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カテゴリー: column

  • トイレ 洋の東西をひとつに 2

    自らの奥行き深い文化に加えて、長い歴史の中で周辺地域から大小さまざまな影響を受けつつも、それを借り物としてではなくじっくりと消化して独自のものとしてきたインド。絵画、音楽、建築、言語etc…どの分野においてもそうしたハイブリッドさが顕著で、インド文化のリッチさや多様性をするひとつの要素といえる。
    さて突然卑近な話で恐縮ではあるが、私たちが日々使用するもののうち、私が心底惚れ込んでやまないものがある。それはこれだ。
    その名も『ユニバーサル』!
    昔々からある便器だが、まさにインドだからこそのアイデアと社会的な実情に対応した高い機能性を実現している。このタイプのものが果たしていつ考案されたのか知らないが、トイレ事情に関する深い考察と旧習にとらわれない柔軟な思考なしでは成しえない偉業ではないだろうか。
    メジャーなところでHSIL社から『ユニバーサル』という商品名で、またReliance Sanitarywares社からは『アングロ・インディアン』という名前でそれぞれ販売されているが、どちらもズバリ的確なネーミングがなされている。このトイレについて、私なりの考えをまとめてみたので後日掲載することにする。

  • 黄金のベンガルに白亜のタージ

    野次馬根性が大いにかきたてられるニュースだ。ぜひ訪れてみたいと思う私である。偽モノ、贋作、B級品が大好きな私には耳寄りのニュースなのである。
    BBC NEWS South Asiaにて、バングラーデーシュでこのほどほぼ完成したタージ・マハルの原寸大とされるレプリカのことが取り上げられていた。
    Bangladesh to open own Taj Mahal (BBC NEWS South Asia)
    17世紀に建設されたムガル建築の至宝、タージ・マハルがダッカ近郊にオープン!するのだとか。イタリアから輸入した大理石と花崗岩、ベルギーから取り寄せたダイヤモンドも使用し、5年間の歳月と費用5800万ドルをかけたというそのレプリカは、バングラーデーシュ首都ダッカからクルマで1時間ほどのところにあるショナルガオンにて、ほどなく完成の時を迎えようとしている。
    ここは旧領主の豪壮な館など見どころの多い観光地だが、さらにもうひとつの『名所』が加わることになり、まもなく国内外の旅行案内などにも掲載されるようになるのだろう。工事の施主は同国の映画製作者であるというから、作品の撮影にも頻繁に利用されるようになるのだろうか。
    レプリカの廟の全景の写真は、以下の記事に掲載されているのでご覧いただきたい。
    A New Taj Mahal in Bangladesh (rongila.com)
    自国の観光シンボルマーク的な建築物のそっくりさんが出現したことついて、在ダッカのインド高等弁務官事務所(大使館に相当)はご機嫌斜めのようだ。『コピーライトの関係で問題ないか調査する』とのこと。
    A replica of the landmark Taj Mahal (YAHOO! NEWS)
    India fumes at duplicate Bangladeshi Taj Mahal (Hindustan Times)
    『コピーライト』を理由にクレームをつけることが可能なのかどうかはさておき、歴史や文化など共有するものが多い南アジアの御三家。その真ん中に位置し、偉大なる遺産の相当な部分を継承した貫禄ある長兄として、大目にみて欲しいものだ。いかに似せてみたところでレプリカはレプリカに過ぎない。歴史的な価値という点からは比較のしようもないのだから。
    一野次馬としては、全体のプラン、庭園、建物の外装・内装等々、どれほどリアルに再現してあるものなのか、その出来具合には大いに興味を引かれるところだ。最近インド各地で新築ながらも『ヘリテージ風』の建物のホテルなどがある。これらがなかなか立派に造ってあることを鑑みれば、本物同様の細微な象嵌細工は期待せずとも、遠目にはまずまずのレプリカは可能なのではなのかもしれないが、いかんせん実物大というところに期待して良いものなのか、果たしてそうではないのか?
    だが仕上がり具合以上に気にかかるのは、5800万ドルもの大金をかけてこうしたものを造ったアサヌッラー・モーニー氏の目的や動機とその資金の出所である。記事にあるがごとく単に『実物を見る機会のない人たちのため』にこれほどまでのものを用意するものだろうか、気前よくポンとお金を出すスポンサーがいるものなのか。じきにレプリカ建築の背景に関する詳報がどこかから出てくるのを待つことにする。
    なお先述のBBCは同記事中で、ここを訪れた人、近々訪問する人に対して写真またはビデオの投稿を呼びかけている。現在バングラーデーシュにお住まいの方、これから同国に出かける予定のある方は、首都ダッカからちょっと足を伸ばしてみてはいかがだろう?

