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カテゴリー: column

  • シグマDP2発表

    DP2
    昨年3月に発売され、その評価については賛否両論だったシグマDP1の姉妹機、DP2が発表された。発売時期は未定だが、今年前半には発売となる模様。
    35mm判換算で、画角が28mm相等のDP1に対し、DP2は41mm相当である。昔でいうところの『標準レンズ』に近いものであるところから、前者よりも汎用性が高いと感じる人もあるだろう。またF.2.8と比較的明るいレンズを搭載しているのも好感が持てる。
    私自身、DP1を1年間使用してみて、操作性以外の部分ではレンズの暗さが気になった。開放でF.4.というのはちょっと・・・。他のデジカメならば余裕で手持ちにて撮れるシチュエーションでも、DP1だとかなり工夫が必要になってくる。
    ボディのデザインやボタン等のレイアウトは、DP1を踏襲したものとなっており、操作系統もほぼ同一のようだ。画像処理エンジンは新たに開発したものが搭載されるようだが、果たしてDP1の弱点・・・というよりも、今どきの他のデジカメに比較すれば、『欠陥』と言われかねないほど緩慢な処理速度はどうなっているだろうか?
    デジカメの時代に入ってから、カメラを手にした人々がシャッターを押す回数が飛躍的に増えているという。フィルムと現像にお金をかけないと、自分が撮影した内容を目にすることができなかった時代には、ひとコマひとコマに当然ながらコスト意識が働き、趣味で撮るのであれば、対象をじっくり観察してから、シャッターを押すというのが普通であった。
    写真を撮る、撮ったものを見るということがタダになったおかげで、特に一眼レフカメラについては、新製品が出るとシャッター耐用回数何万回云々ということがしばしば話題にのぼるようになっているようだ。
    言うまでもなくDP1は一眼レフではないが、そんなせっかちな時代に、一枚撮影してから次のアクションに移るまで、メディアへの書き込み中であることを示す赤ランプが点滅するのをじっと待つのは面倒。併用している他のカメラとついつい比較してしまうので、いくら画質の面で突出したものがあっても、なんだかじれったい、ドン臭いカメラだなあ、ということになってしまう。
    加えて、RAWで撮影後に現像ソフトで仕上げた画像は、他のコンパクトデジカメをまったく寄せ付けない画質や描写力があり、さすがはコンパクト型で唯一のAPS-Cサイズのセンサー、しかもFOVEONセンサー!と感心するのだが、JPEGで撮るとそれほどの魅力を感じさせるものはなかったりする。RAWで撮影するときとほとんど同じくらい書き込みに時間がかかるのだが。
    ただし、このあたりが解決され、サクサクとスピーディーな操作感で、JPEGでも相応に良く撮れるとなれば、DP1に対する世間の評価、賛否両論から賛美へとも大きく変わってくることだろう。私自身についていえば、いまだに愛用しているリコーの初代GRDを放り出して、こちらを常日頃持ち歩くようになるに違いない。
    DP2は、画角が違うこともあり、DP1の後継機ではなく、姉妹機という位置付けである。しかし発売時期が1年違うだけに、そのあたりは相応の改良を加えていることを期待したい。
    41mmという画角自体、いろいろと使いやすいし、大型センサーによる背景のボケを生かすという面では、21mmのDP1よりも有利ではある。コンパクトデジカメとしては飛びぬけて金額の張るものではあるが、コアなファンの多いDP1ユーザーの中で、現在所持しているそれに加えてDP2も並行して使うという人も少なくないのではないだろうか。
    レスポンスとJPEG撮影の部分で大幅な進歩が見られたとすれば、『インドでどうだろう?この一台』の有力候補になり得るのではないかと思う。
    シグマDP2 スペシャルサイト
    DP2製品カタログ

