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カテゴリー: column

  • ラオスの刑務所で

    インドとはまったく関係のない話で恐縮ではあるが、滞在先のバンコクで手にした英字紙Bangkok Postにショッキングな記事が出ていた。
    『妊娠中の英国女性に銃殺刑迫る』
    ラオスで麻薬密輸容疑で逮捕されたナイジェリア出身の英国籍女性が、昨年8月にラオス首都のヴィエンチャン空港からタイのバンコクへと出国しようとしていたところ、686gのヘロイン所持していたため逮捕され、近々判決が出ることになっているのだという。
    現在、ラオスではヘロインを500g以上所持していると極刑に相当することになっており、近く開かれる法廷で有罪となれば、銃殺刑に処せられることになるのだそうだ。 だが彼女は妊娠中。今年9月に出産予定だという。
    在ラオスの英国大使館は、彼女が拘禁されるようになって数ヶ月経つまで、それを知らなかったという。その後毎月20分だけ大使館の担当者との面会が、ラオス当局者の立会いのもとで認められているだけとのことだ。
    1988年生まれのSamantha Orobator Oghagbonは現在20歳。第三者のために運ぶことを強要されたと主張しているという。
    彼女は昨年7月に休暇でオランダ、タイを訪れた後にラオスに行き、ここから8月6日に空港から出国しようとしたところで逮捕されて以来、彼女は女性刑務所に収監されている。ここは囚人たちへの虐待ぶりの酷さで悪名高いところであるらしい。
    本人はヘロイン所持の事実を認めているとはいえ、それが死刑に相当するものであること、また彼女が妊娠中であり、産まれてくる予定の子供には何の罪もないこと、また出産予定時期からして、その妊娠とは明らかに刑務所に収監されて以降のものであり、刑務所のスタッフによる暴行の結果であるらしいことが取り沙汰されていることなど、非常に考えさせられるものがある。
    目下、在ラオスのイギリス大使館を通じた外交努力が続けられており、また今月7日にラオスとイギリスの間で、犯罪者の引渡しに関する協定が結ばれたことから、この女性が極刑を逃れてイギリスに移送され、自国で服役できる可能性も開けてきたようではあるが、近々下りる予定の判決がとても気にかかるところである。
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    LOCKED UP IN A HELL-HOLE (Bangkok Post)
    Diplomat meets pregnant Briton in Lao jail (Bangkok Post)

  • タバコにビックリ

    口腔ガンの写真入り
    『マールボロ・ライトを下さい』
    代金を渡して手にしたパッケージにプリントされている鮮やかなカラー写真を目にしてギョッとする。ガリガリにやせ細った身体の男性。鼻や喉に管を差し込まれ、口元はプラスチック製のカバーに覆われた瀕死の状態の人物は、個人が特定できないように、目元だけには強いボカシが入っている。
    バンコクの大通りの歩道脇の雑貨屋。店番の女性は、ヴィックス・インヘラーの類似品みたいなものを鼻に当ながら、クルマやバイクの忙しい往来をボンヤリ眺めている。本来は鼻づまり対策のものだが、強いメンソールの刺激で清涼感を得られるためか、この暑い国ではカゼを引いているわけでもないのに常用している人が多い。
    『これ、ちょっと替えてもらえますか?』
    タバコが身体に悪いのはわかっているし、今やたいていどこの国でも警告文が入っているが、いくらなんでもこれはあんまりだろう。
    彼女が次に差し出してきたのは口腔ガンの患部の写真。これまた酷いものだが、さらにまた別のグロテスクな写真が出てくるのだろうから、このまま受け取っておく。
    店先にぶら下がったタブロイド版の新聞のトップに、ユーモラスなワニの顔の大きなカラー写真が掲載されている。だが口にくわえているのは人間の手であることに気がついてギョッとする。肘のあたりで捻じ切られたようになっている。あまりに生々しくて怖ろしい。
    バンコク・ポストなど英字紙では、こうした残酷写真の掲載については、比較的抑制が効いているようではあるが、タイ語の一般紙では事故や事件などの報道で、ちょっと信じられないような酷い写真を掲載しているし、そうした画像を集めた専門誌?も存在するようだ。
    泰国義徳善堂や華僑報徳善堂のような、華僑を中心としたお寺の檀家集団による互助会が、盛んに救急活動をしていることは広く知られている。これら活動拠点では社会から広く資金を募っている。これまでの活動実績をアピールするため、交通事故や殺人事件など、思わず目をそむけたくなるどころか、即座に記憶から消し去りたくなるような凄惨なカラー写真が展示されているのを目にしたことがある方は多いだろう。
    過激な写真がメディアその他に広く散在しているだけに、タバコの『タバコは害である』といった警告文とともにこうした画像が入ったところで、とりたてて驚くほどのことではないのかもしれない。あるいはこうしたパッケージを見慣れてしまうと、怖い写真も箱に描かれた模様の一部のように感じられてしまうのかもしれないが、これを初めて手にした私にはとてもショッキングであり、この箱を手にすると気が滅入る。
    タイで、以前はこんな警告写真は見かけなかった。おそらく最近導入されたものなのだろう。現在、世界中の多くの国々でそうであるように、タイも喫煙者の数と非喫煙者の受動喫煙の機会を減らすよう長年努力してきている。パッケージに印刷されたどぎつい警告写真もその運動の一環であろう。
    タイにおける受動喫煙防止と法体系
    もともと南米でインディヘナの人々特有のものであった喫煙の習慣を欧州に持ち帰ったのは征服者であった欧州人たちであり、その後世界各地にタバコが広まっていったのはご存知のとおり。だが近年の嫌煙化の流れの中で、愛好家による嗜みから、野蛮な奇習という扱いになっていくのかもしれない。
    私はだいぶ前に禁煙しており、普段はタバコを吸わない。だが酒を飲みに出かけたり、ちょっと旅行に行ったりする際のみ、その禁を解くことにしている。そのため完全な非喫煙者であるとはいえないのだが、このグロテスクな一箱でやめにしておこう・・・と思った次第である。
     

