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カテゴリー: column

  • 軍人ガーンディー

    ちょっと古いもので恐縮だが、昨年12月22日のヒンディー紙『サンマールグ』にてこんな記事があった。
    1889年に英軍に所属していたマハートマー・ガーンデイー
    救護部隊所属で優れた業績により表彰
    非暴力運動の指導者は、彼がまさにその人生を賭けて打倒した帝国主義の、その尖兵の軍服に身を包んでいた時期があったという、これまでほとんど知られていなかった事実をこのほど防衛省が明らかにした。
    防衛省が発行する機関誌『軍報』が2009年1月2日に創刊100年を迎えるにあたって発行する記念号では、歴史の影に埋もれた貴重な史実に光を当てており、その中にガーンディーが英軍の救護部隊の業務に従事したことについても触れており、アフリカでのボーア戦争終了後、彼はその優れた業績により表彰されたとのことだ。
    この記事によれば、ガーンディーが軍に入隊すること、加えてそれを自らの軍隊であると認識することは、ガーンディーとイギリス双方に取って困難なものであった。しかしこの時代の状況下、いたしかたないものであった。救護部隊の創設は、ガーンディーの提案によるものであったと伝えられている。当初、イギリス当局はそれを鼻にもかけなかったが、ガーンディーに共感する行政幹部がいたことから、これが実現する運びとなる。
    ガーンディーがどうして英軍に参加したのか、その目的が何であったのかについても、この軍報100年記念誌で綴られる。ボーア人たちのふたつの共和国(トランスヴァール共和国およびオレンジ自由国)がイギリスによる干渉を嫌ったことに始まった戦争において、2万8千人の兵士を擁するイギリスは、4万8千人もの兵隊を抱えるボーア人の軍隊の前に劣勢。
    こうした情勢下、イギリスは自らの最も優れた司令官たちをその戦いに投入せざるを得なかった。その時期にガーンディーは救護部隊の創設を思いついた。この時期、イギリス兵とインド兵がともに力を合わせて闘うということは考えられなかったが、最終的にこの部隊が結成されることとなった。
    ガーンディーはこの部隊の所属となる。そこには800名の契約労働者を含む1100人のインド人たちがいた。イギリス人指揮官はこの部隊の勇敢な仕事ぶりを称えた。彼らは、25マイルもの距離を徒歩で進み、新任の最高司令官ロバート閣下の戦死した息子の遺体を搬送したと伝えられている

    以下、この記事に掲載されていた写真である。右の円の中が当人であるのだとか。
    20090114-gandhiji.jpg
    ガーンディーに軍歴があったとは知らなかった。ニュースの出所はしっかりしているのかもしれないが、一般に知られている彼の履歴とちょっと整合しない部分があるようだ。
    1869年生まれのガーンディーは、彼が従軍したとされる第二次ボーア戦争開戦の1889年10月に20歳になったばかり。この戦争が終結したのは1902年の5月。
    しかしガーンディーは、18歳になった1887年にロンドンに渡り、法曹界を目指してロンドンにて勉強を始めており、1893年には南アフリカで弁護士として開業している。
    留学を始めてから最初の2年間を除き、法曹界で身を立てるための留学・修養期間と重なる。
    もっとも戦争期間中を通じてずっと軍に身を置いていたのかどうかについては、この短い記事中では触れられていないし、ガーンディーのような精神的にも能力的にも卓越した人物の行動を凡人のモノサシで測ること自体が大きな誤りであるのかもしれない。詳しくは当の軍報の創刊100年記念誌(今月2日に発刊されているはず)に掲載されているのではないかと想像される。もしこれを手にする機会に恵まれたならば、ぜひそれをじっくり読んでみたい。
    ただちょっと不思議なのは、まさかその『100周年記念』のネタとして、『軍人ガーンディー』を何十年間も封印してきたのではあるまいし、どうしてまた今になってそんな話が出てきたのだろうか?

  • スンダルバンへ 5

    スンダルバンの朝
    朝5時半、スンダルバン・タイガー・キャンプのスタッフたちが敷地内を巡回して鳴らすハンドベルによる合図で目覚める。まだ頭の中が半分眠っている感じだ。テラスに出るとすでにチャーイとビスケットが用意されている。6時半にボートは出発。昨日よりも細いクリークを行くとのことである。トラはともかくして、水辺の小さな生き物の様子なども観察できるのかと期待したが、船は昨日のものと同じ。それなりの大きさがあるため細いクリークを往来することはできない。
     
    ツアーに参加する前は、どこか島に上陸して散策することもできるのではなかろうかと思っていたが、それはできないことになっており、基本的に船に乗ったままで景色を眺めるだけである。
    ウォッチタワー
    いや正確には幾度から上陸している。しかしそれができるのは金網で囲んで安全が確保された、遠くまで見渡せるウォッチタワーのある部分のみである。そうしたところでは足元はレンガを砕いた砂利で舗装され、公園のように整備されているエリアだ。
    マングローブが生い茂る水際に足を踏み入れてズブズブと泥の中に沈む感覚を楽しんでみたり、それらの植物の根元に隠れているカニを探してみたり、広大なガンジスデルタでは一体どんな魚がいるのかと釣り糸を垂れてみたりということができるわけではない。

