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カテゴリー: column

  • Namaste Bollywood #15


    早いもので、創刊2周年なのだそうだ。今回の特集は、読者のボリウッ度を試す『ボリウッド検定』だ。超初級、初級、中級、上級、特級と、いろんなレベルでのクイズが掲載されている。
    実用的な記事としては、その特集ページ下段にある『プレーヤー強化作戦』だろうか。購入したDVDをプレーヤーに挿入してもうまく動作しない、話題作を観ていて途中でフリーズして先に進まなくなった・・・なんてことを経験したことがある人は少なくないはず。
    プレーヤーに接続したテレビで鑑賞するのを諦めて、パソコンで観るとか小型DVDプレーヤーで試すなどしてみると、いずれかでなんとか動作することが多いとはいえ、なぜかこうした相性の問題は付いて回る。だがこの問題に対して対処できる強力な味方があるとのこと。詳しくは本号の2ページ目をご覧いただきたい。
    こうした裏技?や映画豆知識を仕入れることができることもさることながら、インド映画上映情報もまたチェックしておきたい。東京銀座のメゾンエルメスでは、10月4日から12月20日までの毎週土曜日にMughal-E-Azamを上映しているとのことだ。3週間前からの予約制で入場料は無料。
    Namaste Bollywood主催による11月16日(日)に開催されるイベント関係記事も掲載されている。東京新宿にて開かれる『ボリウッド講座vol.6』だが、詳しくはこちらをご参照いただきたい。
    いよいよ創刊3年目を迎えるNamaste Bollywood。今後ますますのご発展をお祈りいたしたい。
    ※『昼下がりのお寺で?』は後日掲載します。

  • ウランバートル 昼下がりのお寺で 1

    寺院の無数のマニ車を参拝客たちがカタカタと回していく。私もそれに倣ってお堂を時計方向に巡りながらそうしてみると、凍てついた空気の中でこれまたひんやりした手触りの中にも人々の想いのいくばくかの温もりが残っているような気がする。石灰で白く化粧が施されたチョルテンが昼下がりの陽射しを浴びてまばゆく照り返している。境内に腰を下ろして眺めていると、チベットやラダックを思い浮かべてしまうが、ここはそのどちらでもない。インドに散在するチベット人居住区でもない。
    チョルテン
    最近、モンゴルのウランバートルを訪れたのだが、観光で来たわけではないので連日忙しく、プライベートな時間は一切なかった。だが帰国する日、飛行場に向かう前に少し時間が取れたので、ガンダン・テグチンレン寺院等を見物することができた。
    ガンダン・テグチンレン寺院
    この寺は、もともと1835年に建立されたものである。スターリンに強く感化された時期に起きた多数の寺院の破壊や僧侶の拘束・処刑といった行為による被害を免れたものの、一時期は閉鎖されていた時期があり、再開後も大衆を相手とする布教等の宗教活動や信者たちによる礼拝行為などが禁じられていた。
    こうした背景もあってのことだろう。おそらく共産化以前のウランバートル市内には各所に大小無数のお寺や祠があったのではないかと思うのだが、今でも残るいくつかの由緒あるものを除けば、仏教施設はほとんど見当たらないため、宗教的な要素を感じさせるものがほとんど見当たらない。
    加えて食べ物や住居のありかたなど、旧共産圏の影響が色濃く、『ロシア・東欧化』されているため、私たちと同じ東アジア人であっても、かなり欧州の近い街という印象を受ける。どちらかというと素っ気ないたたずまいの中にも独自の趣と威圧感があるソヴィエト風の政府機関等の多数の建築群は見事だ。
    かつて英領インドの首都であった権威主義的な英領時代の建物と同じく、たとえその近隣にもっと背の高い近代的なビルができたとしても、色褪せることのない存在感と重厚さを持ち合わせているようだ。
    博物館
    社会主義時代に建設された碁盤の目のような整然とした街並みは美しく、現在モンゴル語の表記に使われているのがキリル文字ことも合わせて、ともすれば極東アジアにいることを忘れてしまいそうになったりもするのだが、そうした風景に仏教的なものを感じることはない。
    街中
    20081104-22.jpg
    ガンダン寺は規模が大きく歴史的にも重要な寺院であるため良い状態に補修されているようだ。しかしウランバートル市内に現存する数少ない寺院建築の傑作と思われる優美なチョイジンラマ寺院については、残念なことに時間がなくて外観しか眺めていないのだが、かなり荒廃した印象を受ける。またここは主にモンゴル仏教に関する現在博物館となっており、寺院としての機能は失われている。
    チョンジンラマ寺院『博物館』