  • ヒトもまた大地の子 2

    現代のヒトは、野山で狩猟採集生活を送っているわけではないし、そうしたやりかたでは大地が養いきれないほど膨大な人口を抱えている。私たちがこうやって暮らしていくことができるのも、自らが造りだした文明のおかげだ。今後とも発展を続けていくことこそが、私たちの社会が存続していくことの前提なのだから、私たちの生産活動を否定するわけにはいかない。
    古の彼方、ヒトという生き物が地上に現れたころ、命を維持するのに必要な水や食料の関係で、生活できる地域は限られていた。河、湖、池、泉といったものが必要で、すぐ近くの海、山、野原などから様々な産物等が容易に手に入ることが必須条件だった。
    その後時代が下るにつれて、世界各地で耕作が始まり、ヒトが集住する規模が拡大し、富が蓄積されるようになってくる。やがてそれらの富を広域で動かして交換、つまり交易という活動が盛んになってくる。
    文明の発展は同時にヒトの持つ様々な知識を向上させ、技術を進歩させていくことになる。ヒトが集住する地域では都市化が進み、交通や地理学的な知識の蓄積から、生活圏や経済圏は次第に拡大していく。長距離に及ぶ陸や海のルートが確立され、シルクロードに代表される長距離に及ぶ貿易が実現されるようになった。
    その後、やがて欧州は大航海時代に入り、世界各地に進出して植民都市を建設していくことになる。様々な富を様々な形でそこから持ち出すことが、彼らの最も大きな目的のひとつであったとはいえ、鉄道敷設が始まる前に建設された市街地の多くは、海や河の岸辺から広がる形のものが多く、まだまだ人々が生活できる条件が揃う地域は限られていたといえる。
    だが、いまや国や地域によってはなはだしい格差はあれども、各地に道路、水道、電気等々の生活インフラが行き渡り、蛇口をひねると水がほとばしり、スイッチを入れれば電気が使えて、調理や暖房などのためガスが利用できるようになっている。どこにでもエンジンのついた乗り物で、道路、空路、海路などで簡単に移動できるようになっている。かつては地理的、物理的にヒトの生活に適さなかった土地であっても、ちゃんと生活環境が整うのが今の時代だ。
    そうした技術や交通手段の進歩により、都市も拡大している。鉄道、バス、メトロなどの発達により、それらが導入される以前よりも日常的に行動できる範囲が広がっている。これにより、都市の周辺に大きく広がる『郊外』を出現させ、その郊外はさらに近隣の町を呑み込んで市街地をさらに拡大させていく。こうした市街地に生まれ育ったおかげで、自然との関わりを、日々あまり意識できないのは私に限ったことではないだろう。
    もちろんそうした技術の進歩や経済活動等の拡大により、産業革命以降、とりわけ20世紀以降はエネルギーの消費量が飛躍的に増えている。近年、先進諸国が停滞している中にあっても、いわゆる新興国の発展にともない各地で大規模な開発が進んでいる。これらにより、環境に与える負荷がますます大きくなっていることは言うまでもない。
    生態系システムから大きく逸脱してしまったヒトの社会活動そのものが、大自然というシステムに対していかにリスクの大きなものであるかという認識が広まっている。日々の暮らしや生産活動等が環境に与える影響をなるべく小さくしようと、熱帯雨林保護、CO2排出量の規制、CNGを燃料とするエンジンやハイブリッドエンジンを動力にして走る自動車の導入、日本発の『クールビズ』の呼びかけ等々、世界各地でさまざまな取り組みがなされている。
    だが、それらの試みは、これまでの間に失われた環境を取り戻すものではないことは言うまでもない。私たちが自然環境に対して与えるダメージを、今後なるべく小さくしていこうというものでしかない。そのため、われわれ人間が環境や自然に対して与える影響や圧力はどんどん蓄積していくいっぽうなのだ。
    ヒトもまた、もともとは自然の生態系の中で育まれた生き物のひとつである。建物やクルマ、電化製品や通信機器といった多くの無機物に囲まれて暮らす私たちだが、大自然という大きなものに対する畏れと愛情を忘れてはいけないと思う。
    私たちのこの大地は広大にして精緻なるもの。先述の緑の革命のように、近代的な技術により土地にもともと備わっていた条件を克服したかのように見えても、実は長期的にはその成功は不完全なものであり、背後には厄介な問題が控えていることが判ったりする。
    私たちヒトが、母なる大自然への反逆者ではなく、大地の子として周囲と共存していくためには、私たちの存在が自然に対して及ぼす影響の本質について、今後もっと大きく踏み込んだ取り組みが必要であろう。

