
ニューデリー駅前の宿。booking.com経由で名称変更の連絡が3回も届いて、「泥棒宿かよ」とのけぞったが、至って普通というか、部屋はとても良かった。ニューデリー駅前なのに、これで1500Rs台というのはお得だ。

駅まで徒歩2、3分(路地から出て道を渡るだけ)というのは、朝とても早い出発のため、とてもありがたい。しかも場所柄、早朝から人の往来が多く、乗降客が多数なので、朝5時台でも腹ごしらえが可能なのである。
経営は違うのに、同じものを出す食堂ばかりが並んでいるのは、いかにな駅前風景だ。



ニューデリー駅前の宿。booking.com経由で名称変更の連絡が3回も届いて、「泥棒宿かよ」とのけぞったが、至って普通というか、部屋はとても良かった。ニューデリー駅前なのに、これで1500Rs台というのはお得だ。

駅まで徒歩2、3分(路地から出て道を渡るだけ)というのは、朝とても早い出発のため、とてもありがたい。しかも場所柄、早朝から人の往来が多く、乗降客が多数なので、朝5時台でも腹ごしらえが可能なのである。
経営は違うのに、同じものを出す食堂ばかりが並んでいるのは、いかにな駅前風景だ。



アウランガーバードで見かけたちょっとスタイリッシュな軽食屋の看板。
肝心のお店の写真を撮影していなかったが、この看板のとおりシンプルながらもスマートな感じで洒落た構えなのに、道路脇でトタン屋根の下で開業しているチャーエ屋と同じかそれより安い料金というのが面白い。
チャーエ(マラーティーでは「Chahaa」と呼ぶらしい)が7Rs、ポーハー、ウプマー、サモーサーがいずれも15Rs。
下手するとわずか22Rs「チャハー + サモーサー」で朝食、軽食が事足りてしまう、でも女性とデートで立ち寄ってもまったく恥ずかしくないカッコいい店構えという具合。これはきっと、地元の学生や若者たちにはとってもありがたい存在にちがいない。「ウルトラ格安版スタバ」(笑)みたいな感じで。エアコンはないけど。
肝心の店内を撮ってないのが、あぁ悔やまれる。ちょうど書店巡りしていて、帰りに立ち寄ろうと思ったのに、すっかり忘れてオートに乗ってしまったのだ。


注文したらすぐに出てきて、簡素だがおいしい。
たぶん栄養バランスも悪くはない。
そして経済的でお財布に優しい。
ムンバイをはじめとするマハーラーシュトラ州ではありがたいパウバージー。


1リットルのミネラルウォーターのガラス瓶で思い出したのだが、1980年代のインドではウイスキーの空瓶を水筒として使う人たちがけっこういた。
バーザールではちゃちなプラスチックの水筒は売られていたのだが、今のような堅牢で見てくれも良いものはまずみかけなかった。清涼飲料の類もガラス瓶で、ペットボトルが出回るようになったのは、そのずいぶん後のことだ。
80年代後半にはビスレリ等のミネラルウォーターは売られていたが、当時の価格で確か12Rsだったと思う。1ドルが13Rsとか14RS。当時あった闇両替で16Rsだか17Rsだかといったところ。現在の1ドル83Rsとかの時代に20Rsは当時よりもはるかに安い。インドの人たちの所得も大きく上がったが、当時はペットボトル入りの水は高級品だったのだ。そんなわけで鉄道やバスに乗ると、水を入れたウイスキー瓶を持った人たちが大勢いた。
そういう人たちが皆酒飲みだったわけではないだろう。当時は空いたガラス瓶だって売られていたのだ。用途は水筒にしたり、油をいれたり、はてまた燃料を入れたり。当時は大きな街を除けば食べるところと言えば粗末なダーバーが大半。大きな街で高いと頃といえば、多くはメニューの文字すらよく読めないくらい低照度の暗い暗いレストランだった。
今から思えば、その闇がパルダーの役を果たし、種種雑多な人々がごちゃりと揃って食事をしているわけではない、家族や仲間だけの孤食を演出する意味があったのかもしれない。
カフェらしいカフェもなかった。立ってすする道端のチャーエ屋、席は用意されているけど、せせこましく忙しいチャーエ屋しかなかった。カフェがあちこちに出来るようになったのは90年代後半以降だ。
この時代はメジャーな観光地の主役は外国人だったが、それでも外国人料金という概念がなく、タージマハル入場料はわずか50パイサ。何かと外国人料金の設定が多かった中国を旅行してからインドに来ると、「なんと良識とホスピタリティに満ちた国なのか!」と誤った感心をしたものだ。
そんな昔のインドが良かったかと言えば、全くそうは思わない。当時私が社会人であったならば、休暇でインド旅行というのはあり得なかった。
なぜならば鉄道予約は駅に出向かなくてはならず、まずは「ブッキング窓口」で目的地までの乗車券を買い、続いて「リジャルウェーシャン窓口」で予約をする必要があった。
大きな駅だとそれぞれ方面別となっており、間違えるとまた最初から並び直し。行列は長く、割り込みを防ぐために人々は密着し、それでも窓口前では、とにかく自分が先に窓に手を突っ込もうと熾烈な闘いが繰り広げる、そんな感じだった。列車予約ひとつで1日が軽く終わる、みたいな具合。
それも始発駅ではなく途中駅だと、「15日先まで寝台なし」「向こう20日間は満席」などと言われて途方に暮れる、そんな大変なインドであった。今のインドのほうがいろいろ便利ではるかにありがたい。

