インドで高速鉄道計画

2017年までに、インド西部で最高時速200キロの高速鉄道を導入することが計画されている。

Railways looks to run Delhi-Mumbai trains at 200 kmph (The Times of India)

これにより、たとえばムンバイー・デリー間の列車移動にかかる時間が相当短縮されることになるらしい。プネー・ムンバイー・アーメダーバード間については、日本の新幹線システムを採用する方向にあるという点にも注目したい。

インド、日本の新幹線システム採用軸に協議 両首脳合意 (asahi.com)

現在のインドの「高速鉄道」といえば、ラージダーニー急行、シャターブディー急行といったところだが、どちらも最高速度は時速120キロ程度。ゆえに日本の新幹線システムや他国の高速鉄道技術の導入が計画されているわけだ。

インドの場合、どの分野にあってもシステムとしては良いものであっても、現場のクオリティ・コントロールが粗雑であるがゆえ、いろいろと問題が生じているケースが多い。鉄道についてはどうだろうか?

ときに、同じ線路の上を両方から走ってきた列車が正面衝突したり、古い橋梁が崩壊して車両が落下したりといった、信じられない惨事が起きたりするのもインドの鉄道。

輸送の高速化はもちろんのこと、安全管理についても飛躍的な向上が見られることを願ってやまない。

インドの豪華列車

インド国鉄の関連団体IRCTC(Indian Railway Catering
and Tourism Corporation)による豪華列車ツアーはいろいろあるが、本家本元といえば1982年にサービスを開始したPalace on Wheelsである。

豪華な設備の整った車両で、デリーから出発し、アーグラーに加えてラージャスターン州のいくつかの土地を巡る7泊8日の行程で、その模様はPalace on Wheelsのウェブサイト上にて動画で公開されている。

費用についてはこちらをご参照願いたい。提示されているのは一泊当たりの料金であることに注意が必要だ。

Palace on Wheelsは、アーグラー以外の訪問地はラージャスターン州内であるのに対して、行程もカージュラーホー、バナーラスといった他州の観光地も含まれることに加えて、設備もモダンなバージョンが、2009年に開始されたRoyal Rajasthan on Wheelsだ。

Palace on Wheelsの南版といえるのが、2004年に運行開始したDeccan Odyssey。ムンバイーを出発し、7泊8日でマハーラーシュトラ州内に加えてゴアを訪れる。東南部に目を移せば、2008年に開始されたThe Golden Chariotという豪華列車もある。こちらはThe Pride of Southと題したバンガロール出発でカルナータカ州内とゴアを訪れる行程と、Southern Splendorという、同じくバンガロール発だがタミルナードゥとケーララの両州を訪れるツアーがある。

こうした豪華列車によるツアーの売り上げがなかなか好調なのか、2010年からはMaharajas’ Expressというサービスも開始されている。他の豪華列車と異なるのは、お決まりの7泊8日の行程が、ムンバイー発でアジャンターからラージャスターン各地、そしてアーグラーを経てデリーが終点となるHeritage of India、デリー発ではアーグラー、ラージャスターン州の複数個所、M.P.州はU.P.州を経てデリーに戻るIndian Panorama、デリー発でラージャスターン州を経てムンバイーに至るIndian Splendor、3泊4日でデリー、アーグラーとラージャスターン州を訪れるTreasures of IndiaGems of Indiaがあるという力の入れようだ。

個人的には、こうした豪華列車にどの程度の関心があるかといえば、正直なところまったくないのだが、かねてより乗車してみたいと思っているものがひとつだけある。Fairy Queenというのがそれで、デリーからアルワールの区間のみ、いつか利用してみたい。

蛇足ながら、ツーリスト・トレインのパッケージは、必ずしもひとつの行程が数千ドルもする高額なものばかりというわけではなく、数千ルピー程度から参加できるものも用意されている。もちろんこれらは「豪華列車」ではないことは言うまでもないが。