  • ヒトもまた大地の子 1

    近年、インド各地で農民たちの自殺のニュースをよく目にする。緑の革命に成功したはずのパンジャーブでさえもそうした事例が多い。1961年の大飢饉以降、近代的な農業が導入され、記録的な増産を実現したものの、塩害の問題が取り沙汰されるようになっている。
    インドの穀倉地帯、パンジャーブ州の農業の基盤となるのはもちろん広域にわたって張り巡らされた灌漑だが、これらの維持管理の不手際が指摘されている。また河川からの取水だけではなく、地下水も盛んに利用されているが、これは過剰揚水につながり、地下水位の下落につながっている。
    また地下水中の含塩量の問題等が指摘されている。これらは国境をまたいだパーキスターン側でも同様であるとともに、はるか西のエジプトにおいても、塩害が深刻な問題になっているという。どの地域も大規模な灌漑に成功し、水利のコントロールと農作物の収穫増に大きな成果が上がったと自負していたはずの地域である。
    都会の街中、しかも建物の中にいると、窓の外の気候の変化はまるでテレビの画面の中の出来事のようで、あまり現実感がないといっては言い過ぎだろうか。あるいは大きな建物に囲まれた中に身を置いていると、本来地上の生き物としてあるべき空間、外界とのつながりが希薄になってくる。
    空気の乾湿、気温の高低以外に自然界の影響というものをほとんど感じなくさえなってくる。 都市生活の中で、『大自然の脅威』を感じるのは、それこそ大地震であるとか、予期せぬ規模の豪雨のため洪水といった大災害の発生時くらいのものではないだろうか。
    ヒトとは、実に環境負荷の大きな生き物だ。地下に巣を掘ったり、樹木を立ち枯れさせるほどに旺盛な食欲を見せる動物たちはいるが、大自然の中に都市というヒト専用のコロニーを造って平野の景色を一変させたり、河を堰き止めて広大な湖を作ったり、ときには山を跡形もなく消失させてしまうなど、大地の有様さえも一変させてしまうほどの大きな力を行使する生き物は他にないだろう。地形だけではない。大気や水さえも汚濁させて、それまで生活していた動植物を駆逐させてしまうことも多々ある。
    しかもヒトの生活圏において、動植物を含めたあらゆる有機物は、ヒトにとって有用であるものだけが存在することを許され、多くの場合は飼育・栽培といった形でその数量まで管理される。しかしながら有益でない、あるいは害があると判断された生物は、そこにいることさえ許されず、駆逐や駆除といった形で殲滅が図られるという厳しい掟がある。

