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カテゴリー: column

  • 11月12日はポリオ予防の日

     11月12日、インド全国でポリオ予防のため5歳までの幼児たちを対象にワクチン投与が実施される。首都デリーではこの日2万2千人以上のスタッフを動員して、7500近くもあるブースでワクチンの投与を行なうとのことだ。またヘルス・ワーカーやボランティア、行政関係者やNGOスタッフなどによる『捜索』を通じて、この機会を逃す子供がいないよう努めるという。
     また人々の出入りが多い国際貿易フェア会場や観光地などでもこうした機会を設けるようだが、『移動中の列車内』でもワクチン投与を行なうというのはなんだかインドらしい気がする。市民の保健衛生に関する事柄がシステム化されていないため、何かこうしたことを行なうとなるとどうしてもランダムで大掛かりになってしまい、手間ヒマかかる割にはずいぶん効率が悪い。
     以前、『ポリオ・ワクチン』として書いたとおり、この病気を罹患、発病したとしてもおよそ95%は特に自覚症状が出ることなく生涯有効な免疫ができるし、残りの多くもまた中枢神経系に現れる症状もない不全型の発病となる。そして1〜2%ほどの率で非麻痺型の無菌性髄膜炎になる場合があると言うが、実はこのあたりまで特に治癒後に影響を残すことはない。
     だが1%未満の低い確率で弛緩性の麻痺が生じるケースがあるとされ、まさにこれが ポリオの恐ろしいところなのである。命の危険とともに生涯に渡る後遺症を残すことが多い。そして中年期以降にかなり高い確率で筋肉の能力が低下するポリオ後症候群の発生がある。
    大多数の自覚症状さえないケースにおいても、免疫を持たない他人に感染させる危険がある。またそのワクチン自体が生ワクチンであることから、ごく稀ながらポリオの免疫を持たない親が、ワクチン投与された自分の子供から感染して罹患してしまうというケースも耳にする。そのためどのみちすべての人々がポリオの予防ワクチンにより免疫を得ることは必須なのである。

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  • 暇中楽あり

    ヒムサーガル・エクスプレス
     世界有数の鉄道大国インドでやたらと長距離を走る列車は珍しくない。デリーを夜10時半に出て終点プーリーに翌々日の早朝5時半に着くプルショッタム・エクスプレス、デリーを午後9時前に出て三晩過ごした後に早朝4時にアッサムのディブルーガルに到着するブラフマプトラ・メールのように足かけ4日かかるものなど、さすが大きな国土にワイドな鉄路のネットワークを広げている国だけある。
     ヒマな車内で、膝元に広げた活字に目を落としていれば車内の振動で目が疲れて眠くなり、車窓を眺めていても似たような風景が延々と続いているので飽きてしまうものだ。それでも移動する距離が長ければ長いほど、ふと気がつくと周囲の風景が一変していたり、途中から乗り込んでくる人々が手にする新聞の文字、彼らの話すコトバが違ってくること、駅のホームで売られるスナック類が違うものになっていたりすることなどに、この国の大きさを感じたりするものだ。陸路の長旅は退屈だけれども楽しい。
     その中でも最も長い距離を行く汽車といえばヒムサーガル・エクスプレス。ジャンムー・ターウィーからカニヤクマリまでの3751キロを73時間半かけて走る。月曜日の深夜近くに出発して木曜日の深夜過ぎつまり金曜日に日付が変わってから到着するため足かけ5日かかることになる。逆方向のカニヤクマリからジャンムー・ターウィーへは金曜日午後2時過ぎに出発して月曜日の午後2時前に着く4日間の汽車旅である。
     距離はもちろんのこと、J&K、パンジャーブ、ハリヤナー、デリー、ウッタル・プラデーシュ、マディヤ・プラデーシュ、アーンドラ・プラデーシュ、タミル・ナードゥ、ケーララと九つの州をまたいで亜大陸を縦断する。これほど沿線の景色、気候、人々や風物が大きく様変わりする列車は世界でもあまり例がないはずだ。北インドの酷寒期に空調無しのクラスで起点から終点まで利用するには、冬物から夏物までの衣類を持参する必要がある。
     
     今では時間がもったいないので長距離の移動には飛行機を利用する。そのためこんな長い距離の汽車に乗る機会はなくなった。でも入れかわり立ちかわり乗り込んでくる他の乗客たちとおしゃべりしたり、大きな駅に停車するたびに繰り返される喧騒や物売りの様子を傍観していたりしながら、有り余る暇を無為に過ごす余裕(?)が欲しいものだと時に思う。
     

