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カテゴリー: politics

  • グルカ兵

    グルカ兵

    カトマンズのタメルにあるククリ屋さんの看板

    インドが英領時代からインドを含めた英国植民地で、それらが宗主国から独立して久しい現在まで、傭兵として重用されているグルカ兵だが、小柄ながらも勇猛果敢さと規律の高さで知られる。

    日本軍によるインパール作戦時、英領インドは、深いジャングルの丘陵地帯に守られて手薄だった東部の守備が切り崩されるのを防ぐため、現地アッサム連隊に加えて、インド全土から応援を呼び寄せるのみならず、遠く英国本国、アフリカの英国領地からも兵員を導入している。

    コヒマ市街地等では、両軍による白兵戦が展開するなど、日本軍が撤退を決意するまでは、熾烈なバトルが繰り返されたが、そうした場面で決定的な役割を演じた部隊のひとつが、このグルカ兵から成る傭兵部隊であったとも聞く。

    ジェントルでマイルドな雰囲気のネパールの人々だが、インパール作戦に従軍した日本兵たちにとっては、ネパール兵との邂逅は、即座に死を意味するものであったようだ。

  • コールカーターの街

    コールカーターの街

    英領期の壮麗な建築物が今もふんだんに残るコールカーター

    文化人類学者の中根千枝氏が、戦後間もない頃に自身のコールカーター等に滞在している。彼女が何かで書いていたが、当時目にしたコールカーターの印象は、今の時代の私たちが感じるものとは相当異なるものであったようだ。

    壮麗な建築物が整然と建ち並び、当時としては非常に良く整備された都市インフラと行き届いた給電があり、中には空調設備が整った施設もあったという。色濃く残っていた英国式マナーと文化的なたたずまい等々に感銘したらしい。インド独立直後のカルカッタは、まだ『先進的な欧州の街』であったのだ。

    分離独立時の東パーキスターンからの難民流入に加えて、その東パーキスターンが西パーキスターンが相手の独立戦争を経て、バーングラーデーシュとして再度独立を果たすに至っては、さらに大きな規模の難民が雪崩を打って流れ込む中で、街中の様子が大きく変わったとも聞く。

    その少し前から始まった基幹産業や銀行などの国有化政策により、大きく左寄りとなった中央政府のスタンスにより、90年代に入るまでは長く停滞が続いたインド経済だが、とりわけ西ベンガル州においては、70年代に共産党が政権に就いてから(2011年の州議会選挙で負けて野党に転じる)は、カルカッタの街は右肩下がりの低迷を続けた。

    知の都コールカーターを擁する西ベンガルは、インドを代表する『革命の都』であったことから、様々な左翼活動家を輩出し、今も労働組合活動が大変盛んな土地柄だが、暴力的な極左勢力マオイスト(西ベンガルのナクサルバーリーで決起したことから、ナクサライトとも呼ばれる)が活動を始めたのも西ベンガル。

    当時のカルカッタ大学にも、これに共鳴するシンパは多かったとのことで、英領期から続く名門大学の学生がかなりの規模で行方不明(警察による検挙)となった過去がある。初期のナクサライトを指揮したマーズムダールはベンガルひとながらもカルカッタ大学出身ではなく、デリー大学の卒業生だが。

    カレッジストリートにあるインディアン・コーヒーハウスも、そうした若き革命家たちも出入りして、闊達に議論を戦わせる場所でもあった。
    コールカーターでは、現在もユニオンや左翼政党による戦闘的なラリーが開かれたりポスターが貼られたりしており、今も革命の都の面影が感じられたりする。

    インディアン・コーヒーハウス
    インド共産党(マルクス主義派)の街角集会
  • 元人民解放軍兵士54年振りの里帰り

    ラージ・ババードゥル、本名王琪(Wang Qi)という在印華人のことがメディアで取り上げられている。

    在印華人たちが1962年に起きた中印紛争をきっかけに、「敵性国人」の扱いを受けることとなり、カルカッタその他に暮らしていた彼らが次々に拘束されて、ラージャスターンのデーウリーにある収容所に送られたこと、その後も常に公安関係とのトラブルや差別的な扱いが続いたことから、大勢の華人たちの脱出が続いたことが知られている。