  • やっぱり良さそう マイクロフォーサーズ

    マイクロフォーサーズ
    先日『何だかいい予感 マイクロフォーサーズ第1号カメラ
    で取り上げてみたパナソニックのルミックスG1だが、現在次のようなレンズの発売はすでに確定(時期未定)となっているようだ。
    ・14 – 140mm F.4.0〜5.6
    ・7 – 14mm F.4.0
    ・20mm F1.7
    とりわけ気になるのは20mm F1.7のパンケーキ(薄型)レンズ。35mm換算で40mm相当の画角となるのだが、F.1.7と明るいこともあり、さまざまな用途で大いに活用できそうだ。
    また7-14mm F4.0という同じく35mm換算で14 – 28mmという超広角ズームもとても気になるところ。
    現在発売されているマイクロフォーサーズ規格のボディは、まだルミックスのG1のみ、レンズも14-45 F3.5〜5.6と45-200 F4〜5.6の2本のみだ。今のところ関心はあっても様子見をしている人たちも、今後のシステムの充実具合の目処がある一定のところまで達すれば、一気にユーザーが増えるのではないかと思う。
    もちろんこのG1そのものがというわけではなく、これに続く新機種やマイクロフォーサーズの提唱企業であり、今後この規格のカメラを市場に送り込むことを予定しているオリンパスの製品を含めた新商品がという意味である。 ただしオリンパスで開発中の機種はパナソニックのG1のような一眼タイプのモデルではなく、ファインダーを省略したコンパクトデジカメがレンズ交換可能になったような感じのものらしい。
    従来のAPS-Cセンサー搭載のカメラに比べて、ボデイ・レンズともに相当な小型軽量化が容易となるマイクロフォーサーズのモデルだ。私がこれまで期待していたハイエンドなコンパクトデジカメの潜在的な需要を大きく削り取ることもさることながら、従来のデジタル一眼レフのとりわけ入門機のようにコンパクトさを売りのひとつにしているタイプのモデルのシェアに大きく食い込むことも予想できる。
    マーケットがそれなりに成熟してくれば、機能的には中級機に相当するモデルもでてくることだろう。それにマイクロフォーサーズのオリンパス、パナソニックどちらのカメラあるいはレンズを購入しても相互に互換性があるのも魅力だ。
    マイクロフォーサーズ規格のカメラを製造ないしは開発しているメーカーは、現在オリンパスとパナソニックだけであり、どちらもこの分野ではメジャーではないのだが、『旅行カメラ』としては非常にいい線いくのではないかと予想している。
    パナソニックのG1に関していえば、従来の一眼にはなかった弱点がある。それは連写に弱いことだ。このクラスのカメラならば1秒間に3枚という数字は別に悪くはないと思うのだが、光学ファインダーではなく液晶ビューファインダーになっているため、連写の際に最初のコマの像がそのまま残ってしまい、動きのあるものが被写体の場合これを追尾するのが難しくなる。
    これは液晶ビューファインダーの宿命なのか、それとも今後解消ないしは改善可能なものなのかどうかはわからないが、スポーツや舞踊といったものを撮影するのでもなければ特に問題にはならないのではないだろうか。
    また先日触れなかった利点としては、G1には搭載されていないものの、マイクロフォーサーズは一眼タイプのカメラに動画撮影機能を盛り込むことも想定してあるため、写真のみならず動画についてもコンパクトデジカメとは段違いの質と操作性をもっての撮影を可能とするようだ。この部分についてはG1の後継機ないしはオリンパスからの第一号機に期待したい。
    先ほども触れた今後のレンズ群の充実次第、続いて出てくるボディの完成度次第で一気に売れ筋となると思われるのがこのマイクロフォーサーズ。
    もちろん現在発売されているパナソニックG1と14-45mm(35mm換算28-90mm)および45-200mm(35mm換算90-400mm)の組み合わせだけでも、今年発売されたカメラの中では旅行用および常日頃携帯するカメラとして最も魅力的なのではないかと思う。