  • ブラジル化?を目論むイースト・ベンガル

    east bengal
     カルカッタを本拠地とするイースト・ベンガルは、言わずと知れた名門サッカークラブ。代表チームでエースストライカーのブーテイヤー(現在は同チームのライバルであり同じくカルカッタをホームとするモーハン・バーガーンに所属)もプレーしていた同クラブは1920年にスタートという長い歴史を持つ。まさにインドの地においてサッカーという競技の歴史とともに歩んできたのである。
     創立年のみ較べてみれば、FIFAランキング第一位でワールドカップ優勝最多(5回)を誇るブラジルの有名クラブの数々と肩を並べている。例えばコリンチャンスは1910年、パルメイラスは1914年、サンパウロFCは1935年だ。
     ブラジルのサッカーの歴史は19世紀末に遡ることができる。しかし当初は社会上層部の欧州系移民の競技であった。20世紀に入ってから1920年代あたりまでに大衆化が進んだ。そして1933年にプロチームが発足したものの、20世紀前半まではブラジルのサッカーはほぼ白人が独占するスポーツであった。
     現在同国が大勢の混血や黒人の選手たちを擁して、高い個人技とそれをベースにした即興的かつトリッキーなプレー、豊かなイマジネーション溢れるパスワークなどを通じて人々を魅了するようになったのは1950年代も後半から1970年代にかけて遂げた大変身の結果である。ペレやガリンシャなどに代表される非白人の名手たちが表舞台に次々に登場して『サッカー王国』の地位を築いた。その後のさらなる飛躍ぶりは私たちが目の当たりにしてきたとおりである。
     イースト・ベンガルに今期から就任したペレイラ監督は、母国ブラジル以外でもこれまでサウジアラビア、カタール、シンガポールなどでも指揮を取るなど国際経験も豊か。氏のスタイルは徹底した『ブラジル化』が特徴であるという。それはプレースタイルであり練習手法でもあり、あらゆる面からサッカー王国のエッセンスをインドに注入したいと考えているようだ。
     話は日本サッカーに戻る。ジーコがJリーグ草創期に鹿島アントラーズを日本のトップレベルにまで引き上げて黄金時代を築いたことを思い起こさせるものがある。1993年の開幕戦では当時40歳だった彼は名古屋グランパスエイトを相手にハットトリックを決めてチームを勝利に導いた。試合後に相手チームの選手が『憧れのジーコ』にサインを求めたという逸話もあった。当初は選手と指揮官を兼任する形でフィールドにも出ていたが、『サッカーの神様』としてのネームバリューはもちろんのこと、まだよちよち歩きだった日本のプロサッカー界に彼がブラジルから持ち込んだものは大きかった。後に代表チーム監督に就任してからの評判は芳しくなかったことは残念であったが、彼が日本サッカー界に伝えたそれは技術、戦術でもあり、スピリットやサッカーに対する思想でもあった。
     Jリーグ発足後の日本におけるサッカーの『大衆化』の勢いは相当なもので、それ以前は『観るスポーツ』としてはラグビーやアメフトの人気にさえ及ばなかった競技が、プロリーグ発足数年後にはプロ野球をしのぐほどの観客を動員するようにさえなる。これは子供たちのスポーツとしてのサッカーの競技人口の急速な拡大につながり、それまで花形だった少年野球を志す子供たちの数が突如減少したことから、『チーム存続の危機』という悲鳴が聞こえてきたのはそれから間もなくのことである。
     かつてのブラジルと違い、日本のサッカーは特定のエスニック・コミュニティや特別な階層の人々による占有物ではなかったとはいえ、決して数のうえでは多いとはいえない愛好家たちによるどちらかといえばマイナーな競技であった。サッカーの底辺の拡大つまり『大衆化』は、日本のプロサッカーのレベル向上、ひいてはこれまで3回を数えるワールドカップ出場に貢献したひとつの大きな要素である。
     サッカーというスポーツに憧れてその道を目指す少年たちが増えてくれば、世界第二位の人口を擁する大国がFIFAランキング130位台という不名誉な地位に甘んじることはないはずだ。つまるところインドのサッカーが世界の底辺から抜け出すために最も必要なものは、国内におけるこの競技の『大衆化』にほかならないだろう。かつてはブラジルで、近年では日本でもまさにこれが飛躍へのカギであった。
     ペレイラ監督がイースト・ベンガルに持ち込もうとしている『ブラジル』とは単にプレースタイルや練習手法を模倣するということではないだろう。サッカーという競技においてユニバーサルに通用するセオリーや技術などを、ブラジル式の手法で噛み砕いたものをインドに注ぎ込もうとしているはずだ。
     インドのトップチームの更なる強化というスペクタクルな効果が他チームを含めたリーグ全体のレベルを引き上げ、サッカーが子供たちにとって本当に『カッコいいもの』になり、ピッチ上の選手たちが『憧れのプレーヤー』として圧倒的な存在感を示すようになったとき、インドでサッカーの『大衆化』がジワリと始まるのだろう。インドの歴史的なクラブチーム、イースト・ベンガルの新たな試みに今後注目していきたい。

