元旦からデリーで新しい交通規制

デリーでは、今年1月1日から新しい交通規制が敷かれている。原則として、奇数日にはナンバープレートが奇数番号のクルマ、偶数日には偶数番号のクルマのみが走行できることとなった。

もはや「北京よりもひどい」とまで言われるデリーの大気汚染の主要な原因のひとつとして、走行するクルマの排気ガスの占める割合が高い(30%以上)ことが指摘されていた。これに加えて、これまた深刻な交通渋滞への対処という狙いもある。

こうした施策がスムースに実行に移すことができた背景には、市民意識の高いデリーで、良識ある市民たちの高い支持を得て、デリー準州の政権に就いたAAP (Aam Aadmi Party:庶民党)による措置であること、同党を率いるアルヴィンド・ケージリーワル氏に対する期待の高さなどもあるのだろう。また公休日である1月1日、同2日、3日は土曜日、日曜日であったことも、スムースな導入に繋がることとなった。

この規制がなされる時間帯は、午前8時から午後8時まで。対象外となるのは、VIPや緊急車両の類はさておき、一般人の間では以下のようになる。
・女性が運転し、女性あるいは12歳以下の子供のみが乗車しているクルマ
・二輪車
・CNGあるいは電気によって動くクルマ
・障碍者が運転するクルマ
・救急診療のために病院に向かうクルマ

内容については今後必要に応じて変更を加える場合もあるとされ、実施から15日経過したときに検証を加えて判断することとなっている。

デリーにて1月1日と2日に道路の状況を眺めてみたが、さすがに祝日と土曜日であったため、市民は規制対象となるナンバーのクルマによる不要不急の外出を避けることは容易であったらしく、奇数日(1月1日)に偶数番号、あるいは偶数日(1月2日)に奇数番号のクルマが走行しているのを見かけることはほとんどなく、例外的に走っていても、それらは女性がひとりで運転しているか、小さな子供を乗せた母親が運転しているものであった。交通量も普段の週末よりもかなり少ないように感じられた。

もちろんとりわけ込み合う地域の合流点などでは、普段と変わらないように見える渋滞もあったが、総体的に交通の流れはかなりスムースであるように感じられた。

総体的に交通量は少なくなっても、やはり込み合う地点では渋滞する。

こうした規制により、人々がマイカーから公共交通へシフトするであろうことへの対応として、当局はバスやメトロの運行数を増加させるなどの処置を取ることなどが新聞等で報じられていた。

しかしながら冬のこの時期、気温が低くて空気が停滞気味であることなどから、大気の汚染レベルについては期待したほどの効果は上がっていないようだ。つまり汚れた空気がまだそのまま市街地に溜まっているということなのだろう。モーンスーン期のように天候が荒れる時期であれば、これらを一気に流し去ってくれるのかもしれないが。

インドではこの類の交通規制は初めてであることから、全国の都市部から注目が集まっているようだ。大気汚染と渋滞に苦慮する大都市は多く、デリーにおけるこの措置の結果次第で、他地域でも同様の措置が導入されることが予想される。

Odd-even day 6: Weather conditions keep pollution levels high (livemint)

2016年元旦からデリーで交通規制

深刻な大気汚染と交通渋滞への対策からデリー準州では、来年元旦からナンバープレートの偶数・奇数による交通規制を始めるとの発表があったのは先週末。
政府内からは、規制対象となる車両について不協和音が聞こえてきている(警察による充分な対応が可能なのか、二輪車は含むのか等々)が、各種メディアが聴取した市民の反応は、当然のことながら日常的にマイカーを利用している層からは不満が噴出しているようだ。今後、この規制を巡って喧々諤々の議論がなされることだろう。
確かに何とか手を打たなくてはならないのだが、なかなか一筋縄ではいかない問題であるように思われる。様々な例外規定を設けることになり、結局は骨抜きになって試行・・・ということになるのかもしれない。
今後の動向に注目したい。

Delhi govt’s odd-even formula for traffic: Mondays, Wednesdays and Fridays for odd numbers only (delhideilynews.com)

※ビカネール7は後日掲載します

ビカネール5 近郊の町デーシュノークのネズミ寺

昨日の夕食の際もそうであったが、Hotel Jaswant Bhawanの宿泊者たちは母屋にて食べることになっている。オーナー家族の生活空間なので、ホームステイ風でいい感じ。朝食で同席となったのはアメリカ人カップルとフランス人カップル。食事の際に話し相手がいると大変うれしい。しばらく楽しい会話を楽しんでから、ビカネールから30kmほど離れたデーシュノークという町にあるカルニー・マーター寺院へ向かう。バスで1時間程度の道のりだ。

カルニーは14世紀に実在した人物であるといい、後にドゥルガー女神の化身であるとして神格化された。主要な神格と結び付けたローカルな神格を目にすることは珍しくないため、インド全国規模で眺めると、まさに「やおよろずの神」状態となる。