  • 香港飯店の昼下がり

    以前、香港飯店で取り上げてみたコールカーター華僑の鐘さん兄弟が経営する食堂の話である。昼下がりのヒマそうな時間帯に、『やぁ、どうも!』と店内に入ってみると、なにやら彼ら兄弟が一人の男性と話し込んでいる。
    『古い友人がオーストリアから帰ってきたんだ』とのことである。彼もまた中華系で鐘さんたち同様、この街で生まれ育った客家人とのこと。 一見、ダージリンあたりからやってきた人か?と思ったと思わせるような印中混血の風貌と肌色ではあるが。
    彼の実家はコールカーター市内中心部のチッタランジャン通り界隈にあり、父親は大工をしているそうだ。鐘さんの香港食堂の内装はその人の手によるものだという。
    男性は20歳になる前からオーストリアに出て、いくつかの職場を転々としながら16年間、中華料理のコックとして働いてきたそうだ。『みんな私はもう二度とコールカーターに戻らないと思っていたようだし、自分自身もそう考えていた』と言う。
    インドに戻ってきたのは一時帰国というわけではなく、思うところあり、オーストリアでの生活をたたんでインドに再定着するつもりで帰ってきたとのこと。ちょうど近くを通りかかったので、旧知のこの店に顔を出してみたというわけらしい。
    年の中印紛争後、コールカーター在住の華人人口は急減し、多くは海外に出たとされるが、それ以降もより良い機会を求めての移住はなかなか盛んなようだ。沢山兄弟がいるようだが、アメリカに住んでいる者、台湾に住んでいる者、オーストラリアに住んでいる者といろいろいるらしい。今の時代、世界各地で中華系の人々の移動はますます盛んである。
    もちろんその背景には、インドでの環境の問題があり、ベターな暮らしを得ることを目的に海外に出て行く動機となっているのだが、さしあたって必要となる資金を調達できることや移住先での仕事等のツテといった、移住や出稼ぎにあたって必要な手立てを自らのネットワークを通じてちゃんと持ち合わせているのはたいしたものだ。
    男性の兄弟でオーストラリアや移住した人、台湾に住んでいる人がいるということだし、この店の経営者である鐘さんの姉だか妹だかもカナダに住んでいる。その子供たちが、たまにコールカーターを訪問することがあるそうだ。
    『でもインドでの様子には馴染めないみたいだよ。あの子たちの故郷はこの街なのにね』と鐘さん。
    普段は兄弟家族同士では客家語で会話している鐘さんだが、今日はこのオーストリア帰りの男性を交えてヒンディーで話している。彼自身は中華学校で教育を受けたわけではないし、中華コミュニティにどっぷり浸かって育ったわけではないとのことで、華語よりむしろヒンディー語のほうが話しやすいそうだ。
    『まぁ、中国語も一応できるんだけど・・・』
    それにしても、本来土地の言葉であるベンガル語ではなく、ヒンディー語であるというのは、コスモポリタンのカルカッタ商業地育ちらしいところかもしれない。
    彼は、しばらく両親ところに世話になり、これからインドで何をして生計を立てていくか考えてみるとのこと。
    『焦る気はないけど、まあ何か始めてみる。いつか結婚だってしたいし』
    この香港レストランは、サダルストリートに近いことから、外国人旅行者の姿も少なくないのだが、近隣や周辺地域在住らしき華人たちの姿、インドに仕事でやってきた中国人たちの姿をよく目にする。ときにそうした彼らの話をいろいろ聞く機会を持てるのは楽しい。

  • インドの西隣の核保有国にクーデター近し?

    インドのテレビAaj Takを見ていたら『パーキスターンに再びクーデターの危機迫る』というテロップとともに、危機を伝えるニュースが流れてきた。
    ‘पाकिस्‍तान में फिर हो सकता है तख्‍तापलट’ (Aaj Tak)
    緑豊かでのどかな風景の広がるスワート地方で、仏蹟等の見どころも多く、風光明媚な上部スワートとともに、観光地としても名高いエリアであったが、2007年に始まったタリバーンによる武装闘争のはじまりとともに、物騒な地域として知られるようになってしまっている。
    そのスワートで、今年2月にこの過激派勢力による彼らのイスラーム法による支配を認める政府当局の決定を憂慮する内外のメディアによる報道は記憶に新しいところだ。
    Pakistan agrees Sharia law deal (BBC NEWS South Asia)
    Aaj Takのテレビ報道によれば、当事者能力を欠く政府の元にあるパーキスターンで再びクーデターの動きが予想されるとのこと。続いて先日バーングラーデーシュ首都で発生した国境警備隊の反乱についても、パーキスターンのISIの関与の可能性を示唆するニュースも流れており、ちょっと背筋が寒くなる思いがする。
    もちろんパーキスターンと対立関係にある隣国のメディアによる報道であること、とりわけ昨年11月26日にムンバイーで発生した大規模なテロ以降、同国に対する囲い込みの姿勢を強めているインド発のパーキスターン国内情勢に関するニュースである部分はある程度差し引いてとらえる必要はあるかもしれない。
    しかしながら、インドの隣国の政局の混迷ぶりを目にすれば、誰もが多少なりとも懸念しているところではないだろうか。
    同国内の不穏な動き自体もさることながら、こうした状況を横目に第三国による大掛かりな陰謀が着々と進められているのかもしれないし、こうした報道の裏側にはそれを現実のものとしようという意思が蠢いているのかもしれない。
    これが杞憂であればそれに越したことはないのだが、テレビから流れるニュースを見つめながらいろいろと思うところの多い本日の夕方であった。
    とりあえずは、国はどこであれ、世の中が平安であること、無辜の市民たちに犠牲を強いるようなことが起きないことをを祈るのみである。

  • 新加坡的印度空間 4

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    今日は日曜日ということもあり、観光客相手以外のものでは閉めている店が少なくない反面、裏通りやそこに面したちょっとしたスペースでは、出稼ぎとおぼしき人々がわんさかたむろしている。
    道路に面したテラスを持つ飲食店でコーヒーやチャーイをすする人もあるが、多くは道端に座り込んでおしゃべりしたりトランプに興じていたり、数人で酒を酌み交わしていたりする。中にはすっかり酔っ払って路上に仰向けになって寝ている男もある。路地裏では安価な酒やツマミ類を販売している者の姿もあり、こうした人々を相手にそれなりに繁盛しているようだ。
    同じインド系の人々でも、ここに定住している人たち、あるいは少なからず他国から観光で訪れる人たちと大きく違うことといえば、身なりや雰囲気が違うことに加えて、女性や子供の姿がほとんど存在しないことだろうか。20代から60歳手前くらいまでの人々、とりわけ30代から40代あたりの男性が、そうした群集のマジョリティを占めている。
    出稼ぎの人々は、週末に休日にこうして同郷の人々と会ったり、情報交換したりするため、あるいは単にヒマつぶしのためにリトル・インディアに出てきているのだそうだが、とりわけ夕方の日没時刻あたりになると、その混雑ぶりは頂点を極める。リトル・インディアが持つインド系の人々に対する磁力は注目に値する。
    男性だけで大混雑
    インド系の出稼ぎの人々は、市内各地に彼らが集まって暮らす地域があるようで、何もこの狭いエリアに集住しているわけではないとはいえ、やはりこういう場所だけに彼らが大人数で仮住まい生活を送るスポットはリトル・インディア界隈にいくつもあるようだ。
    普段は閉まったままのガレージのシャッターがたまたま開いているのをふと見ると、コンクリートの床の上に多数のマットレスが乱雑に置いてあったり、傍らに着替えやペットボトルがいくつも放置してあったりと、生活臭が漂っている。
    早朝、散歩していると肉体労働者たちを現場に送る手配師のトラックが行き交う。荷台に簡単な席がしつらえてあったり、プラスチックの椅子を置いてあったりという具合だ。モダンかつ先進的な都市国家シンガポールらしくない風景ではあるが。
    シンガポール市内各地にヒンドゥー寺院は散在しているし、インド系の人々の姿も多い。だがこのリトル・インディアのようにインド系の人々の密度が高い場所はないとともに、この『インド人街』が今の時代にあっても、内外から様々な目的でやってくる南アジアの人々の流れのひとつの重要な核となっていることに興味を覚えるのである。

