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カテゴリー: column

  • 天空の斜面でヴァージン・スノー

    ヘリ・スキー
     インドのスキー場といえば、カシミールのグルマルグ、ウッタラーンチャルのアウリー、ヒマーチャル・プラデーシュのナールカンダーなどが頭に浮かぶ。国土の北側に『世界の屋根』ヒマラヤを擁するだけに、もっとスキー場があってもいいような気がしないでもない。
     だが単に山に雪が積もっているだけではなく、ゲレンデに適した地形でないといけないし、スキー場の開発や維持には相当の資金が必要だ。もちろん地域への交通や宿泊施設等のインフラの問題もある。肝心のスキー人口はその国の経済力を反映するものだ。いくら好調に発展を続けているとはいえ、もともとのスタート地点が低かったがゆえに華々しい成長率を記録していること、膨大な人口を抱えているがゆえに将来性を評価されているのであり、一般市民の生活はまだまだとても慎ましいのが現状である。
     それでも将来、インドで交通、通信その他のインフラが遠隔地でも整備され、市民生活のレベルが大幅に向上して名実ともに『消費大国』となったころには、カシミール、ウッタラーンチャル、ヒマーチャル・プラデーシュの三州を中心とする各地にスキー場ができて、賑わう様子を見るようになるのかもしれない。まだまだずいぶん遠い将来であろうが。

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  • でかいカメラの呪縛

    CANON G7
    コンパクトなデジカメが欲しいと考えているのだが、興味を引かれるモデルがなかなか見当たらない。今やデジタル一眼レフ全盛の時代なってしまい、ちょっと前まで市場に溢れていた『ハイエンド機』なるものがすっかり淘汰されてしまったことを少々いまいましく感じている。
    かく言う私もデジタル一眼レフは持っているのだが、ちょっとそのあたりを散歩するのにいちいち『でかいモノ』を持ち歩く気はしない。旅行に出るとなれば荷物はなるべく小さくまとめたいので、やっぱり大きなカメラは嫌だということになってしまう。プロでもないのに機材はデカいというのは何だかスマートじゃないし、小さいながらもさりげなく高機能かつグレードの高いモノを持つこと、余計なモノを持たずに肩の力を抜いて楽しむのが賢い大人(?)いうものではないだろうか・・・とも思うのだ。
    ならばそもそも何故そんなものを買ったのかと叱られてしまいそうだが、まあそれでも写真を撮ることは楽しいし、荷物や体力に余裕さえあればいろいろ持ち歩きたいという気はある。
     それはともかく『でかいモノ』を持ってきていても、取り出せる雰囲気ではなかったりすることもあるだろう。それでも臆することなくシュパッと懐から取り出して遠慮なくシャッターを切れるような一台というのがありがたい。
    目下、リコーのGR-Digitalを日々持ち歩いて使っているのだが、いかんせん28mm単焦点であることから、なんでもこれ一台でOKというオールマイティーさはない。この28ミリから100mm超の焦点距離のズームレンズ、広角端での開放値がF2..4くらい、細かいマニュアル設定が可能でそれらの操作が一眼レフ並みに扱いやすい高画質なコンパクトデジカメ・・・というのはちょっと見当たらないものである。
     一世代、二世代前のそうしたデジカメの高級機にはそれなりにアピールするものがあった。デジタル一眼レフブームが始まる前だったので、各モデルごとに対象となるユーザー像がはっきりしており、利用目的によりいろいろ比較検討することができた。ウチでホコリを被っている当時のデジカメはもちろん、中古カメラ屋に行けばそれらが格安で販売されているのだが、やはりデジモノは秒進分歩で陳腐化も早いので旧型モデルなど触る気も起きない。描写、書き込み速度その他諸性能のうちの大部分において今の『押すだけカメラ』以下だったりするからだ。それだけデジカメは急速に進化したといえる。ただしコンパクトデジカメ市場はどれも似たり寄ったりの金太郎飴状態になってしまい面白みを失った。

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  • アジア大会 インド勢はこの人に注目!

