昨日『デリー近郊に日本人村建設?』と題して書いたように、インドで日本からの企業進出を促すための積極策が打ち出されているが、地味ながらも日本においてもインドからの進出を誘致するための具体策がいくつか打ち出されている。そのひとつが来年4月に横浜市緑区で開校予定のインド人学校だ。廃校となった小学校の3階部分を利用して運営するとのこと。
インド系学校来春開校 緑区の小学校跡 (YOMIURI ONLINE)
少子化の日本にあっては、学齢期の子供を持たない人には想像もつかない速度で生徒たちの人数が減少している。現在20代、30代以上の年齢の人たちにとって、小学生、中学生時期に通っていた学校には何クラスあって、何人の生徒たちがいたか思い出して欲しい。
もちろん地域差は大きいのだが、参考までに東京都港区役所のウェブサイトにこういう一覧表があった。
港区立幼稚園・小・中学校園児・児童・生徒数一覧表
学年毎に2クラス、3クラス程度というのがごく当たり前になっており、学校施設の規模と不釣合いなほどである。とりわけ東町小学校の全学年合計で77人、港陽中学の全学年合計78名という数字が目を引く。まるで山村部の分校みたいな人数だ。
こうした傾向は、東京都内どこも共通した現象であり、都外においても似たようなものだろう。地域によっては『学校選択制度』という手段により、居住する学区と隣接する地域の学校に入ることを選ぶことができるようになっている自治体もある。
すると人気校と不人気校の歴然たる差が出てしまい、年度毎の予算配分はもちろん、やり手の校長や教頭、評価の高い教師が優先的に人気校に配置されるといった人事面での処置もあり、不人気な学校はますます凋落していき、やがては廃校や近隣校との統合という整理へと導かれていくようになっている。
そして、廃校や統合により使われなくなった校舎や土地は、資産の有効活用という名目で他の施設建設のために転用されたり、民間に売却されたりしていくことになる。
やや話はそれてしまったが、もともと厳しい基準で施設も充実している公立学校施設という『器』である。都内に数ある空き教室を多数持つ公立学校と同居・・・というのは無理にしても、今後も更に統廃合が進み用済みとなる施設が続々と出てくるにあたり、交通至便な都心近辺にある学校施設を横浜市のように、新設される外国人学校のために有償で貸し出してはどうかと思う。
さらには学費の問題もある。外国人学校は総じて費用が非常に高い。私学助成制度を大幅に見直して、充分な補助を行政から受けられるようにすべきではないだろうか。少子化が進む中、能力の高い外国出身の人たちが定住することが必要となってくることは自明の理だ。
また、その子女たちがしかるべき教育を受けることができる環境を整えることは行政の責任であり、そうして育った子供たちが将来、生まれ故郷ないしは自分たちが育った土地である日本に根を下ろし、この国を支えてくれるようになる、そんな『国家百年の計』が必要なのではないかと思う。
カテゴリー: column
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インド人学校へ転身
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デリー近郊に日本人村建設?
こんな記事が目に付いた。
インド首都に「日本人村」 企業の進出促進、日印閣僚合意へ (NIKKEI NET)
『日本の中小企業などのインド進出を促すため、インドの首都ニューデリー近郊にマンション、ショッピングセンター、レストランなどを備えた「日本人村」をつくる』とのことで、日印の閣僚間で合意することになっているのだそうだ。
『工業団地や物流拠点だけでなく、日本人が現地で快適に生活するのに必要なあらゆる設備や店舗を集積した複合都市開発』とも書かれている。いったいどんなものができるのか?
