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カテゴリー: column

  • ハウラーの鉄道博物館

    コールカーターのハウラー駅の隣にある鉄道博物館のゲートに着いたのは1時15分前。午前中は開いておらず、開館時間は奇妙なことに午後1時から。ゲート外でしばらく待つことになる。インド国鉄の東部のネットワークを管轄するイースタン・レイルウェイの手による博物館である
    2006年4月にオープンしたばかりだけあって鉄道博物館は美しく整備されていた。よって展示物もキレイで気持ちが良い。じっくり見物しても1時間とかからないこじんまりした規模だが、鉄道の運行や駅での作業等にかかわる展示、ハウラー駅のミニチュアの中にはインド東部の鉄道網の起点である同駅ならびにスィヤールダー駅の歴史、英領時代の貴重な機関車や車両などの展示がある。
    ハウラー駅のミニチュアの中では、駅の歴史等の写真展示等がなされている
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    こうした鉄道関係の展示施設は各地にいくつかあるようだが、やはりデリーのブータン大使館横にあるNational Rail Museumは格段に規模が大きく、展示物の質・量ともにこことは比較にならない。今回取り上げてみたハウラー駅隣のものは前述のイースタン・レイルウェイによるインド東部地域の鉄道に関する紹介のみのこじんまりとした鉄道博物館だ。
    しかしながら、マネキンを使い列車の運行や施設保守に関わるさまざまな作業員たちにもスポットを当て、彼らの仕事ぶりを紹介するなど、列車を走らせるために働く人々の役目を理解してもらうことにも力点を置いていることが特徴だろうか。既存の他のこうした施設よりも後発である分、展示物の企画そのものやお客への見せ方について熟慮されているようで好感が持てる。
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    展示物の中で特に興味深かったのは、鉄道初期の牛で引く『列車』(もっとも日本の鉄道初期には、人力により客車を引っ張るローカル線も一部あったようだが・・・)の画像、そして旧東パーキスターンの蒸気機関車であった。躯体両脇にはイーストパーキスターンレイルウェイと英語とウルドゥー語で書いてあるが、表記がベンガル語でないところがミソである。独立戦争の最中にちょうどインドに来てそのままになっていた車両がそのままインドで保管されることになったものだという。
    初期の鉄道狭軌道には牛で引く列車も・・・
    東パーキスターン鉄道の機関車
    East Pakistan Railwayとの表示
    中がレストラン(・・・というよりキャンティーンか?)に改造してある客車がある。また敷地内はきれいな芝生になっており、ベンチがあちこちに置かれていてのんびりできる。駅に早く着いてしまい、乗車するまで時間があったり、乗り継ぎでしばらく時間を潰す必要があるときなど、ハウラー駅正面出入口を出てすぐ右側にあるので、ちょっと足を伸ばしてみてはどうだろうか?
    以下、参考までに他サイトによるこの博物館の写真入りの簡単な紹介である。
    Eastern Railways
    knowindia.net

  • オーバーウェイトでクビ!

    国営航空会社二社合併に伴う合理化、近年の航空業界の不況、他社との競争等々、いろいろな理由があるのだろう。エアインディアが同社では前代未聞の動きに出ている。それは『オーバーウェイト』のエアホステスのリストラである。このほど解雇が通達されたのは
    国内線に搭乗していた10人。彼女たちには地上職に転進する道は用意されていない。
    解雇が通告された人たちは法廷の場で争う構えだ。しかし昨年6月には、客室乗務員の肥満は自身の健康はもちろん、万一の際の安全確保の際の障害となりえるという航空会社の意見に同調する見解を出しているとともに、競争の激しい業界の現場で働く人たち健康や容姿が、自身の品格の一部として重要な位置を占めているという発言をしているため、なかなか難しいものがあるかもしれない。
    フィットネスクラブやダイエットなどが都会生活の一部としてすでに認知されているし、映画で活躍するヒロインたちのスタイルも大きく変化した。とはいえ、まだまだ体型の変化(?)について寛容な国(もっとも北米などについても一般市民レベルでは肥満についてさほど関心が強いとは思えないが)であることは間違いないのだが、こうした事例を見るとやはりそういう時勢であるらしい。
    ちなみにエアインディアの示す基準としては、18歳の場合で152cmの場合は体重上限が50キロ、同じ身長で26歳から30歳までの年齢の場合は56キロが制限ラインなのだとか。ただ体重といっても、普段からスポーツをしている人、もともと筋肉質の人の場合は見た目よりも体重が重くなりがちだし、筋肉の量に加えて骨格などによっても適正体重はかなり違ってくる。
    ただこうしたニュースがエアインディアに関するものであるがゆえに、メディアでちょっとした話題になっているのだろう。新興航空会社が伸長する前の時期においても、ジェットエアウェイズのフライト・アテンダントといえば、男性はハンサムなマッチョ型、女性は可憐なモデル風というタイプが典型だった。肥満型の乗務員など記憶にない。
    現在、キングフィッシャー・エアラインやスパイスジェットなどに搭乗してみると、機内乗務員は顔立ちや肌の色合いを除けば、まるで『既製の工業製品か?』と思うくらい近似した容姿体系の見目麗しき男女が多く、厳しい健康・食事管理等がなされていることが想像される。
    私自身は、身体が太い細いといったことにあまり関心がない。ちゃんと元気に動くことができればそれでいいのではないだろうか。何ごとも無駄を削ぎ落としたギリギリで頑張るよりも、多少のゆとりがあったほうがいいのではないかと思う。グローバル・スタンダードなスリムさ(?)ではなく、サーリーの脇からちょっと(ときに大胆に)はみ出た贅肉の鷹揚さにすこぶる肯定的な意見を持っている私である。
    Air India sacks 10 ‘overweight’ air hostesses (Deccan Herald)
    Air India Fires 10 Stewardesses For Being Too Overweight For The Plane (YouTube)