    もちろんトラの危険という点がひとつ、そして足元がどこまでも茂みでよく見えないこの地域には、さまざまな毒ヘビが棲んでおり危険であるということ、水の中にも海ヘビが数多く棲息しているということもあるのだろう。もちろんそれらに加えて国立公園としての規則その他いろいろあるのだろう。
    細いクリークは引き潮の際には干潟となる。
    しかしながらどこか一部、マングローブの森林の中を歩き回り、そこでの生き物たちのありかたを五感で知覚できるような場所がひとつくらい用意されていてもいいように思うのだ。せっかくスンダルバンに来ていながらも、あたかもそれを窓ガラス越しに眺めているような(もちろん船にそんなものは付いていないが)気分にさせられるのである。

    (さらに…)

  • スンダルバンへ 4

    スンダルバンの朝日
    まだ外が暗いうちから敷地内各所からチリチリチリと音がする。ここでは起床時間、食事、クルーズへの出発等々の毎に、ハンドベルを手にしたスタッフたちが通路を歩き回って参加客たちに時間を知らせることになっている。
    朝6時に紅茶とビスケットが出た。そして7時にボートでクリークへと向かう。クリークといっても想像していたほど細いところを行くのではなかった。昨日ここに来るときに幾つかのごく細いクリークを目にしていたので、てっきりそういうところを進むのかと思っていたが、私が乗っている船がそういうところを無理に遡行しようとすると、いとも簡単に座礁してしまうだろう。
    船の中で朝食が出た。紅茶あるいはコーヒー、そしてサンドイッチとパコーラーである。朝方かなり冷え込んでおり、手のひらの中の温もりが心地よい。
    タイガーポイント
    しばらく進むと『タイガーポイント』という大きな看板が見えてきた。トラが多く生息している地域らしい。私たちは岸辺に残されたトラの足跡を見つけることができた。ガイドによれば、夜明け前にここから対岸に泳いで渡るために降りてきたものだという。6時間ごとに満潮と干潮と入れ替わるが、今はまだ干潮なので、その足跡が残っている。まだ私たちが寝ているときにトラがまさにここを歩いたのだ。
    撮影できた角度が悪くて判りづらいが、くぼんでいる部分がトラの足跡
    ガイドによれば、スンダルバンのトラは5キロも泳ぐことができるのだそうだ。もともとそんなに泳ぐ動物ではないが、スンダルバンという湿地帯に住むため、環境に適応したものだとか。

    (さらに…)

  • スンダルバンへ 3

    20090111-sunset.jpg
    このツアー最初の船による見物を終えて宿に戻る。宿泊先であるスンダルバン・タイガー・キャンプで、私が予約しているのは一番下のクラスの部屋だ。申し込んだのが直前であったためそこしか空きがなかったということもあるが、上のクラスはけっこうな値段になっているものもある。
    一番安いクラスは『テント』と聞いていたので、軍の野営用のテントみたいなのがあるかと思ったら、それとはかなり違うものであった。必要に応じて移動したりできるようなものではなく、ちゃんとした「部屋」である。テントよりも上のクラスである『小屋』と違うところといえば、部屋の壁の素材が木ではなくて布であることと、部屋に収容できる人数くらいではなかろうか。テントも小屋もどちらも4人部屋となっている。そのためそれ以下の人数で申し込んだ場合、他の人とシェアすることになる。さらに上のクラスには、『コテージ』『ACコテージ』『エグゼキュティヴ・コテージ』とある。どれも2人宿泊を基本としている。
    『テント』
    スンダルバンの観光シーズンは暑い時期ではないし、どのタイプの部屋に宿泊してもその他のサービス、つまり食事や夕方敷地内で催されるプログラムは共通だし、ボートによる観光も宿泊する部屋のタイプにかかわらず共通だ。
    午後6時からは、スナックとショーの時間となる。私たちのテントの横にある広場で、チャーイ、コーヒーとともにパコーラーが提供される。薪をくべての焚き火の周りにツアー参加者たちが集まってくる。夕方になるとさすがにちょっと肌寒くなってくるので、こうした温もりがうれしい。
     