マンモーハン・スィン首相は本日訪日、明日10月22日に予定されている麻生首相と日印首脳会談で、『産業大動脈構想』に正式合意することになる。この構想は、デリーとムンバイー間の産業基盤の整備をしようというもので、両都市間を結ぶ貨物専用鉄道の建設が最大の目玉。鉄道沿線には、24の開発地域を設けることも計画されている。
日本政府はおよそ4500億円規模の円借款を供与すること、工業団地開発などにインドと共同で約150億円の基金設立を予定するなど、総事業費10兆円規模の大型プロジェクトであるというから大変なものだ。
日印両国政府ともに、日本からインドへの投資拡大について非常に前向きの姿勢を続けているものの、日本の経済界から見たインドは、中国や東南アジアと違って、まだまだ距離感があるようだ。日本の対印投資は全体の0.3%に過ぎないという腰の重さは、まさにその証拠といえる。
そこで、日本の企業がインドでより操業しやすい環境を整えるとともに、インド側からの積極的な姿勢をアピールしようという目的で、日本人村の建設が企画されたのだろう。『中小企業などの進出を〜』とあるように、バブル前後からの日本の製造業を中心とした、中国や東南アジアに対する旺盛な進出や投資のありさまを研究したうえで、モノやサービスの貿易自由化するEPA(経済連携協定)交渉の大筋合意も近いインドの魅力と合わせてアピールしたいところだ。
『日本人村』では、在住日本人が必要とする様々なサービスを提供する手立てがなされる。日用品店、食料品店、レストランといった店舗が軒を並べるほか、在住日本人たちを相手とする学習塾、不動産屋、メディアその他さまざまな業種の人々もまた続々と上陸してくるとすれば、在留邦人4万人の上海、同じく3万人バンコク(ともに短期滞在者、出張者、観光客を含めると常時滞在している者を含めた邦人数は倍以上になるという)のようになる日はそう遠くないのかも??
両国政府や出資関係者の思惑どおり、急激に在留邦人が増えることが良いことなのかどうかはさておき、こうした情勢のもとで今後10年間ほどのスパンでデリーに在住する日本人人口がこれまでよりも更に速いスピードで増加することは間違いないようだ。その中でインドと日本の間での様々な関わりかたの選択肢が増えてくることは、私たち日本人にとっても、インドの人々にとっても、決して悪いことではないように思われるのだが、いかがだろう。 -
ストリート・チルドレン 銀行での預金を呼びかけ
ストリート・チルドレンたちにユニオン・バンク・オヴ・インディアのカードを配布するスキームが行なわれる。
この試みを主導するのは、ムンバイーで路上生活をしていたり恵まれない境遇にある子供や若者たちを支援しているNGO、Shelter Don Boscoで、ディワーリーの時期に合わせて開催されるこうした子供たち向けのキャリアづくりのためのイベントUDAAN 2008にて、500枚のカードが手渡されるのだそうだ。
Union Bank issues free Saving Account cards for street kids (WEBINDIA123.COM) -
王家の麗人

話は先日のUAEのドバイから変わってアラビア半島の反対側に位置するヨルダンのハーシム家。言わずと知れたアラビアの名門中の名門、預言者の家系に連なる非常に由緒ある家柄だ。シリアとイラクにおいても王として君臨したハーシム家の系統が政変により途絶えたことから、アラブ世界きっての由緒ある家柄だ。
・・・と書いてみたところで、主題は王家自体ではなく現在のアブドゥッラー国王のラニア王妃。国王は、先代のフセイン国王健在の時代には長男ながらも皇太子の立場にはなく、フセイン国王が亡くなる直前、突然弟のハッサン王子と皇太子の地位を交代し、まもなく父である王が死去してからはその責任ある王位に就くことになった。
冒頭の写真で王妃と並んで写っているアブドゥッラー国王は、風貌からもそれとわかるように母親はイギリス人である。これがアラビアきっての名門王家の跡取りとなるのに障害であったらしい。しかし死期が迫った先代王は、彼の息子たちの中で最も優れた人物に王位を託す決断をすることとなった。
ラニア王妃にしてみれば、王族と結ばれたとはいえ、夫は将来王位との縁はないものと思っていたはずが、結婚からわずか6年のうちに王妃の座に上り詰めることになった。まさに現代のシンデレラ物語である。