  • テロ後 インドのメディアに思うこと

    人質を取ってのハイジャック、立てこもりといった事件の質が前世紀とはずいぶん違ってきた21世紀である。従前は、犯行グループが自らの主張を世間に広めたり、政府等への要求を通したり、取り引きしたりする材料として人質を必要とし、そのためにこうした事件を起こすケースが多かった。もちろん以前から爆破テロはあったし、ハイジャック等で人質になることにより、命を落とす人も少なくなかった。
    しかし今ではどうだろう。2001年9月11日にアメリカで起きた同時多発テロから始まって、先日のムンバイーの事件にいたるまで、対象となる政府なり機関なりといった当局に対する要求もないままに、破壊行為と人々の生命を奪うことのみが目的であるような事件が増えた。それらの多くは犯行声明なしの、誰が何のために起こしたのかわからない『無言テロ』でありながらも、凄惨な場面がメディアを通じて現在進行形で伝えられるという、姿は見えるが肝心の顔は見えないという特徴を持つ。
    先日のムンバイーにおけるテロの際に、『デカン・ムジャヒディーン』を名乗る団体からの声明はあったものの、そういう団体はこれまで把握されておらず、実際にどのグループが事件を起こしたのかよくわからず、目下ラシュカレトイバが最有力視されているのが現状である。
    自国内でテロがあってもその実情は国内外になかなか伝わらない、政府当局により今でも相当厳しくコントロールされている中国と違い、様々なソースの情報にアクセスしやすいインドは対照的だ。報道の自由度の高さという点でもメディアに対する管理がきつい国の多いアジア諸国の中では飛び抜けている印象がある。
    しかしその自由が放任されていること、主要メディアの多くが大資本の元にあることから、常に公平不偏であることを期待できるものか疑問な部分もあることなどもある。そして特にニュース番組に見られる露骨な商業主義もどうかと思う。言葉を変えていえば、あまりにも良くない意味で『大衆的』に過ぎるのだ。
    そうしたニュースチャンネルで『今日のプログラムについて最も興味深かったものを選んでSMSで投票してください』なるアナウンスが流れることがある。どういうニュースが好まれるか、どういうスタイルでの報道が注目されるかという調査なのだろうが、そもそも世の中で起きていることを正確に伝えるのが報道の仕事のはずであり、受け手が喜ぶものばかりを取り上げるのがそのありかたではないはずだ。
    人々の身の回りで起きたセンセーショナルな犯罪を取り上げるテレビ番組の中で、ガラの悪い男性アナウンサーやたらと扇情的な声色で感情的なアナウンスをしたり、たいした内容でなくともやたらと『Breaking News』のテロップを多用して視聴者を引きつけようとしたりするのも気にかかる。常日ごろからこういうのはいかがなものかと思っていたが、今回のような大きな事件が起きると、なおさらのことそういう好ましからざるスタンスばかり目に付くようになる。
    今回ムンバイーで起きた事件にしても、治安当局による捜査等の進展を飛び越して、各メディアによる出所や事件との関連についての『速報』の類が相次いでいる。それは『テロリスト上陸の際のパーキスターンの海軍によるサポート』であったり、『ラシュカレトイバの戦闘訓練基地でのトレーニングの様子』を撮影した資料映像であったりする。
    とかくテロリストたちの行為とパーキスターン政府の密接な関与を示唆する内容が多く見られる。テロリストたちが隣国パーキスターンから来たということはほぼ間違いないようだが、当のパーキスターンではムシャッラフ前大統領自身も幾度となく原理主義過激派による暗殺の危機に見舞われていたことを忘れてはならないし、現在の大統領のザルダーリー氏の妻で、元首相のベーナズィール・ブットー氏も昨年12月に選挙遊説中に暗殺されている。パーキスターン当局がテロリストと一体であるという見方はあまり正当ではない。
    もちろん軍所轄の情報機関であるISIに対する政府の統制が行き届かないことから、彼らの関与については常々言われていることであるのだが、現在はまぎれもなく『文民政権』であるパーキスターン政府自身は、本来ならばインドと手を携えてテロ防止にあたるべきパートナーなのだ。 誤報・虚報を恐れず世の中に発信していく姿勢も大切なのかもしれないが、各報道機関は社会の公器として、あまりに先走りすぎて人々の目を惑わすことのない報道をしてもらいたい。
    また国境を挟んで東西に広がるそれぞれ『主権国家』としてのインドとパーキスターンだが、これを機会にテロへの対応にかかるこれまでの国境を境にした『縦割り行政』の弊害から脱して、両国が力を合わせてそれぞれの国民の安全を守るために努力してくれないものだろうかとも思うのだ。

  • 愛しのドリアン

    ドリアンの花
    この写真を見て何の花だか即答できるとすれば、相当好きな方だろう。何が好きかといえば果物の王様ドリアンのことである。ちょっと前の記事ではあるが、こんなニュースがあった。
    沖縄で初めて「ドリアン」の花が開花−果実の収穫にも期待 (石垣経済新聞)
    もう何年も前に石垣島在住の友人から『今にここから国産ドリアンが出るよ』という話は聞いていたが、『南国』の沖縄南部とはいえドリアンが結実するのはそう簡単なことではなかったようだ。 それが実現したとしても、日本で収穫されたドリアンとは、いったいどのくらいの価格で市場に出ることになるのだろうか?
    ドリアンが大量に産出され、これまた大量に消費されているのは東南アジアだが、実はインドでもゴアにように南部の湿潤な気候の地域では野生のドリアンが人知れず実を付けながらも、その美味なる果実を賞味されることなく腐らせている。
    タイやインドネシアで商業作物として栽培されている品種と違い、ドリアンの野生種はかなり小粒で、しかも果肉部分が少なかったりする、味は決して市場に出回るそれに引けを取らないらしい。
    結実はおろか、開花することさえないだろうが、私も実は自宅に樹齢2年目のドリアンを一株持っている。こじんまりと鉢植えにしてあるのだが、ツヤツヤとした濃い緑の葉がなかなか美しい。
    ドリアンの種は発芽率が非常に高く、生命力の強い植物のようだ。おそらく東京の寒い冬でも室内に入れてやればちゃんと越冬できるのではなかろうか。おいしい果実を平らげた後は、観葉植物として育ててみるのはいかが?