    やがて本日のショーが開始される。この地域に伝わる村の踊りの披露とのこと。洗練されたものではない素朴なもので、特にどうということはなかったが、これを眺めながら隣合わせた人々と話をするのはけっこう楽しい。
    プログラム終わったのは8時過ぎ。テントに戻ってしばらくすると、さきほど踊りがなされていたところから打楽器と歌が聞こえてくる。何か続きでもなされているのかと思い、アメリカ人新婚カップルと出向いてみると、ツアーに15人で参加しているベンガル人家族が踊っていた。この中にいる男性の一人が、プロ顔負けのノドで歌い、プラスチックの椅子を打楽器代わりにして指で打ち鳴らしている。一族の年嵩の男性たちは酒を飲みながら手を打ち鳴らし、女性や子供たちは楽しそうに踊っている。かなりくだけた家族みたいだ。
    その様子を外から眺めていると、『こっちにいらっしゃい』と酒を勧められ、彼らと一緒に踊ることとなった。昔のアミターブバッチャンの映画『ドン』(近年シャールク・カーン主演でリメイクされた)の挿入歌が次から次へと出てくる。
    先述のノド自慢男性がパーン・バナーラスワーラーを歌いだすと、盛り上がりは頂点に達する。若い男性が集まって騒いでいるなら迷惑なだけなのだが、15人の家族のうち男性は中年層がおよそ三分の一、嬉しそうに踊っているのは主に彼らの妻や子供たちなので、とてもほほえましかった。家族でいつもこうして愉しんでいるのかどうかは知らないが。笑いと歌声に満ちた楽しいひとときであった。
    『パーン・バナーラス・ワーラー』で最高潮に

  • スンダルバンへ 2


    バスは午前11時にショーナーカーリーという町の波止場に着いた。ここから船に乗り換え、3時間半ほどかけてダヤープルという場所にあるこのツアーの宿泊施設へと向かう。船が出てからしばらくは、人々が居住している地域を通るので、水上の交通量は多く、河岸には土を大量に積んで築いた高い堤防が続いている。モンスーン期の高潮がどれほどのものか、また上流からの増水がどんなものか想像がつくようだ。その背後には家屋の屋根を垣間見ることができる。

    しばらくこうした風景を眺めながら船は南下する。しばらくすると船の右岸側がトラ保護区である。ここでは人々が生活することは原則的に許可されておらず、開墾や開発といった行為もご法度である。ゆえに河岸の堤防などはなく、ただマングローブの森林が濃密に広がる岸辺が延々と続くようになる。反対側の岸辺には人々が暮らしているようで、ところどころ集落が見られ、堤防も築かれている。
    スンダルバンの地図については、こちらをご参照いただきたい。観光客がツアーなどで見物するのはこの中で濃いグリーンで塗られている地域に限られるようだ。さらに南部のほうには、スンダルバンの大自然のコア・ゾーンとしての広大なエリアがあるのだが、そちらは観光目的での入域も禁止されており、動植物のパラダイスとなっている。

    水面からの照り返しをうけて目をシパシパさせているうちに、いつしか眠りに落ちてしまう。周囲がザワザワしているので目が覚めると、船はこの行程中の宿泊先であり、ツアー主催者でもあるスンダルバン・タイガー・キャンプがあるダヤープルの波止場に舳先を付けようとしているところだった。
    スンダルバン・タイガー・キャンプにチェックインしたのは午後2時半。ここですぐに昼食である。ビュッフェ式ですべてインド料理。敷地内のレストランで、皆それぞれ思い思いの場所に腰かけて食事。

    そして午後三時半からは同じ船でサジネカーリーというところの博物館とクロコダイルポンドを見物。ウォッチタワーもあり、ここから鹿を見たという人もいたが、私は何も見ることができなかった。ウォッチタワーから放射状に長く森林が取り払ってある部分がある。動物がちょうどそこを通過する際には、それを観光客が見ることができるという具合だ。ワニは水に潜っていて、見ることはできなかった。

    帰りは波止場が物凄い混雑になっていた。スンダルバンのこのエリア、つまりツアー客だけが許可を得て入域できる地域には、州政府観光公社(WTDC)のものをはじめとして、今回私が利用しているスンダルバン・タイガー・キャンプのような民間宿泊施設がいくつかある。それらのすべてがこうしたツアーを組んでおり、どこも似たようなスケジュールを組んでいるためこういうことになるらしい。しかしながら自前の足で移動して見物できるところではないので、こればかりはいたしかたない。客層があまり良くない感じの船も見かけたので、ツアー料金がかなり安いところもあるのだと思う。
    ツアーガイドは、スンダルバン・タイガー・キャンプの職員ではなく、森林局に所属しているとのこと。彼らはガイドで生計を立てているというから、そういう専門職なのかもしれないし、臨時職員という立場あるいはフリーランスで、森林局に登録しているという形態なのかもしれないが、そこのところはよくわからない。