王妃はクウェート生まれのパレスチナ人。父親はクウェートで医師として働いていたが、91年のイラクによる侵攻に始まる混乱の中、一家はヨルダンに活路を求めた。ラニアは首都アンマンで外資系金融機関の職員として働くことになった。そこであるパーティーに出席したことがきっかけとなってアブドゥッラー王子と知り合い、まもなく求婚される。
『世界で最も美しい王妃』との評判だが、まさにそのとおりだと思う。しかも王妃が自身のウェブサイトを持っているというのもまた珍しい。おそらく実際にサイトを管理しているのは王室か政府関係者ではないかと思うのだが、堅苦しくない洒落たデザインで、明るさや活力を感じさせてくれる。
王妃が王家ないしは政府の広告塔的な役割を担うことができる最大の要因は、やはりその人並み外れた美貌はもちろんのこと、いつでも誰に対してもソツのない対応ができる聡明さに加えて、民間出身という封建的なものを感じさせない出自がゆえのことだろう。そういう彼女をヨルダンという国の顔としてプロモートする王家ならびに政府の柔軟さ、したたかさもまた興味深い。
アラビアの王家においては女性の王族が慈善、教育などを指揮して活動する例は珍しいわけではなく、カタールやバーレーンにもラニア王妃のような活動を展開する精力的な王妃たちがいる。
ともあれ、世間でこの人に対する関心は相当なもののようで、YouTubeでQueen Raniaと打ち込むだけで無数の動画が引っかかってくる。リベラルなヨルダンという国とそこに暮らす人々に敬意を表するとともに、見目麗しき王妃を応援したい。 -
流行のドバイの背景に 2
インドにとって、自国にあり余る人材の雇用先としても、出稼ぎ労働者の送金による外貨獲得源としても、湾岸産油国の存在は貴重だ。自国民の高い出生率とそれに伴う失業率の高さに悩むサウジアラビアでは、社会の各分野において就労者の自国民化を進めているが、数年前にタクシー運転手から外国人を漸減させて自国民化する具体的な方策が打ち出されたときには、インドをはじめとする南アジア各国メディアのウェブサイトにて、それに関する記事がトップを飾っていた。
混乱が続くイラクで、メディア、援助、経済その他にかかわる外国人の誘拐ならびに殺害に関する報道が続いた時期があったが、同様にイラクでの運輸業にたずさわるインドやネパールのトラック運転手たちが連れ去られて殺害される事件も発生した。高いリスクを覚悟のうえで就労した人、隣国のクウェートで働くという話であったのが、実際に渡航してみると配置されたのはイラクだったという、ブローカーに騙されたケースもあったようだ。いずれにしても他の安定した国々ではなく、いまだ混迷の続く国でさえも、そこに石油が出るならば、外から人々を引き寄せる大きな力を持っていることがよくわかる。そこにくれば治安が大変良くて生活インフラも整ったアラブ首長国連邦ともなれば言わずもがなである。
ところでその『人口』は、少々注意を要する点かもしれない。湾岸産油国での人口統計には往々にして外国人、しかも期限付きで在住している出稼ぎの人々まで含まれているのは奇妙に感じる。おそらく自国民があまりに少なすぎるので、こうした人々をも含めないと国の実態が把握できないということが背景にあるのではないかと思う。
アラブ首長国連邦としての一人当たりのGDPは38000ドルとのことで、まあ『先進国並み』ということになる。しかしここには年収5000ドルにも届かない大勢の出稼ぎ労働者たちも含まれている。もちろん外国人在住者=低賃金労働者というわけではなく、様々な分野のエキスパート、専門家、経営者、投資家等も含まれているものの、大半は底辺で働く人たちということにはなる。そのためこの国では『少数派』であるアラブ首長国連邦の国籍を有する人たちだけを見れば、日本のそれの四、五倍に及ぶのではないかという説もあるが、少なくとも私たちの平均的な年収よりもよほど懐具合が良いらしいことは容易に想像がつく。つまり『はるか先進国以上』の裕福な国民が暮らす国である。
そういう経済的な要因はもちろんのことながら、近代以降におけるインドとの間の歴史的なつながりも深い。19世紀半ばから20世紀はじめにかけて、今のドバイを含むアラブ首長国連邦、オマーン、カタール、バーレーンはイギリスの保護国、当時世界に冠たる中東の貿易港アデンを擁するイエメン南部がイギリス植民地となっていた。同じ英領ということもさることながら、イギリス本国政府の植民地省の管轄ではなく、インド省の所轄で、当時のインド政府のボンベイ管区がこれに当たっていたという点も何か作用しているのかもしれない。アデンといえば、グジャラートのジュナーガル生まれでリライアンスグループの創業者ディールーバーイー・アンバーニーが仕事人としてのキャリアの第一歩を踏み出したのはまさにそこであった。