  • CHALO ! INDIA

    東京の六本木ヒルズ森タワー53階にある森美術館のパブリックプログラムとして、『チャロー! インディア』と題する企画展が開催される。
    これは「インドの現代美術の今の姿」を伝えようというもので、概要や出品アーティストについてはこちらをご覧いただきたい。会期は11月22日(土)から3月15日(日)までと4ヵ月近くにわたるものである。
    これに関連する一般プログラムとしてインドの美術や社会にかかわるレクチャーも行なわれるが、こちらは日時が限られているので事前にチェックしておくことが必要だ。
    新しいインド、ダイナミックなインドに触れる良い機会となるはず。ご家族やご友人たちと誘い合わせて出かけてみてはいかが?

  • King is pinched

    1週間近く前の記事だが、ネパール王室についてこんな記事があった。
    Nepal ex-king told to pay bills (BBC South Asia)
    22ヶ所の宮殿や屋敷の過去数年間にわたる電気料金100万ドル超を11月7日までに期限内に支払わなければ彼らへの電気供給をストップさせるというもの。
    元国王は、この膨大な金額を支払うのか、電気を止められるという屈辱に甘んじるのか、それとも何か他の手立てがあるのかどうかわからないが、5月に王室が廃止されてから身分上は普通の『国民』となった元国王とその家族。
    最終的な王室廃止に至る過程の中で、王室財産はかなり処分されているはずだが、それでも海外に隠した『埋蔵金』の話もあるし、そもそも王や王族が経営にかかわる有力企業も少なくなかったようだが、そのあたりはどうなっているのだろう。
    まだそれなりの財力があるようだが、政治的な権力を失い丸裸になった元国王一族に対する圧力は相当なものだろう。今までのところ、彼自身は国外への亡命は否定しているものの今後どうなるか。
    現在与党の座にあるマオイストにしてみても、それと協力関係にある他の勢力にしてみても、王室の廃止により不人気だったギャネンドラ元国王が民間人になったとはいえ、今でも旧王党派や王室にシンパシーを抱く人々が皆無というわけではないし、そこを基盤にして政治活動に乗り出す元王族やその縁者が出てこないとも限らない。
    現政権にとっては、後に憂いを残さないために、旧王室のさらなる弱体化を進めたいところではないだろうか。更には本音では国内から退去して欲しい、地理的にも遠い場所に行ってくれればなお幸い・・・といったところかもしれない。今後も様々な形での締め付けは続くことだろう。
    政府からさまざまな『弾圧』を受ける旧王族たちは、この国でどこまで持ちこたえることができるのだろうか。

  • 地元主義!

    また近ごろメディアでラージ・タークレーと彼が率いるMNS (Maharashtra Navnirman Sena)の暴れん坊ぶりがメディアを賑わせている。
    ラージ・タークレー逮捕に抗議してマハーラーシュトラ州内各地で繰り返されたMNS活動家たちの乱暴狼藉ぶりもさることながら、それに先立ち、彼が今月半ばにジェット・エアウェイズの合理化計画の一環としての大規模な人員整理に係わる争議に介入したことについての報道に注目した人も少なくないだろう。
    以前、『総体としてしっかり』という記事で触れたとおり、ラージ・タークレーに関わるニュースを専門に収集したRaj Thackeray Newsというサイトがあり、近ごろの彼とMNSの動向を垣間見ることができる。

    (さらに…)