  • ネパール王家の行方は?

    2月27日金曜日の本日より、ナラヤンヒティ宮殿が博物館として公開されているが、かつてここに起居していた元国王夫妻は目下インドに滞在中。
    2008年6月にネパール王室が廃止されたことにともない、それまで『ヴィシュヌ神の化身である王を戴くヒンドゥー王国』ということになっていたネパールが世俗国家となったわけだが、元国王としては王位とそれに付随する財産や権利等とともに、現人神としての神性をも失ったことになる。
    そんなわけで、旧王族たちは『一般人』となっているが、ギャネンドラ氏は家族14名を伴って2月25日にジェット・エアウェイズのデリー便にて出国。インドに2週間滞在する予定だ。
    王位を失ってから初めての外遊だが、以前のように外交旅券を手にすることはできず、今回からは一般の緑の表紙のパスポートを持つ民間人の立場だ。随行員の数も大幅に縮小しているとのこと。
    目的は、ボーパールで催される親族の結婚式に出席するためである。現在62歳のギャネンドラ氏の祖父、故トリブヴァン国王には二人の王妃があり、3人の王子と4人の王女をもうけたが、その中のひとりバラティ王女は現在のオリッサ州にあったマユルバンジ 藩王国のプラデイープ・チャンドラ・バンジ・デーオのもとに嫁いでいる。
    その娘のひとりであるコールカーター生まれのパドマ・マンジャーリーが、やはりオリッサ州の旧藩王国カラハンディーの元王家に属し、現在ジャナタ・ダルの政治家のウディト・プラタープ・デーオと結婚している。
    このたび、この夫妻の娘であるシュリー・マンジャーリーが、やはり旧藩王国の血筋を引くバンワル・アナント・ヴィジャイ・スィンと結婚することになった。ネパール元国王夫妻が出席する2月28日から3月1日にかけて開かれるウェディングには、インドおよびネパールの旧王族や政治家たちが多数顔を揃えるとのことだ。グジャラート州首相のナレーンドラ・モーディー、マッディヤ・プラデーシュ州首相のシヴラージ・スィン・チョーハーンといった大物たちの出席も予定されている。
    なお結婚式の後には、元国王家族はグジャラートのソムナートおよびドワルカの寺院を参拝するとのことだが、それだけではなくソニア・ガーンディー、カラン・スィン、L.K. アードヴァーニーといった有力政治家たちとの会談も予定されているとのこと。すでに権力を失っているとはいえ、今回の訪印に何か期するところがあるのだろうか。
    『一般人』になったとはいえ、抜きん出たステイタスを持つVIPであることは間違いなく、近年の政治動向からすこぶる萎縮してしまったとはいえ、背後に控える王党派の存在とともに、今後もネパールや周辺国において、一定の影響力を持つ存在であることはそう簡単には変わらないだろう。
    その潜在力があるうちに、元国王自身ならびに旧王族たちが、自らの将来のためにどういう選択肢があるのか、それらを踏まえて今後どういう動きに出て行くのか、ちょっと興味のあるところである。
    一般の市民とは異なる特別な存在であった王家が、やはり今後も他とは違うステータスを維持すべく、自国ネパールの社会のどこに自らの新たな居場所を築いていくか、あれやこれやと機会を覗いながら模索しているのではないかと思われる。
    ギャネンドラ元ネパール国王
    Gyanendra arrives in Bhopal for wedding ceremony (indopia)
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    ※『新加坡的印度空間?』は後日掲載します。