ムガルの旧都デリーからムガル第6代皇帝アウラングゼーブが愛し、ここで没したアウランガーバードへ飛んだ。宿泊先のすぐ隣になんと、あの「Karim’s 」の支店が!・・・と思ったら「デリーのとは関係ありません」とメニュー冒頭に書いてあった。


チキンビリヤーニーを注文したが期待を超える美味しさが嬉しい。 量が多く、ケバーブも注文しようかと思ったが、もう入らなそうなのでやめておく。デザートはシャーヒー・トゥクラー。甘い物は別腹なのできちんと収まる。これもまたたいへん心地よく堪能てきた。


ご存知の方も多いかと思うが、インドの学校の歴史の教科書中から「ムガル帝国」についての記述が消えている。理由は「インドが侵略・蹂躙された歴史」であるからとのこと。つまりイギリスがインドを侵略したようにムガルも外界からインドを侵略した勢力であったというスタンス。
そういう論理でいくと、ムグライ料理も侵略者たちが食べていたとされる料理であり、イギリス料理がインド料理ではないように、ムグライもインドの料理ではないというような言質が出てくるかもしれない。
一昨年(2022年)の8月15日のインドの独立75周年を軸に、2021年3月から2023年8月15日にかけて、「Azadi ka Amrit Mahotsav(自由の甘美な大祝祭)」というインド政府による官製キャンペーンが展開されていたが、その期間には様々なプログラムなどが期間中いろいろと実施された。
「インドがAzadi(アーザーディー)を達成した」と言う場合、これまではイギリスから独立して自由な立場になったことを指していたはすなのだが、いまや「歴代の様々なイスラーム勢力とその後にやってきたイギリスを合わせた外来勢力から解放された」という解釈に置き換わってしまっている、あるいは置き換えられようとしているような気がしてならない。
しかしサンスクリット起源の言葉「Amrit Mahotsav」と並ぶところの冒頭でペルシャ語から入った「アーザーディーآزادی」が付いているのはちぐはぐではあるが、もともとイギリスから独立した状態のことを「アーザーディー」といい習わしてきたためだろう。
この地を愛して居を定めたムガルの皇帝アウラングゼーブに因んで長らく「アウランガーバード」と呼ばれてきたこの街が、昨年から「チャトラパティ・サンバージーナガル」に改称された。改称されたと聞いて「あぁそうか」と思うわけにはいかない理由がある。
ムガルに対抗するヒンドゥーのマラーター勢力の王たちの中で、「チャトラパティ」つまり従者に指掛けられる傘の相手(つまり主(あるじ))という意味で、この称号が付けられた偉大な王たちが何人かいた中のひとりがサンバージーであった。
つまりムガルにゆかりの深い歴史的な経緯とともに様々な史跡旧跡が残り、コミュニティーも形成・継続してきたこの地の過去を否定する形で、「チャトラパティ・サンバージーナガル」と改称するのは、まさに歴史の舞台をちゃぶ台返しで破壊してしまうようなやりかただと思うのだが、これが単発的な事象ではなく、与党勢力を軸に計画的かつ組織的に着々と各地で進められていることは懸念される。
いつか「デリー改めインドラプラスタ」などということをやってしまいそうな気がしてならないのだが、10年後くらいにそうなっていないことを願うしかない。
「たかが名前」かもしれないが、「されど名前」である。そういうことが平気でなされるようになると、長い歴史の中で脈々と受け継がれてきた文化のうち「ヒンドゥー的でないもの」あるいは「インド起源でないもの」の文化伝統やコミュニティーが否定されることにもなるわけで、それを看過できないとする人たちも当然少なくないわけである。
まさにこのような背景もまた、先の総選挙で与党連合が大幅に議席を減らした原因かもしれない。2月にウッタルプラデーシュ州のアーヨーディヤーで「ラーマ寺院」の落成式を大々的に行い、多大な得点を稼いだように見えていたが、まさに同州における総選挙結果は与党にとって惨憺たるもの、野党連合にとっては大躍進であった。
美味しいムグライ料理は、紛れもなくインドの料理であり、ムガル朝はインド最後の王朝だ。そしてインドのイスラーム文化はまさにインドの歴史の中の重要な役割を果たしてきたものであり、ムスリムの人々はインドの大切な国民である。

ペルシャ料理のプラオからインドで派生したビリヤーニーが美味しいデリーで、そのペルシャのプラオから派生したウズベキスタンのプラオ、つまり「いとこ」に当たるものを食べる。
やはりマトンは美味しい。脂身の芳醇な香りが好きだ。この店の肉はちょい痩せているけど。肉質や香りは牛肉のそれとベクトルが似ていると思う。
これを臭いという人もいるが、あくまで慣れと馴染みの問題だろう。私たちは牛肉には慣れているものの、あれだってそうとう強い匂いがするものだから。匂いと感じると美味しく食べられるのだが、臭いと感じるとそうではなくなってしまう。


