旅情

ホアヒンでの滞在時、夕食帰りにコンビニで懐かしい「旅情」を見かけたので買ってみた。

「メコン」でも「ホントーン」でも良かったのだが、昔々バックパッカー時代に露店で旅仲間と食べながら楽しんだ「思い出」という味。インド帰りに当時無職だった私がバンコクからの帰国前に「さぁ、帰ってから何するかなぁ?」と漠然とした不安感といかばくかの期待感を胸にしていた、人より少し長かった青春時代の「記憶」。仕事に就いてから当時の彼女と旅行で訪れてバンコクのチャイナタウンで鍋をつつきながら、そしてコサメットで魚料理を食べながら傾けた水割りのどこかほろ苦い「追憶」の味。

昔の流行歌もそうだが、ある特定の時期と紐付いた酒はすっかり記憶の片隅からすら消えていたはずの事柄をどこか彼方から勝手にたぐり寄せてくるらしい。

昔、初めてタイを訪れたときに買ったカラバオの「Made in Thailand」というアルバム(カセットテープで購入した)で、主題となっているこの曲もカッコ良かったが、その他の収録曲も素敵な感じで、「タイの喜納昌吉かよ!」と驚いた。言葉はまったくわからないのに、であった。

訪れた年よりも何年も前から評判で、ネットのない時代、じわじわと国外でも知られるようになり、音楽雑誌でそういうバンドとアルバムがあると知り、バンコクで購入した次第。そういうのんびりした時代だったのだなあ。今なら即時ネットで拡散されていたのだろう。

早朝のホアランポーン駅

早朝のホアランポーン駅。本当ならばとっくに業務終了して博物館になっている予定であったこの駅は、その後もターミナルとして機能していた。バーンンスー駅への移転が遅れているためだが、私にとっては都合がよい。

実に美しい駅だが、ここが終着駅としての機能を終えると、界隈はさらに寂れていくのだろう。かつての元気さはもうここにはないが、それすら失われるのだろうか。

今日はここから出発。ホアランポーン駅界隈はまだ80年代の面影がある。やはり泊まるならこの界隈が良いとも思う。

駅構内のマスクの自販機。いろいろなものが売られている。たぶんカオサンあたりでは創意工夫に満ちたさらに面白いデザインのマスクがありそうだ。

駅でおばちゃんの店から買った朝ごはん。宿出てからコンビニで買ったパンをかじりながら地下鉄駅まで歩いたが、元来お米派なので、朝からご飯を食べないと元気が出ない。お米、目玉焼き、野菜と挽き肉の炒めもの。味付けはちょっと違うが、自分がいつも食べている朝食と同じようなものであるのも良い。

モデーラーへ

本日も部屋にトーストとチャーイを頼んで朝食。宿のすぐ隣にあるバススタンドからバスに乗ると40分程度で到着。バススタンドの表記は州の公用語であるグジャラーティーのみなので、デーヴァナーグリー文字あるいはローマ字表記も併記してもらいたいところだ。

小さな町だがそれとは裏腹にバススタンドはきれいでなかなか近代的。やはり州内で統一的なデザインがあるようだ。車内の乗客にとって「どこのバススタンドに到着したのか」一目でわかるように地名が大きく表示されているのも良い。ただしプラットフォームの行先表示はグジャラーティーのみなので、デーヴァナーグリー文字あるいはローマ字表記も併記してもらいたいところだ。

モデーラーのバススタンド

スーリヤ・マンディルことサンテンプルは、バススタンドから上り坂を進み、登り切ったところからの下り坂を下りきったところで大きな道路を越えた先にある。 そのバススタンドからの小道を上がる途中に見事な大理石で作られた寺院があった。なんでもない小さな町にもゴージャスなお寺が忽然と姿をあらわすのはグジャラートらしいところだ。

スーリヤ・マンディルの敷地はきれいに囲まれており、パータンのラーニー・キー・ワウ同様、きれいな遺跡公園となっている。スーリヤ・マンディルはきれいに修復されているとともに寺院手前にある階段井戸がこれまた見事だ。お寺と沐浴のタラーブがセットというのは太古の時代からインドの東西を問わずヒンドゥー教圏では同じ。

日本であれば、このような階段井戸の手前で規制線がありそうだし、彫刻に触ることもできないかもしれないが、こうして子供たちが水遊びをしたり、大人もベタベタと石面をなでて、文字通り「体感」したりできるのがインドの良いところ。

遺跡の寺院はすでに宗教施設としての役割を失った史跡であるはずだが、内陣に新しい祭壇がしつらえられていたり、ASI(インド考古学局)管轄下の敷地なのに、大きな祠があたかも遺跡の寺院の一部であるかのように「併設」されたり、さらには常駐するプージャーリー(祭司)がいたりすることも珍しくないのはいかがなものかとは思う。

ともあれ「こうあるべき」「こうあってはならない」との狭間の余白部分が広いのはインドらしいところだろう。加えて羨ましいのは石造建築物の多さ。日本だと木造なので保存にかかる手間、木材自体の耐久性からくる制約もあるが、万一の火災で燃えるという致命的な弱点がある。

遺跡公園にはレストランも併設されている。民間の企業が委託を受けて運営しているもののようで、スタッフは暇そうだった。人数ばかり多いのは人件費が安いからだろう。

スーリヤ・マンディルの敷地近くにあるハワー・メへルの手前に「階段井戸」がある。それも見学したかったのだが鉄の柵で囲われているとともに扉には鍵がかかっていて見学することはできない。文化遺産登録されているらしいことは標識でもわかるのだが、せっかく遺産と認識されていながらも打ち捨てられている状態というのは残念な限り。