    チェス
     英語で『Fruit』といえば、カシューナッツやピスタチオも含まれてしまうことになるようだ。決して甘くはないうえに水分も少なくてカリカリしたナッツ類は穀類という気がするためかなり違和感がある。日本語になっている『フルーツ』とはややズレがあるようだ。
     そして『Sport』の意味するところについても同様のことがいえる。ビリヤードは首をかしげつつも、やはり肉体的なスキルによる競技なのでまあ許せるとしても、チェスも『Sport』の中に含まれることを思えは、このコトバを『運動』と訳すのは正確さに欠けるのかもしれない。チェスがSportならば当然将棋や囲碁も同じようにくくられなければおかしい。すると羽生善治氏、趙治勲氏らも『スポーツ選手』ということになるのがどうもしっくりこない。
     広く知られているとおりチェスはインドのチャトゥランガが起源であるとされるが、これはチェスという名称自体の語源でもある。現代のインドにおいても元FIDE世界チャンピオン(2000-2002)で、現在FIDE世界ランキング第2位(2006年10月)のヴィシュワナータン・アーナンドのように、まさにこの時代を代表する競技者もある。また2001年に15歳3か月というインド人として最も若くしてグランドマスターに認定されたペンタラ・ハリクリシュナのように未来が嘱望される人材とともに、今年は彼の記録を2歳近く縮めて13歳4か月でグランドマスターとなったパリマルジャン・ネギ少年、また女の子でも15歳4か月でこれを得たコネル・ハンピーと、チェス界の明日を背負う若くて優れた人材には事欠かない。
     12月1日からカタールのドーハで開催される第15回アジア大会(実は11月18日から一部の競技が開始されているのだが・・・)でもチェスは競技種目に入っている。この大会でインド代表のエースとして活躍が期待されているのがクリシュナン・サスィキランである。ベテランのヴィシュワナータン・アーナンド、期待の新星ペンタラ・ハリクリシュナとともに目下インドのチェス界三大巨頭のひとりとされる強豪だ。
     カバッディーや射撃などとともにインドにとってメダルが予想される重要な競技であるためぜひ注目していきたい。

  • グルガーオンのCab Killer捕まる

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     MBAの学位を手にマディヤ・プラデーシュ州から上京してきた青年アーシーシュは、首都近郊のハリヤーナー州のグルガーオンに到着した。ついさっき携帯電話にこの街のセクター15に住む友人から電話が入り『今そちらに向っている』としゃべったところだ。
     通りで『どうやって行こうか?』と足をさがしていたところ、うまい具合に幾人かの客を乗せたジープが停まった。車内から『どこまで行くんだい?』と小柄な青年が声をかけてくる。友人の住所を告げるとちょうどそのあたりを通ることになっているらしい。車内には五人ほどの先客たちが座っている。『やれやれ』と車内の狭いスペースに身体を滑り込ませる。クルマはゆっくりと発進して次第に速度を上げていく。
     そのときだ。アーシーシュが心臓が張り裂けそうなほど驚いたのは。誰かが突然背後から首を締め上げられている。背後に座った二人が力の限りを尽くし、この首を折らんばかりの勢いで・・・。
     間もなくアーシーシュは車内でそのまま息を引き取り、運転手、助手と『乗客たち』は慣れた手つきでアーシシュのズボンやカバンの中から携帯電話、500ルピーほどの現金などを取り出して手早く懐にしまいこむ。遺体は『いつもどおり』人気のない場所かドブ川に放り出されることになる。

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     こんな内容の記事がインディア・トゥデイ誌11月22日号に掲載されていた。このグループは昼間普通に不特定多数の利用者たちを相手に乗り合い乗用車を運行しており、夜はその車内で強盗殺人を繰り返していた。デリー、ハリヤーナー州、ラージャスターン州とU.P.州の一部で同様の手口により、これまで8か月の間に28人もの人々をこの手口で闇に葬り去っているのだという。そして彼らが手にしたのは6万ルピー程度。被害者の中にはポケットの中にほんの数ルピーから数百ルピー程度しか持っていなかった者も含まれている。このグループの中で現在まで逮捕されている者は7名。残り数名は逃亡中だという。
     どこの国でもそうであるように、インドでも詐欺、スリ、強盗いったニュースはちょくちょく新聞等に出ている。だがこの一連の事件が人目を引くのは、首都近郊で順調に発展を続けてきており、治安も良好であるとされるグルガーオン界隈等でこのような事件が続いていたことではない。それは手口の残忍さゆえである。被害者たちが警察に通報したり自分たちの身柄が明らかになることがないようにと、盗みに取りかかるまえに殺害するのが彼らの常套手段であったからだ。
     記事には犯人たちの中の5人の写真が掲載されていた。18歳から28歳までの一見ごく普通の青年たちである。オートの運転手でいつも見かけるような、食堂の小間使いによるいるような、その辺の道端で野菜でも商っていそうな感じである。映画やドラマと違って現実の社会では本当に凶悪な人間であっても見た目はごく普通であることがほとんどだろう。