    もともとインドに在住していた人たちとは異なり、国境地帯に勤務する人民解放軍の測量兵だったので、紛争の当事者のひとりであったとも言えるのだが、紛争数週間後に国境のインド側で迷い、インド赤十字に助けを求めたところ、インド軍に引き渡されている。

    その後、スパイ容疑で7年間服役したが、出国許可を得ることが出来ず、M.P.州のナーグプル近郊の村に定住することとなり、現地女性と結婚して家庭を持ち、今では3人の孫もいるそうだ。

    The Chinese man trapped in India for half a century (BBC NEWS)

    駐インドの中国大使館の力添えと旅費の工面により、彼が今月11日に故郷の山西省に里帰りして、親族たちとの再会が実現している。

    Chinese soldier returns home after 54 years in India (CGTN AMERICA)

    元兵士とはいえ、インドに対する工作活動は、軍人であるがゆえに上官の命令に従ったがゆえのものであり、半世紀以上もの長きに渡り、故郷の地を踏むことさえ出来なかった彼もまた、戦争の犠牲者のひとりであったと言えるだろう。

    報道されている内容から察する範囲では、王琪さんはインドで円満な家庭を築くとともに、地域で良好な人間関係にも恵まれているらしいことは幸いなことである。

  • インド独立時のカラー映像

    ネルー、サルダール・パテール、マウントバッテン総督など、当時の要人の姿をカラー映像で見るのは新鮮な思いがするが、動画半ばで出てくる印パ両国からの難民の姿に、カラーであるがゆえの強烈な現実感をおぼえる。
    動画には出てこないけれども、独立のほぼひと月前に、当初の予定ではアッサム地方の一部としてインドに残るはずであったのに、かなり唐突に決まった住民投票で東パキスタン(現バングラデシュ)に帰属することになってしまったシレット(・・・と日本語で表記されるけど、本来はシルハトあるいはスィルハトとすべき)では、相当な混乱があったことと思う。
    印パ分離の悲劇については、両国の人々の間で広く共有されている体験だが、英国統治の前に統一インドが存在したことは一度もなく、英国による統一がなければ、現在の形でひとつにまとまったインドが実現することは、おそらくなかったであろうという歴史の皮肉を思ったりもする。

    1947 Indian Independence rare color video clip (Youtube)

  • ジャヤラリター逝去

    ジャヤラリター逝去

    昨日12月5日の夜11時半、チェンナイのアポロ病院で、ジャヤラリターが亡くなった。

    女優時代のジャヤラリター

    本日12月6日のヒンディー語ニュースは、この女性、元タミル語映画のトップスターで、後に大物政治家となった、現職のタミルナードゥ州首相の葬儀のことばかり繰り返している。通常、ヒンディー語ニュースは、その言語圏内のトピックが大半となるが、一地方州のチーフミニスター、しかも非ヒンディー語州の首相が亡くなって、放送がそれ一色になってしまうのは異例だ。

    葬儀が営まれるマリーナー・ビーチに移動する車列と人々

    葬儀の会場

    女優時代にヒンディー語映画にも一作だけ(ダルメーンドラと共演したIzzatという作品)出演しているが、これほど大きく取り上げられるのは、やはり政治家としての存在感の大きさゆえのことだ。

    タミル民族主義、裏返せば反中央即ち北インド感情、これと共振するところに反バラモン感情もあるのだが、その強烈なタミル民族主義の中核を率いる存在として君臨したのが、このバラモン女性というパラドックス。

    女優時代は非常に美しく可憐で、長く政治家として頂点にあったときも、メディアのインタビューに応じるときには、上品かつエレガントな語り口で、豪腕政治家のものとは思えない優美さがあった。

    近年、汚職により獄中で過ごした期間もあり、メディアでさんざん叩かれたこともあったが、さすがに今日の葬儀を伝えるニュースでは、彼女が行った貧困層や女性の地位向上の政策などを手放しで称えている。

    享年68歳。南インド政界を代表する女傑が逝ってしまった。

    Tamil Nadu CM Jayalalithaa dies at 68, to be buried at MGR’s memorial site (Hindustan Times)