  • ムンバイーのテロ 『事件後』もさらに怖い

    こうして書いている今も『BREAKING NEWS』のテロップとともに『テロリストが手榴弾を投擲』『コマンドーが反撃中』『タージのボール・ルームで掃討作戦中』といった文字が画面に浮かんでは消えていく。
    相当中の人質は解放されたが、30名近くの遺体がオベロイ・ホテルの建物の中で確認された模様。まだ事件は進行中である。ニュースで写し出されるタージ・ホテルとナリーマン・ハウス(ユダヤ教施設)の映像から銃声が響く。
    すでに多くのメディアに流れているテロリストたちの一味の中の幾人かの姿は、原理主義者然としたヒゲを生やしているわけではなく、恐ろしい面構えの居丈高というわけでもない。口ヒゲさえ蓄えずにきれいに剃られた、ごく普通の都会の若者といった感じであった。
    その辺の大学のキャンパスにでもいそうな感じの男の子が、冷たく黒光りする機関銃を握っているという『現実』にとまどうのは私だけではないだろう。
    情報もかなり錯綜しているようだ。ついさっき例の『BREAKING NEWS』で、市内の××で、そして××でも銃声だの銃撃戦だのというテロップが流れていたが、そのしばらく後に画面に登場したリポーターは、『テロリストに占拠されている地点以外でも銃声がというデマが流れていますが信用しないように』などとしゃべるなど、かなり分裂気味な報道。
    加えて『アメリカのFBIのチームがインドに出発』と報じられた数時間後には、プラナブ・ムカルジー外相が『我々は自前の情報機関に自信を持っており外国からの干渉は不要である』と否定する模様が流れており、何だかよくわからない。
    とにかく新しいニュースをと急くあまり、未確認情報も含めて電波に乗せてしまっているらしい。CMから番組に戻る際の導入部に煙を上げるタージ・ホテルの休館の画像の背景には、よく映画で用いられる派手な効果音が響いているのは不適切ではなかろうか。
    ホテルの外、少し距離を置いて遠巻きにしているメディアのクルーたちの物々しい数を見ると、どの局も他がまだ取り上げていないニュースを一番に!と過熱するのもわかる気がする。何しろニュース番組を点けてみると、昨日からずっとこのたびのテロの報道ばかりなのだから。
    そんな中、『首相がパーキスターンにISI長官の訪印を要求』というニュースが流れる。肯定的に言えば『テロに対して共同して対抗できるよう情報交換をいたしたい』ということであっても、実態は『貴国は関与を否定しているが信用ならん。そちらの情報機関の長から直々に話を聞こうじゃないか』ということになるだろう。
    後から後から続くテロに業を煮やし、さらには今回のような大きな事件が起きて面目丸つぶれのインド政府とりわけ与党の立場もわからなくもない。だがこうした高飛車なスタンスは当の相手国に受け入れられるものなのだろうか。
    2001年12月のインドの国会襲撃テロ事件の後、まるで急な坂を転げ落ちるように印パ関係は悪化の一途をたどったこと思い出す。半年も経たないうちに開戦の危機が伝えられ、核戦争の可能性さえもささやかれるようになったのは、そのテロ事件がきっかけだった。
    当時の報道を見ていて非常に気にかかったのは、隣国を叩けというムードで紙面が一杯で、臨戦態勢に疑問を投げかけようとする論調がほとんど見られなかったことである。各政党も同様で、当時与党にあったBJPの『弱腰』をなじるのは共産党を含めた野党勢力どこも同じであった。ブレーキの壊れた暴走機関車みたいな印象を受けた。