  • ネパール首都の宮殿博物館 本日オープン

    カトマンドゥのナラヤンヒティ宮殿が、本日2月27日(金)から宮殿博物館として一般公開される。
    宮殿が博物館として転用される第一段階において、地元紙カーンティプルおよびカトマンドゥ・ポストのウェブ版であるeKantipurの記事によれば、宮殿内の52ある部屋(メディアによっては90室あるのだとも・・・)のうち、19室のみが展示室として開放され、15人ずつ25分間のみ参観可能というから、ちょっと敷居の高い博物館ということになろうか。おそらく政治的に微妙な部分があることから、厳重な警備がなされるのだろう。
    この博物館は『シャハ王朝の真の歴史を知る』ための場所として位置づけられているようで、昨年6月に廃止された同王室の栄華をしのぶなどといったものではないようだ。宮中で繰り広げられた陰謀、政治の腐敗、人々に対する圧政などといった負の側面を人々の前に明らかにしたり、2001年にこの宮殿内で発生した殺戮事件の真相にも光を当てることが期待されているようだ。
    ただし宮殿建物の転用について、『博物館にするのは簡単かもしれないが、その後の施設の維持はどうやっていくのか?』と、おそらく財政的な部分から行く末を危ぶむ声もあるようだ。
    現在、同国政府を率いるマオイスト勢力の意向に沿う形での『王室犯罪史博物館』ないしは『革命運動博物館』といった色合いのものになるのかどうかよくわからないが、近いうちここを訪れる方があれば、ぜひそのご感想をうかがいたいものだ。
    Narayanhiti museum (eKantipur.com)
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    ※『新加坡的印度空間4』は後日掲載します。

  • Namaste Bollywood #17

    namaste bollywood 17
    4月18日から日本でも各地でロードショー公開されることが決まっているスラムドッグ・ミリオネアのアカデミー賞8部門受賞の興奮の渦の中、おなじみNamaste Bollywoodの最新号が発行された。
    今号の表紙を飾るのはディーピカーだ。2007年後半にオーム・シャーンティ・オームを観たとき、スクリーンの向こうの彼女に一目惚れしてしまった私である。飛び抜けた美貌もさることながら、まだキャリアは浅いものの確かな演技力、そして瞳の力や眼差しの表現力に豊かな将来性を感じるのは私だけではないだろう。この人は何か持って生まれたものが違う気がする・・・と。
    そんな彼女が今年の日本で大きくブレイクしそうな予感がする。Namaste Bollywood #17によれば、チャーンドニーチョウク・トゥ・チャイナが、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭で、スラムドッグ・ミリオネアとともに招待作品部門にて上映されるとのこと。
    もちろんそれだけで日本の映画ファンの耳目を集めるはずはないのだが、なんと5月30日から東京新宿のシネマスクエアとうきゅう、舞浜のシネマイクスピアリにてロードショー公開されることが決まったそうだ。配給元はワーナーブラザーズで、日本語による公式サイトもすでに用意されている。
    このところハリウッド資本がボリウッドに進出してきており、今後もその傾向はますます強まるものと思われる。果たしてこれが地元の映画産業にとって手放しで喜べるものなのかどうかについて判断するのは時期尚早と思われる。
    だが少なくとも肯定的に受け止めることができるのは、米国資本による配給ルートを通じて、これまでインド映画圏外であった地域においても、ごく普通にロードショー公開される作品が増えるのではないかということだ。
    『インド映画というモノは云々』と、良くも悪くも特別扱いするのではなく、『ごく普通に』という部分が肝心なのではないかと私は考えている。
    観客に余計な先入観を与えることなく、また観る側もそうした雑音に惑わされることなく、ただひたすらスクリーンの上で展開していく美しい映像、楽しいストーリーを満喫すればいいだけのことだ。世の中に星の数ほどある数々の作品の中のひとつに、たまたまインドで作製された、あるいはインドを題材にして制作された映画があり、それがとびきり印象的だった・・・ということでいいのだ。
    もちろんチャーンドニーチョウク・トゥ・チャイナは、日本の観客たちにとって、とても新鮮な映像として捉えられるであろうことは間違いないだろう。人によって程度の差こそあれ、私たちは香港発のカンフー映画にそれなりに親しんできて、私たちなりにカンフーに対する既成のイメージを抱いている。
    だがこの作品に出てくるのは、それとはずいぶん違った味付けのインドテイストな中国の描写であり、カンフーアクションなのだから。また作品内で異なる二つのキャラクターを演じ切ったディーピカーに、インドからやってきた新たな麗しきヒロイン像として一気に注目が集まること必至と予想される。
    なお彼女がボリウッド作品に初めて出演したオーム・シャーンティ・オームが、3月に開催される国際交流基金アジア映画ベストセレクションにおいて上映されるとのことだ。
    2009年は日本で公開されるボリウッド作品がいろいろ続きそうな予感。追い風の中、Namaste Bollywood発の新鮮なインド映画界の情報に今後ますます期待しよう!
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    ※『新加坡的印度空間?』は後日掲載します。