現在のエアインディアのネットワークを見ると、西方面とりわけ湾岸諸国へのネットワークが密で、主に国内線を飛ばすインディアンもこれら地域の主要都市へのネットワークを持っている。石油以前のアラブ首長国連邦をはじめとする湾岸諸国とインド西部との間には元々蒸気船の定期航路が発達しており往来が盛んであり、客船の時代が終わるとともに飛行機に取って代わられる。だが石油で潤う前の湾岸諸国とインドの立場はかなり異なるようで、当時貧しかったアラビアに様々な新しいモノをもたらしてくれる先進地がインドだったようだ。


人口のおよそ6割をインドおよびその他の南アジアから来た人々で占めており、インドないしはインド人の存在なしでのドバイはあり得ず、それがゆえに『インドで最もキレイな街』などと揶揄されることもあるようだ。今流行りのドバイの背後にちらつくインド世界の濃い影が興味深い。現地在住のインド人ないしはインド系の人々について詳細に書かれたものがあれば手にしてみたいと思っている。
カルカッタ出身の友人がアラブ首長国連邦に赴任しているうち(ドバイ首長国ではなくアブダビ首長国のほうで仕事しているのだが)にちょっと様子を見に出かけてみたいな、と思うこのごろである。 -
インド国内線 格安路線の終わりの始まりか?
2005年5月の初就航以来、インドでほぼ時期を同じくして発足した他の新興航空社同様、インターネットによる予約・発券により地上職員や施設を可能な限り省略し、保守関係も大幅に合理化するなど、基本的にはコストを思い切り削ぎ落とした格安路線を進んできた航空会社である。
しかしながら他社にはない垢抜けたイメージと高級感の演出等により他社との差別化に成功、そして積極的な新規路線参入により事業を拡大し、新興会社の中で大きく抜きん出た存在にのし上がるには長い時間を必要としなかった。さらには大手エア・デカンを吸収し、ジェット・エアウェイズに次ぐ国内線シェア第2位の大手会社となる。
今年9月からは国際線(バンガロール・ロンドン間を毎日就航)にも進出したがそれだけではない。11月にはやはりバンガロール・サンフランシスコ便の就航が予定されている。本拠地であるバンガロールを拠点として、もう少し近場の国際線つまりバンコク、シンガポール、ドバイといった路線への参入も近いのだとか。路線拡大の勢いといい、地元バンガロールの国際化の片棒を担いでいるようでもあり、もはや向かうところ敵なしといった印象を受けていた人は多いだろう。
ところが今日のヒンドゥスターン・タイムスのトップにこんな記事が掲載されていた。
『Jet, Kingfisher to fly together』 (Hindustan Times)
同記事の続き -
カシミール初の鉄道開通
鉄道大国インドに新たなルートが開通した。テレビニュースのAaj Takでは、『世界で二番目に高いところを走る鉄道』と紹介していたが、実のところはどうなのだろうか。
ともあれカシミール地方では初の鉄道となる。鉄道建設や中央政府首脳訪問に反対する勢力による大規模なバンドが実行される中、10月11日(金)の開通に際しての式典には、マンモーハン・スィン首相、ソニア・ガーンディー、ラールー・ヤーダヴ鉄道大臣といった要人たちが出席している。
2000年に建設開始したこのルートは、分離独立勢力によるものとされる攻撃等により、鉄道技師その他の犠牲者を出しながらもなんとかこの日を迎えることとなった。スリーナガル北西にあるラージワンシャルから南西方向に下ったアーナントナーグまでの66キロが開通。2009年中には、北はスリーナガル北西のバーラームーラーまで延伸し、南はカーズィーグンドまでの117キロをカバーすることになるのだという。
さらに時期はまだ確定していないようだが、やがて幹線に接続する予定とのことで、南はジャンムーまで延びることになる。従来のようにジャンムーから先はバスに揺られることなく、スムースにカシミールに足を伸ばすことができるわけだ。また天候の関係でスリーナガル発着の飛行機のキャンセルは少なくなかったが、より安定した鉄道という手段を得ることにより、インド北西部の他地域からの観光客を呼び寄せる潜在力は高いだろう。