    今のコングレスを中心とする連立政権の治世の下、各地で続く大小の規模のテロそして外来勢力ではなく、インド人自身による犯行が増えたため『テロの国産化』が懸念される中、内政面での不手際を批判される機会が増えた。内務大臣のシヴラージ・パーティルもとりわけ今年7月にバンガロール、アーメダーバードと続き、しばらくしてからデリーでテロがあった際にはクビが飛んでもおかしくない立場にあったようだ。
    折しも今のインドはまさに政治の季節に突入したばかり。現在進行中のデリー、ラージャスターン、チャッティースガル等六つの州議会の選挙に加えて、来年5月までには国政選挙が行なわれる予定。
    本日のメディアに対する当局の発表の中でこういう発言があった。
    『すでに警察の手には様々な情報が集まっている。それらについては慎重に分析・調査をしたうえで皆さんにはお伝えする予定である。現在拘束している犯人の国籍はパーキスターンであるが、今はこれ以上の発言は控えさせていただく』
    さらに何か具体的な発言を求めて食い下がるメディアに対する当局の担当者の対応はこうだった。
    『それではみなさんにこれだけは言いたい』
    彼は一呼吸置いて大声で叫ぶ。
    『バーラト・マーター・キー』
    これに応えて周囲の報道マンたちが声を合わせる。
    『ジャーイ!』
    まるで映画の中のひとコマみたいだ。
    任期切れを前に州民、国民たちの審判を待つ各政党。急速に勢いを失いつつある経済にかわる問題に加えて、治安対策とりわけテロ問題にどう取り組むかという点がひとつの重たい争点になるはず。
    短期的には、今回の出来事で直接関与していなくとも、自国領でインドに対する破壊活動の準備を黙認している隣国に対して『どうオトシマエをつけるんだ、コラァ!』と迫ることも当然重要視されるだろう。
    選挙のための人気取りに腐心する政党と、インスタントな結果を求めるメディア、功を求めて先走り、民心を必要以上に煽る報道・・・。それらから流れる情報、言い訳、主張その他様々な声を耳にする国民の多くはいったい何を思うのか。
    11月26日の夜9時過ぎの事件発生から28日夕方の今まで、今回ムンバイーで起きたテロはすでに足掛け3日も現在進行形でメディアに映像を提供し続けている。『事件が生放送される』という点では、発生後まもなく鎮圧された2001年の国会襲撃事件よりも、はるかにインパクトは強い。国際的な注目度もこちらのほうが上だろう。
    事件は明らかに終盤に入った模様だ。だがこうしている今も現場からのレポートは続いている。今回の出来事が終結する前からこんなことを言うのは気が早いかもしれないが、このテロ事件について政治的(内政的にも隣国との間についても)どういう形で清算しようということになるのか、とても気にかかるところである。
    パソコンのキーを叩いていると、画面の向こうでマイクを握ったレポーターが大声で叫ぶ。『カメラを持った西洋人女性が肩を撃たれました。フリーランスのジャーナリストと思われます』
    テレビ画面の右下には『インドの9/11』というタイトルが入っている。アメリカの9/11は、世界で実に多くのことを変えた。アフガニスタンやイラクにいたっては、これを機にアメリカにとって目の上のタンコブだった政権まで力で壊滅させられた。
    インドの『11/26』の後に続くものは何だろう。憂いが杞憂に終わるように祈りたいものだ。まさにこういう危機にこそ、世界最大の民主主義国家を自負するインドの叡智に期待したい。
    ・・・と、ここまで書いたところでテレビから『ナリーマン・ハウス制圧』を伝えるアナウンサーの声が聞こえてきた。いよいよ事件終結まであと一息といったステージに来たようだが、この事件の終わりが新たな大きな不幸の始まりでないことを切に願うばかりである。