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  • 金の卵か?新型フリッジ『MITTI COOL』

    MITTI COOL
     生活の知恵をベースに開発された、グジャラート発の電気を使わないエコな冷蔵庫があるそうだ。表面に少しずつ滲み出て気化することにより、素焼きの壺の中に入れた水は外気よりもかなり冷たく保たれる。空気中の湿度が低いほどその効果は高くなるわけだが、この原理をそのまま利用して作ったのがこの『フリッジ』なのだ。ワンカネールに住む陶工の発案によるもので、ボディはもちろん焼き物でできている。四角い素焼きの水タンクの中に冷蔵室がしつらえてある・・・といったイメージだ。
     上部の丸いフタを取り大量の水を注ぎ込むだけで準備完了。気化熱で冷やされた水は冷蔵室内の野菜や牛乳などを適温で保ってくれる。この水はボディの横に取り付けられた蛇口をひねると出てきてそのまま飲用となる。この古くからの知恵による新しいフリッジはデリーのプラガティ・マイダーンで開催中の第26回インド国際貿易フェアにも出品されている。
     NDTVインディアの報道によれば価格は2000ルピー。『冷蔵庫』の大きさにいくつかバリエーションがあるのかどうかはよくわからない。画像の展示品のサイズは小さすぎるようなので、家庭の小型冷蔵庫くらいあればと思う。しかし素焼の陶工たちが手作りするものなので、このくらいの大きさが限界だろうか?
     ともかく電気不要なので停電を気にする必要はないし、ランニングコストもゼロ。一見何てことないアイデア商品だが、農村などからの引き合いは決して少なくなさそうだし、ひとたび当たればこの『冷蔵庫』作りに精出す村々も出てきたりすると雇用吸収力もバカにならないだろう。ターゲットとなるべき層はインド国内のみならず南アジアや周辺各国の相当広い範囲に及ぶ。素朴ながらも今後大化けが期待される目玉商品かもしれない。
     部屋の隅にちょこんと置いても邪魔にならないし、エコ・フレンドリーな温度に冷やしたビールや果物を楽しんでみるのも普段とは違った味わいがありそうだ。私もひとつ買ってみようかな?
    粘土製、太陽エネルギーの「エコロジー冷蔵庫」誕生 (AFP BB News)

  • ドリアンを読む

    20061110-durian.jpg
     日印間の往復途中に東南アジアを経由する便は多い。バンコク、クアラルンプル、シンガポールといった街にもちょっと立ち寄るといった人は多いだろう。
     インドでは見かけないのにこれらの土地には豊富にあるもの、またそれがあるゆえに東南アジアらしいムード醸し出しているものがある。それはドリアンだ。もちろんドリアンにはシーズンがあるものの、インドネシアとタイというドリアンの二大産地に挟まれたマレーシアやシンガポールあたりは収穫時期が異なる両国からふんだんに輸入されているため、この『果物の王様』を楽しめる時期もずいぶん長くなるという、非常に恵まれたドリアン天国だ。
     ドリアンの食感は植物の実ではなく人造物だと常々思う。熟練したシェフが腕によりをかけて仕上げた高級デザートとしか思えない。なぜならあまりに深くて複雑な味わいを持つ『生の植物』を他に知らないし、舌触りも香りも限りなく動物性に感じられる。卵黄やバターが入らずしてあれほどふくよかな味になるものなのか、アルコール分の高い料理酒を使わずしてあれほどかぐわしい香りを出せるものなのかといつも不思議に感じている。あれが自然と木に成るものであるということは、現場を目にしても信じられない。
     今年10月、中公新書から『ドリアン ― 果物の王』(塚谷裕一著)という本が出た。自らマンゴー・フリークの植物学者による、まるごと一冊ドリアンの解説本である。ドリアンの香り、選び方、果物としての特殊性、栽培方法といった事柄に始まり、同じく美味な近縁種の数々、ドリアンを原料とした加工食品等、栄養素、脂肪分の考察、香り成分の分析等々をわかりやすく説明するとともに、その他トロピカルフルーツの代表格として知られるバナナ、マンゴー、マスゴスチン等をも含めた、日本における熱帯果実消費の歴史などについても記されている。実は日本における東南アジアからの果実輸入は戦後から始まるものではなく、実は戦前から相当量のフルーツが日本の食卓に押し寄せていたという記述などもとても興味深い。

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  • 『国』ってなんだろう?