IRCTC (再々アップデート)

前回は、今年7月にIRCTC (再アップデート)と題して、ウェブでのインド国鉄のEチケット予約について、携帯電話(インドの携帯電話会社のSIM利用)に送られてくる認証パスワードが必要になっていることについて触れたが、それを含めてインド人の間でもインド国鉄予約サイトの使い勝手は評判がよくないようだ。

その不便さを解消する目的で、これまでのクレジットカードでの支払いに加えて、近々RDS (Rolling Deposit Scheme)なるものが開始されることになるようだ。要はネット予約を扱っているインド国鉄関連会社のIRCTCに「プリペイド」でお金を預けておき、そこから予約するチケットの代金が差し引かれるという仕組みだ。

このシステムを利用することにより、これまで予約作業途中にエラー表示が出たり、携帯電話で受信しなくてはならなかった認証パスワードが不要になったりという面倒が解消されるという触れ込みではある。

詳しいことはまだ明らかになっていないので、インド国内からの銀行送金以外にどのような「プリペイド」方法が可能になるのか、その「プリペイド」の支払い手段としてクレジットカードが使用できるのかも今のところ不明。

IRCTC to launch deposit scheme for faster bookings
(Times of India)

IRCTC mulls prepayment cards to reduce
transaction failure rate (The Indian Express)

詳細が明らかになるまでは批評を差し控えたい。だがiPhoneやiPadのアプリケーションで、『Indian Railway Booking』アプリケーションが出てきて、サクサクと簡単に予約すれば、予約代金はiTunesに登録してあるカードから引き落とされ、あとは乗車後に『My Booking』のアイコンにタッチすると表示される予約内容を車掌に見せるだけ・・・という具合になればありがたい、と思うのは私だけではないだろう。

南アジアの鉄道で、ウェブ上での予約・発券が可能な国はインド以外に存在しない。現状でもインドは『大変進んでいる』ので、あまり多くを求めるのは酷かもしれないが。

IRCTC (再アップデート)

またインド国鉄時刻表改定の時期の7月となった。先月末の時点で、同鉄道のウェブサイトにアップロードされているTrains At A GlanceのPDF版は、2012年7月以降(2013年6月末まで)の内容に改められた。

ひところ、インド国鉄のウェブ予約を扱うIRCTCのサイトでは、インド国外発行のクレジットカードによる支払いができず不便であったが、cleartripという助け舟的な旅行予約サイトの存在があることは、1年半ほど前にIRCTC (アップデート)と題して取り上げてみた。

だがしばらく前から、事前にIRCTCのサイトで手続きして、インドで入手した携帯電話に送信される認証パスワードを入力しないと購入できなくなっている。厄介なのは、インドの携帯電話でないとこれを受け取ることができないため、もともとそうしたものを所持していないとか、持っているけれどもインド国外にいるという場合だ。

そうしたケースの場合は、IRCTCにその旨の電子メールを送れば、メール宛に認証パスワードを送信してくれることになっているのだが、パスポートの写しを送信しなくてはならないし、返信が来るまで1日か2日程度かかるので、「ああ面倒!」と思う人も少なくないだろう。

そのあたりについては、『インド鉄道利用法:予約から乗車まで』というウェブサイトに詳しく書かれているのでご参照願いたい。

予約内容をプリントアウトすることなく、携帯電話やiPad等に送信された予約内容をそのまチケットとして利用できるという措置が取られるようになっている一方で、予約手続き自体は利便性の向上と逆行しているのがもどかしいところだ。

目的は、クレジットカードの不正利用、そして乗客に対するセキュリティ対策の一環といったところに尽きるのだが、運用されるシステム自体はいかにも「お役所的」である。つまり何か対策が取られるべき問題があるとして、それに対していかに効果的に実施するかという方向ではなく、「これを実行しました!」「こういう対策を取りました!」といった具合に、場当たり的な『私たち、仕事してます』というアリバイ作りに終始しているように思われる。