  • 安宿街に歴史あり

    ずいぶん前のことになるが、『タイ・バンコク・カオサンロードの歩き方』というサイトがあった。エコノミーな宿の紹介か?と思って覗いてみると、バンコクのエコノミーやホテルとゲストハウスが集中する地区の成り立ちやここに宿泊する人々、働く人々の動態などが詳細に描き出されているなど、想像していたものとはかなり様相が違った。
    ただの安宿街にもそれなりのきっかけと必然性があって成立していること、そうした地域にも盛衰があり、これもまた具体的な理由があることがいろいろ記されており、とても面白かった。
    ただの旅行者が書いた雑記帳のようなものではなく、大学でメディア論を専攻する研究者の手によるものであり、こうしたエリアが形成されていく歴史やその背景にある事情など、社会学的な分析がなされているがゆえに大変興味をおぼえた次第である。
    しかしながら、そのサイトはすでになくなっている。それを引き継ぐ形で『カオサンからアジア』へというタイトルでウェブ上に存在(最終更新日が2000年7月だが)するとはいえ、以前のものとは比較にならないため、ここで敢えて参照しない。
    あのコンテンツは一体どこに行ったのか?と探してみると、書籍になっていたことがわかった。
    こうしたことは、すっかり頭の中から消え去っていたのだが、バンコクのスクムヴィット界隈で適当な宿がないか?とウェブで探していると、たまたまここに行き当たり、『ああ、そういえば・・・』と思い出した次第である。別に私が宿泊する先は安宿ではないのだが。
    たぶんこれは前述のサイト『カオサンロードの歩き方』から一部削除されずにウェブ上に残ったものではないかと思う。以前、このサイトを見つける前から、カオサンロードがバックパッカーたちのバンコクでの滞在先としてポピュラーになる前には、西洋人たちにはマレーシアホテル周辺がポピュラーで、チャイナタウンは日本人宿泊者が多かったということは知っていたが、スクムヴィットのエリアにも安い宿が多かったということは知らなかった。
    この残骸?にも書かれているが、カオサンロード登場以前の安宿街の形成には、ベトナム戦争が影を落としていたという説明もまた興味深く読んだことを思い出す。従軍していた米兵が、休暇で気晴らしにやってくるタイで、彼らの滞在先としての需要があったというのは、さもありなんといったところだ。
    その当時から営業を続けているマレーシア・ホテルは、ある意味老舗の宿といえる。周囲に安い宿が次々に開業したことから、相対的に料金が高めになり、中級ホテルとみなされた時期もあったようだが、タイの経済成長にともない、良質なホテルが増えた結果、やはり相対的に低料金の安ホテルとなっている。なんだか胡散臭いイメージが定着してしまっているが、コストパフォーマンスは高いようで、実際に利用した人からの評判はなかなか良いらしく、リピーター宿泊客も多いらしい。
    ただしバンコク市内各地に、様々なロケーションにいろいろなタイプのホテルが沢山あるのに、わざわざここを選ぶ理由は特に見当たらないように思う。
    今でこそ、日本発で世界各地へのフライトのチケットが安く出回っているが、そもそも格安航空券というものが一般的でなかった時代、日本からインド方面に向かおうとするバックパッカーたちは、とりあえず香港かバンコクに出て、そこからカルカッタなどへ向かうのが一般的であった。そのためタイ訪問そのものが目的でない者も、安いチケットを購入するためにバンコクに滞在していたのだろう。
    その格安航空券にしてみたところで、今や航空会社が直接ネットで販売する正規割引に押されている。米国系航空会社が格安航空券を販売する旅行代理店にコミッションを廃止し、他の航空会社もこれに追従するのが流れになっていることもあり、従来の『格安航空券』というものが、そう遠くないうちになくなるであろう、とさえ言われている。
    バンコクで、特に用事はないのだが、久しぶりにカオサンロードに足を向けてみようかと思う。外国人客がワンサカ宿泊しているだけに、気の利いたみやげもの類は多いのだ。価格も手ごろだし。Tシャツ等の衣類もなかなかの品揃えだ。
    そういえば、カオサンロードをはじめとして、バンコク各地にスピード仕上げを売りにするスーツの仕立屋が多い。しかし店の人たちはどうして揃いも揃ってサルダールジーばかりなのだろうか?仕立服屋の世界で『パンジャービー・カルテル』でもあるかのようだ。バンコクで、テイラーとして定住して稼ぐ彼らにも、興味深い『歴史』があるのではないかと思う。スーツの価格はもちろん要交渉だが、落ち着く値段はまずまずのようなので、一着注文してみるのもいいかもしれない。

  • ネットで映画探し

    すでにご存知で活用されている方も多いとは思うが、ボリウッド作品を含めた「あの映画、いつリリースされた、何というタイトルだっけ?」「この役者が出ている他の作品は?その役どころは?」「監督は?その他キャストは?」と、いろいろ疑問に答えてくれるのが、The Internet Movie Databaseだ。
    他にも似たようなサイトはいくつもあるとはいえ、昔のものから最新作まで大量に、またこれほど広い地域の様々なジャンルを網羅したものはないと思う。国別、言語別、分野別etc.と、いろいろな角度から検索できるし、作品や出演者に関するトリビアなども目にすることができて便利だ。このサイトのユーザーの投票によるレーティングもなされているので、各々の作品に対する世間の評価についてもおおよそ掴めるようになっている。
    とりあえず、ここで作品等に関するアウトラインを知れば、後は必要に応じて個々のジャンルに詳しいサイト等でさらに調べたり、現在上映されていないものでも、映画ソフトを購入したりダウンロードしたりと、広い映画の世界で遊ぶための入口として、大いに役立つことだろう。