  • スンダルバンへ 1


    スンダルバン国立公園を見物するツアーに参加してみた。コールカーター市内のプリヤー・シネマ前から朝8時集合である。スンダルバンは世界最大のマングローブのジャングルだが、インド側に三分の一、バングラーデーシュ側に全体の三分の二という形に分け合っており、どちらも世界遺産に登録されている。また野生のトラがもっとも多数残されているエリアであるとも言われる。2004年のセンサスによれば、スンダルバンのトラ保護区に棲息しているトラは245匹であったのだとか。
    極端な低地に広がる地味豊かな土地である。スンダルバンという地名の由来であるとされるスンダリーという木以外にも、各種さまざまなマングローブの木で覆われているこの湿地では、シカ、ワイルドボアー、サルなどといった哺乳類に加えて、ワニ、大型のトカゲ類、各種ヘビ、海ガメ等の爬虫類、大型の鳥類から小さくて可愛いキングフィッシャーまで色々な鳥類、そして魚や甲殻類の宝庫でもあるとされる。
    この地域の農業や漁業による産物以外に盛んな産業として、野生の蜂の巣から採取したハチミツが挙げられる。ときにメディア等により写真入りで伝えられるとおり、リスクを覚悟で後頭部に人の顔の形のお面を被った(通常、トラは背後から襲うとされる)人々が森の奥に分け入って採集するのだ。
    他の景勝地や遺跡などと違い、地元での足がないとどうにもならないので、ツアーに参加することにした。参加費用には、コールカーターから宿泊先までのバスとボート、滞在中の観光行程中のボートによる移動手段、食事と部屋代、宿泊先で夕方に催される舞踊や演劇といったショーの類の料金等が含まれている。
    私が利用したツアーは、国立公園内に立地する宿泊施設の主催によるもので、一泊二日のものと二泊三日のものとがある。前者ではあまりに短すぎるので、後者に参加することにした。料金は、ツアーの期間がどちらかによって違うのはもちろんのこと、利用する部屋のタイプによってもかなり大きな開きがある。
    スンダルバンツアーに参加しても、ベンガル・タイガーを実際に目にする機会はあまりないという。また平地に暮らす人たちが普段目にしない雪山や清流を目にするような旅行ではない。観光地としてはどちらかといえばかなり地味なものだと思う。
    出発場所には、主催者であるスンダルバン・タイガー・キャンプという宿泊施設の専用バスに加えて、おそらくチャーターした大型バスも停まっていた。果たして今日のツアーに何人参加するのかと尋ねてみると、しかも総勢54人という大人数であることがわかった。スンダルバンを訪れる観光客の大半は11月から2月にかけてやってくるという。今はちょうどピークの時期である。
    参加者の大半が西洋人をはじめとする外国人ではないかと予想していたのだが、意外にもツアーバスの中で出会った人々のほとんどがインド人であった。しかも地元西ベンガル在住ないしは他地域に暮らしていても出身がベンガルである人々が大半。加えてデリーやUPから来た人たちが少々といった具合だ。また海外在住のインド人たちの姿もけっこうあった。アメリカで夫婦ともに大学で教鞭を取っているという中年カップル、アメリカ人と結婚して同国に暮らすインド人女性等々。
    インドに暮らしている人たちにしても、海外から一時帰国している人たちにしても、たいていが家族連れで参加しており、単身での参加者はいない。いずれにしても、知性も経済力も高そうな人たちが多い。バスの中での会話のほとんどは英語であったが、カルカッタ在住だが、ちょっと庶民的な雰囲気でやたらと人なつっこい大家族(総勢15名!)だけは、あまり英語ができないようで、主にベンガル語で周囲とにぎやかに会話していた。
    いずれにしても、バスの座席に座る人たちは、周囲の座席の人々とよく会話しているし、トイレその他のためにバスがしばらく停車すると、車外に出て他の乗客たちといろいろ声を交わしている。今日から三日間ともに過ごす相手が何者なのか、アンテナを大きく張り出させて互いに探り合っている感じだ。
    他の外国人の参加者は、カルカッタでの友人の結婚式に参列するついでに来てみたというアメリカ人の三人連れ、そして同じくアメリカから来た新婚カップルの計5人であった。どちらもニューヨーク在住だそうだ。

