々心配になってしまうようなところもあったりする。

食事する場所にしても、宿にしても、夏のシーズンにだけオープンしているところが多く、そうした時期にだけ平地のU.P.、ビハール、ジャールカンドといった州や隣国のネパールから来たスタッフを雇って営業していたりする。そうしたスタッフたちは、オフの時期には故郷に帰っていたり、ラダックがオフシーズンの時期にピークとなる他の地域で働いていたりする。

こうした現象は、レーの町中だけではなく、幹線道路沿いに荒野の中にポツンと存在する小さな食堂であったり、カルドゥン・ラを越えた先のヌブラ渓谷にある小さなゲストハウスでも同様であったりする。また、この時期の農村も繁忙期であり、麦や野菜などの収穫をしている村々で、額に汗して働いている人たちの多くが「平地から来たインド人」であることは多いし、気温の高い時期即ち屋外で作業しやすい時期に集中して行われる道路その他の建設工事に従事する人々もまた同様である。

ラダックの観光シーズンにおける季節労働は必ずしも外部の人たちによるものばかりというわけではなく、チャーターしたクルマの運転手はザンスカール地方を含めたラダック地域の人たちが多い。トレッキングガイドについては、夏季休暇中の地元やインドの他の地域の大学で学んでいるラダック人大学生たちが従事していることが多いようだ。

近年盛んになっているラフティングについては、漕ぎ手やリーダー役を務めるのはネパール人が多い。インドのハリドワールに講習所があり、そこで技術を身に付けた者が多いとのことである。

〈続く〉