  • ナマステ・ボリウッド ♯16

    Namaste Bollywood #16
    記事のアップロードが遅れてしまったが、ナマステ・ボリウッドvol.16 (Dec-Jan 2008-9)として発行の最新号が出てきた。今号の表紙を飾るのはプリヤンカー・チョプラー。
    いつものことながら手に取ったとき、私が一番最初に読むことにしているのが、巻末のおなじみ『Bollywood Filmy Pedigree』なのである。今号で取り上げられているのはアーミル・カーン。
    巷では公開中のGhajiniが話題になっているが、私にとってアーミル出演で一番最初に出会った作品は、ジューヒー・チャウラーと共演したQayamat Se Qayamat Takであった。
    他の多くの俳優・女優たちに負けず劣らず、アーミル自身もかなり強力な映画一族の出身であるが、この作品を監督したマンスール・カーンが、アーミル自身のいとこであることをこの記事を読むまで知らなかった。
    しばらく似たような役柄、つまり甘いマスクと好青年ぶりを前面に出したラブストーリーものが多く、ちょっとマンネリなイメージを抱いていたが、彼が現在のような演技派へと脱皮したのは、確か今から10年ほど前のことだっただろうか。
    さて巻頭に戻る。Jodha Akbar、Sarkar Raj、Singh is Kinngなどといった2008年に大きなヒットを記録した作品、サルマーン・カーンやアジャイ・デーヴガンといった人気スター出演の話題作に加えて、『小粒名画に心酔』として、キャストや製作費用の点では地味な映画についての言及もあるところもありがたい。
    さすがは日本唯一のボリウッド専門情報誌だけあり、さまざまな方面からムンバイーの映画界を包括的にガッチリと捉える姿勢は、あでやかにして個性豊かなスターの顔ぶれよりも、むしろ映画作品そのものの造りに重きを置く正統派映画ファンとにとっても非常にうれしいところだろう。
    小粒な映画がかならずしもB級というわけでもなく、そうした中にもピリリとスパイスの効いた面白い作品が見られるのは、どこの国においても同じことだ。
    書籍紹介コーナーには、MR AND MRS DUTTが取り上げられている。言うまでもなくサンジャイ・ダットの両親である。往年の銀幕を代表するカップルであった父母について、サンジャイの姉妹二人が綴る回想録という体裁の本。一度手に取ってみたことがあるが、挿入されている写真も多く、ダット・ファミリーのファンならずとも、ぜひ手元に置いておきたい一冊である。
    8ページという限られた誌面ながらも、今号もまたそのスペースをフルに活用しての楽しい情報が満載のナマステ・ボリウッド。2009年もまた私たちにボリウッドの話題や魅力を余すところなく伝えてくれることだろう。

  • ネット上に流出するボリウッド作品

    前回に引き続いて動画投稿サイト上に散在するボリウッド作品について考えてみたい。インド版YouTubeといえるTumTubeのようなところには、インドのテレビ番組やムービークリップなどが投稿されているが、圧巻なのは『ボリサガ』というちょっと有名なウェブサイトではないだろうか。ここにアクセスすることを推奨しているわけではないので、敢えて具体的なURLを明かさないでおく。すでにご存知の方も少なくないだろうし、『ボリサガ』をヒントに探すのは決して難しいことではないと思うが。
    ここでは封切りされたばかりの人気映画をまるごと観ることができてしまうのだ。どの作品も四つから八つくらいに分割されているが、映画のはじまりから終わりまでちゃんと全部入っている。画質はあまり良くないがそれほど見づらいという具合でもない。音声は聴き取るのにまったく問題ないレベル。海賊版の映画ビデオよりはマシかと思う。
    だがこの映像、このサイトにアップロードされているわけではないし、閲覧者に映像を供給しているわけでもない。様々な動画投稿サイトにアップロードされた映画作品に対するリンクが貼られているだけである。しかしながらここにアクセスすれば、別々の話題の新作をひととおり巡回できるようになっているというのがミソである。各投稿サイトの運営姿勢次第では、こうした『海賊行為』を認めないところも少なくないので、クリックしてみると『この映像は規定により削除されました』という表示が出たりもする。
    映画は基本的に映画館で観るものだと思う。そうでなければせいぜい大画面のテレビでの楽しむあたりまでが許容範囲だろうか。実際には映画は観たいがまとまった時間がなかなか取れず、PMPに録画したり、携帯用DVDプレーヤーを持参してわずかな空き時間を利用してコマ切れに鑑賞したりもしているのだが、『観る』というよりただ機械的に『見る』ことにより、『自分はこの作品の内容を把握した』というアリバイのための作業をしたかのようで、なんとも消化不良なのである。
    そこにくると『動画投稿サイトからダウンロードした高圧縮映像』をパソコンで再生するなぞもってのほかということになるのだが、正直なところ私自身も非常に評判の作品があれば、『ちょっと覗いてみよう』とアクセスして、結局最後まで見ていたりする。いろいろ思うところはあっても、やはりこういうものがあれば何だかんだいって見てしまうのである。
    だがそもそも封切り直後の作品の元の映像はどこから流出してしまうのだろうか?市中に出回る海賊版の多くがそうであるように、上映されているスクリーンをビデオで写したような稚拙なものではなく、明らかにちゃんとした映像ソースからコピーしたもののようだ。
    こうした『脇の甘さ』も庶民の娯楽らしいところ、といえばそうかもしれないし、もし興味があればこうした映像に『インド映画圏』以外の地域からでもアクセスできることは、全世界に自国産映画の魅力を広める伝道師的な役割を担っているといえなくもない。だが自宅にいながらにして観ることができること、それをさらに投稿サイトにアップロードして不特定多数の人々とシェアできてしまうという観点から、顧客がそれを販売している店舗まで出向かなくては購入できず、シェアするといってもせいぜい友人知人の間で貸し借りする程度であろう海賊版DVDやVCDより更にタチが悪いといえるだろう。
    前述のとおり、私自身が『あれば観てしまう』のでエラそうなことは言えないのだが、こうした動画投稿サイトにアップロードされた映像によるボリウッド映画界の損失はいったいどのくらいになっているのだろうか?とちょっと気にかかっているところだ。