  • 小売外資規制緩和 日本からも熱い視線

    bazar
     インドの街並みを特徴づけるものとして、商業地域を担う主体が小規模な小売業者たちであることが挙げられるだろう。近ごろインドの都会に林立するようになった大型のショッピングモールにしてみても、喧騒の街角ではなく静かでモダンな建物の中であるという『器』が違うこと、多くがこぎれいで洒落た店であることを除けば、個々の業者たちが規模の小さな商いをしていることに変わりはない。
     日本のヨドバシカメラ、ビックカメラといった電化製品の総合アウトレット、あるいは大手ディスカウントストアと呼ばれるロヂャースやドンキホーテのような店舗、西友やダイエーといった大型スーパーのような大規模小売業者は見当たらないし、同一の看板を掲げて傘下の店舗を全国規模で展開するフランチャイズ式の商売も、ファストフードや携帯電話の販売店などを除けばあまり見ることができないのが従来のインドであった。一見これらに少々似ているものも確かにあったのだが、正確には従来型の規模の小さな小売業者がやや大型化したものという位置づけになるだろう。
     乱暴に単純化してしまえば、主要駅前や繁華街などに大型商業施設がドンと構えて地元商店街を睥睨する、いわば『大>小』『会社>個人商店』というシンプルな対立軸の中におけるある意味安定した華夷秩序的な構図が日本の街中風景とすれば、ひとクセもふたクセもあるオッサンたちや明日を夢見る血気盛んな若者たちが群雄割拠して、絶え間なく衝突しながら浮沈を繰り返す活気溢れる状態なのがインドの街中ということが言えるのではないだろうか。
     そんなインドは世界第八位の小売市場と言われる規模の巨大さから、小売業を生業とする海外企業からも今後の市場開放がどのように進むのか大いに注目されている。今年1月には単一ブランドを販売する場合おいては51%を上限とする外資本の参入を認められるようになったものの、ウォルマートのような外資の大型店舗による小売業者の進出を認めるところにはまだいたっていない。
     とはいえ、小売外資規制緩和が『あるのか?』ではなく、すでに『すぐ目の前!』という差し迫った状態になる中、近ごろ本格的なスーパーやコンビニをチェーン展開し始めた国内勢力が、やがて始まる外国企業による攻勢を迎え撃つ地盤を固められるようにと政府が時間を稼いでいるのが昨今である。
     風雲急を告げる中、『日本小売業協会』による『インド最新流通視察ツアー』なるものが来年3月に予定されている。欧米の郊外型アウトレットを展開する企業が進出を控えていることを踏まえたうえで、同種の事業を急ピッチで進める国内財閥系企業の動きを学ぶとともに日本の小売関連企業の進出の可能性を探るのがこのツアーの趣旨らしい。
     近い将来、デリーやムンバイーなどで『伊勢丹』で買い物したり、夜半に『ファミリーマート』にノコノコ出て行き弁当を買ったり・・・といった日常がフツーになってしまうようなことがあるのかどうかわからないが、インドのすぐ東に位置するアセアンの国々の都会ではそれなりに長い時間をかけて(国や地域によって時期はさまざまだ。第二次大戦後間もなくからという地域もあれば、日本や欧州が『戦後』から抜け出した60年代からというところもある。あるいは80年代以降の好調な経済成長を受けて外国資本の注目を浴びるようになった国々もある。ともあれ東南アジアでは外国企業による小売業のチェーン展開や大型総合店舗の上陸という現象がかなり前からジワジワと進行してきたことになる。その中で進出企業の『撤退』まで数多く経験している。
     これに対してこれまで数々の規制等により『未開地』として残されてきたインドでは、多くの国々が経てきた数十年におよぶ時間を飛び越えて一気に奔流にさらされることになるため、相当大きなインパクトを受けることは容易に想像がつくものの、実際それがどれほどの規模のショックとなるのかちょっとわからない。もちろん地域や業種によっては細々と単品あるいはごく限られた品数を小売しているだけでは商いが成り立たなくなるケースも出てくるのだろうが、影響は決してそれだけではなく『インドで流通革命!』と表現されるような一大事が起きるのではないだろうかとも思う。
     もちろん外資をはじめとする大型商業施設が林立してみたところで、従来の小売業者たちがいなくなってしまうわけではないのは日本のみならず東南アジアの国々を見てもわかるとおり。また外国企業や国内大手資本がターゲットとする中間所得層よりも下の部分には貧困層を含むさらに膨大な人口を抱えているが、彼らまでもが新しい顧客層として取り込まれるわけでないことは言うまでもないだろう。それでも商業地内での力関係が、それ以前の『群雄割拠型』から『華夷秩序型』へとシフトすることは間違いないように思われる。
    大型商業施設の進出は、小さな店舗で客を待つ『一国一城の主』たちにどの程度の影響を与えるのかは今後人々が目にしていくことになる。そして街中の風景も今後ずいぶん変わっていくことだろう。