クレジットカードの不正使用はともかく、仮に犯罪をもくろむ人物が狙いをつけた列車のチケットを入手しようとするならば、駅の窓口や旅行代理店などいくらでもある。ちょうど、鉄道駅のセキュリティ対策と同じようなものだ。

大きな主要駅のエントランスから入場する乗客たちに大げさなセキュリティチェックを施していても、実は沿道からプラットフォーム脇に入ることができるようになっていたり、駅構内にテナントとして入っている食堂等を経由したりすれば、保安要員の検査を受けることなくプラットフォームに入ることができてしまうことが往々にしてある。また中途駅ではそのような措置さえないところが少なくない。

ペーパーレスのチケットが有効となっているならば、いっそのことIRCTCがAppleのiPhone / iPad用あるいはGoogleのアンドロイドの予約用アプリケーションでも開発して、それらを経由して予約・支払いができるようにでもしてくれたら、販売側も管理は楽になるだろうし、利用者側ともによほど助かるのだが。

今のところ、IRCTC用のそうしたスマートフォンやタブレットPCからアクセスできるIRCTCのモバイル用サイトを除けば、アプリケーション自体でインド国鉄のスケジュールや路線のチェック、PNRステイタスの確認等が出来るものはいくつか存在しているのだが、直接予約をできるようにはなっていない。

今後の進展に期待したいところだ。

 

泰緬鉄道終点

ヤンゴンから夜行バスでモウラミャインに着き、宿に荷物を置いて少々仮眠してからタンビュザヤ行きのバスに乗り込む。

混雑していても、そこは人々のマナーの良いミャンマーなので、ガサついた感じはないのだが、窓から差し込む強い陽射しを避けようと、車内窓際の座席で日傘を広げる女性が少なくないのには閉口する。邪魔なだけではなく、危険ではないか!

このバスは、沿道の人々の貴重な移動手段となっているため、あちこちで客を降ろしては、少し先で乗せてということをチョコチョコと繰り返しながら進むため、行きは3時間もかかってしまった。帰りは乗り合いのピックアップを利用したのだが、その半分の1時間半ほどでモウラミャインに戻ることができたのだが。

それはともかく、モウラミャインの町に着いた。かつて泰緬鉄道で使われていたという蒸気機関車、ミャンマー側の終着駅であった場所、連合軍墓地などを見物したかったので、とりあえずバイクタクシーにそれらの場所に向かってもらうことにした。

タイでもミャンマーでも、揃いのベストを着用した運転手たちによるバイクタクシーは各地にある(走行するバイクを見かけないヤンゴンを除く)が、ふと思ったのは、インドにおいては、ゴアのような一部の地域を除けばこうした開業が手軽で、利用者にとっても手頃な交通手段がないのかということ。とりわけ、山間部にあるヒルステーションのように、街全体が斜面にあり、道路は狭くて勾配も急であったりして、バスやオートリクシャーなどが往来できないような土地では、ずいぶん重宝される可能性がある。

だが、よくよく考えてみるまでもなく、インドにおいては、運転手との距離が近すぎて、身体的な接触があることについては、とても抵抗感があるはずだ。もちろん公共交通機関に関する法的な規制等の関係もあることだろう。私自身、運転手とのこの距離感はどうも馴染めないし、それにタイの若いバイクタクシーの運転手のようにカッ飛ばす者に乗せてもらいたくないので、やはりミャンマーでも落ち着いた感じの中年運転手に頼むことにしている。

町中から少し出たところに、かつて泰緬鉄道で使われていたという日本製の蒸気機関車がひっそりと置かれていた。C56型のこのタイプの機関車は泰緬鉄道に導入され、第二次大戦が終わってからも、タイ・ミャンマーそれぞれの国鉄で用いられていたという。この車両が置かれているところから、古びた単線のレールが南方向に延びているが、少し先からは茂みの中に消えていく。