     今月下旬に中国の胡錦涛国家主席の訪印が予定されている。未解決の国境問題の早期画定、経済協力、軍事交流などといった戦略的関係の強化を目指すものとされており、すでに実務レベルでは相当踏み込んだやりとりがなされていることだろう。
     だがそんな中で孫玉璽駐インド大使によるアルナーチャル・プラデーシュ州の帰属をめぐる発言がインド側の強い反発を生むなど、近年良好な関係にあるとはいえアジアで覇を競い合うふたつの大国同士の間には一筋縄ではいかないものがあることがうかがわれる。
     もともとこの地域についてはマクマホン・ラインによる線引きにより1914年に当時英領下のインドとチベットの間に決められた国境線を認めない中国が『わが国の領土である』として旧来より主張してきた。その根拠となるものは『チベットは歴史的に中国固有の領土であり、その中の地方政権(つまり当時のチベット政府)に国境画定の権限などなかった』というものである。
     つまり当時のインドとチベットとの間の合意に妥当性を認めないものであるからこういう論が成り立つことになるのだ。しかし地元の人々にしてみればニューデリーと北京というどちらも遠くはるか彼方のふたつの街のお偉方たちの間で自分たちの帰属が云々されるという不条理はいかんともしがたいものだろう。自分たちの土地がインドに属するならばそこに暮らしてきた人々は『インド人』となり、その同じ土地が中国の領土となればやはり同じ自分たちが『中国人』ということになる。
     現代の民主主義のシステムの中で『主権在民』ということにはなっている。だが係争地帯に住む人々に自らがどちらの国に属するか決めることはできず、ただ暮らしてきた土地がどちらの領土になるかにより自らが何国人であるかが明らかとなる。土地の帰属は自分たちとは縁もゆかりもない遠く離れた大きな街で、見た目も言葉も違う人々によって自分たちのあずかり知らぬ国家同士の損得勘定を背景にしたさまざまな駆け引きにより勝手に決められてしまう、あるいは現状を承認されていくというのはいかがなものだろうか。
     そうした土壌であるがゆえに『国』に対する忠誠心は薄く、それがゆえに実効支配する勢力に対する反感という一点において利害をともにする国境の外からの支援などを受けて地下組織による反政府活動が行なわれ、『国』はそれに対する取り締まりを強化するとともに政情不安を理由に強権で押さえ込もうとする。そこで地元の意識がさらに高まるとこれをうまく利用しようと外部の勢力がさらにあちこちに触手を伸ばす。そうした動きを口実に地元当局はさらに強引な手法で弾圧しようと試みる・・・という図式は、係争地が人々の住む地域である限り世界中どこでも同じ構図が見られる。こうした動きの中で誰に理があろうとも、多大な迷惑を蒙るのは地元にずっと暮らしてきた人々だ。
     その地域を実効支配している『国』あるいはその土地を外から『自国の領土だ』と主張するまた別の『国』があろうとなかろうと、人々は昔からずっとその土地に暮らしてきたわけである。『うるさいから出て行ってくれ!』と叫んでみたところで、今の時代どの土地もどこかしら『国』に属することになっているのだからそうはいかない。
    もちろん『国』にもいろいろ言い分はあるのだろうが、これは人間の尊厳にかかわる大きな問題だと思う。
    India and China row over border (BBC South Asia)