  • 東京ディワリフェスタ西葛西

    気が付けば10月も下旬。まだまだ充分暖かく、日によっては半袖姿でも快適に過ごせる今の時期だが、今に木枯らし一番がピュ〜と吹けば一気に冬へと向かおうかという秋の東京。屋外のイベントをのんびり楽しむことができるのは、もうこのあたりまでのはず。
    10月25日(土)には、江戸川区西葛西の新田6号公園にて、東京ディワリフェスタ西葛西が開催される。行き交うインドの人々の姿がとても多い西葛西だけあって、なかなかの賑わいを見せてくれるのではないかと思う。
    お近くならば西葛西までお昼を食べに足を伸ばしてみるのはいかがだろう。ちょっと気にかかるのは当日の天気だが。

  • インド人学校へ転身

    昨日『デリー近郊に日本人村建設?』と題して書いたように、インドで日本からの企業進出を促すための積極策が打ち出されているが、地味ながらも日本においてもインドからの進出を誘致するための具体策がいくつか打ち出されている。そのひとつが来年4月に横浜市緑区で開校予定のインド人学校だ。廃校となった小学校の3階部分を利用して運営するとのこと。
    インド系学校来春開校 緑区の小学校跡 (YOMIURI ONLINE)
    少子化の日本にあっては、学齢期の子供を持たない人には想像もつかない速度で生徒たちの人数が減少している。現在20代、30代以上の年齢の人たちにとって、小学生、中学生時期に通っていた学校には何クラスあって、何人の生徒たちがいたか思い出して欲しい。
    もちろん地域差は大きいのだが、参考までに東京都港区役所のウェブサイトにこういう一覧表があった。
    港区立幼稚園・小・中学校園児・児童・生徒数一覧表
    学年毎に2クラス、3クラス程度というのがごく当たり前になっており、学校施設の規模と不釣合いなほどである。とりわけ東町小学校の全学年合計で77人、港陽中学の全学年合計78名という数字が目を引く。まるで山村部の分校みたいな人数だ。
    こうした傾向は、東京都内どこも共通した現象であり、都外においても似たようなものだろう。地域によっては『学校選択制度』という手段により、居住する学区と隣接する地域の学校に入ることを選ぶことができるようになっている自治体もある。
    すると人気校と不人気校の歴然たる差が出てしまい、年度毎の予算配分はもちろん、やり手の校長や教頭、評価の高い教師が優先的に人気校に配置されるといった人事面での処置もあり、不人気な学校はますます凋落していき、やがては廃校や近隣校との統合という整理へと導かれていくようになっている。
    そして、廃校や統合により使われなくなった校舎や土地は、資産の有効活用という名目で他の施設建設のために転用されたり、民間に売却されたりしていくことになる。
    やや話はそれてしまったが、もともと厳しい基準で施設も充実している公立学校施設という『器』である。都内に数ある空き教室を多数持つ公立学校と同居・・・というのは無理にしても、今後も更に統廃合が進み用済みとなる施設が続々と出てくるにあたり、交通至便な都心近辺にある学校施設を横浜市のように、新設される外国人学校のために有償で貸し出してはどうかと思う。
    さらには学費の問題もある。外国人学校は総じて費用が非常に高い。私学助成制度を大幅に見直して、充分な補助を行政から受けられるようにすべきではないだろうか。少子化が進む中、能力の高い外国出身の人たちが定住することが必要となってくることは自明の理だ。
    また、その子女たちがしかるべき教育を受けることができる環境を整えることは行政の責任であり、そうして育った子供たちが将来、生まれ故郷ないしは自分たちが育った土地である日本に根を下ろし、この国を支えてくれるようになる、そんな『国家百年の計』が必要なのではないかと思う。

  • デリー近郊に日本人村建設?