さて、カルニーは、息子のラカンが溺死したことを受け入れられず、彼をこの世に生き返らせることに成功。以降、この一族は亡くなるとネズミに生まれ変わり、永遠の生命を享受するとされる。現在もこの寺院が位置するデーシュノークの町には、カルニーの子孫を自称する人たちが少なからず暮らしているとのことだ。

寺院の入口の上にはシヴァのシンボルである三又の槍、そして周囲をムガル城壁風の壁で囲んで、白亜の門がある奇妙な寺院だ。何かの通過儀礼で参拝に来たらしい着飾った子供たちがいた。



堂内に参拝する人たちの行列

境内に入るとバジャンの演奏が奉納されている。和やかな雰囲気だ。小さな窓の前に人々が集まっているので何かと思えば、そこにネズミたちか沢山。足元には水たまりがあり、おそらくそこにはネズミの糞尿がたまっているに違いない。これは気持ち悪い。

境内でバジャンの演奏



お堂に参拝してみたが、どこもかしこもネズミたちがたくさん。あちこちに配置されていたり、参拝客が与えたりする餌をモグモグと食べ続けている。生まれたときからこのように大切にされているため、目の前まで近づいてもまったく逃げることはない。ネズミらしくないとてもくつろいだムードである。

フワフワした姿は見た目可愛いのだが、ネズミの糞尿が散らばっているであるはずのお寺の床を裸足で歩くのはあまり気持ちが良いものではない。かなりユニークなお寺であるが、聖性と衛生の観念は異なるので、ビカネールに戻ってから、食事前には手を入念に洗おうと思う。

寺院前にいくつかある売店では、この寺のシンボルでもあるネズミのマスコットが売られていた。

ネズミにちなんでドラえもんなのか?

ネズミのぬいぐるみもある。

バスでビカネールに戻る。帰りは少し早くて40分程度で到着。こうした移動でもそうだが、かつては州公社によるバスがほとんどであったものの、今ではプライベートのバスが非常に多い。どちらが良いかについては何とも言えないが、州営のほうがまだ良かった部分もある。満員になるまで発車しないということはなく、ダイヤに従って運行していた。

路線を民営化することにより、とりわけ採算路線では便数が増えるのではないかという仮説もなりたつ。いっぽうでそうではない地域では反対の流れになるということも言える。

バスの民営化は、どのような観点からどういう路線を民営化していったのだろうか。これもまた興味深い研究対象となり得る。また州による政策の違い(州によって右から左まで、様々な政権がある)や地域的な特異性(山岳地等)といった部分も合わせると、インドのバス事業民営化について書かれた本があるならば、ぜひ読んでみたい。

〈続く〉

アミターブ・バッチャンの告白

インドのヒンディー語映画界の重鎮、ビッグBことアミターブ・バッチャンが、彼自身の深刻な健康状態について発表した。
1982年に映画「Coolie」の撮影中に起きた事故(アクションシーン撮影中に受けたパンチにより体内で出血、ムンバイー市内の病院に入院)の治療で大量の輸血を受けたのだが、血液のドナーの中に感染者がいたらしい。2000年になってから、B型肝炎に罹っていることが判り、その後現在に至るまで治療中であるとのこと。すでに肝硬変に進行しており、肝臓が25%程度しか機能していないという。
罹患していることが判ってから15年経過した今になってから発表することについては、おそらく当時はまだ出演作も多くて忙しかったことなどもあったのではないだろうか。B型肝炎の危険や予防について社会の関心を高めるという目的もあるそうだが、アミターブ・バッチャン自身の健康状態も大変気になるところだ。

I have liver cirrhosis and am surviving on just 25 per cent of my liver: Amitabh Bachchan (INDIA TODAY)

BACHCHAN BOL (Amitabh Bachchan’s Official Blog)

※ビカネール3は後日掲載します。

スリランカのドリアン

東南アジアでの人気ぶりとは裏腹に、南アジアでは一般的に食物として認識されていないドリアン。自生している固有種がないわけではなく、多雨多湿の南インド沿岸部やスリランカでは、自生している木は存在している。
私にとって、久しく訪れていないスリランカだが、かつて訪れた際に、山間部の道路脇ではごくわずかにドリアンを販売する露店を見かけたことがあったが、町中に入ると皆無。
なんともったいない・・・と思っていたが、ついにスリランカでも商業作物として扱われるようになってきているとのこと。主に輸出用の目的と思われるが、今後は国内でも人気が高まってきても不思議ではないだろう。
また、東南アジアでスリランカ産のドリアンへの需要が高まるというようなことがあれば、南インドでも同様の動きが出てくるかもしれない。

A Durian Village In Sri Lanka (Global Voices)