  • ハウラーの鉄道博物館

    コールカーターのハウラー駅の隣にある鉄道博物館のゲートに着いたのは1時15分前。午前中は開いておらず、開館時間は奇妙なことに午後1時から。ゲート外でしばらく待つことになる。インド国鉄の東部のネットワークを管轄するイースタン・レイルウェイの手による博物館である
    2006年4月にオープンしたばかりだけあって鉄道博物館は美しく整備されていた。よって展示物もキレイで気持ちが良い。じっくり見物しても1時間とかからないこじんまりした規模だが、鉄道の運行や駅での作業等にかかわる展示、ハウラー駅のミニチュアの中にはインド東部の鉄道網の起点である同駅ならびにスィヤールダー駅の歴史、英領時代の貴重な機関車や車両などの展示がある。
    ハウラー駅のミニチュアの中では、駅の歴史等の写真展示等がなされている
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    こうした鉄道関係の展示施設は各地にいくつかあるようだが、やはりデリーのブータン大使館横にあるNational Rail Museumは格段に規模が大きく、展示物の質・量ともにこことは比較にならない。今回取り上げてみたハウラー駅隣のものは前述のイースタン・レイルウェイによるインド東部地域の鉄道に関する紹介のみのこじんまりとした鉄道博物館だ。
    しかしながら、マネキンを使い列車の運行や施設保守に関わるさまざまな作業員たちにもスポットを当て、彼らの仕事ぶりを紹介するなど、列車を走らせるために働く人々の役目を理解してもらうことにも力点を置いていることが特徴だろうか。既存の他のこうした施設よりも後発である分、展示物の企画そのものやお客への見せ方について熟慮されているようで好感が持てる。
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    展示物の中で特に興味深かったのは、鉄道初期の牛で引く『列車』(もっとも日本の鉄道初期には、人力により客車を引っ張るローカル線も一部あったようだが・・・)の画像、そして旧東パーキスターンの蒸気機関車であった。躯体両脇にはイーストパーキスターンレイルウェイと英語とウルドゥー語で書いてあるが、表記がベンガル語でないところがミソである。独立戦争の最中にちょうどインドに来てそのままになっていた車両がそのままインドで保管されることになったものだという。
    初期の鉄道狭軌道には牛で引く列車も・・・
    東パーキスターン鉄道の機関車
    East Pakistan Railwayとの表示
    中がレストラン(・・・というよりキャンティーンか?)に改造してある客車がある。また敷地内はきれいな芝生になっており、ベンチがあちこちに置かれていてのんびりできる。駅に早く着いてしまい、乗車するまで時間があったり、乗り継ぎでしばらく時間を潰す必要があるときなど、ハウラー駅正面出入口を出てすぐ右側にあるので、ちょっと足を伸ばしてみてはどうだろうか?
    以下、参考までに他サイトによるこの博物館の写真入りの簡単な紹介である。
    Eastern Railways
    knowindia.net

  • オーバーウェイトでクビ!

    国営航空会社二社合併に伴う合理化、近年の航空業界の不況、他社との競争等々、いろいろな理由があるのだろう。エアインディアが同社では前代未聞の動きに出ている。それは『オーバーウェイト』のエアホステスのリストラである。このほど解雇が通達されたのは
    国内線に搭乗していた10人。彼女たちには地上職に転進する道は用意されていない。
    解雇が通告された人たちは法廷の場で争う構えだ。しかし昨年6月には、客室乗務員の肥満は自身の健康はもちろん、万一の際の安全確保の際の障害となりえるという航空会社の意見に同調する見解を出しているとともに、競争の激しい業界の現場で働く人たち健康や容姿が、自身の品格の一部として重要な位置を占めているという発言をしているため、なかなか難しいものがあるかもしれない。
    フィットネスクラブやダイエットなどが都会生活の一部としてすでに認知されているし、映画で活躍するヒロインたちのスタイルも大きく変化した。とはいえ、まだまだ体型の変化(?)について寛容な国(もっとも北米などについても一般市民レベルでは肥満についてさほど関心が強いとは思えないが)であることは間違いないのだが、こうした事例を見るとやはりそういう時勢であるらしい。
    ちなみにエアインディアの示す基準としては、18歳の場合で152cmの場合は体重上限が50キロ、同じ身長で26歳から30歳までの年齢の場合は56キロが制限ラインなのだとか。ただ体重といっても、普段からスポーツをしている人、もともと筋肉質の人の場合は見た目よりも体重が重くなりがちだし、筋肉の量に加えて骨格などによっても適正体重はかなり違ってくる。
    ただこうしたニュースがエアインディアに関するものであるがゆえに、メディアでちょっとした話題になっているのだろう。新興航空会社が伸長する前の時期においても、ジェットエアウェイズのフライト・アテンダントといえば、男性はハンサムなマッチョ型、女性は可憐なモデル風というタイプが典型だった。肥満型の乗務員など記憶にない。
    現在、キングフィッシャー・エアラインやスパイスジェットなどに搭乗してみると、機内乗務員は顔立ちや肌の色合いを除けば、まるで『既製の工業製品か?』と思うくらい近似した容姿体系の見目麗しき男女が多く、厳しい健康・食事管理等がなされていることが想像される。
    私自身は、身体が太い細いといったことにあまり関心がない。ちゃんと元気に動くことができればそれでいいのではないだろうか。何ごとも無駄を削ぎ落としたギリギリで頑張るよりも、多少のゆとりがあったほうがいいのではないかと思う。グローバル・スタンダードなスリムさ(?)ではなく、サーリーの脇からちょっと(ときに大胆に)はみ出た贅肉の鷹揚さにすこぶる肯定的な意見を持っている私である。
    Air India sacks 10 ‘overweight’ air hostesses (Deccan Herald)
    Air India Fires 10 Stewardesses For Being Too Overweight For The Plane (YouTube)