    こんな記事が目に付いた。
    インド首都に「日本人村」 企業の進出促進、日印閣僚合意へ (NIKKEI NET)
    『日本の中小企業などのインド進出を促すため、インドの首都ニューデリー近郊にマンション、ショッピングセンター、レストランなどを備えた「日本人村」をつくる』とのことで、日印の閣僚間で合意することになっているのだそうだ。
    『工業団地や物流拠点だけでなく、日本人が現地で快適に生活するのに必要なあらゆる設備や店舗を集積した複合都市開発』とも書かれている。いったいどんなものができるのか?
    マンモーハン・スィン首相は本日訪日、明日10月22日に予定されている麻生首相と日印首脳会談で、『産業大動脈構想』に正式合意することになる。この構想は、デリーとムンバイー間の産業基盤の整備をしようというもので、両都市間を結ぶ貨物専用鉄道の建設が最大の目玉。鉄道沿線には、24の開発地域を設けることも計画されている。
    日本政府はおよそ4500億円規模の円借款を供与すること、工業団地開発などにインドと共同で約150億円の基金設立を予定するなど、総事業費10兆円規模の大型プロジェクトであるというから大変なものだ。
    日印両国政府ともに、日本からインドへの投資拡大について非常に前向きの姿勢を続けているものの、日本の経済界から見たインドは、中国や東南アジアと違って、まだまだ距離感があるようだ。日本の対印投資は全体の0.3%に過ぎないという腰の重さは、まさにその証拠といえる。
    そこで、日本の企業がインドでより操業しやすい環境を整えるとともに、インド側からの積極的な姿勢をアピールしようという目的で、日本人村の建設が企画されたのだろう。『中小企業などの進出を〜』とあるように、バブル前後からの日本の製造業を中心とした、中国や東南アジアに対する旺盛な進出や投資のありさまを研究したうえで、モノやサービスの貿易自由化するEPA(経済連携協定)交渉の大筋合意も近いインドの魅力と合わせてアピールしたいところだ。
    『日本人村』では、在住日本人が必要とする様々なサービスを提供する手立てがなされる。日用品店、食料品店、レストランといった店舗が軒を並べるほか、在住日本人たちを相手とする学習塾、不動産屋、メディアその他さまざまな業種の人々もまた続々と上陸してくるとすれば、在留邦人4万人の上海、同じく3万人バンコク(ともに短期滞在者、出張者、観光客を含めると常時滞在している者を含めた邦人数は倍以上になるという)のようになる日はそう遠くないのかも??
    両国政府や出資関係者の思惑どおり、急激に在留邦人が増えることが良いことなのかどうかはさておき、こうした情勢のもとで今後10年間ほどのスパンでデリーに在住する日本人人口がこれまでよりも更に速いスピードで増加することは間違いないようだ。その中でインドと日本の間での様々な関わりかたの選択肢が増えてくることは、私たち日本人にとっても、インドの人々にとっても、決して悪いことではないように思われるのだが、いかがだろう。

  • ストリート・チルドレン 銀行での預金を呼びかけ

    ストリート・チルドレンたちにユニオン・バンク・オヴ・インディアのカードを配布するスキームが行なわれる。
    この試みを主導するのは、ムンバイーで路上生活をしていたり恵まれない境遇にある子供や若者たちを支援しているNGO、Shelter Don Boscoで、ディワーリーの時期に合わせて開催されるこうした子供たち向けのキャリアづくりのためのイベントUDAAN 2008にて、500枚のカードが手渡されるのだそうだ。
    Union Bank issues free Saving Account cards for street kids (WEBINDIA123.COM)