  • YouTubeで大物政治家の映画人時代を観る

    ジャヤラリター
    冒頭の写真は、今年2月に還暦を迎えたジャヤラリター。タミルナードゥを代表する大物女性政治家というよりも、インド政界でも有数の女傑といったほうがいいかもしれない。
    1981年にタミルナードゥの地域政党AIADMK(All India Anna Dravida Munnetra Kazhagam)に加入し、1988年に同党の創設者M.G.ラーマチャンドランが亡くなってから現在まで20年の長きにわたりリーダーシップを発揮し、同州の首相も務めた。彼女の行政手腕を高く評価する声も多いいっぽう、その強権ぶりと数知れぬ汚職疑惑から数多くの非難もある。
    ジャヤラリターは、M.G.ラーマチャンドラン同様に、政界入り前は映画人として高い人気を集めた人物である。タミル映画およびカンナダ映画に多数出演し、この地域の民族的アイドルであった。80年代後半から『元人気女優』としてではなく、実力派政治家として社会に大きな影響を与えるようになってからも、大輪の花を思わせる華やかな風貌にはまた格別の存在感があった。
    元有名女優とは知っていても、彼女が出演する映画を見たことがなかったが、近年YouTube他の動画投稿サイトが普及するにつれて、Sakti LeelaiやKannan En Kadhalanといった彼女の出演作のひとコマを簡単に目にすることができるようになってきた。前述のM.G.ラーマチャンドランも同様で、Nadodi Mannanのワンシーンを眺めることができるのはうれしい。
    インターネット上に新旧さまざまな映画作品が投稿されていることについては、著作権云々ということもある。しかしインド国外ないしはインド映画圏外からでも、自宅にいながらにしてその映像にアクセスできること、必要に応じて参照できることについては、肯定的に評価できる部分も少なくないのではないかと思う。
    ネット上のインド映画については、作品を最初から最後までまるごと見ることができてしまうものもあるが、後日そうした事柄について少し考えてみたい。