  • ナマステ・ボリウッド ♯16

    Namaste Bollywood #16
    記事のアップロードが遅れてしまったが、ナマステ・ボリウッドvol.16 (Dec-Jan 2008-9)として発行の最新号が出てきた。今号の表紙を飾るのはプリヤンカー・チョプラー。
    いつものことながら手に取ったとき、私が一番最初に読むことにしているのが、巻末のおなじみ『Bollywood Filmy Pedigree』なのである。今号で取り上げられているのはアーミル・カーン。
    巷では公開中のGhajiniが話題になっているが、私にとってアーミル出演で一番最初に出会った作品は、ジューヒー・チャウラーと共演したQayamat Se Qayamat Takであった。
    他の多くの俳優・女優たちに負けず劣らず、アーミル自身もかなり強力な映画一族の出身であるが、この作品を監督したマンスール・カーンが、アーミル自身のいとこであることをこの記事を読むまで知らなかった。
    しばらく似たような役柄、つまり甘いマスクと好青年ぶりを前面に出したラブストーリーものが多く、ちょっとマンネリなイメージを抱いていたが、彼が現在のような演技派へと脱皮したのは、確か今から10年ほど前のことだっただろうか。
    さて巻頭に戻る。Jodha AkbarSarkar RajSingh is Kinngなどといった2008年に大きなヒットを記録した作品、サルマーン・カーンやアジャイ・デーヴガンといった人気スター出演の話題作に加えて、『小粒名画に心酔』として、キャストや製作費用の点では地味な映画についての言及もあるところもありがたい。
    さすがは日本唯一のボリウッド専門情報誌だけあり、さまざまな方面からムンバイーの映画界を包括的にガッチリと捉える姿勢は、あでやかにして個性豊かなスターの顔ぶれよりも、むしろ映画作品そのものの造りに重きを置く正統派映画ファンとにとっても非常にうれしいところだろう。
    小粒な映画がかならずしもB級というわけでもなく、そうした中にもピリリとスパイスの効いた面白い作品が見られるのは、どこの国においても同じことだ。
    書籍紹介コーナーには、MR AND MRS DUTTが取り上げられている。言うまでもなくサンジャイ・ダットの両親である。往年の銀幕を代表するカップルであった父母について、サンジャイの姉妹二人が綴る回想録という体裁の本。一度手に取ってみたことがあるが、挿入されている写真も多く、ダット・ファミリーのファンならずとも、ぜひ手元に置いておきたい一冊である。
    8ページという限られた誌面ながらも、今号もまたそのスペースをフルに活用しての楽しい情報が満載のナマステ・ボリウッド。2009年もまた私たちにボリウッドの話題や魅力を余すところなく伝えてくれることだろう。

  • ネット上に流出するボリウッド作品

    前回に引き続いて動画投稿サイト上に散在するボリウッド作品について考えてみたい。インド版YouTubeといえるTumTubeのようなところには、インドのテレビ番組やムービークリップなどが投稿されているが、圧巻なのは『ボリサガ』というちょっと有名なウェブサイトではないだろうか。ここにアクセスすることを推奨しているわけではないので、敢えて具体的なURLを明かさないでおく。すでにご存知の方も少なくないだろうし、『ボリサガ』をヒントに探すのは決して難しいことではないと思うが。
    ここでは封切りされたばかりの人気映画をまるごと観ることができてしまうのだ。どの作品も四つから八つくらいに分割されているが、映画のはじまりから終わりまでちゃんと全部入っている。画質はあまり良くないがそれほど見づらいという具合でもない。音声は聴き取るのにまったく問題ないレベル。海賊版の映画ビデオよりはマシかと思う。
    だがこの映像、このサイトにアップロードされているわけではないし、閲覧者に映像を供給しているわけでもない。様々な動画投稿サイトにアップロードされた映画作品に対するリンクが貼られているだけである。しかしながらここにアクセスすれば、別々の話題の新作をひととおり巡回できるようになっているというのがミソである。各投稿サイトの運営姿勢次第では、こうした『海賊行為』を認めないところも少なくないので、クリックしてみると『この映像は規定により削除されました』という表示が出たりもする。
    映画は基本的に映画館で観るものだと思う。そうでなければせいぜい大画面のテレビでの楽しむあたりまでが許容範囲だろうか。実際には映画は観たいがまとまった時間がなかなか取れず、PMPに録画したり、携帯用DVDプレーヤーを持参してわずかな空き時間を利用してコマ切れに鑑賞したりもしているのだが、『観る』というよりただ機械的に『見る』ことにより、『自分はこの作品の内容を把握した』というアリバイのための作業をしたかのようで、なんとも消化不良なのである。
    そこにくると『動画投稿サイトからダウンロードした高圧縮映像』をパソコンで再生するなぞもってのほかということになるのだが、正直なところ私自身も非常に評判の作品があれば、『ちょっと覗いてみよう』とアクセスして、結局最後まで見ていたりする。いろいろ思うところはあっても、やはりこういうものがあれば何だかんだいって見てしまうのである。
    だがそもそも封切り直後の作品の元の映像はどこから流出してしまうのだろうか?市中に出回る海賊版の多くがそうであるように、上映されているスクリーンをビデオで写したような稚拙なものではなく、明らかにちゃんとした映像ソースからコピーしたもののようだ。
    こうした『脇の甘さ』も庶民の娯楽らしいところ、といえばそうかもしれないし、もし興味があればこうした映像に『インド映画圏』以外の地域からでもアクセスできることは、全世界に自国産映画の魅力を広める伝道師的な役割を担っているといえなくもない。だが自宅にいながらにして観ることができること、それをさらに投稿サイトにアップロードして不特定多数の人々とシェアできてしまうという観点から、顧客がそれを販売している店舗まで出向かなくては購入できず、シェアするといってもせいぜい友人知人の間で貸し借りする程度であろう海賊版DVDやVCDより更にタチが悪いといえるだろう。
    前述のとおり、私自身が『あれば観てしまう』のでエラそうなことは言えないのだが、こうした動画投稿サイトにアップロードされた映像によるボリウッド映画界の損失はいったいどのくらいになっているのだろうか?とちょっと気にかかっているところだ。