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  • 王家の麗人

    向かって右は夫のアブドゥッラー国王
    話は先日のUAEのドバイから変わってアラビア半島の反対側に位置するヨルダンのハーシム家。言わずと知れたアラビアの名門中の名門、預言者の家系に連なる非常に由緒ある家柄だ。シリアとイラクにおいても王として君臨したハーシム家の系統が政変により途絶えたことから、アラブ世界きっての由緒ある家柄だ。
    ・・・と書いてみたところで、主題は王家自体ではなく現在のアブドゥッラー国王のラニア王妃。国王は、先代のフセイン国王健在の時代には長男ながらも皇太子の立場にはなく、フセイン国王が亡くなる直前、突然弟のハッサン王子と皇太子の地位を交代し、まもなく父である王が死去してからはその責任ある王位に就くことになった。
    冒頭の写真で王妃と並んで写っているアブドゥッラー国王は、風貌からもそれとわかるように母親はイギリス人である。これがアラビアきっての名門王家の跡取りとなるのに障害であったらしい。しかし死期が迫った先代王は、彼の息子たちの中で最も優れた人物に王位を託す決断をすることとなった。
    ラニア王妃にしてみれば、王族と結ばれたとはいえ、夫は将来王位との縁はないものと思っていたはずが、結婚からわずか6年のうちに王妃の座に上り詰めることになった。まさに現代のシンデレラ物語である。
    王妃はクウェート生まれのパレスチナ人。父親はクウェートで医師として働いていたが、91年のイラクによる侵攻に始まる混乱の中、一家はヨルダンに活路を求めた。ラニアは首都アンマンで外資系金融機関の職員として働くことになった。そこであるパーティーに出席したことがきっかけとなってアブドゥッラー王子と知り合い、まもなく求婚される。
    『世界で最も美しい王妃』との評判だが、まさにそのとおりだと思う。しかも王妃が自身のウェブサイトを持っているというのもまた珍しい。おそらく実際にサイトを管理しているのは王室か政府関係者ではないかと思うのだが、堅苦しくない洒落たデザインで、明るさや活力を感じさせてくれる。
    王妃が王家ないしは政府の広告塔的な役割を担うことができる最大の要因は、やはりその人並み外れた美貌はもちろんのこと、いつでも誰に対してもソツのない対応ができる聡明さに加えて、民間出身という封建的なものを感じさせない出自がゆえのことだろう。そういう彼女をヨルダンという国の顔としてプロモートする王家ならびに政府の柔軟さ、したたかさもまた興味深い。
    アラビアの王家においては女性の王族が慈善、教育などを指揮して活動する例は珍しいわけではなく、カタールやバーレーンにもラニア王妃のような活動を展開する精力的な王妃たちがいる。
    ともあれ、世間でこの人に対する関心は相当なもののようで、YouTubeでQueen Raniaと打ち込むだけで無数の動画が引っかかってくる。リベラルなヨルダンという国とそこに暮らす人々に敬意を表するとともに、見目麗しき王妃を応援したい。