ここに面した大きな道路を牛たちを引き連れた牧童(といっても年配者だが)が悠々と進んでいく。このあたりの悠久感は変わりゆくインドにもまだ多数残されている。

バススタンドに戻り、マデーシュワリー・マータンギー・マンディルへ。大きなダラムシャーラー(宿坊)、ゴーシャーラー(牛舎)併設の大きな寺院。牛の福利もお寺の大切な仕事である。そうしている間もけっこうな数の人々が大きなスーツケースとともにダラムシャーラーに入っていったり、滞在中らしき人が建物から出てきたりしている。ゴーシャーラーについては大きな看板に寄附金額なども提示されている。

ダラムシャーラー
こちらはゴーシャーラー

モデーラーでの見学を終えてメーへサーナーに向かう。ここはモデーラーやパータンなども含めた行政単位の中心地域。バスで30分程度の距離だ。バススタンドの真横にある有名なシュリー・スィマンダール・スワーミー・マンディルを見学してからパータンに戻ることにする。

メヘサーナーのバススタンド
シュリー・スィマンダール・スワーミー・マンディル

帰りのバスは満員で立っての乗車。途中でブレークダウンにより、どこかのバススタンドで停車。

「あいやー、ブレーキ壊れてまったく効かへんねん」と運転手氏が言えば、「あらぁ、そらあきまへんな」と、そそくさと降りて代車を待つ乗客たち。

バスの代車を待つ

電車が少し遅れただけで駅員をどなりつけたり締め上げたりする人がけっこういる日本から見るとインドから学ぶべきところは多い。ちょうどバススタンドだったためか、代車が早く来てよかった。そそくさとみんな乗り込む。

 

 

ワドナガル駅 モーディー首相少年時代の原風景

グジャラート州のパータンからワドナガルへと向かう。直行のバスは少ないため、途中ウィスナガルで乗り換えだ。州内のバススタンドは各地で一気呵成で改装したのだろうか。多くは共通したデザインで造りも似たきれいな建物になっている。

スマホの利用が普及してからというもの、乗り物で移動中に自分が今どのあたりを通過しているのかよくわかるのがありがたい。それ以前は、ようやく目的地に入ってくると店などの番地表示にその市の名前が入ることから「どうやら着いたらしい」ことはわかるものの、それまではまったくわからないし、人に聞いてもかなり適当な返事が返ってくることが少なくなかった。また、自分の目的地と「まさに今通過している場所」がどういう位置関係にあるのかよくわからなかったため、何度か来たことがある場所でもない限り、とりあえずはその街のバススタンドまで行くことが多かった。結果としてずいぶん遠回りになったり、バスで通ってきたルートを戻って目的地まで行くということもよくあったように思う。

スマホに表示されたGoogle Mapでは、ワドナガルのバススタンドから鉄道駅までは少し距離があるように見えたが、実際にはほぼ斜向かいであった。小さなローカル駅を想像していたが、案外大きなホームを持ち、建物も立派になっている。聞くところによると、ごく近年になってから大改修がなされたとのこと。小さなローカル駅だし、幹線ではなく支線の駅がなぜこんなに大きいのかと不思議に感じるが、ナレーンドラ・モーディー首相に由緒ある駅だからなのかもしれない。

ワドナガルへの私の訪問の目的地は、まさにこのワドナガル駅なのだ。かつてこの駅でモーディー首相の父親がチャーイ屋を開いており、少年時代のモーディー首相は、よくその手伝いをしていたという。父親が淹れたチャーイをお客に手渡したり、代金の受け渡しなどをしていたのだ。テーリー(油絞り)カーストであることからOBCs(Other Backward Classes)のカテゴリーの出自、貧しい生い立ちのモーディー首相は、世襲の政治エリートではない庶民の出自であったことも、高い人気の背景のひとつである。

駅のプラットフォームには、モーディー首相が子供時代に父親の手伝いでチャーイを売っていた「T13」という店番号が付された小さなティーストールが残っている。「T/13」という店番号が付いている同じ形状のレプリカも建っているが、一段低いところに残されているものがオリジナルだ。駅改築の際にホームの高さが上がったため、掘り抜いたところにあるように見える。ここで「ナレーンドラ少年」は、父親やお客たちからときにどやされながら忙しく駆け回っていたのだろう。

こちらはレプリカ
こちらがオリジナル
店番号「T/13」

ついでにモーディーの生家も訪れてみたいものだが、すでに地所は売り払われており、建物も残っていないのは少々残念。

駅を出てしばらく歩いたところには、ハトケーシュワル(シヴァの別名のひとつ)寺院があり、そのすぐ近くには大きな門がある。かつてはここも城壁に囲まれた町であった名残である。古くて趣のある家並みを眺めながら進んでいくと、シャルミスタ・タラーブという池に出るが、そこからさらに進むと「キルティ・トラン」が見えてくる。これは大きな寺院の門であったと考えられているが、その寺院自体が発掘されていないため、実際のところはよくわかっていないようだ。

ハトケーシュワル寺院

ゲート
落ち着いた家並み
キールティ・トラン

小さな田舎町ながらも見どころはいくつかあり、地域内各地からのアクセスもまずまず。グジャラート州のパータン周辺には見どころが多いが、とりわけモーディー首相の生い立ちに興味のある方であれば、ここも訪問先のひとつに加えてみると良いかもしれない。