  • ヤムナ・エクスプレスウェイで戦闘機が離着陸

    11月21日にNDTVのニュースでも見たが、同日の朝6時半ごろ、ヤムナ・エクスプレスウェイのマトゥラー付近で、インド空軍のミラージュ2000が2機着陸と離陸を実施したとのこと。

    事前に道路を封鎖して、政府高官たちも見守る中での実施であったそうだが、付近住民に詳細は知らされておらず、さぞ驚いたことだろう。

    最近のインドの主要幹線国道には、片側3車線のものが少なくないので、こうした演習が可能となる。昔ながらの片側1車線あるかないかの幅の国道で、両側に背の高い木が連なっている環境(・・・という具合に、英領期に整備されたものが多い)では想像することすら出来なかった。

    Fighter plane Mirage 2000 lands on a road in Mathura (ABP News)

  • UP州議会選前哨戦

    来年早々に州議会選挙を控えるインドのUP州で、国民会議派の同州のトップや州首相も務めたことがあるリーター・バフグナー・ジョーシーが、なんとBJPに移籍しそうだというニュース。当地のブラーフマン出身政治家の代表格の大物政治家がこうなってしまうと、UPでの会議派の退潮ぶりに拍車をかけることになりそうで気になる。

    Congress leader Rita Bahuguna Joshi likely to join BJP: Reports (firstpost.com)

    現在、州与党の社会党も、党首のカリスマ政治家、ムラーヤム・スィン・ヤーダブの息子で州首相であるアキレーシュと身内の政治家との間のお家騒動で、党が割れる、新党が結成されるかも?との報道もあり、もっとも重要な州のひとつを今度は落としてやろうと勢いの良いBJPを大きく利することになりそうだ。

    Mahabharat in UP’s Yaduvansh Spells Trouble for Akhilesh Yadav (The Quint)

    まだだいぶ先なので、今後どのように推移するかわからないのだが、現在までの世論調査によると、以下のリンク先のように予想されている。

    Uttar Pradesh (UP) Opinion Poll (Elections.in)

    社会党、同じく近年、幾度か政権与党に就いたことがある大衆社会党は、ともに後進階級出身の政治家(前者はOBCsの中でもとりわけヤーダブの人たちの権利権益を代表し、後者はダリット、つまりアウトカーストの人たちの利益拡大に働きかけた。ともに指導層はそれらの階級出身者が大半)たちが、下積みの人たちの権利意識を向上させ、民生の向上をはかったことの意義は大きい。また、どちらも大きな票田となるムスリム層への積極的な働きかけにより、コミュナルな衝突を抑えてきたことについて、一定の評価が出来るだろう。
    こうした党が、政権を実現するということは、大衆が投票という行動によって革命を成就させたようなもので、中国などではあり得ない民主主義インドならではの現象という輝かしい側面があった。

    同時に、自らの票田となる層に対する、我田引水のえこひいき、身内に偏った権利構造、上層カーストとの対立を激しく煽り、ときに手足となって乱暴狼藉を働くヤクザを用いて、異論を押し潰すなど、社会の亀裂を生むなど、決して肯定出来ない側面も多かった。同様に、恐喝、誘拐、殺人などの容疑がいくつもかけられている無頼政治家も多く、決してクリーンな政権ではなかった。

    とりもなおさず、上層カーストによる支配は、少なくとも政治の世界では、すっかり過去のものとなったUPだが、ここにきて、それに対する揺り戻しが起きているようで興味深い。
    前述の社会党のアキレーシュ・スィン・ヤーダブについては、オーストラリアの大学で、環境工学だか土木工学だかの修士号を取得した人で、20代後半に国会議員に当選して政治家の道へ。州議会の代議士となるのはその約10年後。

    父親の七光りで、UP州で歴代最年少の首相となるが、即断即決かつ有能な政治家であることは、ほどなく世間が知ることとなった。私自身も大変好感を抱いているインドの政治家のひとりだ。