機関車に除雪機能が付いているなど、特に冬季に対応した施設設備に力を入れているそうだ。また大型の窓ガラスを採用しており風光明媚なカシミールの景色を楽しむことができるように配慮されているというのもうれしい。
もちろん単に観光客の増加のみならず、鉄道という全国くまなく網羅する物流の大動脈と結合することによる産業インフラとしての高い価値はもちろん、インド内外から同州への投資を促す呼び水としても大いに期待されるところである。
もともと観光収入に依存する度合いが高かったカシミールだが、80年代末から激しくなった分離活動やそれにまつわる治安の悪化により訪れた『長くて暗い冬』のため、同地域の観光業は壊滅状態になっていた。ひところに比べると着実に治安の改善が見られる近年、ゆるやかに回復へと向かっているようだ。美しい盆地に恒久的な平和と、そこに暮らす人々の心の中に暖かい春が訪れることを願ってやまない。
しかし、この地域が鉄路の全国ネットワークに組み込まれることにより、中央のより強い影響下に置かれることを懸念する声もあるのだろう。『インドによる支配の象徴』と受け取ることもできる象徴的な面からも、不特定多数の人々が日々出入りするというガードの甘さからも、鉄道施設がテロの格好のターゲットとなることは容易に察しがつく。『いつ、どの駅、どの列車が狙われるか』と予想する向きもあるかと思う。
カシミール地方最初の旅客車運行ということだが、これまで長きにわたって鉄道が存在しなかったということには、その地形からくる制約等があったわけで、これを技術的に克服したインド国鉄は、栄光の歴史に新たなページを刻んだことになる。しかしながらカシミールという地域であるがゆえに、多難な前途もまた想像されるのだ。
Train to Kashmir (YouTube )
First train chugs into Kashmir (Telegraph)
※『流行のドバイの背景に?』は後日掲載します。 -
流行のドバイの背景に 1

何やらドバイがブームらしい。既存の書籍の改訂版やガイドブックの新年度版などを除いても、ここ数ヶ月の間で新たに出版された本だけでもずいぶんいろいろあるのだ。
ドバイにはなぜお金持ちが集まるのか
福田一郎 著 青春出版社
ドバイ発・アラブの挑戦―脱石油戦略は成功するか
宮田 律 著 NTT出版
アラブの奇跡 夢見るドバイ
むた あやの 著 産業編集センター
るるぶドバイ
JTBパブリッシング
地獄のドバイ―高級リゾート地で見た悪夢
峯山 政宏 著 彩図社
そういえば今年、日本では『七つ星ホテル』『世界一の高層ビル』『高級リゾート人工島』などをテーマにドバイを扱ったテレビ番組がいくつかあったらしい。世界最大級の産油国ながらも、経済面だけではなく、突如観光地としても赤丸急上昇というのはちょっと特異な現象かもしれない。
ドバイ首長国が自身を高級リゾートとして自国を売り込む戦略はもちろんのこと、近年の原油高を背景として潤沢なオイルマネーが流入し、その繁栄ぶりと変化のスピードに拍車がかかっていることから、ますます注目を浴びるに至っているのだろう。原油価格高騰は、これを輸入している国にとっては不利に作用するが、産油国自身にはまたとない好景気をもたらしている。
世界第四位の確認埋蔵量を誇るアラブ首長国連邦を構成する七つの首長国の中のひとつでありながらも、ドバイ首長国自体は『産油国』ではなく、商業のハブとして栄えている地域である。もちろんドバイへの投資もその繁栄もアラブ首長国自体の原油の魅力あってのことではあるが、脱石油依存ということで産業の多角化を推進してきており、その進展は他の中東産油国も大いに参考にしていることだろう。
日本でにわかに注目を浴びることになった『リゾート地』ドバイだが、インドでは昔から富裕層の海外旅行先として定番である。近年ボリウッド作品のロケも多いが、私たち日本人がドバイに対して抱くエキゾチックなイメージとは違って、もっと身近な感覚があるようだ。
ドバイは、内外に大いに繁栄ぶりが喧伝される大都会でありながらも総人口は140万人。なんだか少なく思えるかもしれないが、それでも1995年時点のちょうど倍であり、爆発的な拡張を続けている土地であることの証である。なにしろドバイの人口の9割近くが外国籍で、そのうち6割ほどがインドをはじめとする南アジア系の人々であり、主として仕事の関係で常に自国との間の往来が盛んに続いていることから、口づてなどでかなり事情のわかった近隣国という感覚だろう。