  • タイ国鉄もeチケットの時代に

    個人的には、近年におけるインド国鉄の快挙といえば、eチケットの導入である。わざわざ駅に出向いて列に並ぶ必要がなく、あるいは物グサして代理店に予約を依頼する必要もない。ただ自宅で予約サイトにアクセスして、IDとパスワードを入力して、運行日時と発着時間帯を見て、列車とクラスを確定するだけ。カードで支払い、eチケットをプリントアウトして、カバンにねじ込む。
    ネット予約しても、結局は駅の窓口に出向いて(時には長い時間列に並んで・・・)予約票を提示して切符を受け取らなくてはならない某国のJRとかいう鉄道よりも、この点においては利用客にとっての利便性は非常に高いといえる。
    唯一難点としては、すべての座席・寝台がネット予約販売されているわけではないので、込み合う時期やもともと運行数が少ない路線では、窓口ではまだ空きがあるはずでも、ネット予約分は早々に完売していることが往々にしてあること。
    ところで、eチケット導入については、しばしインドに遅れを取っていたタイ国鉄だが、このほどようやく同様のサービスを導入している。
    タイ国鉄予約サイト
    インドから日本への帰りに、タイ航空を利用してバンコクにチョコッと滞在するという人は少なくないだろう。日数は限られているけど、市外にちょっと足を伸ばしたい、できれば夜行列車でチョイ遠くまで・・・というとき、バンコクからチェンマイ方面でも、あるいはハジャイ方面でも、タイ入国前に鉄道チケットが手元にあれば、行動範囲がグンと広がる。
    道路網が非常に良く発達しており、高速バスが全国各地を頻繁に結んでいるタイだ。発着数やカバーする目的地の多さでは比較にならないが、旅情という点からは鉄道、あまりビュンビュン飛ばすのは嫌だから列車がいい、という人は私だけではないはず。
    だがこのウェブでの予約について、全体の席の10%のみeチケット販売とか。残りはやはり従来どおりに鉄道予約窓口(タイの旅行代理店を通じての予約を含む)を通じての販売となるらしい。
    とりあえず予定が確定したら、早めに席を抑えるのがよろしいようで。

  • 煽る政府と暴走するメディア

    今回はインドと関係のない話題で恐縮である。先週土曜日に初めて耳にした『豚インフルエンザ』の話題だが、その後の急速な展開には大いに戸惑っている・・・というよりも、日本のメディアによる取り扱いやこれに対する社会の反応について、大いに疑問を抱いている。
    4月28日までの報道によれば、メキシコでこのインフルエンザの感染によるものと疑われる死亡例が152件であることが目を引くが、その他の国における感染者は、アメリカで64人、カナダで6人、スペインで2人、ニュージーランドで3人、イスラエルで1人、コスタリカで1人の感染が確認されている(その他の国における推定感染者を除く)とのことだが、実際のところどういう病気なのかはよくわかっていないようだ。
    先述の報道の時点では、メキシコにおける死亡例の多さが注目されているものの、その他の国ではまだ死亡例は報告されていない。また症状は通常のインフルエンザと同程度で、患者は順調に回復しているとのこと。
    何故、同じ型のウイルスでも、メキシコとその他の国々でこうも違うのか、まだその理由はよくわかっていないようだ。現地の医療事情や地域的な要因、つまりインフルエンザが頻繁に流行する地域ではよく見られる型のウイルスによる流行であっても、普段それとあまり縁がない地域では大きな被害をもたらすことがあるという。
    日本で馴染み深い(?)A香港型のインフルエンザの流行により、2002年にマダガスカルで、5,000人の患者中、死者374人という惨禍をもたらした例がある。当地でこの型のウイルスにかかった経験が少なく、免疫が低い人々に広まったこと、栄養状態や医療の普及状態などといった要因も絡み合い、重症化する例が多くなったとされる。もちろん今回のウイルスは、私たちにとっても新型であるとされるわけだが、地域的には人々の持つ耐性に差があったりすることはあるのかもしれないという説もある。
    メキシコとそれ以外の国において、ウイルスが悪さをする程度が違うことだけではない。メディアの報道とそれを目にした人々の反応にも、国や地域によってかなり温度差があるようだ。日本の対応は、ご存知のとおり非常に厳格である。
    もちろん死者が大量に出てからでは遅いわけで、その前に被害を限定的に封じ込めよう、またその被害が及ばないように水際で阻止しようという意図はよくわかる。だが今回のインフルエンザについて、メキシコ以外で感染した例においては、毒性がそれほど強いものではないことがほぼわかっている今、これほどヒステリックになる必要があるのか、こうした対応に伴う高い代償を払ってまでそういう姿勢を取ることに合理的な理由があるのかどうか疑問なのだ。
    日本のマスメディアにも問題があるようだ。『言葉の壁』のため、大多数の人が読むのが自国の日本語メディアに限られるので、テレビのニュースや新聞記事等の論調にいとも簡単に『洗脳』されやすい。日本において、それらメディア自体の均質性が高いため、どこも同じようなことを書きたてる。そのため、情報が統制されている状態に近いともいえるかもしれない。
    言葉の壁以外にも、日本語圏自体が人口1億2千万を越える大言語圏であり、しかもこれの言語圏が日本国内に限定されるといって差し支えないものであるがゆえに、日本語による報道自体がほぼ同じ傾向に集約されやすいということもあるかと思う。