  • 旅先のお役立ちレンズ

    SIGMA 18-200mm F3.5-6.3 DC OS
     ズームレンズは描写力、画質その他の面で単焦点レンズにはとうてい及ばないのは言うまでもないが、このところいろいろ出てきている高倍率ズームの『一本でアレもこれも』という便利さはとってもありがたいもの。旅行先での写真を楽しみたくても、それ自体が目的ではないし、荷物はできるだけ軽くしたいからだ。『デジタル一眼ブーム』がはじまってからというものの、これまで考えられなかったペースで新たなレンズ群が市場に次々投入されるようになっているのは皆さんご存知のとおり。そこに市場があれば、技術の進歩というものは限界を知らないようだ。
     この秋もやたら便利そうなレンズがいくつか発表されており、人それぞれいろいろ注目のモデルがあることだろう。昨年3月と4月にタムロン、シグマの両社から相次いで18-200mmの高倍率ズームレンズが発売されて好評を得ていたが、同年12月にニコンからAF‐S DX VR Zoom Nikkor ED 18-200mmF3.5-5.6G (IF)という、35mm換算にして27-300?相当の焦点距離、そして4段分の手ブレ補正付きのレンズが出た。これは評判もすこぶる良く、他社のカメラを使っている人たちはニコンのユーザーたちがちょっと羨ましくもなったことだろう。ちょっとISO感度を上げれば夜の街中でも自然光でしかも手持ちで撮影できる。また条件さえ合えば夜景だって三脚無しで写すことができるのだから。
     この秋になって、シグマからついにこの類のモデルの開発が発表された。18-200mm F3.5-6.3 DC OSというモデルだ。先述の18-200mm焦点域にOS(OPTICAL STABILIZER)機構という手ブレ補正機能を搭載したものである。サイズはふた回りくらい大きくなってしまうようだが、旅先にぜひともこういうレンズを一本携行したいと思う。
     シグマが手ブレ補正で注目を集めれば、ライバルのタムロンからは『同クラス世界最大』のズーム比(13.9倍)をうたうAF18-250mm F/3.5-6.3 Di II LD Aspherical [IF] Macro (Model A18)が名乗りを上げている。35mm換算でなんと28mmから388mmというオドロキの超高倍率である。ここまで来ると解像度他に問題はないのか、400mm近いテレ端側を使う際にはそれこそ手ブレ補正が欲しいなどと考えてしまう。しかしこのレンズを常用すれば、旅程に野生動物の見物、例えばコルベット国立公園にトラ見物、バラトプルの鳥獣保護区でバードウォッチングなどといったものも含まれていても、マルチに対応できて便利そうだ。
     両モデルとも発売時期は未定だが、おそらく年内か年明け早々には新製品として市場に並ぶのではないだろうか。インドでは今後半年近く旅行に適した時期が続く。お気に入りのカメラとレンズを片手に、被写体の宝庫を存分に満喫されてはいかがだろう。
    AF18-250mm F/3.5-6.3 Di II LD Aspherical [IF] Macro (Model A18)