  • YouTubeで大物政治家の映画人時代を観る

    ジャヤラリター
    冒頭の写真は、今年2月に還暦を迎えたジャヤラリター。タミルナードゥを代表する大物女性政治家というよりも、インド政界でも有数の女傑といったほうがいいかもしれない。
    1981年にタミルナードゥの地域政党AIADMK(All India Anna Dravida Munnetra Kazhagam)に加入し、1988年に同党の創設者M.G.ラーマチャンドランが亡くなってから現在まで20年の長きにわたりリーダーシップを発揮し、同州の首相も務めた。彼女の行政手腕を高く評価する声も多いいっぽう、その強権ぶりと数知れぬ汚職疑惑から数多くの非難もある。
    ジャヤラリターは、M.G.ラーマチャンドラン同様に、政界入り前は映画人として高い人気を集めた人物である。タミル映画およびカンナダ映画に多数出演し、この地域の民族的アイドルであった。80年代後半から『元人気女優』としてではなく、実力派政治家として社会に大きな影響を与えるようになってからも、大輪の花を思わせる華やかな風貌にはまた格別の存在感があった。
    元有名女優とは知っていても、彼女が出演する映画を見たことがなかったが、近年YouTube他の動画投稿サイトが普及するにつれて、Sakti LeelaiKannan En Kadhalanといった彼女の出演作のひとコマを簡単に目にすることができるようになってきた。前述のM.G.ラーマチャンドランも同様で、Nadodi Mannanのワンシーンを眺めることができるのはうれしい。
    インターネット上に新旧さまざまな映画作品が投稿されていることについては、著作権云々ということもある。しかしインド国外ないしはインド映画圏外からでも、自宅にいながらにしてその映像にアクセスできること、必要に応じて参照できることについては、肯定的に評価できる部分も少なくないのではないかと思う。
    ネット上のインド映画については、作品を最初から最後までまるごと見ることができてしまうものもあるが、後日そうした事柄について少し考えてみたい。