    (さらに…)

  • Namaste Bollywood #18

    Namaste Bollywood #18
    今号の表紙を飾るのはディーピカー・パードゥコーンである。ボリウッド作品への出演はすでに公開されたもので、まだ4作(Om Shanti Om, Bachna Ae Haseeno, Billu, Chandni Chowk to China)しかないとはいえ、この人の存在感には格別なものがある。
    他の女優たちにはない神々しいまでのオーラを感じる。Om Shanti Omへの出演がそうであったように、彼女自身のキャラクターが映画の中での役柄とうまくマッチしたならば、共演する大物俳優の存在さえも霞ませてしまうほど、まばゆく輝くことだろう。
    まだまだ彼女のポテンシャルはこんなものではないはず・・・と、ディーピカー主演で映画史に大きな名前を残す超大作が出てくることを心待ちにしているのは私だけではないはず。
    さてナマステ・ボリウッド#18号の目玉は、特集『ボリウッドがやってきた!日本公開特集』とのことで、この時期日本国内公開のChandni Chowk to China, Slumdog Millionaire、アイシュワリヤ・ラーイが出演するThe Pink Panther 2、そして今月上旬に来日したA.R.レヘマーンへのインタビューが目玉。ご存知のとおり、インドの音楽界を代表する人物だが、Slumdog Millionaireでアカデミー賞オリジナル音楽賞と主題歌賞を獲得している。
    この時期にいくつか続くインド関係の映画上陸が、日本におけるインド映画ブームの再来、ひいてはボリウッド人気の高まりということになっていくのかどうかはよくわからない。
    しかし以前のインド映画ブームと大きく違う点としては、これら3作は順に?ハリウッド資本が注入された中華風ボリウッド映画、?インドを題材として、インドの人材を活用したイギリス映画、?インドの著名映画人が出演したハリウッド映画であり、?はともかくとして?と?についても、ストレートにインド映画と言い切れるのかどうかという点がある。イギリス経由で日本に入ってきた『カレーライス』ないしは日本式の『中華料理』ほどではないかもしれないが、本筋から離れていることが、個人的には少々気にかかっているのだが。
    日本において良くも悪くもかつての『インド映画ブーム』にて、「インド映画ってこんなもの」という、ステレオタイプなイメージが定着してしまっているとともに、出演者についても固定化したイメージを抱いている人が多いことが、新たなインド映画熱の盛り上がりを阻害していると私は考えている。この観点からすれば、これまで日本国内で大々的に上映されていたものと切り口の違う作品を提示することの意味は大きい。
    これを機に、さらに違った趣のインド映画、個人的にはとりわけボリウッド作品が紹介されるようになるといいと思う。さすがは製作本数世界一の映画大国だけあり、あまりお金がかかっていなくてもよく出来た秀作、ファンを熱狂させるヒーローやヒロインの出演はなくても、実力派の玄人俳優が見事に演じる渋い作品、挿入歌やダンスシーンなどはまったくなくてもシミジミと鑑賞できる映画というは多い。日本で公開されるインド映画のバリエーションを豊かなものとすることが、ファンの裾野を広げることにもつながるのではないかと思う。
    また、ナマステ・ボリウッド主催のイベント情報も見逃せない。5月23日(土)には、ボリ祭2、続く5月24日(日)に「ボリウッド講座『想い出の小路』を語る」というイベントが予定されているとのことだ。詳しくはナマステ・ボリウッド#18あるいは同誌のサイトをご覧いただきたい。

  • ワールド・デジタル・ライブラリー

    グーグルの書籍検索で、著作権がとうに切れた図書をダウンロードできる。それらの中には、ときになかなか貴重な歴史的な書籍があったりするため、ネット上で入手できるアンティーク本がこのところ気になっていた。だが、ここにきていよいよ真打登場である。
    昨日、4月21日にユネスコが米国議会図書館などの機関と共同で設立するワールド・デジタル・ライブラリーが開館した。20か国の30を越える国立図書館などが所有する書籍や資料などが、ウェブ上で無料にて閲覧できるようになっている。
    日本関係の展示物はこちら、そしてインド関係のものはこちらをご参照いただきたい。
    スタートしたばかりということもあり、まだ蔵書等の点数は少ないものの、こうした取り組みは大いに注目されるところである。今後その内容をますます充実していくことを期待したい。
    歴史的資料は、それを生んだ地域や民族固有の財産であるのみならず、この地上に暮らす私たちすべてが共有すべき貴重な遺産でもある。
    UNESCO, Library of Congress and partners launch World Digital Library (UNESCO)
    グーグル、米議会図書館に300万ドル–World Digital Libraryを支援へ (CNET JAPAN)