  • 学園の輸出 2

     だがひょっとするとインドに負けず劣らず注目を集めているのが中東の産油国かもしれない。オイルリッチな国々も『石油後』を見据えての人材育成に乗り出すようになってきているからだ。このほどサウジアラビア政府は先進各国に相当数の政府派遣留学生の送り出しに着手することになっており、もちろん日本もその受入国のひとつとなる予定だ。
     またカタールにはアメリカから複数の大学院が現地分校を進出しており、アラブ首長国連邦を構成する首長国のひとつドバイでは、知識と学問のセンターとして設立されたKnowledge Villageに様々な外国の大学が進出している。設置されている主なコースはビジネス・マネジメント、IT、薬学、建築、観光学、金融etc.といったいわゆる実学ばかり目に付くことから、まさに脱石油による知識経済化を目指すための人材を育成したいという姿勢が感じられる。
     ここで目を引くのは、インドの複数の機関が含まれていることだ。それらの名前は以下のとおりである。
    Birla Institute of Technology & Science Pilani
    Institute of Management Technology
    Mahatma Gandhi University
    Manipal Academy of Higher Education
     なお、このKnowledge Villageにはパキスタンから進出している教育機関もある
    Shaheed Zulfikar Ali Bhutto Institute of Science and Technology
     英語による専門教育という強みはもちろん、地理的な近さと歴史的にインド人のプレゼンスが決して小さくないことからくる人的ネットワークの厚みなど、湾岸地域においてはインドに有利な部分が多いのだろう。昔から建設現場や工場などで働く単純労働者たちはもちろん、建築家、医師その他の高度な技能を必要とする職種のプロフェッショナルたちもインドから数多く渡っている。またインド人の語学(英語)教師の需要も少なくないと聞く。英語といえばインドの隣国ブータンの英語教育の礎を築いたのはインドから派遣された教員たちだというし、『インドの英語』の評判はなかなか良好らしい。
     地域に固有の学問ではなく、経済や工学といったユニバーサルな学問分野におけるインドの教育機関の海外分校設置という動きは、そのポテンシャルも含めて今後注目に値するのではないだろうか。

  • 学園の輸出 1

     アメリカやオセアニアではかなり早くから教育をひとつの大きな産業ととらえて、積極的に外国からの留学生たちを誘致したり、海外分校を設置したりする動きがあった。1980年代後半から90年代初頭にかけて、日本各地にアメリカの大学の日本校が30校とも40校ともいわれる規模で進出したことを記憶している人も多いだろう。ちょうど当時の中曽根首相が音頭を取り、官民あげての『貿易黒字減らし』の風潮の中、またどこを向いても『国際化』のコトバが叫ばれていたこともあり、ちょっとしたブームになるのではないかと期待させるものがあった。
     だがそれらは日本の文部省(現文部科学省)の基準に適合しないため、卒業しても大卒の資格を得ることができなかった。アメリカの大学の日本校にしてみれば日本のスタンダードに合わせるつもりはさらさらないという設置形態の問題、そして入るのは難しくても進級して卒業するのは易しい日本違うスタンスを持つアメリカの『大学』に対する考え方があった。さらには学費の高さやアメリカの大学側の期待を大きく下回る日本校に入学した学生たちの英語力の問題等々、誘致した側にとっても進出したアメリカの大学側にしてみても決して将来が明るいものではないことがわかるまで長くかからなかった。
     その結果、9割ほどが10年あまりのうちに撤退。その中でも特筆すべきはワシントン州立エドモンズ大学日本校東京キャンパスで、なんと開校から2ヵ月あまりで閉校を決めるという逃げ足の速さはやはり『ビジネス』ならでは・・・と感じた人たちは少なくなかっただろう。
     しかし少子化がすぐ目の前に迫った大きな社会問題として認識されるようになった現在、日本の大学は生き残りのために外国人留学生獲得に躍起になっているところは多い。また良質かつ高度な知識と技術を持つ将来の労働人口を確保するためにも、留学生の誘致によるメリットは大きい。隣国の韓国においてもこの動きは同様だ。今や北米、オセアニア、東アジア、欧州の各国が世界のさまざまな国々から留学生たちの気を引こうと、留学フェアその他の機会を利用、あるいは現地に学生募集窓口を設置したりするなどして、留学生獲得に積極的に乗り出している。同時に現地にキャンパスをオープンさせるという動きも、アメリカ、イギリス、オーストラリアなどの大学が中心となって推し進めている。
     そうした中で、世界の成長センターであるとともに世界最大の若年者人口を抱えるインドを新たな市場として分校を狙う大学が増えてきている。これはまさにバブルの頃の日本にアメリカの大学が次々と上陸していたことを思い起こさせるものがある。

  • インドに『韓流デジタル一眼』がやってくる?