  • 亜大陸の片隅で起きていること

     先日、ゴーパール・メノン監督によるドキュメンタリー・フィルム『ナガ物語〜沈黙のかげで』(2003年)を見る機会があった。バングラデシュのタンヴィール・モカメル監督による『コルナフリの涙』とともに、NGOのジュマ・ネットと市民外交センターにより共同上映されたものである。
     どちらも約1時間ほどのドキュメンタリーで、前者はインドのナガランド州における、後者はバングラデシュのチッタゴン丘陵地帯における先住民たちの置かれた立場と弾圧、人権問題や民族対立などを描いた作品だ。
    『ナガ物語〜沈黙のかげで』では、インド国籍の者であっても地域外から自由に出入りすることができない状態は、地域の文化や特殊性を守ることにつながったが、外部の目を遮断する効果を持つことにもなったこと、それがゆえにまかり通っている暴力と不条理等が示されていた。ナガランドを含むインド北東部に適用されている国軍特別権限法(Armed Forces Special Powers Act)により、軍が治安上疑わしいと判断した際には令状なしに家宅捜索、逮捕拘束、尋問その他を行なうことができることになっているため、重大な人権侵害が行なわれやすくなる。作品では軍の行為が本来の統治機構である州政府や司法の関与を受けないことから、その暴走ぶりに歯止めが利かない構造になっていることが多くの実例や証言等とともに生々しく描かれている。
     ゴーパール・メノン監督は、他にもグジャラートのゴードラーで起きた列車襲撃事件に端を発する暴動、カシミールで軍の弾圧により犠牲となった人々の現状、津波被災後のありさまなどを描いた作品等々、様々な主題にもとづくドキュメンタリーを制作している。取り扱うテーマがテーマだけに、右翼による襲撃をはじめとする攻撃や脅迫などを受けつつも果敢にインド社会の抱える問題点を人々に提示し続けている。

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  • 一眼レフ 出先で手軽にゴミ掃除

    DD Pro
     近ごろ一眼レフを手にする人の姿がとっても多くなった。急に進行した低価格化、そしてパナソニックやソニーといった家電メーカー等の参入もあり、機種選択の幅も多様になったためだろう。もはやデジカメ商戦の主戦場は一眼レフにシフトしてしまっているのは、コンパクト・デジカメのラインナップから『ハイエンド』と形容される高級タイプが姿を消していることからもよくわかる。そんなこともあってデジタルで初めて一眼レフを手にしたという人も少なくないことから、その普及のスピードには目を見張るものがある。
     銀塩の一眼レフからデジタルに移行すると、廉価版モデルで採用されているAPS-Cサイズのセンサー、オリンパスやパナソニックなどによるフォーサーズ、高価格帯のモデルではフルサイズと複数の異なるサイズのセンサーが使用されていることから、同一規格のマウントのレンズを利用してもボディのタイプによって画角がずいぶん違ってしまうのが少々厄介なところだ。
     そのセンサーだが、やがてフルサイズの機種からも低価格タイプのものが出てきて、それが市場を席巻してしまう・・・という具合にはどうやらなりそうにない。一眼レフの大衆化によってAPS-Cの存在感がここ数年で爆発的に膨らんでいる。なにしろ販売数や機種数からして10万円前後の普及モデルは圧倒的なマジョリティだ。主要カメラメーカー以外にもシグマやタムロンといったレンズメーカー(シグマはカメラ自体も製造しているが)が『デジタル専用』と銘打ってAPS-Cサイズに特化したものを多数生産するようになっているからだ。
     当初フルサイズ低価格化までの過渡期をつなぐだけの存在にも見えたこのサイズのセンサーが目下デファクト・スタンダードとなっており、フルサイズのモデルはプロフェッショナルか一部の金に糸目をつけないマニアックな人たちの専用機として、一般ユーザーの間ではそれほど注目されるものではない。

