ネパール王家の行方は?

2月27日金曜日の本日より、ナラヤンヒティ宮殿が博物館として公開されているが、かつてここに起居していた元国王夫妻は目下インドに滞在中。
2008年6月にネパール王室が廃止されたことにともない、それまで『ヴィシュヌ神の化身である王を戴くヒンドゥー王国』ということになっていたネパールが世俗国家となったわけだが、元国王としては王位とそれに付随する財産や権利等とともに、現人神としての神性をも失ったことになる。
そんなわけで、旧王族たちは『一般人』となっているが、ギャネンドラ氏は家族14名を伴って2月25日にジェット・エアウェイズのデリー便にて出国。インドに2週間滞在する予定だ。
王位を失ってから初めての外遊だが、以前のように外交旅券を手にすることはできず、今回からは一般の緑の表紙のパスポートを持つ民間人の立場だ。随行員の数も大幅に縮小しているとのこと。
目的は、ボーパールで催される親族の結婚式に出席するためである。現在62歳のギャネンドラ氏の祖父、故トリブヴァン国王には二人の王妃があり、3人の王子と4人の王女をもうけたが、その中のひとりバラティ王女は現在のオリッサ州にあったマユルバンジ 藩王国のプラデイープ・チャンドラ・バンジ・デーオのもとに嫁いでいる。
その娘のひとりであるコールカーター生まれのパドマ・マンジャーリーが、やはりオリッサ州の旧藩王国カラハンディーの元王家に属し、現在ジャナタ・ダルの政治家のウディト・プラタープ・デーオと結婚している。
このたび、この夫妻の娘であるシュリー・マンジャーリーが、やはり旧藩王国の血筋を引くバンワル・アナント・ヴィジャイ・スィンと結婚することになった。ネパール元国王夫妻が出席する2月28日から3月1日にかけて開かれるウェディングには、インドおよびネパールの旧王族や政治家たちが多数顔を揃えるとのことだ。グジャラート州首相のナレーンドラ・モーディー、マッディヤ・プラデーシュ州首相のシヴラージ・スィン・チョーハーンといった大物たちの出席も予定されている。
なお結婚式の後には、元国王家族はグジャラートのソムナートおよびドワルカの寺院を参拝するとのことだが、それだけではなくソニア・ガーンディー、カラン・スィン、L.K. アードヴァーニーといった有力政治家たちとの会談も予定されているとのこと。すでに権力を失っているとはいえ、今回の訪印に何か期するところがあるのだろうか。
『一般人』になったとはいえ、抜きん出たステイタスを持つVIPであることは間違いなく、近年の政治動向からすこぶる萎縮してしまったとはいえ、背後に控える王党派の存在とともに、今後もネパールや周辺国において、一定の影響力を持つ存在であることはそう簡単には変わらないだろう。
その潜在力があるうちに、元国王自身ならびに旧王族たちが、自らの将来のためにどういう選択肢があるのか、それらを踏まえて今後どういう動きに出て行くのか、ちょっと興味のあるところである。
一般の市民とは異なる特別な存在であった王家が、やはり今後も他とは違うステータスを維持すべく、自国ネパールの社会のどこに自らの新たな居場所を築いていくか、あれやこれやと機会を覗いながら模索しているのではないかと思われる。
ギャネンドラ元ネパール国王
Gyanendra arrives in Bhopal for wedding ceremony (indopia)
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※『新加坡的印度空間?』は後日掲載します。

「ネパール王家の行方は?」への4件のフィードバック

  1. ネパ者にとって、タイムリーな話題を連続してくださったこと。ありがとうございます。ふむふむ。あっちとこっちの親戚関係、整理できました。
    ギャンさんの元の自宅公開については、日本のテレビメディアでも報道できました。私のサイトでも、現場からの報告、先ほどUPいたしました。
    なんとなく、当たり障りのない。批判や論評精神のない博物館でした。今後、マオ派政府から「コレデハ、ナマヌルイ」となるかどうかは、政権の行方にも左右されるでしょう。多分ここが「旧王制に対する批判」の色になるときは、ネパール国自体が、かなり毛沢東色になったときだと思います。
    王冠などの宝物展示の行方とあわせ、先行きまで、気長に見守りたいと思います。

  2. さっそく例の博物館に行かれたのですね。
    とてもうらやましいです。私もいつか煤けてしまう前に訪れてみたいと思います。
    なるほど、やっぱり維持管理は大変そうなのですね。それまでかかっていた尋常ではない費用が、人々のためにちゃんと使われるようになるとすれば、それは良いことに違いないとは思います。
    ところで、ネパールの国の組織についてよく知らないのですが、王室があったころには、たぶん宮内庁に相当する機関があったのではないかと思います。
    王室が廃止されてから、なんらかの形で王室にかかわるところに勤めていた人たちは、旧王族の人たちよりもずっと大変なんでしょうね。
    「ここに就職すれば一生安泰」だったはずなのに・・・というはずだったのかもしれないけど、まあ人の世ってのは先行きどうなるかわからないものですねぇ。
    よほど特技や実力があればともかく、やっぱりツテとかコネってのが大事なのはどこの国も同じなようで・・・。

  3. たびたびで失礼します。
    王制時代の王室職員は、一般の公務員とは別枠で、王室が雇用していました。ここには国王の秘書官、広報官から、身の回りの世話をする人たちまでいました。また、各親王、内親王家にも、王室職員に準じた人たちが雇用されていました。
    ホワイトカラーの上級職員の場合、先祖代々王室を支えていた、カトマンズの裕福なブラーマン、ネワールなどの(いわゆる)上位カーストの人たちです。私の知っている王室職員たちは不動産収入等が潤沢にあり、また、休日にビジネスをしたり、コンサル業をしていました。王室職員の仕事は、副職のための人脈作り....って感じもしました。
    ブログにも書きましたが、退職しなかった人たちはそのまま、博物館に雇用された人も居ます。身の回りの世話をしていた方たちには、元国王からの退職金も出たようです。口を謹んでほしいという意味合いもあったかと思いますし、代々王室に勤めていた一族の人も多く。まあ.....
    首相によるオープニングの日には、王制廃止前に王室職員を自主退職した人の顔もあり、何だか、同窓会のようでした。故スルーティ王女や、プレラナ(元)王女の結婚式を取材したときの、ネパール宮内庁と我々メディアの、互いの立場からのせめぎ合いとか。今となっては懐かしい想い出として、しみじみ語り合ってしまいました。

  4. なるほど、なるほど。興味深そうですね。王室の職員にはそういう方々の姿があったのですか。
    当面カトマンズを訪れる予定はなかったのですが、とりあえず王宮博物館を見物しに足を伸ばしてみたいなあ・・・うーん、近々行ってみたいなあ・・・と、あれこれ思う今宵であります。

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