在住者が多いためThe Indian High SchoolやAl Majid Indian Schoolをはじめとするインド人学校もかなりあるようだ。YAHOO知恵袋の英語版YAHOO ANSWERSには、『Best Indian school in Dubai ?』という質問とそれに対する回答が出ている。

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10ルピーで健康になろう

インドの数あるグルーミング用品の中でいろいろ気になるモノは少なくないが、とりわけそのまま日本に持ってきて大いに評判となりそうなアイテムがある。2年ほど前に『舌がキレイすっきり』として取り上げてみたタングスクレーパーがそれだ。
江戸時代の日本にも一部舌掃除の習慣があったそうだが、今の日本ではあまり一般的ではないようだ。でも歯ブラシやデンタルフロスで丁寧に歯の汚れを落としたところで、舌苔がびっしりとこびりついていたらどうなのだろう。虫歯や歯周病の原因になるだけではなく、口臭の大きな要因のひとつでもあるそうだ。
朝の込み合った電車の中で、口からドブのような臭いを発しているオジサンは珍しくない。過度の酒やタバコのせいだったり、胃腸にトラブルを抱えていたりということもあるかもしれないが、舌掃除を毎日励行するだけでずいぶん違うのではないかと思う。
またインフルエンザの季節になると、舌苔は要注意なのだそうだ。風邪に限ったことではないが、雑菌やウイルスが繁殖する温床となるらしいとのことで、やはり毎日取り除くに限るらしい。ひょっとしたら新型インフルエンザが流行した場合も、舌をキレイにしておくだけで感染のリスクが多少なりとも下がるのかも?
2年前にタングスクレーパーのおかげ?なのか、毎日朝夕に使い始めた四、五年前から風邪を引かなくなったし、虫歯も出来なくなったと書いたが、その後も風邪も虫歯もなしに過ごしている。やはり舌苔は毎日掃除したほうがいいのに違いないと私は思う。
一説によると、このタングスクレーパーはインド起源なのだとか。だが事の真偽はさほど大切なことではない。注目すべきはサイズ、形状ともに使いやすく、耐久性が高くて何年間でも使える良品が、インドのバーザールでわずか10ルピー程度でふんだんに売られていることだ。あなたも一度試してみたら、日本のドラッグストアで販売されている使い勝手の悪いプラスチック製のタングスクレーパーに手を出す気がしなくなることだろう。
やはりこの形状のタングスクレーパーの良さに気が付いた業者も少なくないようで、ネット通販などで銀製やチタン製といった高級品が販売されているが、舌掃除用具なんてステンレス製で充分だ。
でもよく考えてみると、こんなに安い品であるがゆえにわざわざインドから日本に持ってきて販売してみても手間の割にはあまり旨味がないということになるのかもしれないし、利用者側にしてみても一度購入したら何年間でも使える長寿命アイテム。だからちょっと高級素材のほうが満足感があっていいじゃないか、ということになるだろう。
ともあれ、こうした『ハイエンド』なタングスクレーパーであっても、形状はインドのステンレス製のものと同じ。バーザールの雑貨屋で、最高級品と同じ機能(・・・たぶん)が手に入るのだから、ずいぶんお買い得だ。10ルピーで健康になろう! -
西葛西でディワーリー
9月は『ブラジルフェスティバル』『スリランカフェスティバル』『ベトナムフェスティバル』等毎週末いろいろな大きなイベントが入り、その締めくくりとして『ナマステ・インディア2008』が最後の週末に開催されるなど、いかにも屋外イベントの季節といった具合で、東京渋谷の代々木公園は土日ごとに大盛況だったようだ。
10月は?といえば、代々木公園イベント&フリーマーケット&フェスティバル情報をクリックしてみればわかるとおり、次第に日が短くなっていき、朝夕が冷え込む時期ということもあり、『北海道フェア』『ベジタリアンフェスティバル』といった、落ち着いた感じのプログラムが続く。
他の場所に目を移せば、横浜の山下公園で10月18日(土)および19日(日)に、Diwali in Yokohama 2008が開催されることは先日書いたとおりだが、同25日はインド人居住者が多いことでよく知られる東京の江戸川区西葛西で『東京ディワリフェスタ西葛西』が開かれるとのこと。
外での催し物にはちょっと寒い時期かもしれないが、掌の中のチャーイのカップの温かみがことさら心地よく感じられ、出来たてホカホカの料理がこれまたおいしくいただけそうな季節である。 -
チャダって誰だ?