  • 新加坡的印度空間 3

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    シンガポールという都市自体がそうであるように、その中にあるリトル・インディアもまたグルメな街である。昔からここに住み着いている人たちはタミル系が多いとはいえ、南インド料理以外にも、ムグライ、ベンガーリー、スリランカ等々、亜大陸のさまざまな地域の味を楽しむことができる。
    そうした中には高級店もあるが、ここで働いていたり暮らしていたりする人相手の庶民的なものもまた多い。後者の場合、まるでインドの安食堂をそのまま持ってきたようなものもあれば、小ぶりなホーカーズ・センターのようになっているものもある。後者の場合、往々にして中華式メニューも同時に楽しむことができたりする。
    昼食を済ませて、リトル・インディア地区内をぐるぐる巡ってみると、今や地下鉄駅がふたつもできていることに気がついた。このエリアの最寄り駅は、North East LineのLittle IndiaもしくはFarrer Parkである。
    その名も『ヒンドゥー・ロード』
    ところでこのあたりの地名にもなかなか面白いものがある。このエリアにはその名もヒンドゥー・ロードというのがあるし、ダルハウジー・レーンクライヴ・ストリートというのもある。この地域以外でも、シンガポールの通りの名前でマウントバッテン・ロードがあるなど、インド植民地行政の立役者の名前が散見されるのは興味深い。
    南インド系のスリ・ヴィーラマカリアマン寺院
    北インド系のシュリー・ラクシュミーナラヤン寺院
    アーリア・サマージとD.A.V.Hindi School
    シンガポールでは、ここに住むさまざまな民族の宗教施設が見られるが、リトル・インディアにおいても、ヒンドゥー教関連施設も南インド由来のものや北インドからのものなどいろいろある。アーリア・サマージのお寺の上階には、D.A.V. Hindi Schoolのシンガポール本部が入っている。イスラーム教のモスクにおいても、グジャラートのスンニー派のAngullia Masjidをはじめとして、さまざまなコミュニティのものがあるようだ。
    数世代に渡って定住している人々、加えて出稼ぎ人たち、はてまた観光客を含む一時滞在者等々、亜大陸の東西南北各地に起源を持つさまざまなインド系の人々が、マレー風ショップハウス形式の建物が並ぶ景色の中でごっちゃになっているという図はなかなか興味深い。

  • 新加坡的印度空間 2

    State Bank of India
    美味しいバクッテーの店から徒歩でリトル・インディアに戻る。途中、異国にあってちょっと懐かしい感じを覚える店舗を見つけた。今日は日曜日なので閉まっているが、『ステイト・バンク・オブ・インディア』のリトル・インディア支店とある。
    手持ちのシンガポール・ドルがあまりないので、両替を兼ねて宿近くのムスタファ・センターに行ってみる。インド系ムスリムのオーナーが経営するショッピングセンターで、1200人を越えるスタッフを擁するとても大きなものだ。
    ムスタファ・センター
    ウェブサイトを見てもわかるとおり、アクセサリー、化粧品、時計、電化製品などから医薬品、衣料品、両替なども行っている。また食料品や雑貨類を取り揃えたスーパーマーケットも入っているなど、いろいろ手広く展開しているようだ。従業員のほとんどがインド系だが、お客の半分以上もまたインドを含む南アジア系の人々だろうか。地元の人たちよりも、明らかに国外から来たと思われる人のほうが多いようだ。店外に掲げられた国際通話の広告も幾つかのインド系言語で書かれている。
    ベンガル語(上)とタミル語(下)の看板
    ひたすら商品を眺めるだけの人たちもあれば、何でこんなに?と思うほど買いまくる人もある。そうした人たちは店外に出てから待ち受けている仲間にその品々を渡し、巨大なスーツケースの中にそうした品々を詰めさせている。そして再び店内に戻っていくのだ。一体何をしているのだろうか。
    店内は朝方からずいぶん混雑しているのに驚かされる。以前ここで中東への輸出仕様らしきシチズン製の金色の腕時計を見たことがある。文字盤にはアラビアで使われている数字があしらわれており、さらにダイヤ風にカットされたガラスが無数に埋め込まれているというスゴイものを見つけたことがある。
    今でもそうしたものが売られているのかどうか知らないが、日常使うようなもので何か面白い掘り出しものがあればと思ったのだが、休日であるためか非常に込み合っており、身動きが取れずどうにもならず、早々に退散する。
    Made in China
    表通りのセラングーン・ロード(黄亜細肉骨茶餐室があるラングーン・ロードとは別の道路)を歩いていると、『2個で5S$』『3個で10S$』などといった表示が目に入る。店内ところ狭しと並んでいるのは、ヒンドゥーの神像。持ち上げて底を見ると『Made in China』とある。道理で台座の部分にデタラメな『インド風』文字が刻まれていたりするものもあるわけだ。ガネーシュが描かれていながらも、横に掛けられた穴開き銭とともに、柄やデザインがどうにも中華風に見える壁掛けなども見られる。売り手は華人であった。
    なんだか中華風
    リトル・インディアに暮らすインド系の人々による、ちゃんとインドから輸入した神像その他を売る店は以前からいくつもあるのだが、こうした店は私の記憶にはなかった。近ごろは中国大陸の旺盛な工業力は、インドの宗教の分野にも進出しつつあるということなのだろうか。ともあれ値段の割にはけっこうしっかり造ってあるため、おみやげとして購入する人は少なくないようだ。
    インドの衣料品店
    インドの衣類を販売する店、花輪を売る露店、ミールス屋に映画DVD屋その他いろいろインドな店舗が続く。ミターイー屋に入り、いくつか菓子を買ってその場で食す。店の奥ではインド系店主がデンと構えているものの、店先でお客の注文聞きにチョコマカ忙しそうに動くのは中華系の店員。ちょっと不思議な空間だが味は上々。
    ちょっとくたびれたら甘いお菓子を!
    観光客の姿も多く、込み合ってはいるもののけっこう整然としている表通りに比べると、裏通りはここに暮らしてきた人々の生活空間といった感じで、簡素や食堂や細々とした日用品を扱う店が軒を連ねるとともに、友人や知人たちが一杯のチャーイを片手に語らう場もある。
    このエリアを出入りするベンガル系の人々の数は相当なもののようで、ムスタファ・センター近くの一角には、ベンガル文字のみが溢れ、ベンガル語が飛び交う雑貨屋、映画・音楽ソフト屋、食堂などもあり、ミニ・ベンガルといった様相を呈している。
    密度の濃い商業地なので、細い道路一本越えると様相がガラリと変わる。こちら側では米穀、野菜などといった食材を商う店ばかりでも、そのすぐ裏手にはダンスバーがあったりする。そうした通りのまた路地裏では、性風俗関係の店が隠密に営業しているが、そうした地域ではヒジュラの姿もチラホラ見かける。彼ら(彼女ら?)はどういう経緯で、シンガポールくんだりまでやっくることになったのだろうか。