  • トイレ 洋の東西をひとつに 1

    しゃがむか?座るか?相反するスタイル
    近世において都市部をはじめとして広く公衆衛生の普及がみられるようになった。しかし西洋式のトイレ文化の導入により、他のアジア諸国でもそうであったように、従来の土着のスタイル『しゃがむ』タイプの様式と外来の『座る』タイプのものが並存することとなった。
    前者と後者の分布は地域差や立地によりいろいろ違うため一言でまとめるわけにはいかないが、概ね個人の住宅では『しゃがむ』もの、富裕層・中間層が出入りする場所では『座る』ものの普及が顕著で、その他不特定多数の大衆が行き来するエリアでは前者・後者ともに並存するという形が多いようだ。
    トイレ文化の違いで困ること
    今あるタイプのトイレが一般化した20世紀以降、一見すると平和裏に共存しているように捉えられがちなトイレだが、その実ふたつの異なる文化が激しくせめぎあう物騒な空間だ。それは21世紀に入っても変わることなく続いている。
    たとえば日本の例を挙げてみよう。主に省スペースという目的から住宅等で設置されるトイレの大半が男女・大小兼用の洋式となっている昨今、私たちは『座る』ことにすっかり馴染み、和式よりも快適に感じるようになっていることは否定できない。そうした背景もあり、より高度なコンフォートを求めて便座が一定の温かさに保たれていたり、事後に自動で洗浄してくれたりする便利な製品も多い。
    しかしながら一歩自宅の外に出てみるとどうだろうか。一般の公衆トイレはいざ知らず、ホテルやデパートといったきちんとメンテナンスの行き届いた空間においても、誰が使ったかもわからない便座に尻を乗せる行為を不快と感じる向きは少なくないようだ。その結果、消毒用アルコールを含んだジェル状の便座クリーナーであったり、薄いビニールや紙の使い捨て便座カバーが用意されていたりする。どちらも『しゃがむ』トイレでなら不要なものである。
    しかし事後の処理をトイレットペーパーではなく、水で行なう地域においてはさらに大きな問題を利用者に突きつけることになる。それは座ることと水で洗浄することが極めて両立しにくいことだ。
    右手に持った手桶から流す水を、左手を用いて洗うという行為は、尻をくるぶしの位置にまで深くしゃがみ込んだ姿勢でこそ可能なのだが、洋式トイレに座った姿勢つまり中腰の状態ではきちんと実行できず、下手すると洗った水が太腿の後ろ側を伝って流れ落ちるという大失敗にもなりかねない。加えて『しゃがむ』タイプに比較して、『座る』ものだと手元が便器脇の蛇口からも非常に遠くなるので苦痛がさらに増す。
    苦痛が生み出す結果
    そうした不便や苦痛を克服するために私たちはどう対処すればよいのか。誰もが思いつくことはただひとつ、便座を両足で踏みつけてしゃがむことである。かなり不安定な姿勢になるが、下半身や衣類を汚さないためにはこれしかない。私たちは洗い用の手桶を持ったまま、恐る恐る片足を便座にかけてヒョイと乗っかるのである。
    すると便座は床の水やら汚物やらでまみれて、次に使用する人は決してそこに腰掛ける気にはならない。また次の人も便座を踏みつけてしゃがむ、そのまた次の人も・・・。
    便座にやさしく足をかける人もいれば、ドカッと乱暴に踏みつける人もあるだろう。体重が軽い人もいればレスラーのような巨漢もいる。もともと優しく座ることを前提に設計してある楕円状のプラスチックの物体は、左右2箇所の極めて狭い部分に繰り返し圧力を与えられることでいつしか壊れる。仮に修理されても、また人々はそこに足を乗せてしゃがむことがわかっているので、設置者は敢えてこれを直すこともない。これがインドおよび周辺国でよく見かける『便座なし洋式トイレ』が発生する普遍的なメカニズムだ。
    まだ便座があるうちは、ステップがそれなりにグリップして?安定したしゃがみ込み姿勢が取れた洋式トイレだが、これが失われてしまうと縁に置いた両足が非常に滑りやすく、特にゴムサンダル履きでの利用は決して勧められない。
    洋の東西をひとつにする快挙
    上記のような状況はインド亜大陸のみならならず、東南アジアや中東などでもかなり広く見られるものだ。しかしこれに対する根本的な解決策を打ち出したのはインドであったようだ。西洋と東洋というふたつの異なるトイレをひとつにまとめあげるアイデアを打ち出したのは。そのアイデアが商品として結実したのが、先日取り上げてみた現在『ユニバーサル』そして『アングロ・インディアン』といったネーミングで販売されている東西両用トイレなのだ。
    他にもこのタイプのトイレを指す商品名は複数あるようだが、本稿においては便宜上『ユニバーサル式』と呼称することにしたい。
    これが考案・発売された時代のことを私は知らないが、おそらく当時の世間は驚愕し、稀代の発明に惜しみない賞賛を与えたことだろう。『しゃがむ』トイレを地上に少し浮かせてそこに便座をつけて『座る』トイレと兼ねたトイレに対して。あるいは『座る』トイレの左右に張り出したステップを取り付けて『しゃがむ』ことも可能にしたというべきかもしれない。
    さらには、通常の『座る』トイレよりも背を少し低くして乗りやすく、かつ洗い桶用の蛇口が近くなるようにしてあること、ステップをやや左右に開くことにより安定した『しゃがみ』を可能とするなど、ユーザーフレンドリーな心遣いもなされていることも見逃してはならない。
    今後の課題
    せっかくの大発明(?)だが、おそらく『しゃがむ』『座る』どちらのタイプよりも割高なのか、極めて実用的ながらも見た目がスマートでないことなどもあってか、普及度はいまひとつであるのがはなはだ残念だ。
    利用者の評判は決して悪くはないようであるため、おそらく設置者側の都合によるものと思われる。このタイプのトイレを製造している各メーカーは、販売促進活動を通じて世界に誇るべき『ユニバーサル式』トイレに対する認知を向上すべく活発に啓蒙活動を行なって欲しい。
    特に公共施設ならびに鉄道施設等については、衛生的なトイレの利用を促進する観点からも、新規設置のトイレはすべて『ユニバーサル式』とすることを原則とするなどの取り組みが望まれるところだ。
    『ユニバーサル式』を賞賛する私は、インドのみならず、事後の処理を水で行なう広い地域に及ぶ各国への普及を図るべきではないかとも私は考えている。また水ではなく紙を用いる諸国においても、最近の住宅に有無を言わさず作りつけになっている『洋式トイレ』に違和感を覚える層が存在する?日本に加えて、他の国々でも『私もホントはしゃがみたい』派の存在もあるかと思われる。
    インドでの需要のみでくすぶらせておくのは実に惜しい。インドで思われているよりもさらにグローバルなポテンシャルを持つ『ユニバーサル式』トイレである。

  • トイレ 洋の東西をひとつに 2

    自らの奥行き深い文化に加えて、長い歴史の中で周辺地域から大小さまざまな影響を受けつつも、それを借り物としてではなくじっくりと消化して独自のものとしてきたインド。絵画、音楽、建築、言語etc…どの分野においてもそうしたハイブリッドさが顕著で、インド文化のリッチさや多様性をするひとつの要素といえる。
    さて突然卑近な話で恐縮ではあるが、私たちが日々使用するもののうち、私が心底惚れ込んでやまないものがある。それはこれだ。
    その名も『ユニバーサル』!
    昔々からある便器だが、まさにインドだからこそのアイデアと社会的な実情に対応した高い機能性を実現している。このタイプのものが果たしていつ考案されたのか知らないが、トイレ事情に関する深い考察と旧習にとらわれない柔軟な思考なしでは成しえない偉業ではないだろうか。
    メジャーなところでHSIL社から『ユニバーサル』という商品名で、またReliance Sanitarywares社からは『アングロ・インディアン』という名前でそれぞれ販売されているが、どちらもズバリ的確なネーミングがなされている。このトイレについて、私なりの考えをまとめてみたので後日掲載することにする。