  • 池袋のベンガルな日曜日

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    生活のサイクルの中で、駅までの道のりや電車やバスといった交通機関の中で『いつも見かける人』として記憶している人物は少なからずある。その人と擦れ違うのがどの地点であるかにより、『今日の私は少し時間に余裕があるな』とか『まずい、今日は遅れてしまった』などと感じたりする。毎日顔を合わせる人たちだが、どこかで何がしかの接点がなければ、会話どころか挨拶をすることもない。
    本日4月19日、東京の池袋西口公園にて、『カレーフェスティバル&バングラデシュボイシャキメラ』が開催された。昼過ぎから会場に出かけて、長男とビリヤーニーをパクついていると、ちょうどそういう『顔見知り』がいた。いつも私が降りる駅で、ホームから乗り込んでくるインド系の人が。普段一人でいるところしか見たことがないが、今日は奥さんと子供と一緒である。
    『いつも××駅から乗ってるでしょう?』と声をかけてみると、バーングラーデーシュの人であった。なかなか話好きな人のようで、しばし楽しく会話させてもらった。明日からは、憂鬱な朝の鉄道駅のプラットフォームで挨拶する相手ができたことにもなり、ちょっと嬉しかったりもする。
    さて、今日のイベントは、少し汗ばむほどの好天に恵まれたこともあり、盛大な人出であった。池袋西口公園が文字通り『満員』といった具合で、そろそろ他の会場へのシフトも考慮したほうが良いのではないかとも思った。この手の屋外イベントで、外国出身の人が八割以上というものは他にほとんどないのではないかと思う。もちろんここで言う外国出身者とはベンガル人たちのことである。
    私が常々感じているとおり、彼らが日本に定着してからすでにかなりの年月が経過している。特にバブル期に来日して、日本で所帯を持った人たちについては、子供たちがすでに中学生やそれ以上になっている家庭が少なくない。そういう早い時期に来日した人たちに限ったことではないが、配偶者が日本人というケースが多く、日・バ混血の新しいタイプの日本人が育ってきている。
    果たして、日本に定着したバーングラーデーシュの人たちは、時間と世代を重ねるにつれて、日本社会に同化、あるいは消極的な表現を取れば埋没していくのか、それともベンガル人ないしは南アジア系としてのアイデンティティを保ち、独自のコミュニティや生活文化を発展させていくのだろうか。
    もちろんバーングラーデーシュ出身者とひとことでくくることは適当ではない。80年代後半から90年代初頭にかけて来日した人々は出稼ぎ目的でやってきた者が多かったのに比べて、この国からやってくる留学生たちはおしなべて高学歴志向だ。大多数が理系専攻で、留学先である日本で専門分野の修士号や博士号を取得後、外資系を含む日本の一流企業でプロフェッショナルとして勤務するエリートが多いことは、意外にあまり知られていない。
    そうして日本で生活の基盤を築いた兄は弟を、叔父は甥を呼び寄せて同じように日本で高等教育を受けさせる。もちろん彼らも大半が理系分野に進学する。やがては彼らもそれなりの蓄えができると、身内の中で優れた者に同様の機会を与えるだろう。こうしてバーングラーデーシュから理系に強い人材が次々に日本へと渡ってきている。
    IT関係で来日するインド人技術者と比べて、今のところ彼らは日本での定住志向が高く、今後日本に南アジア系社会なるものが形成されるとすれば、その中核となるのは間違いなくバーングラーデーシュの人々であると思われる。
    ともあれ、池袋西口公園で毎年この時期に開催されるベンガル人たちのお正月イベントは大盛況であった。今年もまた良い年でありますように!
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  • 邦字メディア