デリーのパハールガンジの常宿近くのチョーレー・バトゥーレー専門店シーター・ラーム・ディワーン・チャンド
Try Sita Ram Diwan Chand Chole Bhature. Serving since 1950
でテイクアウトの朝食。
大変美味しいのだが、食べ終わると沢山のゴミが出るのが玉にキズ。しっかりした不織布の袋など、実にもったいない思いがする。



先日、南インドで買いそびれたマグネット。ドーサやワダーを模していて、なかなか秀逸。旅行荷物の一切合切を持っての移動中、半日ほどの鉄道乗り換え時間を利用して、オートをチャーターして回った先の中で眺めの良い展望台があり、そこの露店で見かけたもの。こういう気の利いた細かさはインドらしくない。
「へえ、いいじゃん。でもこんなの腐るほどあるんだろう」と思ったが、その後遭遇せず。こんなグッズにも一期一会ということがある。


フォートのここからコラバ方面に少し歩いたところにあるHURREM’Sというトルコ喫茶店が素晴らしい。
バクラヴァその他のトルコ菓子とトルコ式コーヒーや紅茶を楽しめる。このところ、インドの都会ではこうしたものを見かける機会が増えた。インド人とトルコ菓子は相性も良さそう。
こういうのが日本にあったら大ヒットしそうだ。高級感もあって良い。そのぶん高いのではあるが。










俗に「モンゴルの東征で広まった」とされるこんなアイテムがあったり、それはさておきタンドゥールで焼いた各種パン類があったり、もちろんいろんなケバーブ類もあったり(その他おそらくスープやシチューの類も)と、アフガニスタンからアルメニア、ジョージアにかけての食文化には共通するものがとても多いようだ。
「〇〇料理」「☓☓料理」といった具合に、現在の国境線で食文化が完結するわけではなく、「〇〇族料理」「☓☓族料理」という形で国境をまたいで居住する民族料理の範疇で成り立つものでもないことに改めて気が付かされる。
食文化は大陸規模で共有されるもっと大きなものであり、一度他所から入ったものが土地の影響を受けてローカライズされた形で発展したり、それが故地に再輸出されて、新たな味わいが人気を博したりする、そんなダイナミックさがある。
アフガニスタン、イランあたりを軸に、かたや中央アジアやカフカス、かたやインドを中心とする南アジア方面へと広がったペルシャ系の食文化。
こんな「ペルシャ系食文化」を家系図的に系統立てて網羅した俯瞰した図鑑的なものがあったら、広大な地域での食べ歩きに役立ちそうだし、インドやパキスタンなどでそれらに含まれるモノを食べる際に、背景にある豊かな歴史や地域を超えた繋がりが感じられて楽しいのではないかと思う。
そのペルシャ系料理が起源ではないけど、このジョージアのモモ的な料理についても、どの地域でどんな形で伝播発展していったのか、地域ごとにどんなバリエーションがあるのか、図解してあったら面白そうだ。
唐突ではあるが、広大な食の繋がりと食文化の連鎖と交流に気が付かせてくれるインドという国は、実にありがたい国だなぁと改めて思う。そこには様々なペルシャ起源のアイテムがあり、独自の発展を遂げているがゆえ、本場イランであったり、その影響を強く受けた中央アジアやカフカスの食と対称すると、たいへん興味深いものがある。

朝6時40分。この時間帯のバスを捕まえようと思ったが、インド西部のこの地域ではまだ日の出前。外では野犬集団が元気に駆け回ったり喧嘩したりしている。
その対策として、もうひと寝入りすることにした。
周到な野犬対策(もうひと寝入りするだけ)が功を奏して、外はすっかり明るく安全になった午前7時半過ぎ。そろそろ荷物を背負って出ることにする。
予定よりも少し遅くなったが、宿を後にしようとしたら宿の人に「お代は要らないから何か食べていけば?」と勧められた。別料金を払った人向けの簡単な朝食ビュッフェがあるのだが、それをタダで提供してくれるとのこと。時間がないため丁重にお断りすると、「それではチャーエくらいは」と淹れてくれた。これはどうもありがとうございます。

ムルッドの路上でバス待ちをしていたとき、通りかかるクルマやバイクに唸り声とともに襲いかかろうとする猛犬だか盲犬だか狂犬だかわからない犬がいた。よくもまあ、走行中のクルマやバイクに並走して、噛み付く仕草したりとかできるものだ。ちょっと頭がおかしい犬のようだが。界隈の人たちは狂犬病を発症しているらしき犬がいることに気が付いていても、処分しようとしない。インドのこういうところは困る。
こんな犬が見えるところにいるのに、1人でバス待ちするのであればとても怖いが、店の軒先で他の人たちとバスを待っているというシチュエーションは幸い。やはりさきほど野犬対策を実施(まだ暗かったので二度寝したこと)しておいてよかった。インドの治安で懸念されるのは、まずは野犬、そして野犬、そしてまた野犬だ。