  • ムンバイーのテロ 失うものはあまりに多く、あまりに大きい

    ついさきほどアップロードした『退屈は幸せだ』の続きである。
    本日、11月27日に元首相のV. P. Singhが亡くなった。それがごく小さなニュースに見えてしまうのは、現在進行中のムンバイーでのテロ事件のインパクトがあまりに大きいがゆえである。
    現在までのところ、デカン・ムジャヒディーンという聞きなれない名前の団体が犯行声明を出しているものの、おそらく偽名に違いないとするのが大方の意見のようだ。アルカイダによるものではないかという推測、インディアン・ムジャヒディーンのことではないかと疑う説なども出ている。
    だが今の時点ではテレビニュースで真実味をもって語られているのが、カラーチーからやってきてグジャラートに上陸した男たちが昨夕ムンバイーに到着し、深夜前後から犯行を開始したという説だ。
    武装した男たちの集団が一気に突入して無差別銃撃を開始、武力でターゲットを占拠してメディアのカメラを目の前にして、時間をかけて人々に最大限の恐怖心を与えたうえであげくに玉砕という、テロ行為の多くの部分が『中継される』というヴィジュアルな効果を計算したうえでの新しいパターンのように思える。
    またある種特別な場所でありながらも、宿泊客以外の不特定多数の人々がごく普通に出入りするのが当たり前で、そこを舞台に大きな事件が起きれば世間の注目も大きな高級ホテル、しかも国際的にも有名な五ツ星ホテルを標的にするというのも、今後の『トレンド』になるのではないかという悪い予感をおぼえるのは私だけではないだろう。
    21世紀に入ってから最初の9月に起きたアメリカの同時多発テロその他の航空機を狙ったテロが続いた後、乗客に対するセキュリティチェックはかつてないほど厳しくなった。その結果、以前のような大胆な犯行は実行しにくくなっている。そこにくると相変わらず『甘い』のは、常に不特定多数の人々が出入りする都市におけるセキュリティである。
    その『危険に満ちた』街中で、バーザールの一角を吹き飛ばすよりも大きな効果が考えられるのは、やはり有力者、セレブな人々、富裕な外国人が出入りする特別な空間ということになるだろう。
    昼間、今回の事件に関する報道を読んでいると、犯行グループは現場でアメリカ人とイギリス人を特に重点的なターゲットとしたことを示唆する記事が複数あった。まともな考えを持つ人にしてみると、国籍を理由に狙われるなどということは、あまりに不条理に過ぎるが、彼らにとってはどちらも『象徴的』な意味があるのだ。そのためにも国際的に広く知られた高級ホテルという場所は都合が良いことになる。
    国外に与えるネガティブな印象も相当なものだろう。本来ならば『セキュリティがしっかりしている』とされる最高級ホテルを舞台に未曾有の惨劇が展開された。本来ならば街中でヨソ者にとってもっとも安全であるはずの空間が最も危険な空間に早変わりしてしまった。
    その結果、普段インドとの関わりがない国外の人々に対してこの事件ひとつで『恐ろしく治安の悪い国』というイメージを植えつけることになる可能性が高いことは容易に想像できる。
    現場となったふたつのホテルに至っては、事件後に原状復帰してみたところで、商売にならないのではないだろうか。元々の姿を感じさせないほどの大規模な改修をするか。あるいは建て直しでもしないとこれまでのような形では営業できないのではなかろうか。

    (さらに…)

  • 退屈は幸せだ

    新聞であれ、テレビであれ、ニュースが退屈なものであるときほど、実は『良い時』なのだと思う。手にとってみて、そこに書かれているものがルーティーンな内容で、退屈のあまりすぐに投げ出してしまうようなときは、少なくとも悪いことは起きていないわけだ。思わず目を見開いてしまうような、かじりついてしまうようなセンセーショナルな報道といえば、たいていが非常に好ましくないものであることが多い。
    今日もやはりそうだった。9月26日深夜前後から本日にかけて進行中のムンバイーでの連続テロ事件の報道がそれだ。今日の午後はずっとZEE NEWSやAAJ TAKといったニュース番組にかじりついている。ムンバイー市内のタージ・ホテル、オベロイ・ホテル、ムンバイーCST駅構内等で起きた一連の惨劇。これを書いている現在も、2軒の五ツ星ホテルでは人質の安否が危ぶまれるとともに、コラバ地区のナリマンハウス付近でも銃撃が続いているとか。
    すでにタージ・ホテル内だけでも80人もの死者が出ており、363号室にテロリストたちが隠れているらしいなどとアナウンサーは伝えていた。それからしばらくして建物内に治安当局が入り込んで片端からドアを開けて、出るに出られずにいた宿泊客を救出が始まったようだ。
    押しても引いても開かないドアの中には犯人たちが潜んでいるのではないかという疑いがあり、そんな部屋のひとつ471号室に突入した治安要員たちが中にいた犯人の一人を銃殺したという。
    血なまぐさい事件が画面の向こうでリアルタイムで進行しているという緊迫した状況で、ふと思い出すのは2001年9月11日にアメリカで起きた同時多発テロ。
    『WTCのツインタワーのひとつに航空機が衝突する事件が起きました』というアナウンスから始まったあの日のニュース。その直後に2機目がもうひとつのタワーに接近して衝突して大きな火花を散らす。そのときテレビの報道番組を見ていた人たちが皆、事件の目撃者となった。手段は違うが、画面の向こうから感じるのは、まさにあのときと同じ空気だ。
    それにしても今年はずいぶん多い。後半部分に限っても、これだけの大きなテロが発生している。
    10月30日 アッサム東北部 64名死亡
    9月30日 インド西部 7名死亡
    9月27日 デリー 1人死亡
    9月13日 デリー 18名死亡
    7月26日 アーメダーバード 49名死亡
    7月25日 バンガロール 2人死亡
    5月13日 ジャイプルで63名死亡
    現在進行中のテロ事件の早急な鎮圧と背後関係等に関する解明を望みたいところだが、それが明らかになったところで、根本的な解決などありえないことが、一番難しいところだ。社会に不安と秩序の乱れを、そしてコミュニティ間に対立や猜疑心を与えることは避けられないだろう。
    悲哀と混乱を闇であざ笑う何者かに対して、私たちはかくも無力なのか。底知れぬ悪意を抱く者たちに行為に対して、私たちはただ黙ってそれを受け入れるしかないのだろうか。
    あるいはこれを悪魔の仕業とするならば、良き市民たちはそれを神から与えられた試練と受け止めるのしかないのか。
    ニュースが退屈であることは、実は幸せであること、ごく何でもない日常がどんなにありがたいことか、改めてしみじみ感じる。
    TERROR STRIKES MUMBAI AGAIN, OVER 100 KILLED (ZEE NEWS.COM)

  • 自由の女神は微笑むのか?