    アキレーシュ自身はクリーンなイメージのある人物で、古参の大物リーダーや自身の身内の年長者に対しても、汚職や不祥事については厳しい態度で叱責や処分に臨むなど、豪腕ぶりを発揮してきたが、今回の社会党内のゴタゴタは、そうした行動が裏目に出たと言える。
    さて、今度のUP州選挙がどんな具合になるのか、どちらに転んでも全く関係のない野次馬としては大変興味深い。

  • 「英雄」 バガット・スィン

    「英雄」 バガット・スィン

    デリーからパンジャーブ方面に向かう列車に乗る。

    途中のクルクシェートラ駅には、バガット・スィンの大きな胸像があった。町には、彼を記念したバガット・スィン公園などもある。

    Bhagat Singh

    パンジャーブ出身(現在パキスタン領となっているファイサラーバード近郊の村)で、スィク教徒の両親のもとに生まれた。社会主義に傾倒した革命家であり、1920年代に要人殺害や議事堂爆破事件などで拘束され、1931年に処刑台の露と消えた人だが、独立後のインドでは、誰もがよく知る憂国の志士、独立運動家ということになっており、彼を主人公とする映画もいくつか作られている。

    彼について書かれた本を読んでみたことはあるが、若気の至りで暴走した人物としというのが正直な感想。インド人には言えないが、今でいうところのテロリストでは?思う。

    政治主導の後付けで、英雄化されてしまうと、いろいろ齟齬が生じることもある。生地のパキスタンでは、彼の反英活動について、どのような評価がなされているのかは知らない。

    政治主導の英雄化といえば、さらに時代を遡った1857年の大反乱を「インド最初の独立闘争」とするのも奇妙で、反乱時に英国への忠誠揺るがず、鎮圧に大きな功績を残したスィク教徒たちの部隊、英国を強力に支持したスィクの藩王国は、国賊みたいなことになってしまうので、非常に収まりが悪くなる。

    過去の出来事は、現在のそれとは背景が違うため、「インド兵が英国兵と戦った」という一面だけで、反植民地闘争とするのは無理がある。

    歴史の再評価というものは、どうも胡散くさい。

    親族も反英活動で投獄された筋金入りの一族であったこと、当時としてはスマートなインテリ、非常に若くして処刑(享年23歳)されたことに加えて、イケメンでもあったため、ビジュアル的には持ち上げ易い要素もあったのだろう。

    ムスリムで同じような活動に従事していた人たちもいたはずなのだが、ここから時代が下るとパキスタン建国運動に収斂してしまうので、バガット・スィンの時代に「インド独立」を志向していたムスリムの「志士」たちは、現在のインドであまり名を残さないことになってしまう。

    2001年にパキスタンのテロ組織とともにデリーの国会襲撃事件に係わり、死刑となったカシミール分離活動家のアフザル・グルーなどは、彼の背景も事件への関与も、まさにバガット・スィンと同じにしか思えない。

    どこが違うかといえば、インドは独立したがカシミールはおそらく今後もインドから分離することはないと思われるので、彼が肯定的な評価をされることはない、というところだろうか。

    もちろん、こんなことはインド人に対して口には出来ないが。

  • The Church of St. James

    The Church of St. James

    The Church of St. James

    英印混血の風雲児、ジェイムス・スキナーが建てさせた英国国教会の教会。
    スコットランド人の父と同じく、軍人の道に進む。

    混血児への東インド会社軍での待遇の低さから、これに加わらず、マラーター王国の軍勢に外国人傭兵として参加してキャリアを築く。

    やがてマラーター王国が英国と対立(その後戦火を交える関係に)するにあたり、他の英国系の兵士とともに解放逐(インド各地にあった様々な王国で、英国その他欧州人の傭兵や顧問は少なくなかった)され、東インド会社軍へ。

    会社軍では、彼の名前を冠したSkinner’s Horse (Skinner’s Cavalry)という精鋭の騎馬連隊を創設して自ら率いる。輝かしい戦果を上げてきたこのSkinner’s Horseは、1857年の大反乱後、東インド会社が解体され、イギリスのインド省が統治を引き継いでからのインド軍、さらには独立後のインド陸軍にも連隊の名前を変えつつ引き継がれた。