  • 黄金のベンガルに白亜のタージ

    野次馬根性が大いにかきたてられるニュースだ。ぜひ訪れてみたいと思う私である。偽モノ、贋作、B級品が大好きな私には耳寄りのニュースなのである。
    BBC NEWS South Asiaにて、バングラーデーシュでこのほどほぼ完成したタージ・マハルの原寸大とされるレプリカのことが取り上げられていた。
    Bangladesh to open own Taj Mahal (BBC NEWS South Asia)
    17世紀に建設されたムガル建築の至宝、タージ・マハルがダッカ近郊にオープン!するのだとか。イタリアから輸入した大理石と花崗岩、ベルギーから取り寄せたダイヤモンドも使用し、5年間の歳月と費用5800万ドルをかけたというそのレプリカは、バングラーデーシュ首都ダッカからクルマで1時間ほどのところにあるショナルガオンにて、ほどなく完成の時を迎えようとしている。
    ここは旧領主の豪壮な館など見どころの多い観光地だが、さらにもうひとつの『名所』が加わることになり、まもなく国内外の旅行案内などにも掲載されるようになるのだろう。工事の施主は同国の映画製作者であるというから、作品の撮影にも頻繁に利用されるようになるのだろうか。
    レプリカの廟の全景の写真は、以下の記事に掲載されているのでご覧いただきたい。
    A New Taj Mahal in Bangladesh (rongila.com)
    自国の観光シンボルマーク的な建築物のそっくりさんが出現したことついて、在ダッカのインド高等弁務官事務所(大使館に相当)はご機嫌斜めのようだ。『コピーライトの関係で問題ないか調査する』とのこと。
    A replica of the landmark Taj Mahal (YAHOO! NEWS)
    India fumes at duplicate Bangladeshi Taj Mahal (Hindustan Times)
    『コピーライト』を理由にクレームをつけることが可能なのかどうかはさておき、歴史や文化など共有するものが多い南アジアの御三家。その真ん中に位置し、偉大なる遺産の相当な部分を継承した貫禄ある長兄として、大目にみて欲しいものだ。いかに似せてみたところでレプリカはレプリカに過ぎない。歴史的な価値という点からは比較のしようもないのだから。
    一野次馬としては、全体のプラン、庭園、建物の外装・内装等々、どれほどリアルに再現してあるものなのか、その出来具合には大いに興味を引かれるところだ。最近インド各地で新築ながらも『ヘリテージ風』の建物のホテルなどがある。これらがなかなか立派に造ってあることを鑑みれば、本物同様の細微な象嵌細工は期待せずとも、遠目にはまずまずのレプリカは可能なのではなのかもしれないが、いかんせん実物大というところに期待して良いものなのか、果たしてそうではないのか?
    だが仕上がり具合以上に気にかかるのは、5800万ドルもの大金をかけてこうしたものを造ったアサヌッラー・モーニー氏の目的や動機とその資金の出所である。記事にあるがごとく単に『実物を見る機会のない人たちのため』にこれほどまでのものを用意するものだろうか、気前よくポンとお金を出すスポンサーがいるものなのか。じきにレプリカ建築の背景に関する詳報がどこかから出てくるのを待つことにする。
    なお先述のBBCは同記事中で、ここを訪れた人、近々訪問する人に対して写真またはビデオの投稿を呼びかけている。現在バングラーデーシュにお住まいの方、これから同国に出かける予定のある方は、首都ダッカからちょっと足を伸ばしてみてはいかがだろう?