ナマステ・インディア2008の9月27日(土)のプログラムで、『インド人演歌歌手チャダ』なる人物がステージに登場。立派な体格のスィク教徒で、日本語も上手いが歌唱力の素晴らしさに驚いた。
雄々しい風貌、黒々としたヒゲ、ターバン、威風堂々たる体躯と似つかわしくない高音域の豊かな発声で演歌という一見ミスマッチながらも、妙に板についている。またステージで歌うこと、しゃべることに慣れている具合が何とも不思議だ。
最初は『え?何だって?』とキョトンとしていた観衆も、チャダが歌い始めるとそのプロフェッショナルな歌唱力に感じ入るとともに、彼の巧みなトークにスルスルと引きずり込まれていたようだ。その模様はYouTubeに投稿された動画で観ることができる。
将来の夢は『サルダールジーになること』だという小学一年生の私の息子は『おぉ!カッコいい!』と大喜びで、ステージが終わった後にフラフラと会場脇を散策していたチャダを見つけて握手してもらうとともに、一緒に記念撮影もしてもらった。
ところでこのチャダという人物、私はてっきり日系人でもある黒人演歌歌手ジェロの人気から『二匹目のドジョウ』を狙って出てきた新手の歌い手とばかり思っていたのだが、実は1975年に大ヒットを飛ばしており、歌手引退後はビジネスの世界に転進、貿易会社を営むようになったのだという。
そして今回はなんと30年振りの芸能界復帰ということになるらしい。先述のYouTube投稿動画を再生してみると、そのことについて司会者が触れていたが、私は息子とその場に居合わせていたにもかかわらず聞き漏らしていた。
それでは彼は今幾つなのかといえば、1952年生まれで今年56歳になるとのことだが、あと4年で還暦とは思えない若々しい風貌と雰囲気だ。息子にとってチャダはすっかり『ボクのヒーロー』になっており、11月19日に発売されるチャダの『踊るマハチャダ/面影の女』を買うことになりそうだ。
『チャダ』公式ウェブサイト
チャダ:インド人演歌歌手 30年ぶり復帰
元祖外人演歌歌手チャダ、お披露目ライヴ・レポ
Let’s “一発屋”アゲイン -
10月18日(土)・19日(日)はDiwali in Yokohama 2008
9月27日(土)と28日(日)は東京渋谷の代々木公園でナマステ・インディア2008が開催されるが、10月にもインド関係のイベントが続く。横浜の山下公園おまつり広場で、『横浜インド祭Diwali in Yokohama 2008』が予定されている。
しばしステージで披露される舞踊等を楽しんでから港ヨコハマの風景を堪能すべく散歩するのも良し、元町でショッピングを楽しんだついでに立ち寄ってみるのも良し。イベントのインド料理屋台がどうのというわけではないが、すぐ近くに中華街があるのでおいしいランチをパクついてから向かうのもいいかも。
個人的には関帝廟真向かいの茘香尊酒家がとてもオススメ。本来ならばオマケのはずのスイート類まで充実しているバイキングは満足度が高い。お茶まで非常に美味で、とかく隙や手抜きのないサービスが嬉しい。
あるいはイベントのついでに山手の洋館めぐりもいいかもしれない。でもとかく気候の良いこの時期なので、山下公園のイベント会場の芝生の上でゴロンと寝転がり、空をゆっくり流れていく雲を眺めているにもまた気持ちがいいことだろう。