    スコットランド出身のスキナー家は、ジェイムス以降も、インドに根を下ろし長らく軍に仕えている。1960年代には、伝統あるSkinner’s Horseを前身とする連隊を、なんとジェイムスの玄孫、ロバート・スキナーが率いるという歴史的な偶然(?)が実現しており、第二次印パ戦争で出陣している。ロバート自身は、1990年代に亡くなった。

    教会の中には、ジェイムス、Skinner’s Horse、ロバートその他のスキナー家や彼ゆかりの碑文、時代ごとのSkinner’s Horseの幹部の名前や階級などを記した石碑なども壁にはめ込まれており、非常に軍事色が濃く、しかも特定の連隊を記念するために建てられたかのような教会が他にあるのかどうかは知らない。

    教会の祭壇のすぐ手前には、「ジェイムス・スキナーここに眠る」と、彼が埋葬されている場所を示す大理石板もあるなど、まさにスキナーの独壇場といった風情で、実に風変わりな教会。スキナー自身の強烈な個性と自己主張を今の時代に伝えているかのようだ。
    これらをカメラに収めたかったが、あいにく敷地内も建物内も撮影禁止。

    この教会が面している通り、Lothian Roadを南下すると、British Magazine跡がある。イギリスの弾薬庫跡で、1857年の大反乱の際、ここに蓄えられた弾薬を巡り、イギリス側と反乱軍との間で激しい戦闘の舞台となった場所だ。ここが反乱軍の手に渡るのを防ぐため、爆破されたことから、現在残されているのは、当時の弾薬庫のごく一部のみ。

    British Magazine

    通りをさらに下ると、LothianCemeteryという、大反乱前の英国人墓地がある。あまりに崩壊ぶりがひどく、今後整備されることを望みたい。

    Lothian Cemetery
    墓碑
  • 第四次印パ戦争の足音か

    インドがついに一線を越えた。

    国内世論と世界的な支持を集めるモーディー政権の自信か、それとも過信か。パキスタンの反応次第では、かなりキナ臭い事態へと発展してしまうかもしれない。

    文民政権は越境テロを繰り返す組織を抑え込む力はなく、政府と並立する軍という、二重権力構造のパキスタン。文民政権は、自国領への攻撃を黙認するわけにはいかず、テロ組織のスポンサーでもあり、文民政権とはしばし鋭く対立するパ軍はどのような応対をするのか。
    印パ対立という現象面以外に、パキスタン国内でのふたつの大きな権力の相克の行方が大変気になるところでもある。

    パキスタンで、クーデターによる軍事政権樹立という動きもあるかもしれない。また、インド側にしてみても、一度振り上げた拳をどこで引っ込めることができるのだろうか。

    様々な国内問題、外交問題で喧々諤々の議論を交わす民主主義国インドだが、例外は対パキスタン軍事行動。与党・野党を問わず、右から左まで、諸手を上げてのイケイケ状態となるので、ブレーキ役は不在となる。

    民生や汚職追放には熱心だが、これまで外交問題にはあまり関心のなさそうに見えたデリー首都圏のAAP政権でさえもこんな具合だ。

    第四次印パ戦争開戦は、もうすぐそこまで迫っているのかもしれない。核保有国同士の大規模な衝突へと突き進むことがないよう祈るしかない。

    Kashmir attack: India ‘launches strikes against militants’ (BBC NEWS)

    India strikes back, carries out surgical strikes on terror launch pads at LoC (THE TIMES OF INDIA)

  • 国民会議派最後の切り札 プリヤンカー・ガーンディー

    国民会議派最後の切り札 プリヤンカー・ガーンディー

    これまで選挙のキャンペーンなどで表舞台に立つくらいであったが、ようやく「専業」の政治家となるプリヤンカー・ガーンディー。退潮の悩む国民会議派にとって、最後の切り札が、ついに登場することとなった。

    国民会議派のリーダーシップを母親ソニア・ガーンディーから引き継ぐには、いまひとつ指導力と魅力に欠けるラーフルは、彼女の兄。

    プリヤンカーは、メディアへの対応も落ち着いて、年齢の割にはずいぶん貫禄がある。物腰、スピーチ、風貌どれを取っても、大物の片鱗を感じさせるとともに、祖母のインディラー・ガーンディー元首相のイメージとダブるものがある。古くからの国民会議派支持者たちの間でも、もうだいぶ前からプリヤンカーの政界進出は大いに期待されていた。