  • 新加坡的印度空間 1

    Little India
    シンガポール空港に着いた。着陸したのは午前4時半。ターミナルビルに入ってから入国管理、税関、そしてゲートを出てから両替してからタクシーに乗る。まだ5時を少し回ったところだ。なんと効率の良い空港だろうと思う。
    タクシー運転手は中華系の男性。こちらは眠くて仕方ないのだが、陽気でおしゃべりな人だ。シンガポールはポイ捨てだのトイレを流さなかっただのといった細かいことにまで、やたらと罰金の規則が多い国だが、空港の手際の良さもまたそうしたペナルティによるものが大きいのだという自説をまくしたてる。
    『空港内には放置された荷物カートなんかひとつもないでしょう。生活かかってるからねぇ。係員の不手際が見咎められたら、50S$も取られるんだから。たまんないねぇ』
    彼に言わせると、入国管理のカウンターで理由もないのに大混雑にでもなれば、係官が処分されるだろうとのこと。
    しばしば『シンガポールは人工的で面白くない』と言う人は少なくないが、新興住宅地育ちの私にとっては、育った環境と近似する部分が多いので親しみやすいのと同時に、こうした環境下で多民族が共生している様子はなかなか興味深いものがある。
    経済成長著しい新興国(・・・というコトバは私自身好きではないが)ならば、10年近くの歳月を空けて空港から市内に向かうだけでも『ずいぶん変わったなあ』と感じるところだろうが、さすがは成熟した都市国家シンガポール。少なくとも車窓から見たところこれといって大きく変身したという感じではないようだ。『このハイウェイを抜けて、あのビルが見えてくると、ここのランプで降りて・・・』という頭に描いたシナリオ通りの風景が目の前に展開していく。
    よく淡路島程度・・・と表現される非常にコンパクトな国土の小さな国家であるのとは裏腹に、道路は広く建物も大ぶりなものが多くて立派な感じがする。
    タクシーはハイウェイを降りてから、ブギスを経由してセラングーン通りを北上する。24時間営業のインド系大型量販店、ムスタファ・センター脇の小路に入る。午前5時半過ぎだが、こんな時間でもけっこうお客が入っている。
    あらかじめメールで予約してある宿泊先は、インド人街だが華人宿で、オーナーが家族で経営している。部屋に入ってしばし仮眠してから再び階下に下りてフロントで尋ねる。『このあたりで美味しいバクッテー(漢字で『肉骨茶』と書く)の店はどこにありますか?』
    バクッテーとは、マレー半島の華人料理のひとつで、通常朝食のために供される豚のスペアリブのハーブ入りスープだ。多くは専門店となっており、朝早くから開店して忙しい店内で次々にお客をさばき、完売した時点で閉店というところが多い。まだ人通りが少なく閑散としている通りで、バクッテーの人気店だけは人だかりがしているという光景をよく目にするものだ。
    経営者の奥さんはしばし首をかしげて答えた。
    『確かあそこが人気あるみたいだけど、店の名前は何だったかしら。場所をどう説明したらいいかしらねぇ?』
    この人自身はあまり外食しないそうだ。
    彼女は宿の外に停まっているタクシーに何か声をかけている。
    『彼がよく知っているから乗っていけば?』
    日々街中を縦横に巡っている運転手は旨いものに詳しいのは、どこの国でも同じだ。
    クルマに乗り込むやいなや、彼は私に質問した。
    『白と黒とどっちがいい?』
    白か黒かというのはスープの色のことで、ベースはあっさりしておりクリアーだが、胡椒がピリッと効いた『白』は地元シンガポールの味、醤油味でハーブを多用した濃厚な『黒』はマレー半島の味覚なのだという。私はどちらも好きだが、とにかく腹が減っているのでおいしいところならば白でも黒でも構わない。

    ラングーン・ロードにある黄亜細肉骨茶餐室という店の前でタクシーを降りる。日曜の朝だというのに、ここで食事する多くの人々で込んでいる。私もその中に混じって注文すると、まもなく香り高いバクッテーが運ばれてきた。赤身と脂肪がたっぷりついたスペアリブがゴタゴタと入った汁と合わせて食べるのはご飯もしくは中華式のお粥に添えられるのと同じ類の揚げパン。
    美味なる朝食
    朝食というよりも、むしろランチか夕食に似合いそうな濃厚な一品だが、これを食すと華人のエネルギーを分け与えてもらったような気になる。夜通しのフライトだったので少々眠いが、フレッシュな一日のスタートである。
    このお店、私は初めてで全く知らなかったがかなりの有名店らしい。屋号でグーグル検索するとたくさんひっかかってくる。朝から幸せ気分にしてくれた運転手さんに感謝である。