  • トイレ 洋の東西をひとつに 1

    しゃがむか?座るか?相反するスタイル
    近世において都市部をはじめとして広く公衆衛生の普及がみられるようになった。しかし西洋式のトイレ文化の導入により、他のアジア諸国でもそうであったように、従来の土着のスタイル『しゃがむ』タイプの様式と外来の『座る』タイプのものが並存することとなった。
    前者と後者の分布は地域差や立地によりいろいろ違うため一言でまとめるわけにはいかないが、概ね個人の住宅では『しゃがむ』もの、富裕層・中間層が出入りする場所では『座る』ものの普及が顕著で、その他不特定多数の大衆が行き来するエリアでは前者・後者ともに並存するという形が多いようだ。
    トイレ文化の違いで困ること
    今あるタイプのトイレが一般化した20世紀以降、一見すると平和裏に共存しているように捉えられがちなトイレだが、その実ふたつの異なる文化が激しくせめぎあう物騒な空間だ。それは21世紀に入っても変わることなく続いている。
    たとえば日本の例を挙げてみよう。主に省スペースという目的から住宅等で設置されるトイレの大半が男女・大小兼用の洋式となっている昨今、私たちは『座る』ことにすっかり馴染み、和式よりも快適に感じるようになっていることは否定できない。そうした背景もあり、より高度なコンフォートを求めて便座が一定の温かさに保たれていたり、事後に自動で洗浄してくれたりする便利な製品も多い。
    しかしながら一歩自宅の外に出てみるとどうだろうか。一般の公衆トイレはいざ知らず、ホテルやデパートといったきちんとメンテナンスの行き届いた空間においても、誰が使ったかもわからない便座に尻を乗せる行為を不快と感じる向きは少なくないようだ。その結果、消毒用アルコールを含んだジェル状の便座クリーナーであったり、薄いビニールや紙の使い捨て便座カバーが用意されていたりする。どちらも『しゃがむ』トイレでなら不要なものである。
    しかし事後の処理をトイレットペーパーではなく、水で行なう地域においてはさらに大きな問題を利用者に突きつけることになる。それは座ることと水で洗浄することが極めて両立しにくいことだ。
    右手に持った手桶から流す水を、左手を用いて洗うという行為は、尻をくるぶしの位置にまで深くしゃがみ込んだ姿勢でこそ可能なのだが、洋式トイレに座った姿勢つまり中腰の状態ではきちんと実行できず、下手すると洗った水が太腿の後ろ側を伝って流れ落ちるという大失敗にもなりかねない。加えて『しゃがむ』タイプに比較して、『座る』ものだと手元が便器脇の蛇口からも非常に遠くなるので苦痛がさらに増す。
    苦痛が生み出す結果
    そうした不便や苦痛を克服するために私たちはどう対処すればよいのか。誰もが思いつくことはただひとつ、便座を両足で踏みつけてしゃがむことである。かなり不安定な姿勢になるが、下半身や衣類を汚さないためにはこれしかない。私たちは洗い用の手桶を持ったまま、恐る恐る片足を便座にかけてヒョイと乗っかるのである。
    すると便座は床の水やら汚物やらでまみれて、次に使用する人は決してそこに腰掛ける気にはならない。また次の人も便座を踏みつけてしゃがむ、そのまた次の人も・・・。
    便座にやさしく足をかける人もいれば、ドカッと乱暴に踏みつける人もあるだろう。体重が軽い人もいればレスラーのような巨漢もいる。もともと優しく座ることを前提に設計してある楕円状のプラスチックの物体は、左右2箇所の極めて狭い部分に繰り返し圧力を与えられることでいつしか壊れる。仮に修理されても、また人々はそこに足を乗せてしゃがむことがわかっているので、設置者は敢えてこれを直すこともない。これがインドおよび周辺国でよく見かける『便座なし洋式トイレ』が発生する普遍的なメカニズムだ。
    まだ便座があるうちは、ステップがそれなりにグリップして?安定したしゃがみ込み姿勢が取れた洋式トイレだが、これが失われてしまうと縁に置いた両足が非常に滑りやすく、特にゴムサンダル履きでの利用は決して勧められない。
    洋の東西をひとつにする快挙
    上記のような状況はインド亜大陸のみならならず、東南アジアや中東などでもかなり広く見られるものだ。しかしこれに対する根本的な解決策を打ち出したのはインドであったようだ。西洋と東洋というふたつの異なるトイレをひとつにまとめあげるアイデアを打ち出したのは。そのアイデアが商品として結実したのが、先日取り上げてみた現在『ユニバーサル』そして『アングロ・インディアン』といったネーミングで販売されている東西両用トイレなのだ。
    他にもこのタイプのトイレを指す商品名は複数あるようだが、本稿においては便宜上『ユニバーサル式』と呼称することにしたい。
    これが考案・発売された時代のことを私は知らないが、おそらく当時の世間は驚愕し、稀代の発明に惜しみない賞賛を与えたことだろう。『しゃがむ』トイレを地上に少し浮かせてそこに便座をつけて『座る』トイレと兼ねたトイレに対して。あるいは『座る』トイレの左右に張り出したステップを取り付けて『しゃがむ』ことも可能にしたというべきかもしれない。
    さらには、通常の『座る』トイレよりも背を少し低くして乗りやすく、かつ洗い桶用の蛇口が近くなるようにしてあること、ステップをやや左右に開くことにより安定した『しゃがみ』を可能とするなど、ユーザーフレンドリーな心遣いもなされていることも見逃してはならない。
    今後の課題
    せっかくの大発明(?)だが、おそらく『しゃがむ』『座る』どちらのタイプよりも割高なのか、極めて実用的ながらも見た目がスマートでないことなどもあってか、普及度はいまひとつであるのがはなはだ残念だ。
    利用者の評判は決して悪くはないようであるため、おそらく設置者側の都合によるものと思われる。このタイプのトイレを製造している各メーカーは、販売促進活動を通じて世界に誇るべき『ユニバーサル式』トイレに対する認知を向上すべく活発に啓蒙活動を行なって欲しい。
    特に公共施設ならびに鉄道施設等については、衛生的なトイレの利用を促進する観点からも、新規設置のトイレはすべて『ユニバーサル式』とすることを原則とするなどの取り組みが望まれるところだ。
    『ユニバーサル式』を賞賛する私は、インドのみならず、事後の処理を水で行なう広い地域に及ぶ各国への普及を図るべきではないかとも私は考えている。また水ではなく紙を用いる諸国においても、最近の住宅に有無を言わさず作りつけになっている『洋式トイレ』に違和感を覚える層が存在する?日本に加えて、他の国々でも『私もホントはしゃがみたい』派の存在もあるかと思われる。
    インドでの需要のみでくすぶらせておくのは実に惜しい。インドで思われているよりもさらにグローバルなポテンシャルを持つ『ユニバーサル式』トイレである。