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  • 11月12日はポリオ予防の日

     11月12日、インド全国でポリオ予防のため5歳までの幼児たちを対象にワクチン投与が実施される。首都デリーではこの日2万2千人以上のスタッフを動員して、7500近くもあるブースでワクチンの投与を行なうとのことだ。またヘルス・ワーカーやボランティア、行政関係者やNGOスタッフなどによる『捜索』を通じて、この機会を逃す子供がいないよう努めるという。
     また人々の出入りが多い国際貿易フェア会場や観光地などでもこうした機会を設けるようだが、『移動中の列車内』でもワクチン投与を行なうというのはなんだかインドらしい気がする。市民の保健衛生に関する事柄がシステム化されていないため、何かこうしたことを行なうとなるとどうしてもランダムで大掛かりになってしまい、手間ヒマかかる割にはずいぶん効率が悪い。
     以前、『ポリオ・ワクチン』として書いたとおり、この病気を罹患、発病したとしてもおよそ95%は特に自覚症状が出ることなく生涯有効な免疫ができるし、残りの多くもまた中枢神経系に現れる症状もない不全型の発病となる。そして1〜2%ほどの率で非麻痺型の無菌性髄膜炎になる場合があると言うが、実はこのあたりまで特に治癒後に影響を残すことはない。
     だが1%未満の低い確率で弛緩性の麻痺が生じるケースがあるとされ、まさにこれが ポリオの恐ろしいところなのである。命の危険とともに生涯に渡る後遺症を残すことが多い。そして中年期以降にかなり高い確率で筋肉の能力が低下するポリオ後症候群の発生がある。
    大多数の自覚症状さえないケースにおいても、免疫を持たない他人に感染させる危険がある。またそのワクチン自体が生ワクチンであることから、ごく稀ながらポリオの免疫を持たない親が、ワクチン投与された自分の子供から感染して罹患してしまうというケースも耳にする。そのためどのみちすべての人々がポリオの予防ワクチンにより免疫を得ることは必須なのである。

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  • 暇中楽あり

    ヒムサーガル・エクスプレス
     世界有数の鉄道大国インドでやたらと長距離を走る列車は珍しくない。デリーを夜10時半に出て終点プーリーに翌々日の早朝5時半に着くプルショッタム・エクスプレス、デリーを午後9時前に出て三晩過ごした後に早朝4時にアッサムのディブルーガルに到着するブラフマプトラ・メールのように足かけ4日かかるものなど、さすが大きな国土にワイドな鉄路のネットワークを広げている国だけある。
     ヒマな車内で、膝元に広げた活字に目を落としていれば車内の振動で目が疲れて眠くなり、車窓を眺めていても似たような風景が延々と続いているので飽きてしまうものだ。それでも移動する距離が長ければ長いほど、ふと気がつくと周囲の風景が一変していたり、途中から乗り込んでくる人々が手にする新聞の文字、彼らの話すコトバが違ってくること、駅のホームで売られるスナック類が違うものになっていたりすることなどに、この国の大きさを感じたりするものだ。陸路の長旅は退屈だけれども楽しい。
     その中でも最も長い距離を行く汽車といえばヒムサーガル・エクスプレス。ジャンムー・ターウィーからカニヤクマリまでの3751キロを73時間半かけて走る。月曜日の深夜近くに出発して木曜日の深夜過ぎつまり金曜日に日付が変わってから到着するため足かけ5日かかることになる。逆方向のカニヤクマリからジャンムー・ターウィーへは金曜日午後2時過ぎに出発して月曜日の午後2時前に着く4日間の汽車旅である。
     距離はもちろんのこと、J&K、パンジャーブ、ハリヤナー、デリー、ウッタル・プラデーシュ、マディヤ・プラデーシュ、アーンドラ・プラデーシュ、タミル・ナードゥ、ケーララと九つの州をまたいで亜大陸を縦断する。これほど沿線の景色、気候、人々や風物が大きく様変わりする列車は世界でもあまり例がないはずだ。北インドの酷寒期に空調無しのクラスで起点から終点まで利用するには、冬物から夏物までの衣類を持参する必要がある。
     
     今では時間がもったいないので長距離の移動には飛行機を利用する。そのためこんな長い距離の汽車に乗る機会はなくなった。でも入れかわり立ちかわり乗り込んでくる他の乗客たちとおしゃべりしたり、大きな駅に停車するたびに繰り返される喧騒や物売りの様子を傍観していたりしながら、有り余る暇を無為に過ごす余裕(?)が欲しいものだと時に思う。
     