  • こだわりのコンパクトデジカメ続々登場

    デジタル一眼レフの低価格化が進んでからというもの、猫も杓子も一眼レフという状況になり、ハイエンドなコンパクトデジカメが市場からほとんど姿を消すという異変が起きたのは3、4年ほど前のことだったと記憶している。
    今やブームも一服したと見るべきか、それがゆえにサブ機として機能性の高いコンパクト機の需要が喚起されたと捉えるべきなのかどうかはわからないが、1年くらい前からコンパクトデジカメの高級機がいろいろ出てきていることは喜ばしい。
    2008年3月に発売されたシグマのDP1は個性が強すぎて万人受けするものではないとしても、7月にリコーから先代のGX100から完成度を高めたGX200、8月にパナソニックから出たLX3と、その時点で何かコンパクト機を購入しようと考えているならば、どちらも最良の選択となると思われる良品が続いた。リコーにしてもパナソニックしても、従来から広角に重きを置いたモデルを展開している。変な言い方かもしれないが、コンパクト機らしい使い方がちゃんとできるカメラを生産するメーカーである。
    それではコンパクト機らしい使い方がなかなか出来ないものとは何かといえば、高級志向を狙っていても、やたらと倍率の高いズームを搭載している割には、広角端が35mm相当でしかないものがけっこうある。
    レンズ交換のできないカメラであるがゆえに、28mmから始まるものでないとなかなか使いにくいし、あまりに倍率の高いズームレンズがこの類のモデルに必要なのか疑問だ。一体何を撮るというのだろう。特に望遠側において、解像度の点でも、またF値が極端に暗いことなどからも、あまり実用的とは思えない。
    ごくごくまっとうに考えれば、24mmないしは28mmあたりから70〜80mmくらい、あるいはせいぜい100mmくらいまでの幅のズームで、広角側での歪みが少なく、比較的明るいレンズが搭載されていればいいと思うのだが、そういう素直なカメラがあまり出回っていなかった。
    昨年秋ごろから最大手のキヤノン、ニコンといったメーカーも、ようやくこの路線のカメラを出してきたことは注目に値する。昨年9月にニコンからCOOLPIX P6000、同じく10月にはキヤノンからPowershot G10が発売されている。
    NIKON COOLPIX P6000
    CANON POWERSHOT G10
    どちらも28mmから始まるズームレンズを持ち、それまではリコーないしはパナソニックの独壇場だった広角ズームレンズ搭載高級コンパクトデジカメの領域に踏み込んできて、なかなか面白いことになってきた。
    だが高級コンパクトデジカメの頂上を制するのは、発売時期未定だが今後パナソニックから出てくる予定のマイクロフォーサーズ準拠のレンズ交換式一眼デジタルカメラではないかと思う。これまでのコンパクトデジカメと違い、デジタル一眼から派生したタイプのカメラになるのだが、サイズとしては明らかにコンパクト機と重なるものであり、しかもレンズ交換式であり、拡張性という点では他と比較にならない。
    パナソニックのマイクロフォーサーズモデル。名称、発売時期、価格いずれも未定
    すでに発売されているマイクロフォーサーズ規格のパナソニックのLUMIX G1は、あくまでも従来型の一眼レフ(G1は構造上一眼『レフ』ではないので、メーカー自身も『デジタル一眼』と称している)が軽く小さくなったものという、オーソドックスな位置づけをしているのに対して、オリンパスのほうはこれまでになかった新しいジャンルの開拓を目指しているようだ。
    今年発売されるカメラの中で、その革新性から最も注目を浴びる可能性が高い。G1のほうは『女流一眼』というキャッチコピーで、女性への浸透を狙った。(だがフランジバックの短さから、マウントアダプターを介してさまざまなマニュアルレンズを装着可能なことから、昔からのカメラマニアたちにもよく売れているという)
    オリンパスは自社から出る新モデルをどう売り込んでいくつもりなのかわからないが、普段から上着のポケットに放り込んで持ち歩くことができる、操作性や画質が他を大きく凌駕するコンパクトデジカメとして注目されるのではなかろうか。すると当然のごとく、最良の旅カメラとしても期待したいところである。

  • 偽札はお持ちですか?