  • やっぱり良さそう マイクロフォーサーズ

    マイクロフォーサーズ
    先日『何だかいい予感 マイクロフォーサーズ第1号カメラ』
    で取り上げてみたパナソニックのルミックスG1だが、現在次のようなレンズの発売はすでに確定(時期未定)となっているようだ。
    ・14 – 140mm F.4.0〜5.6
    ・7 – 14mm F.4.0
    ・20mm F1.7
    とりわけ気になるのは20mm F1.7のパンケーキ(薄型)レンズ。35mm換算で40mm相当の画角となるのだが、F.1.7と明るいこともあり、さまざまな用途で大いに活用できそうだ。
    また7-14mm F4.0という同じく35mm換算で14 – 28mmという超広角ズームもとても気になるところ。
    現在発売されているマイクロフォーサーズ規格のボディは、まだルミックスのG1のみ、レンズも14-45 F3.5〜5.6と45-200 F4〜5.6の2本のみだ。今のところ関心はあっても様子見をしている人たちも、今後のシステムの充実具合の目処がある一定のところまで達すれば、一気にユーザーが増えるのではないかと思う。
    もちろんこのG1そのものがというわけではなく、これに続く新機種やマイクロフォーサーズの提唱企業であり、今後この規格のカメラを市場に送り込むことを予定しているオリンパスの製品を含めた新商品がという意味である。 ただしオリンパスで開発中の機種はパナソニックのG1のような一眼タイプのモデルではなく、ファインダーを省略したコンパクトデジカメがレンズ交換可能になったような感じのものらしい。
    従来のAPS-Cセンサー搭載のカメラに比べて、ボデイ・レンズともに相当な小型軽量化が容易となるマイクロフォーサーズのモデルだ。私がこれまで期待していたハイエンドなコンパクトデジカメの潜在的な需要を大きく削り取ることもさることながら、従来のデジタル一眼レフのとりわけ入門機のようにコンパクトさを売りのひとつにしているタイプのモデルのシェアに大きく食い込むことも予想できる。
    マーケットがそれなりに成熟してくれば、機能的には中級機に相当するモデルもでてくることだろう。それにマイクロフォーサーズのオリンパス、パナソニックどちらのカメラあるいはレンズを購入しても相互に互換性があるのも魅力だ。
    マイクロフォーサーズ規格のカメラを製造ないしは開発しているメーカーは、現在オリンパスとパナソニックだけであり、どちらもこの分野ではメジャーではないのだが、『旅行カメラ』としては非常にいい線いくのではないかと予想している。
    パナソニックのG1に関していえば、従来の一眼にはなかった弱点がある。それは連写に弱いことだ。このクラスのカメラならば1秒間に3枚という数字は別に悪くはないと思うのだが、光学ファインダーではなく液晶ビューファインダーになっているため、連写の際に最初のコマの像がそのまま残ってしまい、動きのあるものが被写体の場合これを追尾するのが難しくなる。
    これは液晶ビューファインダーの宿命なのか、それとも今後解消ないしは改善可能なものなのかどうかはわからないが、スポーツや舞踊といったものを撮影するのでもなければ特に問題にはならないのではないだろうか。
    また先日触れなかった利点としては、G1には搭載されていないものの、マイクロフォーサーズは一眼タイプのカメラに動画撮影機能を盛り込むことも想定してあるため、写真のみならず動画についてもコンパクトデジカメとは段違いの質と操作性をもっての撮影を可能とするようだ。この部分についてはG1の後継機ないしはオリンパスからの第一号機に期待したい。
    先ほども触れた今後のレンズ群の充実次第、続いて出てくるボディの完成度次第で一気に売れ筋となると思われるのがこのマイクロフォーサーズ。
    もちろん現在発売されているパナソニックG1と14-45mm(35mm換算28-90mm)および45-200mm(35mm換算90-400mm)の組み合わせだけでも、今年発売されたカメラの中では旅行用および常日頃携帯するカメラとして最も魅力的なのではないかと思う。

  • テロ後 インドのメディアに思うこと

    人質を取ってのハイジャック、立てこもりといった事件の質が前世紀とはずいぶん違ってきた21世紀である。従前は、犯行グループが自らの主張を世間に広めたり、政府等への要求を通したり、取り引きしたりする材料として人質を必要とし、そのためにこうした事件を起こすケースが多かった。もちろん以前から爆破テロはあったし、ハイジャック等で人質になることにより、命を落とす人も少なくなかった。
    しかし今ではどうだろう。2001年9月11日にアメリカで起きた同時多発テロから始まって、先日のムンバイーの事件にいたるまで、対象となる政府なり機関なりといった当局に対する要求もないままに、破壊行為と人々の生命を奪うことのみが目的であるような事件が増えた。それらの多くは犯行声明なしの、誰が何のために起こしたのかわからない『無言テロ』でありながらも、凄惨な場面がメディアを通じて現在進行形で伝えられるという、姿は見えるが肝心の顔は見えないという特徴を持つ。
    先日のムンバイーにおけるテロの際に、『デカン・ムジャヒディーン』を名乗る団体からの声明はあったものの、そういう団体はこれまで把握されておらず、実際にどのグループが事件を起こしたのかよくわからず、目下ラシュカレトイバが最有力視されているのが現状である。
    自国内でテロがあってもその実情は国内外になかなか伝わらない、政府当局により今でも相当厳しくコントロールされている中国と違い、様々なソースの情報にアクセスしやすいインドは対照的だ。報道の自由度の高さという点でもメディアに対する管理がきつい国の多いアジア諸国の中では飛び抜けている印象がある。
    しかしその自由が放任されていること、主要メディアの多くが大資本の元にあることから、常に公平不偏であることを期待できるものか疑問な部分もあることなどもある。そして特にニュース番組に見られる露骨な商業主義もどうかと思う。言葉を変えていえば、あまりにも良くない意味で『大衆的』に過ぎるのだ。
    そうしたニュースチャンネルで『今日のプログラムについて最も興味深かったものを選んでSMSで投票してください』なるアナウンスが流れることがある。どういうニュースが好まれるか、どういうスタイルでの報道が注目されるかという調査なのだろうが、そもそも世の中で起きていることを正確に伝えるのが報道の仕事のはずであり、受け手が喜ぶものばかりを取り上げるのがそのありかたではないはずだ。
    人々の身の回りで起きたセンセーショナルな犯罪を取り上げるテレビ番組の中で、ガラの悪い男性アナウンサーやたらと扇情的な声色で感情的なアナウンスをしたり、たいした内容でなくともやたらと『Breaking News』のテロップを多用して視聴者を引きつけようとしたりするのも気にかかる。常日ごろからこういうのはいかがなものかと思っていたが、今回のような大きな事件が起きると、なおさらのことそういう好ましからざるスタンスばかり目に付くようになる。
    今回ムンバイーで起きた事件にしても、治安当局による捜査等の進展を飛び越して、各メディアによる出所や事件との関連についての『速報』の類が相次いでいる。それは『テロリスト上陸の際のパーキスターンの海軍によるサポート』であったり、『ラシュカレトイバの戦闘訓練基地でのトレーニングの様子』を撮影した資料映像であったりする。
    とかくテロリストたちの行為とパーキスターン政府の密接な関与を示唆する内容が多く見られる。テロリストたちが隣国パーキスターンから来たということはほぼ間違いないようだが、当のパーキスターンではムシャッラフ前大統領自身も幾度となく原理主義過激派による暗殺の危機に見舞われていたことを忘れてはならないし、現在の大統領のザルダーリー氏の妻で、元首相のベーナズィール・ブットー氏も昨年12月に選挙遊説中に暗殺されている。パーキスターン当局がテロリストと一体であるという見方はあまり正当ではない。
    もちろん軍所轄の情報機関であるISIに対する政府の統制が行き届かないことから、彼らの関与については常々言われていることであるのだが、現在はまぎれもなく『文民政権』であるパーキスターン政府自身は、本来ならばインドと手を携えてテロ防止にあたるべきパートナーなのだ。 誤報・虚報を恐れず世の中に発信していく姿勢も大切なのかもしれないが、各報道機関は社会の公器として、あまりに先走りすぎて人々の目を惑わすことのない報道をしてもらいたい。
    また国境を挟んで東西に広がるそれぞれ『主権国家』としてのインドとパーキスターンだが、これを機会にテロへの対応にかかるこれまでの国境を境にした『縦割り行政』の弊害から脱して、両国が力を合わせてそれぞれの国民の安全を守るために努力してくれないものだろうかとも思うのだ。

