創り上げられる偶像

西ベンガル州ではスバーシュ・チャンドラ・ボース、マハーラーシュトラ州ではシヴァージー、地域ではなくダリットの人たちにはアンベードカルといった具合に、それぞれのコミュニティを象徴するヒーローたちの存在がある。

2000年代以降、アーディワースィー(Adivasi=先住民)の英雄として急速に存在感を高めているのがビルサー・ムンダー。2000年にビハール州から分離して、先住民族人口が占める割合が高いジャールカンド州が成立。同州政治はこのアーディワースィー出身の政治家たちがリードしてきたため当然のことながら、彼ら自身のヒーローとしての存在として焦点が当たることとなった。

もともと英国統治に対して声を上げた「フリーダム・ファイター」として知られる人々の中にビルサー・ムンダーもいたのだが、それまでは「知る人ぞ知る」という存在。

ジャールカンド州成立に加えて、2000年以降のインド社会の右傾化、合わせて近年の右翼勢力によるアーディワースィー取り込みの姿勢もあり、同州では「ビルサー・ムンダー」を取り上げた博物館、既存の博物館へのビルサー・ムンダー関係の展示の増強、名前を冠した公園等々による「英雄化」が進んできた。

それまではこうしたアーディワースィーの人たちの中の「ご当地ヒーロー」がコミュニティの外で注目を浴びることも、知名度が上がることもなかった。当然その背景には差別感情や彼らを見下す風潮などもあったことは言うまでもないだろう。

それがなぜ今になって?といえば、1990年代以降、中央でも地方でも政治の主力は権威や家柄といった名目的かつ伝統的なものではなく数の力と動員力という「大衆力」とでも呼ぶべきものにシフトしていったためだろう。

今や中央政界でも地方政界でもコアな部分からはブラーフマンはほとんどいなくなっており、数の力で勝るコミュニティから送り込まれた有力者たちが多い。パンジャーブではジャート、UPやビハールではヤーダヴ、ラージャスターンではミーナーその他、もともとは支配階級ではなかったけれども人口規模の大きなコミュニティの人たちが政界を牛耳るようになった。

モーディー首相にしてみても、言うまでもないがOBCs(その他後進諸階級)の出。これまでインドの歴代の首相はブラーフマン、ラージプート、カトリーであった(チャラン・スィンは例外的にジャートの出)であったため、やはりそういう面からもモーディー首相は異色である。

それはそうと、以前は政治へのアクセスはあまりなかった(票は投じても代議士として選出される機会はとても少なかった)アーディワースィー、つまり先住民であり、部族とも呼ばれる人々がマジョリティの州(ジャールカンド}が成立するとともに、そうした周辺部の人口割合が高い地域では、より慎重な扱いがなされるようになってきているし、それを象徴するかのように、アーディワースィーの人々を政治の表舞台に登場させることが珍しくなくなった。

そうした空気の中で、アーディワースィー出身の女性、ドロウパディー・ムルムーが大統領に就任したり、国民会議派の党首がやはりアーディワースィー出身のマッリカールジュン・カルゲーが選出されたりしたのだ。当然、「ジャールカンド州といえばビルサー・ムンダー」という州内外での認知度も高まっている。

だがビルサー・ムンダーが全国的によく知られたフリーダム・ファイターではなかったためチェンナイを本拠地とするインディアン・エクスプレス紙による「ビルサー・ムンダーって誰?」という2017年の記事がこちら。「偶像」「アイコン」というものは、ときに政治力により、時代をさかのぼって創造されるものてあることを改めて感じる。

Who was Birsa Munda? (The Indian EXPRESS)

ただ「アーディワースィーの英雄 ビルサー・ムンダー」と言ってもアーディワースィーそのものが幾多の異なる先住民族を総称する呼び方であり、その中には当のムンダー族以外に様々な文化や言葉の異なる少数民族がおり、彼らの中で民族を超えた共感、連帯のようなものがあるのかといえば、そういうわけではない。

よって「アーディワースィーの英雄」というよりも、「ジャールカンド州政界の中核として台頭したムンダー族のアイコンであるがゆえに、同州のアーディワースィーを代表する歴史的人物として位置づけられた」というような、あまりストレートではない解釈が必要かもしれない。

LEGOのタージマハル

 

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

さて、新年のインド関係の話題はこちら。

ネコなどの動物、ピアノなどの楽器といったようなものを細かなブロックで表現する変わり種もあることがよく知られているLEGOだが、インドのタージマハルもそのラインナップに用意されている。

私自身はパズルのような面倒なものは得意ではないのだが、もしどなたかからキレイに組み立てたものをいただけるような機会があったら自宅に飾ってみたい気がする。

LEGO® Architecture Taj Mahal

昔ながらの食堂

渋い食堂があったが、満員で外でも待っているので諦めた。昔ながらのボロっとした食堂で、かつてコーチンの食堂といえば、たいていこんな感じだった。「ああ、80年代みたい!」と足を踏み入れたくなったが、なぜか明らかによその州から来たインド人ツーリストで満杯。よほど旨いのか、何かで取り上げられて有名になったのだろうか。不思議なこともあるものだ。

宿の共用スペース

あまりの大音響にコップの水の表面が揺れる。

宿近くのカトリック聖堂敷地内の特設会場でミサが開かれているのだか、賛美歌のボリュームが凄まじいのだ。終わるまでは仕方ない。

それはそうと、本日の宿の最上階は共用スペースになっている。こういう共用スペースがあると滞在が楽しくなる。

西洋人はいないけど、宿の人をまじえて一人旅のインド人の女の子と話ができて楽しかった。ビハールのパトナー出身だがチェンナイでIT企業に勤め、クリスマスから年始にかけて休みを取ってしばらくコーチンに滞在とのこと。

昔は・・・といってもどのくらい遡るかによるが、80年代から90年代前半くらいだと、宿で一人旅の若いインド人と会うことはほとんどなかったし、しかも女性というのは皆無だった。

ものすごくお喋りでずんずん前に出てくる人だ。たぶん頭の回転も早くてすごく仕事もデキそうな感じ。こういう若い人たちが今のインドを引っ張っているのだろう、きっと。

民家をそのまま宿に転用してある。

精神文化

こちらは宿の部屋のテーブル。テーブルの脚が壊れたところで、いちいちお金と手間暇かけて直す必要はない。部屋の隅、角の部分に当てて使えばよいのだ。

あるものをあるがままの状態で工夫して使う、必要な範囲でなんとかしてやり過ごすという「ジュガール」な精神性はよく言われるところだが、完璧を求めない70点主義という部分も、私たち日本人は大いに手本とすべきだろう。

インドの精神文化とはかならずしも深遠かつ高尚なものとは限らず、「テキトーにやり過ごす」という面でも如何なく発揮されるものだ。

そこには「こんなことは生きていく中において大したことではない」という悟りもあるわけで、些細なことにこだわる理由など、本来はどこにもないのである。