    ダース・ローマシュ匡選手といえば、元甲子園球児、そして現在日本ハムファイターズ所属で、インド系初のプロ野球選手として知られているが、今度はなんとアメリカのパイレーツが二人のインド人投手とマイナー契約を交わしたのだという。
    そして驚いたことにこの二人のインド人選手、今年に入るまで野球の経験はまったくなく、陸上の槍投げの選手であったという。
    左からディネーシュ・パテール、リンクー・スィン
    そもそもこのふたりはテレビの『Million Dollar Arm』コンテストに応募して勝ち残り、今月アリゾナで行われたメジャーリーグの適性試験に合格してマイナー契約にこぎつけたとのこと。
    この19歳(ディネーシュ・パテール)と20歳(リンクー・スィン)は、テレビのリアリティ・ショーが生んだ人材であること、初めてのインド人選手であることなど、話題性だけが一人歩きしている観がある。
    そもそもこの年齢になるまで野球を経験してこなかった者がプロの世界でモノになるのか大いに疑問だ。メジャーリーグの適性試験というのがどういうものだかよく知らないが、ただ速い球を投げることができるだけの若者たちが、この世界で生きていけるとは到底思えないのだ。多少なりとも野球を知っている者ならば、これがそんなに底の浅いスポーツではないことがよくわかるだろう。
    だが、おそらく世間の大体数の人々のネガティヴな予想を裏切り、目を見張るような大躍進を見せてくれるようなことがあれば、とても嬉しいであろうことは言うまでもないだろう。コチコチに固まった常識を覆すような奇想天外な展開がごくたまにあるからこそ、この世の中というものは面白い。
    果たして、インドからのふたりの挑戦者たちに自由の女神は微笑むのか。
    Pirates sign 2 Indian pitchers (startribune.com)

  • キリノッチはどうなっているのか?

    今年後半に入ったあたりから、インドのニュース雑誌その他のメディアでしばしばスリランカの内戦にかかわる情勢が取り上げられる機会が増えたように思う。それはすなわち戦況に大きな転機が生じているためだ。
    昨年春にLTTEがコロンボにある国軍施設に空爆を加えた際、世界でも珍しい反政府軍所有の航空機による政府側に対する攻撃として注目を集めたとき以上のものがある。
    2000年以降、政府との間の停戦、2003年の和平交渉においては、それまで堅持してきた分離独立を求める姿勢を改め、連邦制を敷くことに合意するなど、後に紆余曲折はあれども、内戦の終焉へと向かうのではないかという観測もあったが、そうはならなかった。
    2004年にはLTTE内での分裂により、それまで9,000名を数えるとされた兵力が半減し、相対的に弱体化の様相を見せる中、2005年に現在のマヒンダ・ラージャパクセ大統領就任直後から連続したテロ攻撃をきっかけに内戦が再燃、しばしば報じられているとおり、今の大統領はLTTE掃討について積極的な姿勢で臨むようになっている。
    LTTEは、最盛期にはスリランカの北部および東部のかなりの部分を制圧しており、その地域はスリランカ北西部からぐるりと海岸沿いに、彼らの本拠地である国土の北側沿岸地域を経由して、東部海岸地域にまで至っていたものだ。しかし現在ではかなり縮小しており、ジャフナ半島付け根の南側地域を実効支配するのみだ。
    近ごろ政府軍が有利に展開を続けていることを背景に、大統領はLTTEを軍事作戦で壊滅させることに意欲と自信を深めているようだ。
    大統領は、LTTEとの戦闘状態について、『内戦ではない。テロリストへの掃討作戦である』という発言をしていることからもわかるとおり、従前の和平交渉での相手方当事者としてではなく、『犯罪者』として相対していることから、そこに妥協や交渉の余地はなく、力でもって叩き潰すぞ、というスタンスだ。
    いよいよLTTE支配地域の事実上の首都であるキリノッチへの総攻撃も近いとのことで、インディアトゥデイの11月10日号に関連記事が掲載されていた。
    Cornering Prabhakaran (India Today)
    ところで、この『首都制圧作戦』は、すでに昨日11月23日に開始された模様だ。
    S Lanka attack on rebel ‘capital’ (BBC NEWS South Asia)
    その情勢については、Daily Mirror他スリランカのメディアによっても伝えられることだろうが、そうした政府側とは対極にあり、LTTE地域の内側からの情報を伝えるTamilNetに加えて、近隣のメディア大国インドからの関連ニュースについても関心を払っていたいところだ。
    正直なところ、スリランカの政府軍についても、LTTEについても個人的にはさほど関心がないのだが、こういう大きな軍事作戦が展開していることについては、とても気にかかっている。
    後者について強制的に徴用された少年兵の存在もさることながら、同組織による支配地域に住んでいるからといって、すべての住民たちが心の底からLTTE支持というわけでもないだろう。政府に不満を抱きつつも、LTTEに賛成という訳でもない・・・といっても、自分の居住地が彼らの支配下にあれば、その権力に従うほかにないのだ。
    もちろん国情、経済状態その他によってその度合いや政治への参加意識はかなり違ってくるにしても、日本人である私たちも含めて、世の中の大多数の人たちにとって、最大の関心ごとといえば自分自身の将来、家族、友人、恋人、学校、仕事、趣味等々いった、自らの身の回りのことだ。
    政治云々についてはそれを仕事にしているのでない限り、自分や家族のことよりも、国や地域の政治が優先、寝ても覚めても政治のことで頭が一杯なんてことは普通ありえないだろう。
    そもそも人々がまともに暮らしていくために政府や政治というものがあるはずだ。その『政府』による武装集団、つまり軍隊が自国民の町を襲う、『政治』が人々の平和な暮らしやその命までをも奪うという事態が進行中であることについて、またこの『内政問題』について各国政府が黙認していることを非常に残念に思う。