  • 愛しのドリアン

    ドリアンの花
    この写真を見て何の花だか即答できるとすれば、相当好きな方だろう。何が好きかといえば果物の王様ドリアンのことである。ちょっと前の記事ではあるが、こんなニュースがあった。
    沖縄で初めて「ドリアン」の花が開花−果実の収穫にも期待 (石垣経済新聞)
    もう何年も前に石垣島在住の友人から『今にここから国産ドリアンが出るよ』という話は聞いていたが、『南国』の沖縄南部とはいえドリアンが結実するのはそう簡単なことではなかったようだ。 それが実現したとしても、日本で収穫されたドリアンとは、いったいどのくらいの価格で市場に出ることになるのだろうか?
    ドリアンが大量に産出され、これまた大量に消費されているのは東南アジアだが、実はインドでもゴアにように南部の湿潤な気候の地域では野生のドリアンが人知れず実を付けながらも、その美味なる果実を賞味されることなく腐らせている。
    タイやインドネシアで商業作物として栽培されている品種と違い、ドリアンの野生種はかなり小粒で、しかも果肉部分が少なかったりする、味は決して市場に出回るそれに引けを取らないらしい。
    結実はおろか、開花することさえないだろうが、私も実は自宅に樹齢2年目のドリアンを一株持っている。こじんまりと鉢植えにしてあるのだが、ツヤツヤとした濃い緑の葉がなかなか美しい。
    ドリアンの種は発芽率が非常に高く、生命力の強い植物のようだ。おそらく東京の寒い冬でも室内に入れてやればちゃんと越冬できるのではなかろうか。おいしい果実を平らげた後は、観葉植物として育ててみるのはいかが?