    SAMSUNG GX-10
    サムソンGX-10
    PENTAX K10D
    ベンタックスK10D
     昨年のちょうど今ごろだった。ペンタックスとサムソンがデジタル一眼レフを共同開発すると発表したのは。前者のブランドネーム、光学技術とレンズ群、後者のデジタル技術の融合・・・とくれば、やはりキチッと魅力あるもの、手堅いものが出てくるであろうことは想像に難くなかった。
     今年に入ってからペンタックス一眼レフの普及モデル*ist DL2*ist DS2(いずれも2005年に発売)の韓国版としてのGX-1LGX-1Sを発売して、レンズ交換式一眼レフ製造メーカーとしてデビューしたサムソン・テックウィン社。デジカメの他に光学部品や航空機用エンジンなどを製造している会社だ。2005年に韓国国内でデジタルカメラのトップシェアを獲得したという同社は、2007年には世界の三大デジタルカメラメーカーのひとつとなるという大きな野望を掲げている。(キヤノン、ニコン・・・そしてサムソンということか!?)
     ここにきて今年11月30日に発売が予定されているペンタックス最上位機種のK10Dの姉妹機GX10 のリリースも発表となっており、なかなか目が離せない状況になってきているようだ。
     ペンタックスの接続規格「Kマウント」のレンズ群が使用できるそうだが、これと同スペックで自社による「Schneider」ブランドの「D-XENON」と名付けられたレンズのラインナップがある。現在までのところサムソン製のレンズのバリエーションは乏しいものの、これからさまざまな新しいモデルを次々投入してくるようだ。
     こうした共通仕様のモデルを日本市場ではペンタックス、韓国ではサムソンが販売という棲み分けがなされるのはもちろんのことだ。そのためであろうか、サムソンの一眼レフの操作メニューには日本語は用意されていないらしい。(ペンタックス機には韓国語メニューがあるのだが・・・)
     おそらく日韓以外の第三国での販売テリトリーについてもエリアごとに分担するのではないかと思う。そうなってくるとインドはどうなのだろうか?日本国外ではヨーロッパと北米以外にしっかりとした販売網を持たないペンタックスに対して、現地で手広く事業を行なうサムソンだ。同社のインド向けのウェブサイトには同社のいくつかのデジタルカメラの紹介がなされている。おそらく機を見てインドに廉価版のモデルを投入することもあるだろう。
     今のところ日本のメーカーはインド市場での販売にあまり熱心ではないようで、販売やサービス拠点の多くは直営のものではなく委託を受けた地元業者が行なっているようだ。もともと一眼レフ、ましてやデジタルものともなればプロや一部の愛好家たち除いた一般の人々の間での普及率はとても低い。けれども富裕化する中で趣味のモノ、高いモノが売れるようになってきた中で、およそ都市部に限られるにしても写真に興味があり潜在的に今後より高級なカメラに手を伸ばそうという人たちは決して少なくないように思われる。そうした新規ユーザーはカメラのアクセサリー類や周辺機器を持ち合わせていないため、メーカーを超えての互換性がないことからくる既に所有している『レンズ資産』その他により特定のメーカーに縛られることもない。価格と性能のバランス、サービス網の充実具合その他の条件をもとに自由に選択することができる。
     カメラ販売業者が独自に外国から輸入したものはさておき、ひとたびサムソンが自社製一眼レフをインド市場に本格的に投入することがあれば、『韓流現象』が起きるのではないかと予想している。同国におけるプレゼンスの高さ、知名度、豊かな営業力を背景に、とりわけアマチュアを中心とした新規需要の多くを一手に取り込んでしまうのではないだろうか。もちろん製品を手にするユーザーたちの満足度も相当高いはず。発売元は一眼レフの分野では無名のニューカマーとはいえ、中身は名門ペンタックスのカメラと共通だ。この分野では世界の最先端を走る日本市場で販売されているモデルと同スペックであることは人々に強くアピールするだろう。もちろん細部の仕様やチューニングの具合にはペンタックスとの間に若干の差異が見られたりするのかもしれないが。
     近々帰国を控えた在印の日本人にとっては、サムソンの一眼レフがインドで発売されたとしても、同社のカメラの販売エリアに含まれていない日本に持ち帰ってから不具合等が起きた場合(大阪に一箇所サービス拠点があるのみ)のことを考えるとお勧めできない。しかしペンタックスのレンズ以外のアクセサリーについての互換性も問題ない(この部分については著者は未確認)とすれば、インドはもちろんサムソン・テックウィン社の販売網がカバーするエリアに含まれるその他各国に暮らす人々にとって非常に魅力的なものであることは間違いないはずだ。