  • 流行のドバイの背景に 2

    インドにとって、自国にあり余る人材の雇用先としても、出稼ぎ労働者の送金による外貨獲得源としても、湾岸産油国の存在は貴重だ。自国民の高い出生率とそれに伴う失業率の高さに悩むサウジアラビアでは、社会の各分野において就労者の自国民化を進めているが、数年前にタクシー運転手から外国人を漸減させて自国民化する具体的な方策が打ち出されたときには、インドをはじめとする南アジア各国メディアのウェブサイトにて、それに関する記事がトップを飾っていた。
    混乱が続くイラクで、メディア、援助、経済その他にかかわる外国人の誘拐ならびに殺害に関する報道が続いた時期があったが、同様にイラクでの運輸業にたずさわるインドやネパールのトラック運転手たちが連れ去られて殺害される事件も発生した。高いリスクを覚悟のうえで就労した人、隣国のクウェートで働くという話であったのが、実際に渡航してみると配置されたのはイラクだったという、ブローカーに騙されたケースもあったようだ。いずれにしても他の安定した国々ではなく、いまだ混迷の続く国でさえも、そこに石油が出るならば、外から人々を引き寄せる大きな力を持っていることがよくわかる。そこにくれば治安が大変良くて生活インフラも整ったアラブ首長国連邦ともなれば言わずもがなである。
    ところでその『人口』は、少々注意を要する点かもしれない。湾岸産油国での人口統計には往々にして外国人、しかも期限付きで在住している出稼ぎの人々まで含まれているのは奇妙に感じる。おそらく自国民があまりに少なすぎるので、こうした人々をも含めないと国の実態が把握できないということが背景にあるのではないかと思う。
    アラブ首長国連邦としての一人当たりのGDPは38000ドルとのことで、まあ『先進国並み』ということになる。しかしここには年収5000ドルにも届かない大勢の出稼ぎ労働者たちも含まれている。もちろん外国人在住者=低賃金労働者というわけではなく、様々な分野のエキスパート、専門家、経営者、投資家等も含まれているものの、大半は底辺で働く人たちということにはなる。そのためこの国では『少数派』であるアラブ首長国連邦の国籍を有する人たちだけを見れば、日本のそれの四、五倍に及ぶのではないかという説もあるが、少なくとも私たちの平均的な年収よりもよほど懐具合が良いらしいことは容易に想像がつく。つまり『はるか先進国以上』の裕福な国民が暮らす国である。
    そういう経済的な要因はもちろんのことながら、近代以降におけるインドとの間の歴史的なつながりも深い。19世紀半ばから20世紀はじめにかけて、今のドバイを含むアラブ首長国連邦、オマーン、カタール、バーレーンはイギリスの保護国、当時世界に冠たる中東の貿易港アデンを擁するイエメン南部がイギリス植民地となっていた。同じ英領ということもさることながら、イギリス本国政府の植民地省の管轄ではなく、インド省の所轄で、当時のインド政府のボンベイ管区がこれに当たっていたという点も何か作用しているのかもしれない。アデンといえば、グジャラートのジュナーガル生まれでリライアンスグループの創業者ディールーバーイー・アンバーニーが仕事人としてのキャリアの第一歩を踏み出したのはまさにそこであった。
    現在のエアインディアのネットワークを見ると、西方面とりわけ湾岸諸国へのネットワークが密で、主に国内線を飛ばすインディアンもこれら地域の主要都市へのネットワークを持っている。石油以前のアラブ首長国連邦をはじめとする湾岸諸国とインド西部との間には元々蒸気船の定期航路が発達しており往来が盛んであり、客船の時代が終わるとともに飛行機に取って代わられる。だが石油で潤う前の湾岸諸国とインドの立場はかなり異なるようで、当時貧しかったアラビアに様々な新しいモノをもたらしてくれる先進地がインドだったようだ。
    昔のドバイ
    昔のドバイ
    人口のおよそ6割をインドおよびその他の南アジアから来た人々で占めており、インドないしはインド人の存在なしでのドバイはあり得ず、それがゆえに『インドで最もキレイな街』などと揶揄されることもあるようだ。今流行りのドバイの背後にちらつくインド世界の濃い影が興味深い。現地在住のインド人ないしはインド系の人々について詳細に書かれたものがあれば手にしてみたいと思っている。
    カルカッタ出身の友人がアラブ首長国連邦に赴任しているうち(ドバイ首長国ではなくアブダビ首長国のほうで仕事しているのだが)にちょっと様子を見に出かけてみたいな、と思うこのごろである。

  • インド国内線 格安路線の終わりの始まりか?

    2005年5月の初就航以来、インドでほぼ時期を同じくして発足した他の新興航空社同様、インターネットによる予約・発券により地上職員や施設を可能な限り省略し、保守関係も大幅に合理化するなど、基本的にはコストを思い切り削ぎ落とした格安路線を進んできた航空会社である。
    しかしながら他社にはない垢抜けたイメージと高級感の演出等により他社との差別化に成功、そして積極的な新規路線参入により事業を拡大し、新興会社の中で大きく抜きん出た存在にのし上がるには長い時間を必要としなかった。さらには大手エア・デカンを吸収し、ジェット・エアウェイズに次ぐ国内線シェア第2位の大手会社となる。
    今年9月からは国際線(バンガロール・ロンドン間を毎日就航)にも進出したがそれだけではない。11月にはやはりバンガロール・サンフランシスコ便の就航が予定されている。本拠地であるバンガロールを拠点として、もう少し近場の国際線つまりバンコク、シンガポール、ドバイといった路線への参入も近いのだとか。路線拡大の勢いといい、地元バンガロールの国際化の片棒を担いでいるようでもあり、もはや向かうところ敵なしといった印象を受けていた人は多いだろう。
    ところが今日のヒンドゥスターン・タイムスのトップにこんな記事が掲載されていた。
    『Jet, Kingfisher to fly together』 (Hindustan Times)
    同記事の続き

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