地元主義!

また近ごろメディアでラージ・タークレーと彼が率いるMNS (Maharashtra Navnirman Sena)の暴れん坊ぶりがメディアを賑わせている。
ラージ・タークレー逮捕に抗議してマハーラーシュトラ州内各地で繰り返されたMNS活動家たちの乱暴狼藉ぶりもさることながら、それに先立ち、彼が今月半ばにジェット・エアウェイズの合理化計画の一環としての大規模な人員整理に係わる争議に介入したことについての報道に注目した人も少なくないだろう。
以前、『総体としてしっかり』という記事で触れたとおり、ラージ・タークレーに関わるニュースを専門に収集したRaj Thackeray Newsというサイトがあり、近ごろの彼とMNSの動向を垣間見ることができる。


元々ムンバイーを本拠とする極右政党シヴ・セーナーの中核指導者だったが、党の創設者である叔父のバール・タークレー、いとこのウッダヴ・タークレーと袂を分かち、自ら組織したのがこのMNSだ。
シヴ・セーナーは、ヒンドゥー至上主義に基づく地元マラーティーを基盤とする地域政党ながらも、インド各地に拠点を持ち活動していることから、かなりユニバーサルな側面も持ち合わせている。これに対してMNSは宗教色が希薄な『世俗的なマラーティー主義』といったスタンスだ。偏狭な地域主義ながらも、地元民ならば宗教や階層を問わずに支持を集めようという間口の広さが特徴だろうか。
2006年結党という、ごく新しい組織であること、1968年生まれで今年40歳になったばかりのラージ・タークレーが最高指導者であることなどもあり、特に若い年齢の人々を囲い込むことに力を入れているようだ。ウェブ上ではMNS本体よりも、若年層を対象にした下部組織MNVS (Maharashtra Navnirman Vidyarthi Sena)のほうが宣伝活動に積極的であるようなのはまさにその証だろう。
目下、私にとって最も気になるインドの政治家のひとりがこのラージ・タークレーだ。彼のスタンスやMNVのポリシーに共感しているわけではもちろんない。国や人々の統一を阻害する極端な地域主義や暴力的な手法について非難されるべきものであるが、それでも彼やその政党に共感を抱く人々の数が決して無視できるものではないことに、今の社会の闇の部分を垣間見るような思いがする。
90年代から新世紀に入ったあたりまでは、サフラン勢力の急な伸長を見た。中央政府からBJPが退場した後も、州議会レベルではやはり宗教政党が着実に地歩を固め、コングレスを筆頭とするいわゆる世俗勢力の退潮が総体的に見られる昨今だ。
しかし部分的には『世俗』的な装いを見せながらも、従来のそれとはずいぶん違う主張をしているのがこのMNSである。従来の右翼政党が囲い込みの対象としなかった部分、これまでの世俗勢力の重要な支持基盤ながらも満足のいく果実を得られなかった層の人たちの関心を集め、今後それなりの力を持つようになるかもしれない。
グローバル化が進んでいくこの世の中で、景気の良い話を耳にしつつも取り残されるいっぽうの人々が大勢いる。グローバル化とは何も自国と外国の関係にとどまらない。国内的にも人々や物資の行き来がさらに流動的になること、相当部分特定の地域で完結していた経済活動がより大きなブロックに組み入れられていくこと、それなりに機能していた地場産業による守備範囲が、外のエリアからやってきた大資本の支配下に組み入れられていくと、固有の市場を奪われることもその範疇であるといえる。
たとえば時代が下るとともに人々の装いに地方色が薄くなってきていること、特定地域で独自のテキスタイル文化を持っていた部族民たちが、今ではバーザールで安価に出回る大量生産の衣服を着ることが多くなっていることなどもその一例だ。市場(しじょう)がカバーする範囲が拡大してきていることと、ムラの様々なコミュニティの協同関係が崩れてきている。
時間の経過とともに、人々はより広い範囲から物資を調達あるいは流通させるようになってきており、より遠くまで取引や仕事をしに出かけていくようになっている。先進地とされるエリアには大量に資本が投下され、周辺地域からは仕事を求めて、あるいはより良い雇用条件を求めて続々と人々が列を成して集まってくる。だが昔から発展のお膝元に住んでいながらも、その恩恵にあずかることができない人々たちも少なくない。
以前から多くの国々で、農業や雇用の関係等から生じる問題から、グローバル化に反対する動きはあった。それでも今の私たちの便利な生活があるのはそのグローバル化による恩恵あってのことということもあり、これに疑問符を突きつける意見がマジョリティを占めることはなかった。
だが、ここのところの『世界大恐慌の始まりか?』とまで言われる退潮の中で、グローバル化による弊害をどうやって取り除いていくかについてメディア等でも盛んに取りざたされるようになってきている。一体誰の手によるものなのか実感がわかないが、自分たちのことが自分たちだけでは決めることができず、自らの職や生活が目に見えない何かによって脅かされているという不安の中、かつて帝国主義と相対した民族主義とは異なるタイプの『地元主義』が台頭してきてもおかしくない。
ラージ・タークレーやMNSにはあまりに負の面ばかりが多すぎて、いつか『大化けする』存在には到底思えない。しかし今後同様のスタンスを持つ勢力が各地にポコポコと出てくるような気がするし、その中にはもっと巧妙かつ知的に、合法的かつ論理的に立ち回るものも生まれてくるのではないだろうか。まさに多様性の国であり、それ自体が世界の縮図のようなインドだけに、様々な勢力がそれぞれの居場所を見つけるべく蠢いている。
グローバル化と相対する極端な地域主義の台頭は、インドのみならず私たちの日本も含めた広範囲な地域で見られる可能性があり、ラージ・タークレーないしは彼が率いるMNSを単なるならず者集団と捉えてしまっては、事の本質を見誤るような気がしてならない。

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