    インディア・トゥデイ2009年2月16日号英語版
    インディア・トゥデイ(英語版2月16日号P.20〜P.30、ヒンディー語版2月18日号P.16〜P.24)に、偽造通貨に関する興味深い記事が出ていた。同誌を購読されていなくても多少なりとも興味のある方は、ウェブ上のPDF版をご覧いただければと思う。登録(無料)すれば、これをそのままダウンロードすることもできる。
    以前は同誌ウェブサイトで定期購読者以外に提供される情報はかなり限定されていたものだが、昨年あたりから方針が変わったのか発売中および過去の誌面のPDF版を誰でも閲覧およびダウンロードできるようになっている。
    これが売り上げにどういう影響を与えるのかよくわからないが、インドで今起きていることを伝える社会の公器であるマスメディアとして、模範となる姿勢だと私は感じている。内容はもちろん、広告を含めて市販されているものと同一だ。私は紙媒体は読み終えたらすぐに処分しているが、後で何か参照したいときに便利なので、毎週PDF版を自宅PCに保存している。
    売り上げといえば、取り立てて大きな事件が起きなかった今週号だが、かなり興味をそそる特集だっただけに、かなり販売部数を伸ばしたのではないかと私は推測している。ある意味、テロよりも身近で重大なテーマだけに、続報が待たれるところである。
    さて、前置きが長くなってしまったが本題に入ろう。『FAKE CURRENCY』というタイトルの特集記事は、流通しているインドのお金のうち9千億ルピーあるいは通貨の15%が偽物であるというショッキングなもの。記事冒頭には偽通貨の流通ネットワークがイラストで示されている。
    パーキスターンのカラーチー、ラーホール、クウェーターおよびNWFPで製造されたものが、ネーパール、バーングラーデーシュといった近隣国を通じて流れるルート、UAEのドゥバイからシンガポール、バンコクなどを経由して回流するルートがあるとのこと。また国内でこれらの流布の中心となっている地域としては、カシミール、ラージャスターン州のバールメール、グジャラートのカッチ地方、カルナータカのマンガロール、ケララ北部、チェンナイ、西ベンガルのマールダー、U.P.北部などが挙げられるのだという。
    昔から偽札に関する報道はメディアに出てくることはあったが、ここにきてその規模が格段に大きくなっている(500ルピーおよび1,000ルピーの額面の紙幣において発見さる偽札の数は、最近3年間で何と10倍になっているとか)こと、造りが非常に精巧になっていること、インド経済に与えるインパクトの大きさ、テロ活動の資金源となること、またこれらに対する当局の対応が後手に回っていることなどに対して警鐘を鳴らそうというのがこの記事の趣旨のようだ。
    背後には、インド出身で現在パーキスターンに潜伏しているとされる、もはや神話的存在(かなり若いころの写真しか出回っておらず、今では整形手術等でかなり違った風貌になっているらしい)となっている大マフィアのダーウード・イブラーヒムおよびバーキスターンの三軍統合情報部(ISI)の関与が指摘されるなど、非常に大掛かりなものらしい。
    P.22には、本物と偽物の紙幣の見分け方が図解されている。思わず手持ちのルピー紙幣を取り出して、マジマジと点検してしまう。ただしここに書かれているのは、現行のデザインの紙幣にセキュリティ強化のためのマイナーチェンジが行われた2006年以降に発行されたものに限った話だ。お札を縦に走る銀色の線の部分の具合が他の紙幣と違ったり、裏面に印刷年がなかったりしても、それが即偽札だと早トチリする必要はない。もっとも2005年以前に発行された紙幣のついての見分け方は出ていないので、ここに示されている内容だけで真贋の見分けがつくとはいえず、あくまでも2006年以降発行された紙幣についての話だ。最近、コールカーターの地下鉄車内でも同様の掲示物を目にしたことをふと思い出した。
    ただし今後偽札に対する警戒感が高まってくると、額面の大きなお札については、2005年以前に出た紙幣の受け取りが拒否されるケースが出てこないとも言えないだろう。自国通貨ではないが、外貨両替においてはそういう実例がある。
    1996年に米ドルのデザインが変更され、それ以前に発行された紙幣よりも肖像部分が大きくなっている。それよりも前に出た旧型紙幣も米国ではリーガルな通貨だが、偽札が多数存在するため、米国外では国により使えないことがあることは広く知られているところだ。
    新札でも50ドル、100ドルといった額面の大きなものになると、発行年やシリアルナンバー冒頭のアルファベット記号によっては、受け取りを拒否されることがあり得る。悪名高きCBナンバーなどはその典型だ。これまでに発見された精巧な偽札の存在がその原因だ。
    この紙幣見本のシリアルナンバーが『AK』から始まっているが、もし『CB』だと国によっては受け取ってもらえないことがあるので要注意
    すでに流通している偽札について、現金を扱う金融機関で厳重にチェックされているわけでもないようで、銀行の窓口やATMで普通に受け渡しがなされているようで、私たちがそうとは知らずに、パーキスターン製であるとされる偽インド紙幣を手にする機会は案外多いのかもしれない・・・というよりも、冒頭の偽札の割合が15%という数字が確かなものであるならば、相当頻繁にそれらを手にしていることになる。
    さて、手持ちの高額紙幣をすべからず点検してみて、『コレは怪しいゾ!?』というお札を見つけたらどうしようか?通常、それらは額面の大きなものであることから、記念に保存しておくよりも、むしろ『変だな』と思ったらそそくさと使ってしまうことだろう。金融機関に確認に出向くなんて面倒なことはしないし、警察署に届け出ようものならばかえって無用なトラブルに巻き込まれそうで怖い。
    運悪く所持金に混じっていた偽造通貨を当局に提出したら、相応の報奨金がもらえるような手立てがなされているわけではない。ゆえに『私が偽造したんじゃない。大切なお金を没収されたりしたら元も子もないではないか。アホらしい』『汗水流して稼いだんだ。れっきとした銀行のATMから引き出したお札がたまたまニセものだったとしても、なぜ私が自腹を切る必要があるのか。まったくもって馬鹿らしい』と、まずは自らの懐のことを、私を含めて多くの人々が考えるはず。かくして偽札は大手を振って世間を渡っていくことになる。
    偽札対策には、大衆への啓蒙や当局並びに金融機関でのチェック強化のみならず、不幸にしてそれを手にしてしまった個々(個人ならびに企業)への補償を含めた対応もまた不可欠なのではないかと思う一小市民の私である。偽造の手間は変わらないことに加えて、その旨みからしてニセ札は高額紙幣に集中している。ゆえに財布の中にそれを見つけてしまった場合、とりわけそれが個人の私財であった場合の苦悩を政府は汲み取るべし!! ・・・とはいえ、流通している通貨の15%を補償するというのは無理な相談に違いない。どうするんだろう、この偽札対策?
    ところで、あなたは偽札お持ちですか??
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