  • ブラジル化?を目論むイースト・ベンガル

    east bengal
     カルカッタを本拠地とするイースト・ベンガルは、言わずと知れた名門サッカークラブ。代表チームでエースストライカーのブーテイヤー(現在は同チームのライバルであり同じくカルカッタをホームとするモーハン・バーガーンに所属)もプレーしていた同クラブは1920年にスタートという長い歴史を持つ。まさにインドの地においてサッカーという競技の歴史とともに歩んできたのである。
     創立年のみ較べてみれば、FIFAランキング第一位でワールドカップ優勝最多(5回)を誇るブラジルの有名クラブの数々と肩を並べている。例えばコリンチャンスは1910年、パルメイラスは1914年、サンパウロFCは1935年だ。
     ブラジルのサッカーの歴史は19世紀末に遡ることができる。しかし当初は社会上層部の欧州系移民の競技であった。20世紀に入ってから1920年代あたりまでに大衆化が進んだ。そして1933年にプロチームが発足したものの、20世紀前半まではブラジルのサッカーはほぼ白人が独占するスポーツであった。
     現在同国が大勢の混血や黒人の選手たちを擁して、高い個人技とそれをベースにした即興的かつトリッキーなプレー、豊かなイマジネーション溢れるパスワークなどを通じて人々を魅了するようになったのは1950年代も後半から1970年代にかけて遂げた大変身の結果である。ペレやガリンシャなどに代表される非白人の名手たちが表舞台に次々に登場して『サッカー王国』の地位を築いた。その後のさらなる飛躍ぶりは私たちが目の当たりにしてきたとおりである。
     イースト・ベンガルに今期から就任したペレイラ監督は、母国ブラジル以外でもこれまでサウジアラビア、カタール、シンガポールなどでも指揮を取るなど国際経験も豊か。氏のスタイルは徹底した『ブラジル化』が特徴であるという。それはプレースタイルであり練習手法でもあり、あらゆる面からサッカー王国のエッセンスをインドに注入したいと考えているようだ。
     話は日本サッカーに戻る。ジーコがJリーグ草創期に鹿島アントラーズを日本のトップレベルにまで引き上げて黄金時代を築いたことを思い起こさせるものがある。1993年の開幕戦では当時40歳だった彼は名古屋グランパスエイトを相手にハットトリックを決めてチームを勝利に導いた。試合後に相手チームの選手が『憧れのジーコ』にサインを求めたという逸話もあった。当初は選手と指揮官を兼任する形でフィールドにも出ていたが、『サッカーの神様』としてのネームバリューはもちろんのこと、まだよちよち歩きだった日本のプロサッカー界に彼がブラジルから持ち込んだものは大きかった。後に代表チーム監督に就任してからの評判は芳しくなかったことは残念であったが、彼が日本サッカー界に伝えたそれは技術、戦術でもあり、スピリットやサッカーに対する思想でもあった。
     Jリーグ発足後の日本におけるサッカーの『大衆化』の勢いは相当なもので、それ以前は『観るスポーツ』としてはラグビーやアメフトの人気にさえ及ばなかった競技が、プロリーグ発足数年後にはプロ野球をしのぐほどの観客を動員するようにさえなる。これは子供たちのスポーツとしてのサッカーの競技人口の急速な拡大につながり、それまで花形だった少年野球を志す子供たちの数が突如減少したことから、『チーム存続の危機』という悲鳴が聞こえてきたのはそれから間もなくのことである。
     かつてのブラジルと違い、日本のサッカーは特定のエスニック・コミュニティや特別な階層の人々による占有物ではなかったとはいえ、決して数のうえでは多いとはいえない愛好家たちによるどちらかといえばマイナーな競技であった。サッカーの底辺の拡大つまり『大衆化』は、日本のプロサッカーのレベル向上、ひいてはこれまで3回を数えるワールドカップ出場に貢献したひとつの大きな要素である。
     サッカーというスポーツに憧れてその道を目指す少年たちが増えてくれば、世界第二位の人口を擁する大国がFIFAランキング130位台という不名誉な地位に甘んじることはないはずだ。つまるところインドのサッカーが世界の底辺から抜け出すために最も必要なものは、国内におけるこの競技の『大衆化』にほかならないだろう。かつてはブラジルで、近年では日本でもまさにこれが飛躍へのカギであった。
     ペレイラ監督がイースト・ベンガルに持ち込もうとしている『ブラジル』とは単にプレースタイルや練習手法を模倣するということではないだろう。サッカーという競技においてユニバーサルに通用するセオリーや技術などを、ブラジル式の手法で噛み砕いたものをインドに注ぎ込もうとしているはずだ。
     インドのトップチームの更なる強化というスペクタクルな効果が他チームを含めたリーグ全体のレベルを引き上げ、サッカーが子供たちにとって本当に『カッコいいもの』になり、ピッチ上の選手たちが『憧れのプレーヤー』として圧倒的な存在感を示すようになったとき、インドでサッカーの『大衆化』がジワリと始まるのだろう。インドの歴史的なクラブチーム、イースト・ベンガルの新たな試みに今後注目していきたい。