  • ムンバイーのテロ 『事件後』もさらに怖い

    こうして書いている今も『BREAKING NEWS』のテロップとともに『テロリストが手榴弾を投擲』『コマンドーが反撃中』『タージのボール・ルームで掃討作戦中』といった文字が画面に浮かんでは消えていく。
    相当中の人質は解放されたが、30名近くの遺体がオベロイ・ホテルの建物の中で確認された模様。まだ事件は進行中である。ニュースで写し出されるタージ・ホテルとナリーマン・ハウス(ユダヤ教施設)の映像から銃声が響く。
    すでに多くのメディアに流れているテロリストたちの一味の中の幾人かの姿は、原理主義者然としたヒゲを生やしているわけではなく、恐ろしい面構えの居丈高というわけでもない。口ヒゲさえ蓄えずにきれいに剃られた、ごく普通の都会の若者といった感じであった。
    その辺の大学のキャンパスにでもいそうな感じの男の子が、冷たく黒光りする機関銃を握っているという『現実』にとまどうのは私だけではないだろう。
    情報もかなり錯綜しているようだ。ついさっき例の『BREAKING NEWS』で、市内の××で、そして××でも銃声だの銃撃戦だのというテロップが流れていたが、そのしばらく後に画面に登場したリポーターは、『テロリストに占拠されている地点以外でも銃声がというデマが流れていますが信用しないように』などとしゃべるなど、かなり分裂気味な報道。
    加えて『アメリカのFBIのチームがインドに出発』と報じられた数時間後には、プラナブ・ムカルジー外相が『我々は自前の情報機関に自信を持っており外国からの干渉は不要である』と否定する模様が流れており、何だかよくわからない。
    とにかく新しいニュースをと急くあまり、未確認情報も含めて電波に乗せてしまっているらしい。CMから番組に戻る際の導入部に煙を上げるタージ・ホテルの休館の画像の背景には、よく映画で用いられる派手な効果音が響いているのは不適切ではなかろうか。
    ホテルの外、少し距離を置いて遠巻きにしているメディアのクルーたちの物々しい数を見ると、どの局も他がまだ取り上げていないニュースを一番に!と過熱するのもわかる気がする。何しろニュース番組を点けてみると、昨日からずっとこのたびのテロの報道ばかりなのだから。
    そんな中、『首相がパーキスターンにISI長官の訪印を要求』というニュースが流れる。肯定的に言えば『テロに対して共同して対抗できるよう情報交換をいたしたい』ということであっても、実態は『貴国は関与を否定しているが信用ならん。そちらの情報機関の長から直々に話を聞こうじゃないか』ということになるだろう。
    後から後から続くテロに業を煮やし、さらには今回のような大きな事件が起きて面目丸つぶれのインド政府とりわけ与党の立場もわからなくもない。だがこうした高飛車なスタンスは当の相手国に受け入れられるものなのだろうか。
    2001年12月のインドの国会襲撃テロ事件の後、まるで急な坂を転げ落ちるように印パ関係は悪化の一途をたどったこと思い出す。半年も経たないうちに開戦の危機が伝えられ、核戦争の可能性さえもささやかれるようになったのは、そのテロ事件がきっかけだった。
    当時の報道を見ていて非常に気にかかったのは、隣国を叩けというムードで紙面が一杯で、臨戦態勢に疑問を投げかけようとする論調がほとんど見られなかったことである。各政党も同様で、当時与党にあったBJPの『弱腰』をなじるのは共産党を含めた野党勢力どこも同じであった。ブレーキの壊れた暴走機関車みたいな印象を受けた。
    今のコングレスを中心とする連立政権の治世の下、各地で続く大小の規模のテロそして外来勢力ではなく、インド人自身による犯行が増えたため『テロの国産化』が懸念される中、内政面での不手際を批判される機会が増えた。内務大臣のシヴラージ・パーティルもとりわけ今年7月にバンガロール、アーメダーバードと続き、しばらくしてからデリーでテロがあった際にはクビが飛んでもおかしくない立場にあったようだ。
    折しも今のインドはまさに政治の季節に突入したばかり。現在進行中のデリー、ラージャスターン、チャッティースガル等六つの州議会の選挙に加えて、来年5月までには国政選挙が行なわれる予定。
    本日のメディアに対する当局の発表の中でこういう発言があった。
    『すでに警察の手には様々な情報が集まっている。それらについては慎重に分析・調査をしたうえで皆さんにはお伝えする予定である。現在拘束している犯人の国籍はパーキスターンであるが、今はこれ以上の発言は控えさせていただく』
    さらに何か具体的な発言を求めて食い下がるメディアに対する当局の担当者の対応はこうだった。
    『それではみなさんにこれだけは言いたい』
    彼は一呼吸置いて大声で叫ぶ。
    『バーラト・マーター・キー』
    これに応えて周囲の報道マンたちが声を合わせる。
    『ジャーイ!』
    まるで映画の中のひとコマみたいだ。
    任期切れを前に州民、国民たちの審判を待つ各政党。急速に勢いを失いつつある経済にかわる問題に加えて、治安対策とりわけテロ問題にどう取り組むかという点がひとつの重たい争点になるはず。
    短期的には、今回の出来事で直接関与していなくとも、自国領でインドに対する破壊活動の準備を黙認している隣国に対して『どうオトシマエをつけるんだ、コラァ!』と迫ることも当然重要視されるだろう。
    選挙のための人気取りに腐心する政党と、インスタントな結果を求めるメディア、功を求めて先走り、民心を必要以上に煽る報道・・・。それらから流れる情報、言い訳、主張その他様々な声を耳にする国民の多くはいったい何を思うのか。
    11月26日の夜9時過ぎの事件発生から28日夕方の今まで、今回ムンバイーで起きたテロはすでに足掛け3日も現在進行形でメディアに映像を提供し続けている。『事件が生放送される』という点では、発生後まもなく鎮圧された2001年の国会襲撃事件よりも、はるかにインパクトは強い。国際的な注目度もこちらのほうが上だろう。
    事件は明らかに終盤に入った模様だ。だがこうしている今も現場からのレポートは続いている。今回の出来事が終結する前からこんなことを言うのは気が早いかもしれないが、このテロ事件について政治的(内政的にも隣国との間についても)どういう形で清算しようということになるのか、とても気にかかるところである。
    パソコンのキーを叩いていると、画面の向こうでマイクを握ったレポーターが大声で叫ぶ。『カメラを持った西洋人女性が肩を撃たれました。フリーランスのジャーナリストと思われます』
    テレビ画面の右下には『インドの9/11』というタイトルが入っている。アメリカの9/11は、世界で実に多くのことを変えた。アフガニスタンやイラクにいたっては、これを機にアメリカにとって目の上のタンコブだった政権まで力で壊滅させられた。
    インドの『11/26』の後に続くものは何だろう。憂いが杞憂に終わるように祈りたいものだ。まさにこういう危機にこそ、世界最大の民主主義国家を自負するインドの叡智に期待したい。
    ・・・と、ここまで書いたところでテレビから『ナリーマン・ハウス制圧』を伝えるアナウンサーの声が聞こえてきた。いよいよ事件終結まであと一息といったステージに来たようだが、この事件の終わりが新たな大きな不幸の始まりでないことを切に願うばかりである。