    今後の彼女は、国民会議派の選挙の指揮を執ることになる。かつて「ネルー王朝」と揶揄された国民会議派を一手に取り仕切るようになるのは、ラーフルではなく、妹のプリヤンカーかもしれない。曽祖父ネルー、祖母インディラー、父親ラジーヴに続いて、彼女が将来インドの首相の座につく日が来るかもしれない。

    BJP政権で一気に右傾化したインド中央政界だが、今後「インディラーの再来」プリヤンカーで、巻き返しなるか?まずは来年前半に予定されているU.P.州の州議会選挙に注力することになるが、地方政界で最も重要な州のひとつであるだけに、ここでつまづくと、国民会議派における彼女のキャリアが出だしで大きく傷がつくことになる。

    彼女にとっては「家業」の国民会議派。政治手腕は未知数ながらも、プリヤンカー・ガーンディー自身に弱点があるとすれば、夫でビジネスマンのロバート・ワドラーの巨額の不正取引疑惑と個人的な不人気。知的で清廉なイメージのある彼女とは正反対の評判の配偶者をめぐる動向は、「政治家プリヤンカー」にとって大きなリスクとなる。

    It’s official: Priyanka Gandhi a full-time politician now, to head Congress’s UP campaign (India Today)

    The Only Gandhi Left: To play to win, Congress can make this audacious move with Priyanka Gandhi (THE TIMES OF INDIA)

    ペヘルガムへ 2は後日掲載します。〉

  • ダッカのテロ事件

    7月1日の現地時間午後9時半にバングラデシュの首都ダッカのグルシャン地区で発生した襲撃事件は、翌日2日朝に政府が治安部隊を投入して終結させた。事件の詳細は今後、更に明らかになってくるはずだ。実行犯のうち1名が生きたまま拘束されたことも、真相解明に繋がることと期待したい。

    事件発生直後からネットで流れてくる様々な情報を目にして、とても気にかかっていたが、2日の朝に強行突入が進行中であることを知るに至った。ネット以前の時代と違って、こうしたニュース等が刻々と世界中に伝わるようになっているため、こうした凶行を実行するグループにとっては、効果的に恐怖を拡散するのに都合が良い環境になってしまっている。

    今世紀に入る前までは、こうした事件で人質を取って立てこもるにあたり、実行犯の組織やグループなりの主張を世間に伝えるとともに、仲間の解放なり、身代金の要求なりといった条件闘争が展開したものだが、今は凄惨な暴力行為を各国メディアで流させることが目的となっているのも空恐ろしい。

    同様に、こうした事件に際して、地政府や治安当局の対応も、人質となった方々の生命を最優先するというよりも、こうした犯行を企てる組織への見せしめ的に、武力によって一気呵成で叩き潰す(前述のとおり、取引条件が出てくるわけではなく、激しい暴力行為を実行することそのものが目的になっているので、致し方ないのではあるが・・・)のが常道となり、相手との対話や交渉の余地がなくなっているのも心配だ。

    ダッカのポッシュなエリアでまさかこんなことが起きるとは誰も想像もしなかったはずだし、たまたま居合わせたばかりに巻き込まれてしまった方々は本当にお気の毒で、言葉も見つからない。

    そのいっぽう、テロの標的となったバングラデシュについて、非常にネガティヴなイメージが定着しないかと気になったりもする。

    パリでテロ事件が起きた際に、「なんとひどいことを」と人々は思っても、だからといって「パリは危険だ」「訪れるべきところではない」というようなイメージを抱いた人はいないだろう。

    バングラデシュは、人口稠密で、決して豊かではないが、一般的には治安に問題があるわけではなく、世界で最高に親日的な国のひとつであり、日本に対して「熱烈に片想い」してくれている、数少ない国のひとつでもある。

    僕らがテロ行為を憎むのと同じく、バングラデシュの人々もテロを心から憎み、こうした理不尽な攻撃の被害を受けている立場であることをメディアには伝えてもらいたいと願う。