  • 何だかいい予感 マイクロフォーサーズ第1号カメラ

    ルミックス G1
    10月31日に発売されたパナソニックのルミックスG1はなかなか評判がいいらしい。私自身も店頭で実機を触ってみたが、思いのほか良い印象を受けた。
    マイクロフォーサーズという新しい規格による初めてのカメラで、今の時点でボディサイズが世界最小というが、今はAPS-C規格のカメラも相当小型化しているものがあるので、さほどびっくりするほどではなかった。
    だが搭載しているセンサーが4/3インチと、従来のフォーサーズのものと同じサイズながらも、フランジバックつまりマウントからセンサーまでの距離をフォーサーズの約半分に縮め、マウント外径を約6ミリ縮小するというもの。
    結果としてボディを薄くすることが可能となり、レンズも相当軽量・小型にできるという利点がある。ボディとレンズを組み合わせた際のトータルな大きさと重量には、それを始めて手にした誰もが目を見張ることだろう。
    もちろんセンサーが小型であることについては、画質とりわけラティテュードの幅、高感度設定時の荒れという部分において、少なくとも同世代・同クラスのAPS-C以上のセンサーを持つカメラと比較すれば不利になるのではないかと思うのが当然だが、このあたりの使用感について購入された方にうかがいたいと思う。

    (さらに…)

  • 『ミッドナイト・チルドレン』銀幕へ

    ムンバイー出身の英国籍インド人作家、サルマーン・ルシュデイーの代表作のひとつである『ミッドナイト・チルドレン』がディーパ・メヘター監督により映画化されることが決まった。ナンディター・ダースとシャーバナー・アーズミーの出演が決まっているようだ。
    サルマーン・ルシュディーといえば、自身の著作『悪魔の詩』内の描写や表現等がイスラーム教を侮辱しているとして、1989年に当時イランの最高指導者であったホメイニー師のファトワーにより、死刑宣告がなされた。その後彼はイギリスの警察による庇護を受けることになる。またこの作品の翻訳者たちが各国で重傷を受けたり、殺害されたりという事件が続いた。日本でも和訳を出した筑波大学の教授が何者かの襲撃により命を落としている。
    今回映画化されるミッドナイト・チルドレンにしてみても、当時ネルー=ガーンディー王朝と揶揄されていた政権に対する強烈な批判が含まれているとされ、インド国内においてはなかなかムズカシイところもあったようだ。
    とかく敵の多いこの作家。作品の映画化について、思わぬところから横ヤリが入ったり、撮影や出来上がった作品の上映を暴力的な手法で阻止しようという動きが起きたりすることもあるのではないか、とボンヤリ思う。
    しかし映画そのものの良し悪し以外についても、批判・脅迫含めて周囲でいろんな動きが展開していくとすれば、サルマーン・ルシュディーらしくもあり、ディーパ・メヘターらしくもあるなぁ、と無責任な野次馬は考えるのである。
    ともあれ、良い作品に仕上がることを期待したい。
    Midnight’s Children to be a film (BBC NEWS South Asia)