  • 山下公園でディーワーリー

    Happy Diwali !!
     横浜インド文化交流会による『ディワリ・イン横浜2006』が10月22日(日)に横浜の山下公園で開催される。飲食物や雑貨等の露店、サーリーの着付けなどとともに、インドの音楽や舞踊などの演出もなされるようだ。
     この界隈をグルリと巡るだけで、元町でのお茶とショッピング、中華街での食事、そして山下公園でのイベントと盛り沢山な一日になるはず。ぜひこの機会に港町ヨコハマの秋を満喫されてはいかがだろう。
    ディワリ・イン・横浜 2006

  • バングラデシュの翼 日本乗り入れ便運休

    biman bangladesh
     長らく親しまれてきた(?)バングラデシュ航空の東京便が運休となる。(よくビーマン・バングラデシュという表記を見かけるが、本来『・』の前に部分については『ビマーン』とすべきである)
     この決定がなされたのは今月に入ってからだが、少なくとも今の時点では11月から来年3月まで、東京発着便の運行停止が確定している。4月以降については今のところ未定。同社に問い合せてみたところ、理由は『不採算路線のリストラによるフライトネットワーク再編成』とのことである。
     無論、先進国の首都に飛ばすから儲かるというものではない。今年5月のファクルル・イスラーム・アーラムギール航空大臣の発言によれば、ダッカ・ニューヨーク便についてはフライトあたり8万ドルの赤字が出ている計算になるとそうだ。もちろん発着にかかる費用や燃料費のみではなく、アメリカ現地に事務所を構えて操業するにあたってかかるトータルなコストを含んでの話である。

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  • 加齢と闘うスターたち

     今年41歳になるサルマーン・カーン。特にインドではかなり大きな息子や娘がいても全然おかしくない年齢だが、80年代後半のデビュー当時と変わらないような役柄を演じ続けている。1965年生まれのアーミル・カーンだってまだ学生の役を演じることができるし、シャー・ルク・カーンもそんな歳にはまだまだ見えない。それでも3人とも1965年生まれだ。ジューヒー・チャーウラー、マードゥリー・ディクシト、アクシャイ・クマールらは彼らよりもふたつ下で今年39歳。
     でもこうした年齢は、日本はもとよりインドにおいてはなおさらのこと名実ともに立派なオッサンでありオバサンである。
     そういえば今では老人役ばかりの旧世代スターたち、今年64歳になるアミターブ・バッチャンは、50歳を目前にした15年前の『HUM』あたりまでは若者役が多かったし、リシ・カプールも10年少々まではまだまだ青年の役柄で映画に出演していた。90年代に差しかかったあたりは彼らにとってキャリアの大きな節目であった。
     観客側にしてみれば、野心溢れる青年たちがギラギラした中年期を経ることなく、いきなり年配者としてスクリーンに出るようになったのだから、どうも解せない気がするのは私だけではないだろう。

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  • スリランカな週末 東京渋谷の代々木公園

     10月14日(土)と15日(日)に今年で3回目となる『スリランカフェスティバル2006』 が開催される。
     日本におけるスリランカのプレゼンスの規模の違いを反映してちょっと小ぶりだが、ステージで繰り広げられる多様なプログラム、様々な業者や団体等による出店などと合わせて、ちょうど先日同じ場所で行なわれた『ナマステ・インディア』のスリランカ版だといえる。
     秋の柔らかな陽射しのもと、おいしい紅茶を楽しみつつ熱々のホッパーをほおばり、香り高いカレーを楽しんだ後はアラックを片手に舞踊や音楽を鑑賞しながら、ゆったりとした週末を過ごしてみるのはいかが?
    スリランカフェスティバル2006