    このところ、タイの政治の動きが気になり、同国の英字メディアに加えて邦字紙バンコク週報のウェブサイトを眺めていたらこんな記事が目に止まった。
    インドの民間航空、バンコク便を延期 (バンコク週報)
    ここにある民間航空とは、キングフィッシャー・エアラインのことで、今年3月からバンガロール・バンコク便を毎日運行させる予定であったのだそうだ。しかし機材繰りの関係でこれを今年10月に延期。また発着地もバンガロールの代わりにムンバイーとコールカーターからそれぞれバンコクに就航させる予定だという。 今のところ、首都デリー便は予定されていないようだが、日本からバンコク経由でインド行きの選択肢が増えるのは喜ばしいことである。
    ところでバンコク週報といえば、ご存知のとおりバンコクをベースとする週刊の邦字紙。昨日は、想像を超える多数のアクセスがあった模様で、日中一杯はまったくつながらなかった。もちろんタークシン元首相支持者たちのデモ活動、政府が鎮圧に乗り出し、軍隊と衝突して死者まで出る騒ぎになっているがゆえのことである。
    1976年の創業当時は週間バンコクと称していたそうだ。他にも海外の邦字紙といえば、シンガポールの星日報、フィリピンのマニラ新聞、インドネシアのじゃかるた新聞等、各地でいろいろ出ている。
    現在これらは紙媒体のみならず、多くがウェブサイトも開設しているため、昔は現地の日本人社会周辺でしか見かけることのなかったこれらのメディアに、いとも簡単にアクセスできるようになっている。たまに覗いてみると、日本で発行されるメディアには取り上げられないトピック、日本のメディアとは違った視点なども感じられ、なかなか興味深いものがある。
    海外の邦字メディアへのリンクをまとめて掲載しているところはないかな?と探してみると、ちょうどいいサイトが見つかった。
    海外の日本語新聞 (岸波通信)
    こうした電子媒体をも含めた邦字メディア、つまり海外発の日本語による報道といえば、おおまかに分けて三つに類型できる。
    ?在留邦人向け
    まず第一に、先に上げた仕事などのために現地に在留している日本人たちのためのメディアだ。往々にして駐在期間が数ヶ月から数年と限られており、往々にしてその国や地域の事情にあまり通じておらず、コトバの問題もあり地元メディアによるニュースをなかなか得にくい人たちが主な購買層となるだろう。現地ニュースを噛みくだいて伝え、これと合わせて在留邦人たちに役立つ生活・娯楽ニュースなどを提供することに意義がある。
    ?日系人ならびに定住者向け
    サンパウロ新聞やニッケイ新聞に代表される、海外に移住した日系人たちを対象に発行されているものだ。在住国のニュースが日本語で書かれている点では前者と似ているとはいえ、読者層の大半にとって『故郷』とは在住国そのものであるため、日本に対するスタンスがずいぶん違う。『父祖の国』の日系人に対する処遇がしばしば記事になったりもする。また『納骨堂詐欺にご注意』などという見出しが目に付いたりするのも、そこに根を張って生きる日系人たちの立ち位置が感じられる。また日系人たち(おそらく年配の方々が中心か?)の間で、日本の出身地を単位とする県人会活動が盛んなことも、そうした記事が多く含まれていることから推測できる。
    ?と?は、かならずしもはっきりと境界を区切ることができるものではないかもしれない。タイやインドネシアなどで生活の糧を得る生業を持ち、長年定住して家庭をもうけ、終の棲家としている日本人は少なくないし、ブラジルをはじめとする日系人社会の中に出入りする非定住型の日本人もある。
    ?日本語版外国メディア
    最後に前者ふたつとは明らかに発行主体と目的が異なる邦字メディアがある。日本から見て外国の報道機関が、自国その他のニュースを日本語により日本人読者を相手に発信するものだ。必ずしも発行主体のある現地在住日本人を対象とするものではなく、日本で暮らす日本人たちに自分たちの国の様子を伝える役目をも担っている。ウェブ版の韓国の朝鮮日報、中国の人民日報などがこのタイプに当たる。もちろんロイター・ジャパンのような外国通信社が発信する日本語ニュースもここに分類できるだろう。
    ?はともかく、?と?については、一時滞在も含めて相当まとまった数の現地在住の日本人ないしは日系人の人口がなくては存在しえない。それがゆえに、アジアを中心とする各地で、新たな邦字メディアが生まれたり、日本語による主に娯楽関連のミニコミ紙が登場したりと活発に推移しているのとは裏腹に、中南米の邦字メディアについては、日系人の世代が下るにつれて、日本語を理解しない人が増えていること、父祖の国への文化的な関心も薄れていくことから、かなり苦戦しているところが多いということも耳にする。
    インドの邦人人口はまだそれほど多くはないとはいえ、今後日印関係がより緊密なものになっていくのだとすれば、いつの日かインドで発行される邦字新聞というのも出てくるのだろうか。『日本語で読むインドニュース』を標榜する有料のウェブサイト、インド新聞や無料のインドチャンネルなどというものがあり、活発にインド関連のニュースを発信しているものの、これらはちょっと違う気がする。内容もさることながら、メディア自身が立つ軸足の関係である。
    今、広く知られている邦字紙によるウェブサイトは、言うまでもなく既存の紙媒体のメディアが時代に合わせてウェブ版でも発信するようになったものだ。今の時代に発刊する邦字メディアは、紙面作成や頒布に人手やコストがかかるうえに、流通するエリアに限りがあり、保存性もよろしくない紙媒体をスッ飛ばして、直接電子媒体で・・・というのがいいのかもしれない。
    ともあれ、メディアは社会の公器とはいうもの、れっきとした商売でもあるので、やはりそこはそれなりの需要があり、採算が見込まれることなしに存在しえないことは言うまでもない。