C56蒸気機関車
おそらく泰緬鉄道のレール

タイで走っていた機関車のうちの二両は、その後タイから日本に「帰国」し、一両は靖国神社の遊就館に展示されており、もう一両は大井川鐵道にて現役で走行している。

タイのバンコクから北西方向、カンチャナブリーを経て、タンビュザヤに至った泰緬鉄道は、第二次世界大戦時に日本軍がその建設を決行するより以前から、当時のビルマ(現ミャンマー)を統治していたイギリス当局により、このルートの鉄道敷設の構想はあったものの、地理条件により断念されていたとされる。

建設にあたり、日本の担当者は5年程度の歳月が必要であると見積もっていたが、日本軍はこれをわずか1年とひと月で強行した。これにより、連合軍捕虜1万6千名ならびにアジア各地から徴用された8万人を超える労働者たちが死亡することとなった。

この鉄道建設については、デヴィッド・リーン監督による1957年公開のThe Bridge on the River Kwai(邦題:戦場にかける橋)にも描かれており、旧日本軍による苛烈な捕虜虐待と戦争犯罪の一例として、世間でよく知られているところである。

タンビュザヤ駅

市街地に戻り、そこから少し西に進んだところには駅舎があった。新しい枕木が置かれていたり、レール上部が光っていることからもわかるとおり、とうの昔に泰緬鉄道は廃線となっているものの、この駅自体は遺蹟化しているわけではない。モウルメインからイェー経由でダウェイに向かうルート上にあり、今でも毎日数本程度の客車や貨物車が往復しているようだ。

ダウェイへと続く鉄路

さらに西­方向に行くと連合軍墓地がある。広大な敷地の奥に慰霊塔では、オーストラリアの国旗が掲げられるとともに大きな花輪が捧げられていた。何かの記念日に当たるのか、セレモニーが開かれているようであった。参列している人たちの多く、といっても十数名程度だが、白人の人たちであった。おそらくオーストラリアの人たちなのだろう。リーダー格と見られる人は中年男性、その他は小さな子供を含めた家族連れであった。

広大な連合軍墓地
慰霊塔に掲げられたオーストラリア国旗と花輪

ちょっと話をしてみようかと思ったが、集っている人たちも私も戦争を知らない世代ではあるものの、ここに埋葬されている人々にとって、彼らを散々苦しめた加害国の人間であるがゆえに、非常にためらわれた。結局、声をかけることなくその場を後にした。こうした場でのセレモニーであるだけに、日本人であることを非常に重荷に感じてしまう。

数多くある墓標の中には、やはり名前がわからず記されていないものも多い。身元がわかっている人物の場合、記されている享年は多くが20代あるいは30代。またある墓標には花が供えてあった。ちょうど開かれていたセレモニーに合わせて、誰か身内の人が訪れたのかもしれない。

花が供えられていた

タンビュザヤから乗り合いのピックアップでモウラミャインに戻る。着いたのは午後4時。見物に夢中になったり、適当な食事処が見当たらなかったりで、昼食を抜いたり、ずいぶん遅くなってから食事したりということは多い。

この日も、ほとんど夕食に近い時間になってしまったが、河沿いにある食堂に入ると、ヤンゴンからの夜行バスで一緒だったイギリス人青年がちょうどビールを飲んでいたので相席する。よく冷えたビールが喉に心地よい。彼と軽食をつまみながら二杯ほど飲んでから、午後8時くらいに付近にある他の場所で待ち合わせて一緒に夕食をすることになった。

1943年の泰緬鉄道を建設に関わった旧日本軍の人々も連合軍側の人々も、やがてこういう平和な時代が訪れるとは夢にも思わなかったことだろう。すべての人々にとって不幸な戦争、国家の名のもとに敵味方に分かれて命を奪い合うような時代を繰り返すようなことは、今後決してあってはならない。そのためにも戦争の記憶を風化させてはならない、歴史を曲解させることがあってはならない、と私は常々思っている。